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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

オーリングテストの話(15)

2012-03-28 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストは便利だが、人前でこれを使う時はいろいろ気を遣う。
「一体何をやってるんだ?」と奇異な目で見られることはざらにある。

古い話で恐縮だが、私と相棒が共同制作で描いた「宇宙画」の展覧会が大阪の旧セルヴィスギャラリーで2001年に開催されることになった時、ふと知り合った人のご縁で、ある「額縁専門店」を訪ねた。
絵の装幀をお願いするためであるが、その竿(額縁の枠)の材質や色を選ぶのに、私たちはオーリングテストをやりたかった。
「それ以外の方法で選ぶなんて考えられない」ぐらいにその頃はオーリングテストにはまっていたからだ。

それで、額縁一筋でやってこられたその道の専門家の方への気兼ねと遠慮もあり、最初はこっそりとバレないようにそれとなくオーリングテストをしながら竿を選んでいた。(内心ちょっとひやひやしながら、、)

けれども、その日は遠方から訪ねたために時間があまり無かったのと、持ち込んだ絵の数が多く、竿だけでは無く、マット(額と絵との間の余白にある押さえの厚紙)や、そのサイズや色なども決めなければならないし、その他にもいろんな専門知識も必要なので、だんだんにオーリングテストだけでは間に合わなくなり、結局その店のオーナーにかなりの部分をおまかせすることになった。

その専門家の方はたぶんこのような私たちを見て「不信感」?を抱かれたに違い無い。
あるいは心の中でちょっと軽蔑されていたかもしれないのだが、その後も顔を合わす度に「オーリングテストで決めますか?」と笑いながら冗談半分で尋ねられたりして、私たちはその度に赤面するはめになった。

実際のところ、その方が選んでくれた額と私たちがオーリングテストで選んだ額とでは、(もう今ではどれがどれだったか忘れてしまっているが)全くどちらも遜色無い出来映えで、彼が専門家の目で選んでくれた額はもちろんどれも私たちの気に入り、まさに絵にぴったり似合っていた。
否むしろオーリングテストで決める以上に、さらなるユニークさ(これはその方の感性の素晴らしさなのだろう)に輝いていたのでは?という気がする。

そしてその時に感じたことは、オーリングテストで選べば「ミスマッチ」は無い(それ以外には無い最高の組み合わせ!)と安心は出来るけれど、それよりも人にまかせた方が案外それを上回る「予想外」(想定外)の面白さや発見があるということだ。

例えば俳句や川柳などの句集を作る場合、よくあるような無難で手堅い「自選」の「自費出版」では無く、もし専門家にまかせて「他選」してもらい、編集やレイアウトなどもその道のプロの人にやってもらったなら、意外なヒットもあり得るかもしれない。
『有夫恋』(時実新子著/朝日新聞社)のようなベストセラーになることも無いとは言えない。

話が横道に逸れてしまったが、そういうわけで、それ以後の「額縁選び」は、もうすっかりその専門家の方にまかせてしまうことになった。
もちろん出来上がりが必ずしも私たちの好み通りでは無い時もあるけれど、それもまたよし!と思っている。

それじゃあ、一体「オーリングテスト」はどんな意味があるの?と思われる人もいるかもしれない。

上記の額縁選びで言うなら、その色、素材、かたち、サイズ、それに予算や本人の好み、観る側の好みや流行、飾られる場所や展覧会の雰囲気、目的、全体のまとまり、調和、その他技術も含め様々な要素を考慮する必要があるだろうが、普通は考えれば考える程どれがいいかわからなくなってしまうことだろう。

専門家は場数を踏んで、時には失敗もしながら、絵に合う装幀をするために必死に学んで来られ、また元来そういうことが好きだったり、直観が働いたり、鋭い感性を持っておられるに違いない。
それでもやはりどれをどう選ぶか、どれにするかを決めるのはかなり至難の技と思う。

