Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

ある意味、家事改革になるかもしれない@相方

2024-06-11 08:28:53 | シニアあるある

入院手術と決まってから頭の中がそのことでいっぱいで、そのためにどんな準備をするべきかなど、思考が他のところになかなか及ばない感じがしています。

こういうときは紙に書き出すに限る。ブログを書いたあとでやらなくちゃ。

幸い緊急手術というわけではなく、準備期間も1週間あるんだもの。もっと冷静にならないと。

緊急手術と言えば、昨日入院が決まったあとあれこれ検査したのですが、胸部レントゲンを待っているときストレッチャーに載せられたいかにも重篤な男性が目の前を通り過ぎて

行きました。

服は全部脱がされていて、もちろん大事な部分は覆われてはいたけれど、体格のいい30~40代くらいの男性でした。多分なにかしらの事故に遭ったのだと思われますが、なかなかに

ショッキングな光景でした。

 

話を自分の入院に戻しますが、たかが二泊三日(で終わってほしいと切に願う)の入院ではあるものの、生活能力が皆無の相方を危惧しているのは私だけではありません。

自分の手術以上にそっちのほうが気になるわ。

それは子どもたちも同じで、昨日も電話であれこれ調整していたようです。それに入院前の今も私があまり動けないので、そのことについても相談したらしい。

娘は孫の習い事などで午後からは時間がタイト。往復する時間もそれなりにかかるので、そんなには来られません。息子も仕事があるし、主夫?でもあるので家のこともある。

いろいろ迷惑かけちゃうな・・・と申し訳なく思うけれど、こういうときは強がらずに頼るしかない。今後はこういうことが増えてくるんでしょうね。

一番問題なのは相方。

こうした非常事態に対する心構えが出来ていないと言うか、自ら家事のあれこれを覚えようとかする気配がほとんど感じられないんです。

スマホの扱いもそうですが、家電製品になると知らないことだらけ。彼が自らやれるのは、トーストを焼くこととレンジで牛乳を温めることくらい。

そんな家事無能男にしてしまった張本人が世話焼きの義母、そして私自身。女手がふたりもいては、やろうと思わなくても済んじゃいますもんね。

そしてこうした非常時にも日頃の自分の生活スタイルを変えようという気配もないんです。仕事に行かなくてはならないのはわかるけど、使い方を工夫すれば家事を手伝う時間も

いくらかは生み出せるはず。なのにそうした努力をしようとしない。家事だってほぼ洗濯と風呂掃除くらいなんですよ、頼んでいるのは。立ちっぱなしになるからやらないほうが

いいだろうと思う料理は私がやっているんだもの。さすがにかなり手を抜いてはいます。

これはきちんと言い聞かせないとダメだ、と昨夜こんこんと言い聞かせました。私は本当はあまり動いちゃいけなくて、あれこれやっちゃいけないけどやらざるを得ないからやっている

ということ、そして相方に自ら率先して手伝おうという気持ちを感じられないことを。

多分何をどう手伝っていいのか、ということ自体からわからないんだろうけれど、それならそれでもっと自分から積極的な働きかけをしてほしい。そして私もちゃんとやってほしい

ことをリクエストすべきだと思いました。言わなきゃわからないなら言うべき。もっとも言ってもなかなか理解してもらえない部分もありますが。

やっぱりちゃんと言うべきことは言ったほうがいい、という結果になりました。相方の態度ややることによい変化が。完全に私が不在になるまで約1週間のうちに、完璧じゃなくても

ある程度のことは出来るようにしつけたい?と思っています。

 

そういえば次の日曜は父の日ですが、娘は相方へ、常温保存が出来て温めるだけ、というハンバーグセットを送ってくれることになりました。すぐに役立ちそう。

それならレンジが苦手な相方でも湯煎で温められるし、退院後の私の料理の手間が少し省けるというもの。

入院直前にはある程度のものをネットスーパーで買っておけば、多分なんとかなるでしょう。久しぶりにネットスーパーを利用してみましたが、便利でとてもありがたいなと実感。

