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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

今の私の夢

2013-05-12 | 日記
今日は「母の日」ですね。
私の生まれた時代には母の日なんて無かった?気がするのですが、よく覚えている「母の日の想い出」と言えば小学2年生ぐらいの時のことです。

母に自分のお小遣いの中から「回転焼き」(ドラ焼きのようなもの)を一個買ってあげたら、思いがけないぐらい母がそれを喜んでくれて、その後もいつもいつもその話をしては感動してくれたのです。

でも私は学校で先生に言われたから、「カーネーションと一緒に何かあげなくっちゃ」というぐらいの、単純なというか、半分義務感のような?気持ちだったので、あまりにも大袈裟な!母の喜び様にかえって居心地の悪いような?複雑な思いを感じていた気がします。


けれども今になればどれだけ母がほんとうに嬉しかったのかがよくわかります。
なぜかこの文を書いているだけでも涙が出て来ます。

実は私は自分でも全く気づいていませんでしたが、その頃の私はまるで「自閉症」のような?深い霧に包まれたような不思議な世界の中で暮らしていたのです。
当時の私には「人の気持ちを感じる」ということが全く出来なかったのです。


ですからしたい放題、好き放題をしていました。
親の言うことも全く聞かないで、叱られるといつまでも泣き止まず、自分の欲求が通るまでご飯も食べずに3日でも平気で泣き続けるぐらいのしつこい、ワガママ放題のまるで動物のような子どもでした。

ヘレンケラーでは無いですが、石を投げたり、包丁を持ち出したりして暴れることもあり、親は「将来この子はどうなるのだろう?」ときっと心配していたことと思います。
学校の成績も(5段階評価の通知簿で)1とか2とかがほとんどで、3(ふつう)がちらほら、4(良し)なんて全く無かったと覚えています。


その頃を振り返ると、「繭に包まれたようなおぼろな世界に住んでいた」という記憶だけが残っています。
それがどういうものだったのか、どういうことだったのかということを、「アスペルガー症候群」の関係の本で知って初めて自分自身を理解出来たのですが、その頃はただただ何もわからなかったのです。

母はそんな私を凄く心配してくれていたと思いますし、他の姉妹同様かそれ以上に可愛がってもくれていたと思うのですが、分厚い氷に閉ざされた大地のように、その大陽の熱は全く届かず、私はとても孤独だったのです。

自分が孤独であるということさえ知らないぐらい、自我が無いというのか、自我だけがあったというのか、それを今でもどう表現していいのかわからないような、「閉ざされた世界」でした。

ちなみに、「これが自分」という「自意識」=他人との「境界線」 が芽生えたのが、やっと成人する頃だったのです!
それまでの私は全く何も考えずに、、というか、考えたことを何も思わずそのまま人に言ったり、行動したりしてしまうような、相手のことを全く考えることの出来ない、客観性の欠如した傍若無人な子どもでした。

そして人の気持ちが全く理解出来ないので、とてもちぐはぐなことがいっぱいありました。

例えば大学生の折りに、ある男子学生から本を借りてそのお返しに御礼の手紙を添えてその学生が住んでいた寮まで届けに行き、彼を呼び出して手渡しで本を返却したことがありました。
するとその人が「私が彼に気がある」と誤解してしまったようなのですが、そんなふうに思われてしまうということさえ全く想像も出来なかったのです!

今の時代ならきっと「空気の読めない人」「常識の無い人」としてひどいイジメにあっていたと思います。


このようなことについて、「なぜか」ということも後になってやっとわかったのですが、それは、最初から「バリアーフリー」と言えばカッコよく聞こえますが、(気功をやっている知人が教えてくれた話ですが)「衛気」という、自分を守ってくれているオーラ?のような「正常な自己防衛の壁」が、(生まれつき?)壊れて?いて、「自己と他者の分離が出来ない」(境界線が引けない)らしいのです。

つまり「人間関係における距離感」というものがよくわからないのです。

それは習って出来るとか、育つ環境によるとか、、そういった後天的な面もあるかもしれませんが、私のように先天的に?そういう「障がい」を持った子どももかなりいるのではないでしょうか、、。

その頃の私にとっては自分の外側に見えている人間は、「モノと全く同じような感じ」?に見えていたのかもしれません。
要するに「他者の存在に対する感覚」というものが欠如していて、何かが失われているような状態でした。


「愛されるというのはどういう感覚なのか」ということが、私には今でもよくわからないところがあるのですが、その頃はもっとひどかったのです。

そんな状態でしたから、私が「人間的なふつうの行動」(母に自分の小遣いで何かを買ってあげる)をしたことが、母にとってはどんなにかほっとしたに違いありません。

それで、母がそんなにも私を褒めて認めてくれたことで、それがきっかけになったのかどうかはわかりませんが、小学3年生頃からようやくそのような霧に包まれた世界が少しずつ明るくなっていった気がします。
(このことは以前にも書きましたが、その後「作文」を通して「自己表現」出来るようになったことも大きかったかもしれません)


さて、そんなわけで、大人になってからも他にも苦労したことはいっぱいあります。

「人の顔が覚えられない」というのが、アスペの人の特徴としてあげられることが多いのですが、私はあまりひどくは無いもののやはりそういうところがあって、だから「常に緊張している」のかもしれません。

同窓会に行っても、自分の昔憧れていた初恋の人が目の前に居ても気が付かなかったことがあります。
それは彼の姿かたちが変化したから、、とか、長年会って無いから、、ということでは決して無いのです。

