ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

腐敗菌は

2019-10-20 16:14:48 | 世の中
東京都に住んできて床上浸水を2か所で経験している。
最初は中野区で妙正寺川が氾濫し、床上30センチになり、坂の上まで避難した。
60年前になるが中小河川氾濫の最初である。

二番目は、5年後に引っ越した先の田無市で、小川が溢れた。
この引っ越しは、結婚する長男夫婦と同居するために、かなり大きい家を購入・改築したものだ。

水害に遭っていた父母は、敷地の隣を流れる小川を気にしたが、
ほんとうに一跨ぎできるくらいの細い流れに過ぎず、
「絶対に水害など起こりませんよ、保証します」という不動産屋に押し切られた。

3年もしないうちに、床上浸水に毎年見舞われることになった。
都内の各地でたびたび川が溢れたのであるが、
「かつてない集中豪雨」による都市における自然災害だと喧伝され、
雨の前には一階の畳を上げ、浸水の後には片付けて清掃する事態が、年中行事のように続いた。

この不動産屋を訴えるべきだったと今では思うが、おとなしい父母はそんなこと考えもつかなかったのだろう。

その後、多摩川の氾濫で、新築家屋が流される「岸辺のアルバム」に、
都の治水対策が不備であると感じたが、異常気象ばかりが話題にされた。

さらに大規模な水害が国の複数の個所で起き、いまは確信している。
この国の治山治水が、まったくまちがっていた結果だと。

科学技術で自然をねじ伏せようとする方針には限界がある。
明らかな限界なのに、大企業の利益追求が、誤った国の政策を動かしている。

あの不動産屋と同じことを国がしている。
ビジネスという腐敗菌がどうしようもなく蔓延ってしまっている。






自分の感覚を疑え

2019-07-29 15:50:01 | 世の中
悲しい思いをしないために書いておく。

「バリアフリー」とか「ヘイト=hate」という言葉が浸透しても、
「生活保護を受けて楽している」とか「韓国人だから」とか
何気ないおしゃべりのなかで出てくることのなんと多いことか。
やっかみという共通項でつながろうとする会話に辟易する。

世代で分けられ、能力で分けられ、貧富で分けられ、
生活の場があまりにも分け隔てられてしまったなかで、
異なるものへの感覚が、荒んでしまっている。

重度障碍者が国会に登壇することが日本社会を揺らしている。
「迷惑」というような反応が当然のように多く出ているいま、
しっかりと向き合い、徹底的に己の感覚をみつめなおすときだ。

少しでも強いもの、優位にあるものには、必ず差別感覚がある。
ないというのは嘘だ。
己の差別感覚を認め、それが生まれる基となった社会生活のあり方を、
変革していくこと、それが、人間である条件だと思う。


祭り

2019-05-11 15:28:44 | 世の中
たまたま時期があって朝からゆっくり見物できた「博多どんたく」、そもそもは「博多松囃子」という祭事。
パレードでもその一行が先頭を行く。それなのに、朝日新聞の報道写真は、なんと自衛隊の楽隊。百近くにのぼる参加グループには、豪雨災害にみまわれた東峰地区もあったりしたのに触れられていない。
伝統文化を尊重していくなどとは口先だけか。
「祭り」が本来の意義を失ってただの騒ぎになっていく一役を大新聞が果たしている。

徴用工

2018-11-02 09:07:22 | 世の中
「徴用工」徴用・徴兵・・・「懲らしめる」につながる「徴」の字。

年に十数回利用する島の現空港の建設には、500人の徴用工が従事した。
多くは朝鮮から強制連行されて北海道で働かされていた朝鮮人(中国人も混じっていたらい)。
島で亡くなっ(暴動があって処刑された?)た方も。
「その供養をしなければ島の戦争は終わらない」と話されていた方がいらしたことを島に来たころに聞いた。