体がうまく動かせずイライラしがちだけれど、便利なものはどんどん利用してうまく日々を回していきたいと思います。


それはまるでジェットコースターのような

2024-06-09 09:14:53 | シニアあるある

畑の二日間より、中身が濃くて長い一日だった昨日。

その中身はよいこととよくないこと両方があったのですが、まずは今も継続しているよくないほうの話から。

 

昨日は孫娘のところへ相方と行ってきました。私は特に目的はなくて、相方は玄関先に種から育てた花の苗を植えたり、木の剪定を。

孫娘は初めての授業参観があって、私たちが到着する前に父親母親揃って出かけていました。音楽の授業だったそう。

孫が学校から戻ったのが12時半頃で、その後近所の同級生のお宅に余った花の苗をもらっていただくなどして、お昼を食べに出かけたのは午後1時を過ぎていたでしょうか。

その後相方は休息のお昼寝に入り、娘と孫、そして私は近くのドラッグストアへ買い物に出かけたのですが、そこでアクシデント発生。

駐車場から店舗に向かっていたとき、地面から10センチ程度に垂れ下がっていたトラロープをまたいで行こうとしたとき、後ろ足がロープにひっかかって、ものの見事に転倒。

重いバッグも持っていたし、受け身も何もあったものじゃなくて、道路に身投げしたようなもの。特に強打したのが左ひざ。変形性膝関節症や半月板損傷もやっている急所のひとつ。

右ひじもかなりひどく擦りむきましたが、立ち上がれるかどうか心配になるほどの転び方だったので、同行していた娘や孫を慌てさせました。

なんとか起き上がって車に戻り、エアコンをつけた車の中で娘たちが買い物をする間待機。冷やしたほうがよいだろうとアイス枕、激しく擦りむいたひじにあてる大きめの絆創膏も

買ってきてくれました。買い物がドラッグストアだったのはタイムリーでしたね。

車の乗り降りも難儀したもののなんとか娘の家に。買い物も行けそうにないからと娘と婿さんがお使いに行ってくれている間、孫の卒園遠足のDVDなど見ていました。そのときは

多少ひざの曲げ伸ばしも出来ていたし、座っている分にはひざの痛みはあまり感じていなくて、擦りむいたひじの痛みのほうが気になっていたのですが、次に立ち上がろうとしたら

あれ?なんだかおかしい。

ひざの様子を見ると、ひざ関節の上の太ももの部分が腫れてパンパンに。そのせいでひざがうまく動かせなくなっていました。腫れてはいるものの熱っぽさはない、という状態。

でも左脚に体重をかけると痛いのなんのって!

昨日はトラックで出かけたので乗り降りがまた大変でした。腫れや痛みはそれから2時間くらいが一番ひどかったんじゃないかなという記憶。

 

帰宅後、2週間前に相方が発熱で診てもらった救急外来へ。

レントゲン撮影はもちろんしてもらったものの、専門医がいなくて当番医だけでは画像から骨折を判断することは出来ない、ということで言われたのが

「念のためギブスで固定します」

人生初ギブス。白い石膏で固めるのかと思ったら、今はサポーターみたいなものがあるんですね。それから動くときに必要だろうと松葉杖を貸してもらうことに。こっちも初。

会計を終わったのは病院に入ってから約3時間後。昨日の晩ごはんは夜10時を回っていました。私にとっては夜食のような時間帯。

ケガをして何が困るって、日常のほぼ全てに困っています。

まず相方に家事能力がほとんどないため、いちいち教えなければならない。今朝も洗濯機の動かし方をレクチャーしましたが、洗濯物の量などに応じて対応出来るかと言ったら

よほど回数を重ねないと難しいかも。

あと、家の中での移動も結構難儀しています。マンション住まいなら多少はいいのかもしれませんが、なにしろ昭和な家の我が家。上り框やらちょっとした段差だらけで、ほんの

1センチ足を上げるのも大変な今、不便をひしひしと感じているところ。

こういうとき洋風(という言葉自体が古いけど)の造り、つまりベッドとかソファーがあるほうが暮らしやすいのだなと思いました。寝たり起きたりもよりあちこちに負荷が

かかるんだもの。

今朝はよほどの段差(上り框など)以外は杖がなくてもなんとか動けています。痛み止めはいつもの整形外科でもらっているので、しばらくは飲み続けないといけないな。

 