オーリングテストの場合は一体どういう「基準」で(何を根拠にして)それを決めるのか、理由はわからないが、ともかくそういう全ての要素を網羅し、他にも何か特別の観点を加味して?まさに「一瞬」にして何のためらいも無く、「この絵にはこれ!」(これ以外には無い)と言わんばかりに、どんな場合も「一切の迷い無く」瞬時に決めることが出来るのだ。

それがまた不思議なことに、その結果が、自分が一つずつ意識的に時間をかけて選んだあげくの額装と、ぴったり同じである場合も多いのだ。そんな時のオーリングテストは(確認の意味で)、「あぁやっぱりこれでよかったんだ!」と思えてなお嬉しいものだ。

そしてそんな時にはオーリングテストがあってよかったなとつくづく思う。
だからオーリングテストが出来るからと言って、決して「専門家」が不要というわけでは無いのである。
それは「宇宙との共同創造作業」でもあるのかもしれない。

オーリグテストが「この絵にはこの額」というふうに決めた場合には、おそらく人間の側の都合や美意識以上の何か別の観点から(目に見えないけれど重要な要素なども考慮して?)決めているということも、もしかしたらあるのではという気がする。

例えばその素材が後にリサイクル出来るか?とか、有害物質を使っていないか?とか、将来その絵を買うことになる人物のこととか?
ともかく考えられるあらゆる要素が全て総合(統合)判断されて、その幾つもの可能性の中から「最高の選択が自動的に出来るシステム」が自然に出来上がっているのかもしれない。
そんなふうに考えると、オーリングテストが益々好きになってくる。

ちなみに私は昔あるところで店員をしていたことがあり、インテリア関係の売り場で「額」を売ったり絵に合うマットを選んだりする仕事をしていたことがある。
(この仕事はけっこう好きで気に入っていた)
その頃はまさか、将来自分がこのような絵を描く仕事をしたり、その額を「オーリングテスト」で選んだりすることになるとは全く想像さえしなかった。ほんとうに人生何が起こるかわからない。

いずれにしてもオーリングテストが誰からも奇異の目で見られることなく、どんなところでも自由にオープンに出来るような世の中に早くなって欲しいと思う。
そういう新しい時代が来たなら、たぶんもうその時にはオーリングテストが不要な世の中になっていることだろうが、、。



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オーリングテストの話(14)

2012-03-24 | シリーズ「オーリングテストの話」
「さがしもの発見器」というのが出来たそうだ。エアーブザーを鳴らすと本体のセンサーが感知して音で知らせてくれるそうだ。
「オーリングテスト」を使って探すことももちろん出来るが、けっこう時間がかかるので、それよりも私はこんな方法を使っている。(これは誰に教えてもらったかは忘れたが)普通に探すよりもこの方がずっと早く見つかることが多いので。

まず声に出して(声を出せない場所では心の中で)「さがしもの」に呼びかける。
例えばそれがメガネだとしたら、「メガネさん、メガネさん。私はあなたが必要なの。出て来てくれてありがとう!」と、自分がそのモノを必要としていることを訴えて、「すでに出て来てくれたかのように」感謝する。
そんなふうにぶつぶつ唱えながら部屋や洗面所や玄関、キッチン、庭などいろんなところを歩き廻る。
すると「あらっ!こんなところに置き忘れていた!」と意外な場所でふと見つかったりするのだ。

この方法も結局のところは、そのモノ(分子)と自分の細胞(記憶)とが「呼応」して出て来るのではないかと思うので、これも要するに「さがしもの発見器」と同じ原理?ではないかという気がするが、どうだろうか?
すなわち全ては元々みんなつながっていて、それは「一体」だからこそ、ただ忘れているだけで、「呼びかける」(呼び起こす)ことで、そのつながりが「起動」(励起)するというか、「復活」して、再び出合うことが出来るのでは?と思う。

だからこの原理はおそらく人にも当てはまることだろう。
誰かのことをふと思った瞬間にその人からの電話が鳴ったり、宅配が届いたり、郵便が来たりすることもよくある現象だ。
それをシンクロニシティ(共時性)と呼ぶことも出来るかもしれないが、いずれにしても、そのような「さがしもの発見器」のような道具があれば便利なこともあるかもしれないが、たとえそういうものが無くても、自分で出来るこのような簡単な方法もあるので、もしよかったら一度試してみられてはどうだろうか?

