庭のデイゴが今年3回めの開花。
台風のあと2週間ほどたってつぼみをつけたときは、
咲かずに散ってしまうのではないかと心配していた。
3月に咲き、夏にも咲いて、冬まで、
ここは沖縄より暖かいのかなあ・・・
それにしても・・・なんで後ろの遠景に焦点があってしまうのか
台風のあと2週間ほどたってつぼみをつけたときは、
咲かずに散ってしまうのではないかと心配していた。
3月に咲き、夏にも咲いて、冬まで、
ここは沖縄より暖かいのかなあ・・・
それにしても・・・なんで後ろの遠景に焦点があってしまうのか
皇族の結婚式披露宴で、主賓である都知事が
結婚を「バクチ」にたとえて(単語としては「賭け」だけど)、
「配当」を期待します、という祝辞を述べたそうな。
なんとまあ品のないこと。
新郎新婦がかわいそうになる。
この主賓、東京をラスベガスにしたがってたっけ。
主賓が首相で「人生いろいろ」とぶたれるよりもいいのかな。
どちらも「困ったちゃん」じゃと思っている人が多いけど、
「困った、困った」と言いながら、滅んでいくのかも。
結婚を「バクチ」にたとえて(単語としては「賭け」だけど)、
「配当」を期待します、という祝辞を述べたそうな。
なんとまあ品のないこと。
新郎新婦がかわいそうになる。
この主賓、東京をラスベガスにしたがってたっけ。
主賓が首相で「人生いろいろ」とぶたれるよりもいいのかな。
どちらも「困ったちゃん」じゃと思っている人が多いけど、
「困った、困った」と言いながら、滅んでいくのかも。
種をまいたダイコンが育ってます。
まだ葉ダイコンだけど、間引きしたばかりの葉っぱはやわらかくい。
明日葉もおいしい季節になってきて、食事を楽しんでいます。
ダイコンの種は、畝の上に播くか、下の溝に播くか・・・
根っこを育てるのだからと、土を高く盛って上に播いたら笑われた。
写真で土がついているひげ根のところから上、
もうずいぶん伸びているのが食べる大根の部分。
葉っぱはその上から出ています。
だから、溝のほうにまいて、育つにつれて白い根に土をかけていくのです。
でも・・・隣の人は畝の上に播いてたなあ。
きのうはネギを分けてもらって植えたけれど、
分けてくださったおばあさんが、ちゃんと植えているか見に来ました。
案の定・・・という顔で「この伸びてくるところまで土をかぶせたら、
窒息してくさっちゃう」とやりなおしてくれました。
まだ葉ダイコンだけど、間引きしたばかりの葉っぱはやわらかくい。
明日葉もおいしい季節になってきて、食事を楽しんでいます。
ダイコンの種は、畝の上に播くか、下の溝に播くか・・・
根っこを育てるのだからと、土を高く盛って上に播いたら笑われた。
写真で土がついているひげ根のところから上、
もうずいぶん伸びているのが食べる大根の部分。
葉っぱはその上から出ています。
だから、溝のほうにまいて、育つにつれて白い根に土をかけていくのです。
でも・・・隣の人は畝の上に播いてたなあ。
きのうはネギを分けてもらって植えたけれど、
分けてくださったおばあさんが、ちゃんと植えているか見に来ました。
案の定・・・という顔で「この伸びてくるところまで土をかぶせたら、
窒息してくさっちゃう」とやりなおしてくれました。
TVニュース報道のアナウンスが気に入らない。ニュースの内容じゃなくて、しゃべり方。品格がまるでないのだ。
語尾がはっきりしない。文末にくると急に早口になってしめくくりがはっきりわからない。
そのくせ、ニュースの内容によって、ため息混じりにしゃべって見せたり、やたらニコニコして見せたり、表情をつくってみせる。
「これが達者なアナウンスなのよ」「個性的でしょ?」とでも言いたげだ。
最近、ニュース原稿にやたら「体言止め」が多い。「こきみよいテンポ」とでも勘違いしているのか。
口頭語で体言止めというのは、相手に「ね、言わなくてもわかるでしょ?」と同意を強制する「・・・じゃないですかあ」に共通するものがあって、いらいらするのだ。
はっきり正確に「・・・です。」となぜ言えないのか。
体言止め、そのあと「しかし!」とくるといっそういらいらする。
さらにスポーツニュースでは決まりきったように、「まずは・・・。(体言止め)」とくる。
「まずはプロ野球。・・・の・・・は・・・」
「まずはじめは・・・です。」あるいは「はじめは・・・です。」「まず・・・です。」だろう。
「まずは」は「とりあえず」「いちおう」の意味で
「まずは一休み」「まずはビールで」「まずはお礼まで」といった使い方をする。
不正確な日本語をアナウンサーが連発する状況にあぜんとしてしまうのだ。