高校生がつくった「八丈島と戦争」という小冊子には、島に残る戦跡が載っているが、最も大きな戦跡といえる空港のことは載っていない。
この空港のように、朝鮮・中国を半世紀以上植民地としてきた日本のいたるところに残っている、物質的・精神的な傷が見える。
韓国最高裁の判決は、それらから目を背けつづける私たちへの警鐘に聞こえる。

「あの人たちはお金がほしいのよ」という反応にひきずられて、問題の核心から目をそらしたくない。


古典の力

2018-09-18 17:11:37 | 世の中
不憤不啓、不悱不発
「憤」問題意識をもち、「悱」発表意欲がわきたつときに、教え導くことができる。
孔子のことばを、宋代の王安石は教育論として解釈した。

最近の心理学や教育学あるいは生理学の理論、
どれも中国の古代社会で説かれている論に探すことができるようだ。

小さいときから古典を学び、
日常生活で、さまざまな角度からさまざまな場面で古典の名言を用いる中国の社会文化に、
連綿と伝わる祖先の知恵と知識が密度濃く溶け込んでいるのを感じる。

「子曰く・・・」をひたすら音読する学習に、特有の意味があり効果があるのだと思う。
(昔の日本の寺子屋、子どもたちはひたすら中国古典を学んでいたのかな)

冒頭の言葉につづく「挙一隅、不以三隅反、則不復也
四隅のひとつを挙げられれば、あとの三つは自分で見つけ出す、ようでなければ、繰り返し教えることはない。

王安石は
「古の学者は、問うに口をもってするけれども、
 その伝は心をもってする。
 聞くに耳をもってするけれども、
 受けるには意をもってする。
 故にその師たるものは煩ならずして、学ぶものは得るところがある。」
と述べている(小島悠馬『中国思想史』)。
近ごろ耳にする、ダイナミックラーニングの発想ではないのだろうか。

詭弁を弄するとは

2017-11-18 17:03:29 | 世の中
①「日本軍は真珠湾攻撃でも軍事目標以外のものをいっさい標的としませんでした。」

②「日本軍も日中戦争中に重慶爆撃という恥ずべきことを行ないました。」
重慶爆撃は、中国国民党政府首都への空襲。東京大空襲やベトナムやイラクでの「空爆」など無差別爆撃の最初といわれる。

日本軍に対する正反対の評価に思えるが、
①も②もひとりの著者が一冊の本の中で10ページとおかずに記述したものである。

③「・・・日本が中国を侵略したとは言えません。・・・それに中国に民族自決能力があったかも灰色です。」

と書いた数行後に

④「どんなに乱れていようとすべての国に民族自決権があります。」

とある。民族自決能力がなくても民族自決権はあると読める、
それなら、日本は中国を侵略したのではないか。

以上①②③④はベストセラー『国家の品格』著者の近著『日本人の誇り』から。
この世代の、混乱した歴史認識と脆弱な思想が見えてくる。

それはアメリカ占領下の日本を土壌に育った知識人の小市民意識。

<日中とも戦争などしたくなかった、
 ソ連が火をつけ、米英がその火をあおりつづけた戦争だった。
 日中とも多くの犠牲者を出して大いに疲弊し、
 米英ソの目的は十分に達せられた。>

なぜ、明治維新の見直しが流行するのかが、以上のまとめから見えてくる。

一見、新鮮な卓見と印象付ける詭弁は、
<反権力>の衣を着ながら日本の国家意識増長へ舵をとっていくもの。
都民ファーストから、いつのまにか日本ファースト(国民ファーストでなく)へひきずるように。

洗脳まがい

2016-01-18 17:40:54 | 世の中
 「防災無線から流れる町歌が、夕方の雰囲気の中では弔歌に聞こえてしまう、
  夕暮れのイメージがついてしまってはせっかくの町歌がかわいそうだ」
と役場に投書したところ、丁寧にも返事が来た。
しかし返事の内容は、このように怖かった。
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町歌については、「郷土愛をさらに深め、皆さんに様々な場面で活用していただくこと」を目的に、色々なバリエーションで製作しました。その普及の一環として、多くの町民の方に聴いていただける、夕方5時の放送に替えて合唱による町歌を放送することとしました。
--- 