これは「どうしても見付けなければ~」という必死な感じでするよりも、(たとえ時間が無くあせっていたとしても)なるべくリラックスした状態で(ゲームのような感覚で半ば楽しみながら)やる方が、断然早く見つかるようだ。
私はだから鼻歌気分で(上記の「呪文」を口ずさみながら)探すことが多い。

それでも私が見つけるより、いつもなぜか相棒が先に見つけて助けてくれる確率の方が高いのは不思議だが、、。

さて、今日は午後からあるセミナーに出かけます。
今朝の私のオーリングテストによれば、ここで私は何か今後の自分の方向転換になるような出遇いがあるらしい?ので、それが何なのかワクワク楽しみです。
うまくいけばまたご報告しますね。

では、行ってきま~す!




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オーリングテストの話(13)

2012-03-16 | シリーズ「オーリングテストの話」
今日はブログを書くのが遅くなってしまいましたが、久しぶりにオーリングテストの話題です。

先日掃除機が急に動かなくなってしまい(私の不注意が原因なんですが)、修理に出そうと思っていたら、相棒が「これまでの掃除機は音がうるさいし、(保証期間が過ぎているので)修理代もけっこうかかるだろうから、それよりも新しいのを買った方がいいのでは?」と言って、インターネットで調べてくれて、幾つかの掃除機を候補に挙げてくれました。

それで、もちろんいろいろ(ネット上で)評判を確かめたり、機能を調べたり、写真を拡大して見てみたりしたのですが、最終的にはやっぱりこういう時は何といっても「オーリングテスト」が便利ですね。

私はどんなものでも何か買い物をする時は、どちらかと言えば実際にそのものに触れて確かめてみてから買うタイプなのですが、この時は相棒が自分のポケットマネーで買って私にプレゼントしてくれるというので、じゃあ、お願いしようかなと思ったわけです。

そういうわけで、何十種類もの掃除機を(パソコン画面で見ながら)オーリングテストでチェックしてみたところ、なぜかたった一つだけがオッケーだったのです。
それはわりとコンパクトで値段も他と比べてかなり安いものだったので、まぁプレゼントしてもらうことだし、このぐらいでも十分ありがたいと思って、それにしたのです。(日本製であることも気に入りました)

それにしてもオーリングテストでチェック出来てよかった!
もしそうでなかったらどれにするか、かなり迷うし、どれも(実際に実物を知らないので)確信が持てないものなぁ~と、まさに「オーリングさま、さま」と感謝でした。

その後相棒がすぐに注文してくれた(支払いもしてくれた)掃除機が届き、さっそく2週間ぶり!(掃除機が壊れて以来)の掃除をしたのです。
新しい掃除機を使いながら、どうしてこれがよかったのだろう?(他のは使っていないのだから比べられないし、全部を使ってみないことにはこれが一番いいなんてわからない筈なのに?)等と、「これだけがオッケーだった理由」などをふと考えていました。

そして、「古い掃除機はどうしよう?」とりあえず段ボール箱に入れて押し入れに仕舞っておくかなと思って、その前に念のために「まさか動く筈は無いよな!?」と思いながら、スイッチを入れてみたら、な、な、何ともの凄い轟音を立てて動いたではありませんか!
もちろん(新しい掃除機を注文する前に)何度も何度も「動かない」のを確かめてみていたのです。

