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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

自分に出来ること☆

2016-04-21 | 日記
昨日(20日)は「野崎観音」(大阪)にお参りに行って来ました。

還暦を前にして亡くなった友だちの7回忌で、また娘の月命日にも近いため、そして熊本地震で犠牲になられた方のご冥福と地震の鎮静についても祈りたくて出かけました。

どこかのブログでも勧められていましたが、例えば崩壊した阿蘇神社の再建をお祈りするにしてにも、九州まではとても遠くてまた今はそこまで足を運ぶことはとても叶わないので、せめて地元の神社仏閣に参るのがいいかなと思ったからです。

野崎観音は「慈眼寺」というお寺の敷地(境内)に神社も併設されています。
(神仏混淆の名残のようです)

その小さな神社の社殿の前で最近自宅で毎朝詠み上げを始めた「大祓」を拙いながら奏上していると、次々にお参りの人がやって来ました。

ほとんどが若い人で、女性も男性もいましたが、これまで私は何度かこの神社にこの時季にお参りしていますが、あまり人に出会うことは無く、たまに来られても大概が(山登りのついでの人か)、お年寄りでした。

それでもしかしたら(私と同じようにネットで知ったりして?)神社で熊本地震のことをお祈りする人も多いのかもしれないな・・・と感じました。


効果はわかりませんが、自分自身の氣休めに過ぎないとしても、これはとても簡単な方法であって、ボランティアなど何も出来無い自分にとって「せめてもの出来ること」だからです。

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また「なんでも仙人」さんのブログ(4/20)にも熊本地震の具体的な支援に関する地元の生活情報がたくさん寄せられていました。

☆ なんでも仙人ブログ (4/20の記事を読んでください)

これはどれもとても役立つと思われますので、うまく拡散されるといいなと願っています。


それから「テンプルビューティフル」の光田店長さんのブログ(4/18)にも必要な情報と記事が掲載されていました。

★ 毎日がエドガー・ケーシー日和
 「熊本大地震の活動支援金」


ちょうど義援金を振込に行こうと思っていたところだったので、(いつもは何かあると「日本赤十字社」がほとんどですが)今回はこの記事を読んで、どうせならこういうところへ送りたいと思いました。


余談ですが、私は例えば古切手などは「シャプラニール」というところ、また、本はここ数年、毎年春にある古本市(神戸六甲学生青年センター主催)に寄贈しています。
(中古CDなどもこの両者どちらも引き受けてくれます)

この二つは熊本地震の義援金とは直接は関係ありませんが、それぞれの使途目的があり、普段からきちんと活動されています。

そんなふうに「顔の見える関係」で安心して送ることの出来るところがいいですね。

そういうところでは必ずその後の報告もあり、使い道や収支報告も送られて来ます。

なので、確実に届いたことがわかり、ささやかでもお役に立っているという実感があります。

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そういうわけで、せめてもの「今自分に出来ること」として、転載ですが、熊本地震の生活支援情報と活動支援金について「確かだと私の思えるところ」をご紹介致しました。

ただ、私も直接確かめたわけでは無く、紹介の紹介に過ぎませんので、各自でもう一度お確かめの上で行動なさってくださいね。


余談ですが、私たちの活動仲間が福島のあるご夫妻を関西に招くという私的な計画を立て、その実現寸前にこのような大地震があったため、結局それは残念ながらキャンセルとなりました。

みんなでバザーをやったりして資金を集め、関西をあちこち案内したいとみんなで楽しみにお待ちしていたのですが、本当に思いがけ無いことがこんなふうにいつ何時誰の身にも降り掛かるのだということを痛感しました。


ただ一つだけ私が自分自身の体験から言えることは、ひすいこたろうさんが本に書かれているように、絶望の中でも「これは何のチャンスだろう?」というふうに考えることが出来ればということです。

こんな言葉は何の励ましにも勇氣づけにもならず、かえって被災者の皆さまの神経を逆撫でしてしまったらすみません!!
 けれどももしも何かのヒントや氣持ちの切り換えになれば幸いです。
(被災の現場や現地では今はもちろんとてもそんな心の余裕も無く、生き延びることに必死でこのようなブログも目にすることすら無いことでしょうが、、)

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阪神淡路大震災で職場がつぶれた時、私が咄嗟に思ったことは、「これは辞めるチャンスかも!?」ということでした。
それまで辞めたくても生活が出来無いのでしがみついていたからです。

その時はその後どうしたらいいのか、、、職場を辞めてその後の計画など何も無く、全く先も見えませんでしたが、どっちにしても職場そのものが無くなり(後に復興しましたが)、そして正職員には自宅待機の給与保証もありましたが、パート勤めの私たちには何の保証も無く、給与も出なかったので辞めざるを得ない人も多かったのです。

辞めて半年後に広島に移ることを思いつき、全く誰も知り合いもいないのに(無謀にもたった3日間で住むところを決めて)転居しましたが、結果としてはそれで大正解!でした。

その時はまだ40代で若かったから出来たことかもしれませんが、そういうことがあったからこそ今の私があり、今の仕事があります。

絶望の先には必ず希望があります。


こんな言葉も家族や誰かを亡くした人には遠い絵空事のように今は思えるかもしれませんが、そうでも思わなければとても生きていけないのですから、無理矢理にでもそう思ってどうか今日一日を何とか生き延びてください。

私自身一人娘を(病氣で)亡くして、それでもなお生きるしかない遺された者のつらさをほんとうに実感したからこそこれは言えることなのです。
(が、もしもかえって神経を逆撫でしてしまうようなことがあればごめんなさい)

共に生き抜いていきましょう。 その死の深い意味をこれからもずっと考えながら・・・。



最後まで読んでいただきありがとうございました。



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