昨日は左脚に重心をかけることは痛みで全く出来なかったけれど、今朝は今のところ脚をまっすぐにしていれば痛みを感じずにいられるのがありがたい。無理せず明日の診察を

待ちたいと思います。

 

痛い話ばかりでは何なので、よかったほうの話を。

昨日の午前中、まだ孫が帰るまで時間があったので、娘とちょっとだけ出かけました。目的は

                

これらの売却。

なにしろ史上最高値とも言われる最近の金相場。さんざん使い古したものもそうでないものもあるけれど、この5点を宝石店へ売りに行ったんです。

よく「買取〇〇」とか「お〇〇らや」とか、貴金属ばかりでなくブランド品の高価買取を謳うお店は自宅近くにもたくさんあります。でもなんだかどれも胡散臭い感じがするんですよ。

貴金属ならそっち専門のお店のほうがいいし、そのお店は店頭に買取価格が表記してあるのでより安心感もあるじゃないですか。

売ったものは右上の18金のリングから反時計回りに、18金ピアス、あとはプラチナの指輪2つとネックレス。さて、いくらになったかと言うと、9万ちょっと。

純金ではない18金ですが、それでもグラムの買取価格は8千円を超えていました。プラチナは約半額。なのでピアス以外のものはだいたい2万円台、一番手前の指輪は1万7千円ほど。

ピアスなんか、0.2gしかなかったんです。家でも量っていったけど、片方だけで1600円くらい。もしかすると買ったときと同じ、または高いくらいかも?捨てなくてよかった。

今回のケガでいくらか使ってしまいそうではありますが、この臨時収入はうれしい。ちなみに私が今愛用している18金のリングを試しに査定してもらったら、それひとつで4万7千円

ほどと言われました。確か5g近くあったんですよ、重さが。隣にいた娘に「私が死んだら売ってね」と言っておきましたが、その前に暮らしに困って売るかもね。

 

話を転んだことに戻しますが、やっぱり歳、なんだなぁとつくづく思いました。これくらいなら、と近道なんかしないで正規ルートを通りましょう。次は診察の結果が出てから

更新しようと思います。

 


古いアルバムの中にあった笑えるもの

2024-05-22 08:42:52 | シニアあるある

一昨日次姉と会って、実家近くのデニーズでお昼をごちそうになったのですが、そのときに去年の今頃は実家の片づけだったね、との話題になりました。

そこで昨日、ブログの記事一覧で去年の今頃何してた?と確認作業。

今頃は自分たちで出来る処分をほぼ終えて、業者に見積もりを依頼した頃でした。約一週間後に実際に作業してもらって、実家は空っぽに。

実家の片づけの合間に、月初めに亡くなった義母の香典返しのリスト作りや注文をしていました。娘にダブルチェックしてもらって安心したんだったな。

それにしても、よくやった、自分!(自画自賛)

長姉が亡くなって、死後の手続きや実家の片づけをしたことで、それまでなかなか会うことがなかった次姉たちとの付き合いが増えたのはよかったと思っています。これまでお互い、

婚家のほうの親戚付き合い重視で過ごしていたけれど、自分の身内も大事にしなくちゃね。

 

去年の今頃を振り返っていたら、義父母の遺品整理のことも書いてありました。その当時は秋までにはだいたい片づけて、タンスなどの大物を業者にお願いしたいようなことが書いて

あったけれど、実際はそうはいかず。

それでもぼちぼちと処分したり片づけたりはしています。遺品だけではなく、息子の部屋に置き去りになっている漫画本や大量にあるカードなどを、段ボール箱に詰めて。

まだ箱詰めだけで床に放置ですが、それら漫画本やカードが置いてあったのが本棚。本棚の一番下には息子と相方のアルバムなどがありました。

アルバムも昔よくあった分厚くてかなり大きなもの。子ども時代の息子はそれはかわいくて女の子とよく間違えられたものでしたが、今は見る影もなく。特になくなったのが髪の毛。

あんなにふさふさだったのになぁ、あの髪は何処へ?