「あぁ、もったいないことをしてしまった!」(相棒に申し訳ない、余計な出費をさせてしまったなぁ、ごめんなさい)と心の中であやまりながら、その時になってようやく気が付いたのです。

そうか、だからオーリングテストは「金銭的になるべく負担の少ない機種」を今回オッケーにしていたのかも!?と。
(他にも安い機種はあるかもしれませんが、相棒があらかじめ選んで私に推薦してくれていた中ではこれが比較的安かったのです)

と、まあ、このようなわけで、(最初相棒は「多少高くてもいいからもう少しいいものにしたら?」と別の機種を何度も勧めてくれていたのですが)、「今回もっと高い方を選ばなくて済んでほんとによかった!」と、せめてもの「ケガの功名」?で、オーリングテストのおかげで、またまた助かりました。
毎度のことながらほんとにオーリングテストには感謝です。

あぁ、でも買う前にもっとしっかり(オーリングテストで)チェックしたらよかった!と思ったのも事実です。

実は最初オーリングテストでは古い掃除機が「直る」という結果が出ていたのですが、「いつ直るか」ということがあいまいだったことと、修理費がかかることから、「長く待つのは大変だし、宅配で送ってまた受け取ってというのも面倒だな」などと躊躇して、それに我ながら「直るっていうけどほんとかな?」という疑いもあったので、「相棒が買ってくれるというなら、それもいいな~」と(壊れてくれてラッキー!とばかりに?)新しい掃除機に飛びついてしまったわけです。
(古い掃除機さん、ごめんなさい!)

そんなことがあって「オーリングテストの深さ」に改めて気づいた私ですが、それと同時にそれを使いこなす方の「私自身が試されている」とも感じたちょっと不思議な出来事でした。
オーリングテストと共に日々私も進化? 少しずつでも成長していっているのかもしれません。
ありがたいことです。


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オーリングテストの話(12)

2012-02-29 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストはもちろん万能では無く、これだけが「唯一の方法」というわけでも無い。人によっては合わないこともあると思う。

オーリングテストは「パンタ笛吹き」さんの講演会で初めて教えてもらったという話はすでに書いたが、その折、実は「NLP」という別の全く新しい手法も習ったのだ。その頃NLPはまだそれほど知られておらず、当時アメリカのボルダーで暮らしていたパンタさんだからこそ、いち早くそれを参加者に伝授出来たのかもしれない。

ところが一緒に習った筈のその「NLP」のことはすっかり忘れていて、今回ふと思い出したのだ。

この「NLP」というのも、(もしそれがその人に合ってうまく遣いこなせたなら)凄く大きな力を発揮してくれると思うし、オーリングテストのように(練習は必要だが)即効性もあり、具体的で、かなり実用的で役に立つのではと思う。

私の身近かな女性でこの「NLP」の手法を使ってそれこそ「あっという間に」成功された人もいるし、またある男性はそれを仕事にもしておられる。
ほんとにびっくりするぐらいの効果!?をすぐ近くで見ているのだが、私自身はどうしても遣いこなせないというか、(まだ本格的に取り組んだことも無いのだが)まるで喰わず嫌い?のように、どうしてもやる気が起きないのだ。

やればきっといいに違いないという信頼はあるのだが、如何に美味しいものでも「自分の好みでは無い」ものには手が出にくい。

心理学にはさまざまな流派があり、本で読んだり、独学である程度の知識はあるが、その中でも「アドラー心理学」については長年セミナーに通ったりしてこつこつ勉強し、けっこう時間もエネルギーも(もちろんお金も)使ったのだが、同じ時期に始めた知人たちが、どんどん資格を取って仕事にしたり、それを上手に使いこなして人間関係に応用しているのを横目に見ながら、私自身は全くこれがなぜか身に着かなかったのだ。
今でもほんとにくやしく残念に(元を取りたく?)思うのだが、如何せん私には「身に余る」のだろうか?

