ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

50年後の水・海・山

2008-06-26 14:10:57 | 世の中
50年後の八丈島。
水海山ゴミ処分場で耐用年数を過ぎた防水シートから焼却灰の成分が徐々に地中に浸み出していく。
ありとあらゆるゴミの焼却灰成分を含んだ水は、玄武岩の地層をするすると通って急テンポで山を下っていく。
作物は汚染され、人々の健康が損なわれていく。
豊富な水源にもかかわらず雨水をためて飲料水にしなければならなくなった島から、人々が去っていく。

50年(半世紀)というのはどれほどの歳月だろうか。
それより10年以上長く生きてきた自分には、非常に近い未来だが、30歳の人にはとても遠い未来で、焼却灰も無害化されると思うに十分な歳月かもしれない。しかし・・・

中国東北部で PCI>遺棄化学兵器処理機構 (ACWDC)  が処理に当たっている旧日本軍の毒ガス弾は63年も前のものだ。
埋められた毒ガス弾を探し処理する作業が始まったのは、住民が死亡する事故が起きたから。
つまり、毒ガス弾の人を殺す能力は60年以上も維持されてきたわけで、100年たっても毒ガスであり続けるかもしれない。
さまざまに<科学的>見解があるだろうけれど、50年で焼却灰の成分が無害化するとは私には想像できない。

 *   処分場の建設計画を立案しているのは<パシフィックコンサルタンツ>という香川県では指名停止になったりした会社らしい。上記PCI(パシフィックコンサルタンツインタナショナル)と同グループで、中国での毒ガス処理で不正を行ったり、ODA関連でベトナム高官に1億を贈ったりの疑惑がとびかっている会社。こんな会社に、島は、数十年後の未来を食われてしまうのか。 
 *  「耐用年数はたかだか15年だ。50年なんてとんでもない」という説もある。その場合は15年後の八丈島。 

  
だいじなことは長老会議で決定されていく村、少し前は世界のあちこちにあったはずだが、100年近くを生きてきた「長老」は、1世紀先を見通す目をもっている。
よぼよぼした老人たちがもそもそと話し合ったことを、村長がみなに「通訳」して伝え、村の政治に反映させていく光景。いま必要な政治のかたちかもしれない。


旅のなかで>キューバその4

2008-06-17 10:43:31 | 雑感
西島秀俊という俳優が航空会社の雑誌に書いていたこと。
「旅は自分の価値観を壊してくれるもの。
いつのまにか刷り込まれている先入観や偏見から解き放ってくれるもの。
自分が思っていたことがまったく通用しない場所へ行くと、
自分の価値観が壊される・・・そういう体験がしたくて旅に出る」

    
キューバで壊れた私の先入観は、アジアやアフリカ・中南米を旅する人のタイプ。「豊かな先進国である日本」の幻想を確かめ、その国に暮らす「幸せ」を誇示するために行く人もいるのだということ。
 化粧品や洗剤の試供品をトイレチップ替わりに渡す人。「こっちのほうが喜ぶのよ。**へ行ったときは、お婆さんが口紅を喜んでつけてたわ」そうかなあ、礼儀として喜んでみせてくれただけじゃないかなあ。<現物給与>しかも使い方もよくわからないものをもらったって迷惑なだけではないか。いくつか入れた小さな袋をたくさん用意していて、空港のトイレでまで・・・後ろに並んじゃった私は、苦笑いの職員に二人分のチップを渡してしまった。
 現地ガイドが、キューバの海外援助(中南米諸国に医療や教育面で)は「余っているものをあげる援助ではなく、もっているものを分つ援助」と力説していたのは聞こえただろうか。
    歳をとると文句が多くなるなぁ
 日本から梅干やらなんやらを持参するのはいいけれど、現地料理を楽しんでいるテーブルに出して人にすすめるのはやめてほしい。せっかくの食事が台無し。
 飲み物や料理をさかんにカメラにおさめる趣味もいいけれど、撮影のためにテーブルの同席者を待たせるのはいいかげんにしてほしい。「おあずけ」状態は10秒でもいらいらするのに、毎回5分近くを待たされる。乾杯をしてから「お先にどうぞ」と声をかけてからカメラを出してくれないだろうか。
 あらためて発見したのは、味覚も育てられるものだということ。トロントに帰ってホテルの朝食時。冷たいメロンやイチゴを食べながら「やっぱり果物はつめたいのがおいしい。キューバでの果物はどれもおいしくなかった、なまぬるくて」と言う若い人。なんだかかわいそうになった。冷蔵庫に入れておいしくなる果物ってあるのかなあ。マンゴやその他名前のわからない果物どれも、新鮮なおいしさがあったのに。