そして相方のものはと言うと、中学高校の卒業アルバムの他に、普通?のアルバムもあって、ふと開いたら写真とともに彼が書いたキャプションが。

20歳前くらいでしょうか、どうやら旅先(京都らしい)で出会った女の子に、住所だか電話番号を訊いたら「かんたんにことわられた」とありました。

意外に積極的だったんだな、と思うと同時に、全部ひらがなというところに思わず吹き出してしまいました。よほどその女の子のことが印象に残っていたらしく、次のページには

簡単なイラストで、バスの窓にその女の子らしい長い髪の子が、そして手前には手を振るピクトグラムのような棒人間の自分=相方が描いてありました。

このアルバムを見るのがつきあっていた当初だったり新婚時代なら、少しはムッとしそうなものだけど結婚42年目ともなるともう全然そんなこともなく。ただ笑えるのみ。

アルバムの他にあったのが、高校時代のだと思われるテスト、もしくは問題が書かれたプリントが結構な枚数ありました。なぜこんなものとっておいたんだろう?

それと小学生用の国語ノート。中は勉強した証、ではなくて、競馬のレース結果?みたいなものが。投資額も書いてあって、それを見た相方「よくこんなに賭けてたな」と自分に

ツッコミ入れていましたね。日付も書いてあって、それによると私と付き合っていた頃。まあまだ独身で親元にいたから、余裕があったんでしょう。

先述のアルバムは相方はまだ見ていないけど、見たらどんな反応かな。一応目を通してもらったら押入れの奥にしまっておくつもり。

息子のアルバムも処分出来そうにないし、こんなでは「いつでも引っ越せる家」の実現はかなり遠そうな気がします。でもそんなこと言っていても、いずれはなんとかしなくては

ならないものばかり。あの世までは持って行けないもんね。

 

さて明日明後日と畑へ出かけることになっています。次は土曜日に更新です。


イレギュラーな日々はシニアにはしんどくて

2024-05-19 05:58:10 | シニアあるある

なにかとイレギュラーな日々が続くとしんどいようで、一昨日の日帰り畑の道中や昨日の孫の運動会から帰宅する車中で、かなりしっかり居眠りしちゃいました。

そのせいで昨夜夜中に目が覚めたあとしばらく眠れず。寝つきはそんなに悪くなかったんですが、今夜娘宅で泊まったときこんなふうに眠れなかったら・・・などと気になる、小心者の私。

でも切り替えて、今眠れないのなら逆にぐっすり眠れるかも!?と考えることにしました。ただし昼寝しなければ、の条件付きだけど。

明日は娘や孫と一緒に次姉のところへささやかな古希のお祝いを持って行く予定で、週の後半には今度はいつものように一泊二日で畑にまた出かけることにもなっています。イレギュラー

まだまだ続く。なので明日、そして週後半にまたブログをお休みすることになります。

 

畑へ行くときの支度は慣れているけれど(それなのに忘れ物をしますが)、娘のところへは年に1度くらいしかなくて、しかも電車で行くので荷物を厳選しなくては自分がしんどい。

昨日行ったときに可能なものだけ持って行きましたが、帰りのことを考えるとちょっと、いやかなり憂鬱。おまけに午後から明日にかけて雨予報で、傘などという厄介な荷物が

増えそうな予感も。あまり傘を使うところがないので、出来れば持って行きたくないんですが、さてどうなることやら。

孫が午後図書館のイベントに参加するので、私が出かけるのも午後。それまで充分時間はあるものの、やっておきたいことが結構あるんです。なのに一昨日、畑からの帰りに立ち寄った

農協の直売所で青々とした小梅を見てしまいました。しかも安い!普段アピタで買う値段に比べると約半額の1キロ500円税込。

かりかり小梅が漬けたいので、買ったらすぐ処理しなくてはならないけど翌日は運動会でとてもやってられない。やるのは今日しかなく、しかも小梅は数が多いのでなり口を取るのに

時間がかかる。

でも諸物価高騰の折、安いのはやっぱり魅力的・・・・・・クーラーボックスに余裕があることを確認して、やっぱり買ってしまいました。帰宅後はすぐチルドルームへ。

先ほど洗って、今は水に浸けてあく抜き中。水気を切っている間に買い物に行かなくちゃ、などとあれこれ段取りを考えるだけでくたびれます。

あれもしなくちゃこれもやらないと、と頭の中で考えるだけだとやり忘れそうなので、紙に書き出しました。今日持って行く荷物もそうだし、相方はいとこたちと旅行なので、そちらも