アドラー心理学は今でも好きで、ユング心理学と同じぐらい深いと思うし、しかもユング心理学よりも実用的で即効性があり、もしもそれをうまく身に着けられたら(仕事にしないまでも)人生が劇的に「楽に」なるに違いないと信じる。本当にとても役に立つのだ。だから練習もかなりしたのだが、私の場合はその場になるとなぜかうまく「応用が出来ない」のだ。
でもこれはいいものだと知っているから、同じやるなら~と人にはけっこう勧めている。(決して無理強いはしないが)

自分が使えないのに紹介するのは無責任かといえば、そんなことは無いだろう。パソコンの機種だって多種多様で、自分に合う、合わないがあるけれど、その人にはその人に合うものがきっとあるだろうと思うから。

この他にも、これをやると目の前の人がほんとにすぐ自分の思い通りに動いてくれるというまるで「魔法のような手法」(これもNLPの分派?)も(本で読んで)独学の練習のために使ってみたら、まさにびっくりするぐらいの結果で、ある時などあまりの効果の凄さに怖くなってしまい、その人が私にくれた超高価なものを後で本人に返したぐらいだ。

人はこんなにも簡単に動くものなのか!?と驚くと同時に、そういう手法で「自分の欲しい物」(この時はたまたまそれは相手のくれたいものであって、必ずしもこちらがそれを望んでいたわけではなかったが)を得ることに対する「うしろめたさ」や、罪悪感があり、それ以来その手法は自分に禁じている。
(このような俗にいう「心理作戦」のようなものは他にもいくらでもあると思う)

そんなふうに何でも「自分の思い通りになるのがいい」とは限らないし、それは結局「エゴを肥大させる」だけであって、もしもそれで願いが叶ったとしても何か「さみしさ」や「むなしさ」があるのでは?と私は思う。

自分の夢が叶えばいいなぁとは誰でも思うだろうけど、自分の足で歩いて頂上に着くのと、ヘリコプターであっと言う間に着いてしまうのとでは、やっぱり何かが少し違うという気がする。
(でもこれは全く私の狭い経験からの一つの感想に過ぎないし、もしかしたらその手法を「誤解している」だけかもしれないので、そういうことに興味のある人は自分で探していろいろな手法を試してみられるのもいいと思う)

さて、前置きが長くなったが、「オーリングテストも万能では無い」ということに関して、私の手痛い「失敗談」を披露しよう。

ある時、友人の「引っ越し祝い」にいくらぐらい包めばいいかと悩んだあげく、オーリングテストで「ある金額」を決めて持参したのだが、後で「多過ぎる!」とお叱りを受け、「返金する」とまで言われてしまったのだ。

その前年にも彼女は引っ越していたので、その時も同じだけを包み、今回はそれほど多くなくてもいいかも?と私自身も感じていたのだが、「オーリングテストでこういう結果が出たからにはもしかしてそれも何か意味があるのかも?」(私にはわからない理由で彼女に必要なことがあるのかも?)と思って、それに素直に従ったのだが、見事にコケてしまった!
電話口で彼女に猛烈に怒られてしまった時にはさすがに涙まで出て、なぜ?と不思議だったのだが、おかげで凄い学びになった。

要するに「自分で考えられることは自分で考えた方がいい」ということだ。
いくら考えても「頭」ではわからないことをオーリングテストで知ることが出来るのは、ある意味でとても便利なことだが、例えば上記のようなよく知っている親しい友人へのお祝いは(たとえ間違ってもいいから)自分で(気持ちをこめて)考えるべきだったのだ。

それをしないで簡単にオーリングテストで決め、しかも自分の気持ちとは少しずれていたのに、その「直観」の方を無視して、安易に「オーリングテストまかせ」にしようとした「姑息な」?私の曲がった根性を、はっきり戒められた気がする。
そして「馴れ」というのはコワイものだと感じた。いつのまにか「初心」を忘れていたのかもしれないと深く反省した。