強まった価値観がある。物は修理して使い続けると粋になる。50年代から止まったような風景のなかで、古い自動車のほうが、新しい中国から輸入した最新型バスよりも、美しく見えた。
  
陶芸家チチさん(右)の自動車。1930年代ものか?まだ現役で道を走っている。

* 上の写真で左の男性は金属製。中央は博物館の学芸員(20歳だって)、右も同年齢で工芸家めざして修行中。

キューバその3: みやげ

2008-06-15 16:06:25 | 雑感

ハバナコーヒー(スーパーで購入)にラム酒(ハバナクラブ)、葉巻(手作り現場で購入)など。絵葉書は、風景よりも、カストロやゲバラ、ヘミングウェイとともに、活き活きした子どもたちや市井の人々を撮ったものが多くあった。そして苦労して入手した現地ペソのゲバラ札だが、外国人に人気でホテルの両替所でも手に入らない。

「ボウケンジャー」の電動武器をたくさんもっている孫に、こわごわ買っていったお土産は、空き缶で作ったびっくりカメラ(中央)と、椰子の実で作った動くカメのおもちゃ(中央下)。どちらも露店で購入。
うれしいことに喜んで遊んでくれたし、カメを動かす糸が切れたらママが強いタコ糸にとりかえて修理してくれたのが、もっとうれしかった。
シャッターをきるとかわいい顔が飛び出すカメラ。


キューバその2: 経済封鎖の<効果>

2008-06-04 22:12:01 | できごと
キューバからアメリカの最南端キィウェストまでは、わずか145キロ。
そのアメリカによる経済封鎖が50年も続いていて、おかげで50年代のアメ車が随所で見られます。
ボディは50年代のアメリカ製でも、修理する部品が入手できず、内部は旧ソ連のものやほかの機械部品の応用だったりするそうです。

後ろは中国から輸入した新しい観光バスです。
40人弱定員の快適なつくりですが、街を見学してバスに乗り込んだ男性が「あぁ、文明世界にもどってきた!」と漏らしたのには笑ってしまいました。


郊外では馬車が交通手段のひとつになっていて、バスと競走(できるわけないです)、乗客が手を振ってくれましたが撮影失敗。


ほかの交通手段は・・・相乗りヒッチハイクです。
大きな交差点では、通りかかる車を待つ人が集まっています。
手配する人がいて、車を停車させては方向別に整理して乗車させるとのこと。
キューバでは、車のナンバープレートの色で所属がわかるようになっています。
青は政府機関、茶色は会社幹部、黄色は個人、緑は軍、オレンジは外国人、赤がレンタカー、黒が外交官で、白が大臣。(観光バスも国営の旅行社だから青のプレート)
ヒッチハイクの<マネージャー>が停まるように合図したら、特に青プレートの車は必ず応じなければならず、停まらなかったら罰せられるそうです。

経済封鎖がもたらす困難は想像以上にきついものでした。
アメリカ以外の国の船も寄港できません。
たとえば日本の船でもキューバに寄港したら、そのあと半年はアメリカに寄港できないのです。
しかし経済封鎖はキューバに物資の不足をもたらす一方で、生活を工夫する力を強め、人々の絆を強めているような印象をもちました。
それは指導者の方針と力によるものではないかと思いました。
帰ってから読んだ 『カストロ 銅像なき権力者』 で、その印象はひとりよがりの主観ではないと知りました。

Hasta Siempre

2008-06-03 14:02:00 | できごと
キューバに行ってきました。カストロが生きているうちに見ておきたかったのです。
ラテン音楽がまだ頭の中にがんがん響いています。
そのうちのひとつ、Hasta Siempre 知らなかった歌です。
キューバの Carlos Puebla が作詞作曲。1965年にキューバを後にする Che Guevara が残した別れの手紙への返事になっているそうで“always faithful”“until always”の意味。ユーチューブにもいっぱいありました。

ドラマ仕立てのビデオで女声
記録画像が多いビデオ
Buena Vista Social Club から
日本のサイトで写真と歌
ラテン好きの紹介

写真は昔の革命軍の扮装をしたおじいさん。ピニャコラーダがめちゃくちゃおいしいスタンドのある展望台で。
下はその展望台から見たキューバの大地です。キューバは本州の半分くらいの大きさで気候風土は沖縄に似ていました。