同様に。年々そんなふうに書き出すことの効用を感じることが増えています。

そして書き出すときには大きな文字ではっきりと。老眼鏡がないと読めないようなのは論外。孫のお絵かき用にとってあるカレンダーの裏側に大きくサインペンで書いていますが、

サインペンって書きやすくていいなと改めて思っています。元は絵日記を描こうとして買ったものだけど、そちらのほうはダメでした。でも活躍の場があったので無駄にはならなくて

よかったなと思う日々。それでは明日はお休みします。


写真の処分、再び。そしてこれからも

2024-05-01 08:53:47 | シニアあるある

連休の狭間の平日二日目。

うるう年の今年は今日が八十八夜。今朝はラジオから「茶摘み」の歌が流れました。イメージとしては青空の下、きれいな緑の茶畑で茶摘みをしている風景が浮かぶけれど、今朝も

どんよりとした曇り空。

今朝は起きたときから背骨、ちょうど肩甲骨の間くらいの場所の背骨が痛みます。傷めた覚えもないし、特に頑張って何かした、ということもないのに。

寝ている間、知らず知らず右肩を庇っていることがあるので、そうしたことが原因かもしれませんね。

 

頑張ってやったと言うほどのことはありませんが、2階の水屋タンスの上置きに埃まみれになっていた写真の中身を確認する作業を、日曜と昨日行いました。

積年の埃がえらいことになっていて、手袋とマスクは必須。

義父母の旅行の写真が貼られたアルバムの他に出てきたのは、ほとんどが親戚の結婚式の集合写真でした。なんとなく想像してはいたけれど。

相方のいとこたちの写真もあれば、もっと古いもの、義父母のいとことかその子どもの結婚式のものもあり、中には新郎新婦や新婦の写真も含まれていたり。昔はこうして出席した

親族にも配っていたんですね。

ということは、相方と私の結婚式の写真もあちこちにあるのだな、と思うとちょっと冷や汗。

遺品整理で一番厄介だなと思われるのがこうした写真。使わない食器などの不燃物や人形なども困っています。遺品ではありませんが、息子がUFOキャッチャーで取ってきたぬいぐるみ、

これもうんざりするほどある。

息子のものは本人に整理させようと思っているけれど、なかなか。一旦家を出てしまうと目に入らないからその存在を忘れてしまうのでしょう。

写真に話を戻すと、去年亡くなった姉の遺品整理のときも数は少なかったけれど、写真の処分をするのには少々抵抗を感じました。

でも独り身だった姉の写真を残しておいても後々次の世代が困るはず、と割り切って。

今回の親戚の結婚式の写真は、もちろん生存者もたくさんいますが主役のところにも必ず同じものはあるはずなので、遠慮なく?処分しようと思っています。こうした写真は台紙も

含めて紙なので、見えないように袋に入れて可燃ごみで出せるけれど、問題は義父母のアルバム。

昔よくあった、フィルムを剥がして台紙に貼り付けるタイプの台紙が増やせるもの。これ、写真を剥がそうとするとくっついちゃってきれいに剥がせないことが多いんです。

自分のアルバムで経験したのですが、最後には丸ごと可燃ごみで出したような。

そう、私はまず自分の写真からさっさと処分に取りかかっています。それでもまだ残っているものがありますが、主に私が幼いときのもので、去年亡くなった兄や姉、そして両親とか

さすがに見ているといろいろと思い出されて。

かといってしょっちゅう見返すわけでもない。普段は封筒に入れて引き出しに入れっぱなしなのだから、私の心の中にあればそれでよし、と思うことにしよう。

 

今ではわざわざプリントアウトすることも少なくなりましたけど、さて、私にもしものことがあったときに遺影に使える写真はあるんだろうか?と少し気になりました。

去年姉が亡くなった時も使う写真をどうしよう?と一時悩んだけれど、幸い娘の結婚式の写真に笑顔のものがあったのでそのデータを使いました。

私もそんなふうに、娘が撮った写真などから探してくれるかもしれないけど、出来れば自分で選んでおきたい。ただね、フォトジェニックな被写体じゃないのでそこが気がかりです。