前にどこかに書いたことがありますが、「気づくのが遅い」というか、そのような識別というか、「顔認識に人よりもなぜか時間がかかる」らしいのです。

例えば、ある時電車の中で親戚のおじさんに会ったのに、気づかずにいて、気づいた時には遅くて、(わざと無視している、エラソーにしていた!と誤解されて)後で父からひどく叱られてしまったこともありました。

それはそうですよね、真向いの席に坐っていたおじさん(実家のすぐ近くに住んでいてほぼ毎日の様に顔を合わせていた)をずっと見ていながら、それがおじさんだと「すぐにわからなかった!」のですから、無理もありません。

そんなことはこれまでもよくあったのですが、自分では全く気づいていなかったのです。
それがどんなにか緊張感をもたらすものかということは、これは経験した人で無いとわかりにくいことだと思います。
世界が自分にとっていつも「親しみに満ちている」のでは無く、それどころか「常に緊張を伴う世界」だとしたら、それだけでも疲れてしまいますよね。


しかも子どもの頃からずっと「ヘンな子」とか、「ワガママ」とか言われて、大人になってからも母からはいつも「アンタのような子はどこへもお嫁に行けない。行っても3日しか保たない」と言われ続けていました。
(親だけでもせめて味方して欲しかった!と思いますが、でも自分が同じような子を持っていたら、やっぱり同じことを言ってしまっていたかもしれません。それもまた親の「愛」なのでしょうが、私には自分が親から「拒否」されているいうふうにしか思えなかったのです)


もしもその頃に今のように研究が進んでいて、それが脳の病気!?というか、独特の個性というか、自閉症の一種であるということが解っていたなら、どんなによかったでしょうか。

片手が無いとか、足が片方無いとか、そういう目に見える(外側から気づける)障がいでは無いところが、今でもほんとうに「人にわかってもらいにくい」ところではないかと思います。

たとえ説明しても「そんなことは私にもよくある!」とか、「誰にでも多少はそんなところはある」などと言われて真剣にとりあってもらえず、逆に神経質過ぎるとか、自分に注目、関心を引こうとしているように思われてしまったり、ささいなことだと笑われてしまったりもして、けっこう本人はつらいのに、さらに無理解という二重差別で苦労するのです。
決して同情を求めているのでは無く、ただ「その違いを理解し共感してもらいたいだけ」なのに!!!


ともかくもそういうところがあっても、無事元気に生きて来れたので、還暦を迎えた時はどんなに嬉しかったことでしょうか。
もうこれでいつ死んでもいいやと思ったぐらい、ほんとうに「これまでよく無事に生きて来れたなぁ~」と心から自分を褒めてやりたくなりました。
そしてもちろん母にも父にも心から感謝の想いでいっぱいになりました。


そういうわけで、この「当事者にしかわからないこと」というのを、「当事者同士で語り合いたい」というのが、私の最近の「夢」でもあるのです。

アスペという「個性のきつい者同士」でもあるので、きっと会うと反発もあったり、うまくコミュニケーションが取れないということもあるかもしれませんが、ある程度そういうことも乗り越えたところで生きて来た人同士であれば、大丈夫ではないかと思います。
もしも実現したら、とてもユニークな集まりになりそうで楽しみです♪


そして「自分はこういう工夫をして楽になった」とか、「自分はこう考えるけれど、これっておかしい!?」とか、いろいろな疑問や情報をシェアし合って、「もっと楽にうまく生きられるようになれたらいいな」というのが、私の願いでもあるのです。

これまでせっかくの苦労をしてきたのですから、今後それを人のためにも活かしていけたらと感じています。
将来そういう交流のための「スペース」が持てるといいな~と夢見ています。

ネット上でももちろん出来るのでしょうが、私がパソコンが苦手なために、フェイスブックとか、アーカイブ?とか、チャット??とか、何にもわからないので、やはり「直接会って顔を見てお茶を飲みながら、、」の方が、自分には向いている気がします。


そして、またもう一つの私自身の特徴としては、「人間関係が煮詰まると苦しくなって、パニックしてどうしていいかわからなくなる」という面もあります。

だからそのようなスペースを持ってもどのぐらい続けられるかはわかりませんが、そういうことに強い「淡々と継続していける人」と組んでいければいいかも?と思います。

実は私の知人にもそういう人がいて、秘かに「1、2、3の人」というニックネームで呼んでいるのですが、彼女には3の次に来る4が無く、どんなに長い付き合いになっても、必ずまた「1」に戻って、いつも「1、2、3」止まりで、いつもそれを繰り返して、決して関係性が「一定以上には深まらない」のです。

楽というのか、あまり面白く無い(笑)というのか、不思議な距離感でしたが、それゆえ彼女の場合、人と関係性が「切れる」ということもまた皆無なのです。

例えこちらがどんなに距離を開けようとも、何年もご無沙汰しようが、相手の方は平気で相変わらずのリズムとテンポで「1、2、3」の「マイペース」を崩しません。

もしかしたら彼女もまた違った意味でのアスペ仲間なのかも!?しれませんが、そんなふうにそれぞれの特徴を理解し合いながら、お互いの特技を活かしていければ、楽しい集まりになるのでは?という気がします。
そこにはたぶん「ふつう」の人は誰もいなかったりして、まるで「宇宙人」か「異星人会議」!?(笑)


そして、このブログを読むのは、みんなどこか「ふつうでは無い人」!?ばかり(爆笑)と思うので、いつかどこかでお目にかかれるのがとても楽しみです。



今回も長くなってしまいました。
ご愛読に心から感謝です。




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