それに自分自身に関することならオーリングテストでいくらでもチェックしても(誰の迷惑にもならず)それでオッケーかもしれないが、他人の関わることまで(横着に?)「オーリングテストまかせ」にしてはいけないということかもしれない。

もしかしたらオーリングテストはそういう私の心情までも先に見抜いていて、わざと?違う結果を出して、それを私に教えてくれようとしたのだとしたら、「あぁ、やっぱりオーリングテストってさすがだなぁ~」とさらにのめり込みそうだが。

これはもう「科学的」というより、私の場合は盲目的「オーリングテスト信仰」みたいで?(気付かないうちに)まるで「宗教」のようになってしまっているのかも?
(教祖は「オーリングテスト」なう)なんて!

これを読んで下さっている皆様方はどうかそんなことになりませんよう、、念のため。



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オーリングテストの話(11)

2012-02-28 | シリーズ「オーリングテストの話」
以前にもご紹介しましたが、福田高規先生のオーリングテストのやり方は独特です。
詳しいことは「健生」のHPをご覧の上「基礎講座」を受講していただくとして、その他にも振り子(ペンジュラム)を使ったダウジングなども習えるようです。(私はダウジングは受講していません)

私が習った折は、自分が眠る方角(ベッドやふとんの頭の向き)が自分の体(心にも?)に合っているかどうか?をオーリングテストでチェックしました。それまでそういうこと(風水?)をあまり気にしたことはなかったのですが、「気」の流れというか、それによって健康にも影響があるらしいのです。

そう言えば思い出したことがあります。遠い昔の話ですが、義父がある病院に入院するといつもすぐに元気になって退院したのです。
救急で別の病院に入っても後でその病院に転院するとなぜかすぐまた体調が好転して退院するということがありました。
(最後の入院は義父にとって運のいい?その病院のベッドが空いていなかったため、残念ながら違う病院になり、そこでそのまま亡くなりましたが)

もしかしたらそんなふうに義父がすぐに体調が良くなって退院出来たのも、例えば病院の方角か、もしくは「ベッドの向き」がたまたま本人に合っていたのかもしれません。(もちろん他にも何か理由があるかもしれませんが、、)

さて、私もその時、先生に直接伝授してもらって私に合う方角を教えてもらい、実習生(参加者)もお互いチェックし合ったりして、練習しました。
例えば自分の頭を「東」にして寝るのが自分には合っているとしても、部屋のベッドを自由に動かせなかったり、頭や足の向きを自分の思うように替えられない場合その他、病院などではどうするか?
(それがもし自分に合っていないとなるとやっぱり気になりますよね)

実はそれはとっても簡単!なのです。
その場合は、紙に「東」と書いて、その紙を自分の寝ているベッドの枕元に置き、そちらを「東だと決める」(思い込む)だけでいいのです! そしてその後オーリングテストをしてみると、あら不思議。
(実際には別の方角のまま、ベッドも、自分の頭の向きも何も動かしていないにも関わらず、なぜかオーリングテストではオッケーが出るのです) これはぜひとも試してみてください。

そしてもしもそれでうまくいかない場合は、なぜうまくいっていないのか?どうすればうまくいくのかも、オーリングテストで確かめたり、尋ねたりたりすることが出来ますので、安心してください。練習すれば誰でも出来ると思います。

私はそんなふうに「自分に合う方角」というものがあるということが、まず第一の驚きでしたが、それを自由に変えられる(自分の意識で変えられる)ことを知って、さらにビックリでした。
お金もかからず、時間もかからず、こんな簡単な方法で元気になれたらほんとに最高ですね!

