「ハリー・ポッター」シリーズは全7巻を積み上げると30センチくらいになるけど、シリーズと言うより7章だての長編小説で、最初から最後までしっかり筋がつながっているので、607ページもある最終巻を半月で読めた。
子どものために書かれた本に7年間も夢中になってきた自分にあきれるけれど、それなりに目を開かれる記述も多いわけで・・・その一例。
ある宝物をめぐって、所有権は、購入した者の子孫に帰属するのか、製作した者のほうに帰属するのか・・・
「買った側につたえられていくのがあたりまえじゃないか」
というハリーへの警告。
「取引をしようとするなら、相手の考えを知っておけ。
相手の種族はちがう、金を払った者に一時的に貸しただけだと思っている。
買った者が亡くなれば、宝物は製作したものに戻されるべきで、かってに子孫が譲りうけていくのは泥棒と同じ、という考えだ」
何にでも「違い」がある。
「当然」「あたりまえ」という常識も、しょせんは、一定の限られた世界での常識にすぎず、異なる世界では異なる常識がある。
<どちらが正しい>と相手に強いるのでは取引は失敗する。
互いにその常識を尊重しあうことが、取引の前提だ。
・・・と言っているように読めた。
さて、取引の結末は?
子どものために書かれた本に7年間も夢中になってきた自分にあきれるけれど、それなりに目を開かれる記述も多いわけで・・・その一例。
ある宝物をめぐって、所有権は、購入した者の子孫に帰属するのか、製作した者のほうに帰属するのか・・・
「買った側につたえられていくのがあたりまえじゃないか」
というハリーへの警告。
「取引をしようとするなら、相手の考えを知っておけ。
相手の種族はちがう、金を払った者に一時的に貸しただけだと思っている。
買った者が亡くなれば、宝物は製作したものに戻されるべきで、かってに子孫が譲りうけていくのは泥棒と同じ、という考えだ」
何にでも「違い」がある。
「当然」「あたりまえ」という常識も、しょせんは、一定の限られた世界での常識にすぎず、異なる世界では異なる常識がある。
<どちらが正しい>と相手に強いるのでは取引は失敗する。
互いにその常識を尊重しあうことが、取引の前提だ。
・・・と言っているように読めた。
さて、取引の結末は?