天気予報や話題のコーナーで聞こえてくる「ホー!」「フーン!」「ヘエ」という相槌にいたっては耳をおおいたくなる。
レポートを担当するアナウンサーの、品のないひよこひょこ歩きや、ペコペコしながらの慇懃無礼ぶりは、もう問題外の域にいたっている。
なぜ、そんなに芸人っぽく見せたいのか。
芸というのはたいへんなもの・・・とうてい芸人になどなれっこないアナウンサーが、
漫才っぽくしゃぺったり、しぐさを見せたりするのは、カラオケから育ってきた人たちなのかもしれない。
テレビを捨ててラジオを聴こう。
語尾がはっきりしない。文末にくると急に早口になってしめくくりがはっきりわからない。
そのくせ、ニュースの内容によって、ため息混じりにしゃべって見せたり、やたらニコニコして見せたり、表情をつくってみせる。
「これが達者なアナウンスなのよ」「個性的でしょ?」とでも言いたげだ。
最近、ニュース原稿にやたら「体言止め」が多い。「こきみよいテンポ」とでも勘違いしているのか。
口頭語で体言止めというのは、相手に「ね、言わなくてもわかるでしょ?」と同意を強制する「・・・じゃないですかあ」に共通するものがあって、いらいらするのだ。
はっきり正確に「・・・です。」となぜ言えないのか。
体言止め、そのあと「しかし!」とくるといっそういらいらする。
さらにスポーツニュースでは決まりきったように、「まずは・・・。(体言止め)」とくる。
「まずはプロ野球。・・・の・・・は・・・」
「まずはじめは・・・です。」あるいは「はじめは・・・です。」「まず・・・です。」だろう。
「まずは」は「とりあえず」「いちおう」の意味で
「まずは一休み」「まずはビールで」「まずはお礼まで」といった使い方をする。
不正確な日本語をアナウンサーが連発する状況にあぜんとしてしまうのだ。
天気予報や話題のコーナーで聞こえてくる「ホー!」「フーン!」「ヘエ」という相槌にいたっては耳をおおいたくなる。
レポートを担当するアナウンサーの、品のないひよこひょこ歩きや、ペコペコしながらの慇懃無礼ぶりは、もう問題外の域にいたっている。
なぜ、そんなに芸人っぽく見せたいのか。
芸というのはたいへんなもの・・・とうてい芸人になどなれっこないアナウンサーが、
漫才っぽくしゃぺったり、しぐさを見せたりするのは、カラオケから育ってきた人たちなのかもしれない。
テレビを捨ててラジオを聴こう。
自動車部品チェーン店の社長が、
創業後の営業低迷に苦しみながら、
「トイレ掃除」によって、業績向上の力を得た、
という報道を見ました。
素手でタワシやスポンジを使って便器を磨くのと、
長い柄のついたブラシで磨くのとでは、
結果がちがう。
汚いところに直接ふれなければきれいにならない、
問題も近づかなければ解決できない、
距離をおいて対応していては、それなりの結果しか得られない、
問題に対応する姿勢をトイレ磨きでやしなったということです。
捨てるゴミを見れば、その人の生活全体がわかるというけれど、
いわゆる「Break through」問題解決、困難突破なんてことも、
ゴミ、見たくない部分、触れたくない部分にとりくんでいく姿勢がなきゃできない。実際に役立つアイデアとかヒントも、その姿勢の中でしかでてこない。
家事(生活の仕事)によって子どもをしつける家庭教育は、
人間力をやしなう大きな力になるのだと思いました。
そんな報道がめだつのは、団塊の世代が定年を迎える時代のせいもあるかな。
家庭や地域でも輝ける存在であり続けられるのか、という問いかけ。
創業後の営業低迷に苦しみながら、
「トイレ掃除」によって、業績向上の力を得た、
という報道を見ました。
素手でタワシやスポンジを使って便器を磨くのと、
長い柄のついたブラシで磨くのとでは、
結果がちがう。
汚いところに直接ふれなければきれいにならない、
問題も近づかなければ解決できない、
距離をおいて対応していては、それなりの結果しか得られない、
問題に対応する姿勢をトイレ磨きでやしなったということです。
捨てるゴミを見れば、その人の生活全体がわかるというけれど、
いわゆる「Break through」問題解決、困難突破なんてことも、
ゴミ、見たくない部分、触れたくない部分にとりくんでいく姿勢がなきゃできない。実際に役立つアイデアとかヒントも、その姿勢の中でしかでてこない。
家事(生活の仕事)によって子どもをしつける家庭教育は、
人間力をやしなう大きな力になるのだと思いました。
そんな報道がめだつのは、団塊の世代が定年を迎える時代のせいもあるかな。
家庭や地域でも輝ける存在であり続けられるのか、という問いかけ。