Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

12月の思い出 その②

2005-12-02 06:12:35 | えとせとら
薄~い雲があるようです。今日の最高気温の予想は12度。少し寒い一日になりそうです。

お待たせいたしました?昨日の続きです。

もしかしたらの悪い予感は大当たり、でした。
ガス器具の修理のとき、どこがどうなったのかよくわかりませんが、ガスが漏れていたらしく、それに引火してガス爆発を起こしてしまったのでした。

その当時、今の私くらいの年齢だった義母は、「もしかしたら!?」と思った瞬間に飛び出していましたねぇ。考えるより体が動くタイプでした(当時は、ね)。
消防車は次々とやってくるし、辺りは騒然。
幸い火事にはならなかったものの、ガラスが飛び散ったりして、義母のいとこの奥さんと3人の子どもたちが、その破片でケガ。
義母は母子4人を連れてきて「手当てしてやって!」と言い残し、また飛び出して行ってしまいました。
え~!?ど~すんのよ~!?
今だったらどこに何があるかすぐわかるのですが、当時は、ねぇ・・・
今は記憶が定かではありませんが、顔をケガした子もいたので、とりあえず救急絆創膏を貼って、消防のひとに病院に連れていってもらったような気がします。

義母は飛び出したまま、いとこの父、すなわち彼女の叔父に付き添って救急車に。
叔父氏は顔を火傷して、その当時は赤くなっていただけだったそうですが、あとで顔がパンパンに腫れてまるで「アンパンのようだった」そうです。

というわけで、恋人時代の最初で最後のクリスマスは、ガスとともに文字通り
「吹っ飛んだ」のでありました。

こんなゴタゴタのなかで、帰るに帰れなくなってしまい、その晩は泊まりましたね。当時は寝たきりの相方の祖母もいましたし・・・
翌日は後片付けに来た親戚などに食事を作ったことだけ憶えています。
慣れない台所で、たしかシチューを作ったのでした。
今ではほとんど見かけない顆粒のルーで、溶けにくかったことが印象に残っています。
たくさん作ったつもりだったのに、自分の食べる分がほとんどなかったりしてね。

そこで皆さんにも、ご提案。
もしも不幸にして、知人がこんな突発的な事故に遭って片付けなどのお手伝いに行く場合は、自分の分はもちろんですが、その知人の家族の分の食糧を持っていってあげるといいんじゃないかしら?
コンビニのおにぎりなんかでもいいんです。
いつだったか、お客さんの呉服屋さんの店先に車が突っ込んで店内が目茶目茶になったときがあって、そのときもおにぎりと栄養ドリンク剤を差し入れしました。
それが役にたったかどうかはわかりませんけどね。

義母のいとこ一家は、けがはしたものの亡くなった人がなかったのが不幸中の幸いでした。
「アンパンのように」なった義母の叔父やその妻はその後亡くなりましたが、3人の子どもたちももういい父親、母親になっています。
そして、ガス爆発させた当の本人は、祭や学区の運動会などで地域ではかなりの
「有名人」になっています。

というのが、私の12月の思い出、でした。最後までお読みいただき、ありがとうございました~!