 音楽には良し悪しはないと思うけれど、好き好きはある。
 また、時や場にふさわしいかどうかもあると思う。

 「さまざまなご意見」があったそうだが、
町歌にしたのは「普及のため」という。
聴いていくにつれて、違和感なく親しんでいただける」という考えは、
「洗脳」とかわりないではないか。

「親しむ」ことを防災無線の力で強制していると思うと、
ますます町歌に違和感をもちはじめ、
稚拙なメロディ・歌詞という印象が強くなってきらいになっている。

ちなみに「毎日定時に行う放送を、動作確認放送といいます
という文言もあって、「え?町が町民の動作を確認するの?」
とぞっとしたけれど、これは私の誤解で、防災無線の動作を確認する放送ということだった。
目的外の使用なので、その言い訳らしい。

この動作確認放送=時報に使われている音楽にはいろいろあって、
松田聖子の「SWEET MEMORIES」を使っているところもあるそうだ。
Wikipedia 市町村防災行政無線






九条

2016-01-10 15:55:56 | 世の中
憲法を論ずるとき、そのものから離れずに、
常に条文を伴って論じられるべきだと思う。


日本国憲法第九条

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

小笠原諸島

2015-10-04 12:11:38 | 世の中

1886年(明治19年)
「速やかに日本天皇陛下の領地より金玉均を追放する」
よう訓令を出した政府が、亡命者の金玉均を移したところは、現在の小笠原諸島。
その10年前に日本の統治下におくと各国に通知している。
この訓令を見ると、そこは日本の領土ではないという明治政府の認識。

だいたい「領土」問題は、歴史的検証などで解決できるものではないだろう。
それを持ち出すときは戦争を覚悟するとき。

金玉均について知っていくと、現在の世界と日本人の姿が見えてくる。
一万円札の福澤諭吉が関わっている。
日清戦争へいたる歴史を、いま、しっかりとらえなおす時と思う。

九一八

2015-09-05 13:33:54 | 世の中
9月18日がまたやってくる。

中国研究の大家、吉川幸次郎の本を読む。
中国文化の特色、その偉大さをあらためて教えられたのだが・・・。

仏教における中国の呼称だからと、全体に中国を「支那」と表現していた。
それはかまわないが、前書きの日付が「9月18日」と、なんの注記もなくでんと記されている。
中国にとっては長くまたこの上なく大きな犠牲を強いられた日本による侵略戦争の発動の日、屈辱の日であるのに。
学者による差別は、おそろしい。

もし、アメリカ人の日本研究家が、その著書に執筆日付を「8月6日」と記していたら
「わざわざ原爆投下の日を選んだのか」と、
あるいは「12月8日」と記していたら「Remember Pearl Hourberか」と、
日本への敵意を私は感じるだろう。

中国と中国文化を研究し、ひたすら知識・分析を積み上げて、大きな業績を上げながら、
最もだいじなことが抜け落ちているというか、無視している。
そういう学者・専門家、最近は
曽野綾子など心ない尊大な学者、「人の心」のない専門家が横行できるもとには、
わたしたちの無知・無恥がある。

「9月18日、あの悲惨な時」と歌われているその日が、またくる。
数年前の天津を起点とした反日デモは、
現地の日本人学校がその日に運動会という楽しい行事を組むような無神経さが背景にあったと思う。

1931年9月18日の柳条湖事件は、中国では、1936年の「七七」(盧溝橋事件)よりも重い。

悲惨な犠牲を強いた当事者として日本人が記憶しておかなければならない歴史的日付、九一八。

 * 指揮者小澤征爾氏の名前は、板垣征四郎と石原莞爾から名づけられたという。