私は今寝ている部屋が長方形のため、どうしても広い方(長い方)のスペースにふとんを敷かざるを得ないのですが、(方角を変えると頭がタンスにぶつかってしまうぐらいで部屋にゆとりが無いため)、この方法だとのびのび出来る方向に頭を向けられる上に、自分にとってよい方向に向いている(意識ですでに変わっている!)と信じられるので、安心して眠れます。
(ふとんの敷き方や頭の向きを変えることなく、ただ単に紙に「自分に合う最もよい方角」を書いて、それを枕元に置いて寝るだけなので、実に楽です)

「風水」を気にして八角形の家を建てたり? 部屋を模様替えしたりしなくても済むので、これはとても役に立つ方法で助かります。

もしもご夫妻が(同じ寝室で)別々の向きになってしまうような場合は、「二人にとって最も良い方角でなおかつそれぞれにとっても良い方角、私たちに合っている方角は?」と調べていけば、例えば東西南北のどれかでは無く、北北西だとか、東南東だとかというふうに微妙な方角になったりしても、(わざわざ磁石を持ち出して)きっちりその方向に枕を並べなければ~などと気にすることもなく、ただ紙にその方角を書いてそれを枕元に置いておくだけで(そういう方向に頭を向けて寝ていると自分の意識で思うだけで)大丈夫なので、本当に超簡単です!

またもしも子供さんが2段ベッドに寝ていて、今は下に寝ている小さな子が「上」の方が合うということであれば、下の段にこれまで通りに寝ながらも「上」と書いて枕元に置いておけば、その小さな子が(実際に上段に寝て)ベッドから落ちることを心配する必要も無く、安心です。

そんなふうに「オーリングテスト」は実に便利で「実用的」です。

いろいろ試して調べてみて、「どの方角も自分には合わない」という場合は、「地球外」とか「無方位」(全方位)あるいは「宇宙」などと書くのもいいかもしれませんが、私はそれはまだ試したことが無いのでその効果の程はわかりません。
そんな「どの方角も合わないという地球人」!?にこれまで出合ったことが無いので、もしかしたらその人は重力や方角の無いところから来た異星人なのかもしれません。

ところで、さっそく今夜からやってみようと思っている方は、今日の日付と方角をメモしておかれてはどうでしょうか。

そして、早い人は2週間ぐらい、遅い人でも2ケ月ぐらい?経ったら何か変化を感じられるかもしれませんので、その記録を基にそれが本当に自分にぴったりかどうか? 実際に体調が好転しているかどうか?を調べてみられるといいのではないでしょうか。

あるいはその後自分にとって合う方角が「変化」していないかどうかなど、もう一度「オーリングテスト」で確認をしてみて、再調整したり、自分自身で「フィードバック」してみられるといいかもしれません。
(例えば通院されていて薬などをオーリングテストで調べられる場合などは、素人判断で無く、やはりお医者さんと相談される方がいいと思います。医療的なことに関しては私は責任を持てませんので、それぞれの方の「自己責任」でどうかよろしくお願いします。福田先生はもちろん有資格者ですので大丈夫ですが)

どんなことも試してみて、自分自身の内面で深く感じることや「自己確認」が大事と思います。
それからもしも他の人にもこの方法を教えてあげる場合、まずは一年ぐらいは「自分で試して納得してから」にしていただけたら幸いです。なぜって季節は変化し、部屋も変化し、自分自身の体も変化するので、その合う方角というのも、もしかしたらその都度違うかもしれない?ので、「春夏秋冬を通していろいろ体験してみる」とさらに自信が付くことでしょう。

私も時々オーリングテストにわざと逆らって?違う方向に(窮屈な方に布団を敷いて)寝てみたり、いろいろ自分の感覚で感じ取ってみて、「ああ、やっぱりこっちの方がいいな、なぜか落ち着くな」と再確認したりしています。

便利で簡単だからと、何事も「オーリングテスト」にまかせ放しでは無く、たまにはそうやってチェックすることで、さらに感性や直観が磨かれ、鍛えられるのでは?と思っています。

私もまだまだこれから、これからです。「発展途上人」として共に学び続けながら少しでも成長していけたら嬉しいです。



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