ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

2001年秋

2016-04-26 06:24:32 | できごと
San Francisco Museum of Modern Art のノートが旅行用の小物整理ででてきた。
最初の数ページしか使ってない。変わった記載の見開きページがあった。

7:45にチェックインし、通路側の席を確保してレストランへ。
奥の四人掛けテーブル。禁煙。
隣の窓側の席に、二〇代の女の子がクロワッサンを前にじっと座っている。
向かいの男性は少数民族の上っ張りにジーンズ、スニーカー。
帽子(カーキ色)、白い面立ちにあごひげがちらり。お洒落っぽい・・・。

運ばれたオムレツを味わいながら横目で観察してしまう私。

女の子はじっと動かず、クロワッサンもそのまま。
テーブルにはビールを空けたコップと、男性の前にさめたコーヒー。
うんざりした顔つきで椅子にもたれ、ときおり声にならないつぶやきをぐちっている。
一分、五分、十分、女の子が何か言う。
男が、かってにしろ、みたいな口を動かす。
ポーチバッグを腰に、椅子に掛けたジャンパーを手に、女の子はレストランを出て行った。
トイレ?買い物?それとも行っちゃったの?
しばらくして大きなため息をついた男がテーブルに倒れこむ。

また一組、同じ年頃のカップルが案内されてきた。
窓際の明るい席というだけで、女の子の乱ぐい歯にうれしそうな笑みが。
男性は金縁めがねをかけるや{朝食になるものを」と、やり手ビジネスマンばりの口調。
フランス語が聞こえてきたほうには七人の外国人。
窓の外は、晴れていた空に灰色の雲がだんだん厚くなる。
八時三十五分、女の子は戻ってこない。男は机につっぷしたまま。
ドラマの撮影を見ているようだ。
9.11から一か月たった十月八日、アメリカはアフガニスタンへの空爆を開始した。


もう15年、中学生になった孫には生まれる前の出来事。
いま IS へと連綿と続いている。
10年以上もしまわれたままのこんなノートや小物が捨てられない。






口福

2013-10-26 14:40:03 | できごと
ことばにあらわせないくらい「おいしい!」と喜んだ思い出は、いままでに2回。
ひとつは、香港のレストランでいただいた酔蝦、DrunkenShrimp。
老酒に入れら酔っぱらっておとなしくなった活エビを、強火でゆでたもの。
もうひとつは、北京大学の学生食堂でいただいた餃子。
ちょうど年始めで、大皿に山盛りの餃子が、あっというまになくなった。
たれなど関係なく、餃子そのものがおいしかった。
どちらも、もう40年以上前のことだが、その後、おいしいと思う食事はたくさんあっても、
この二つだけが思い出に残っている。

しかし、数日前・・・もういちど「おいしい!」と叫んだのが、
完熟のパイナップル。
島の喫茶店で自家製の採れたてを「ちょうどいいところへきた」と出してくださったもの。
皮(完熟なので褐色になっている)までしゃぶりたくなった。

≪時価≫とかをつけたら数千円つけてもいい。

お金では買えない口福。

AKiretaBabaa48

2012-03-07 22:00:01 | できごと
YouTubeで「あきれたババア48」見てください。
八高の卒業記念親子ビデオです。

ほんもののAKB48の「Everyday,カチューシャ」のPromotionVideoはこちら。

島のSuperのSiteが紹介しているので、解説はこちらを読んでください。

八丈のEnterainerたちは半端じゃない。
大好きな島言葉で「はんけしょい」と言います。
「はんけ」は、標準語の「ばか」にあたりますが、
「どんご」=愚か者=の対義語になります。
祭りを盛り上げるのも、損な役回りをひきうけてがんばっているのも、
この はんけしょい(はんけを背負う人) たちです。
隠岐は海士町の町長さんが、
島の将来を作り出すのは「若者・よそ者・ばか者」だと言われましたが、
五十代はりっぱな若者、よそ者もばか者もたくさんいます。

滅びゆくものは

2010-11-23 15:08:13 | できごと
先月の上海行きは羽田の旧ターミナルから出発し、帰国は新しい国際線ターミナルになるので、いくつか写真に撮っておきました。



日本が中国と国交回復したあと、国際空港成田にはいれなかった台湾との航空機がひっそりと発着した「小屋」といってもいいような暗い建物のターミナルでした。


「滅んでゆくものは美しい」とは、新内の岡本文弥 の本で読んだ言葉です。
今月の出発待ち時間には、きらびやかな新ターミナルを見て回りましたが、なんとなく旧ターミナルが懐かしくなっての写真です。



星を継ぐもの

2010-07-17 09:53:04 | できごと
ジェイムズ・P・ホーガンJames P Hogan の死亡記事を見ました。

わりとSF好きですが、ホーガンの、

 『星を継ぐもの』Inherit the Stars
 『ガニメデの優しい巨人』The Gentle Giants of Ganymede
 『巨人たちの星』Giants' Star

は、しっとりとした気持ちで読んだ懐かしい小説です。
教師の義妹がもっていたSFだった記憶があります。

翻訳(池 央耿)も好きです。
この人の翻訳書を見ると買いたくなります。
最初に読んだ
 『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』
  ロバート・フルガム 河出書房新社
これは長たらしいタイトルに惹かれて買ったのですが、
安心して(原文を気にせずに)読める翻訳書です。

上海のちょっといい人たち(3)

2009-02-07 11:48:30 | できごと
<勝手につけた名前は武術小路:道場ありショップあり風呂屋ありの里弄です>

上海へ行った時の楽しみは朝の太極拳。平日は近くにある公園で、休日は地下鉄で人民広場まで教わりに出かけます。
ばらばらと集まってくる方たちはさまざまですが、だんだん顔なじみになってきました。
帰り道が同じ方向だったおじ様が初めて話しかけてくださいました。
「どこに泊まっているのか」
「■■です、地下鉄で帰ります」
「そこならバスが行くよ、地下鉄は50円だけど、バスなら30円だ」
「はあ・・・でもぅ」
「△番のバスで、●●で降りるんだ」
「えぇ・・・」(●●が聴き取れないわたし)
「あそこがバス停」
と手を取って引っ張って停留所まで連れていってくださいます。
「来た来た、何本もとおっているから便利だよ」
そして、バスの運転手さんに「●●で降ろしてやって」と叫んでくれました。
女性の運転手さんから「この次ですよ」と教えられて降りたところは、
見覚えのない通りです。
京都のように道路は直角に交差していますから、
方角が定まればまちがわずに歩いていけるので、
道を聞きながらアパートの方向めざして歩きました。
歩くといろいろ発見があります。
30分ほど歩いたところでサンジェルマンみたいなパン屋さんを見つけ、
おいしいコーヒーで思いがけない朝食もできました。
けっきょく、あと40分は歩かなければならないことがわかり、
タクシーで帰りました。

喫茶店で:暖かな日差しにベンチでくつろぎたいところですが外は零下3度です

去年の秋ですが朝食の一例。近所の果物やさんで買った竜眼とみかん、豆乳と粥と揚げパン 

上海のちょっといい人たち(2)

2008-10-24 19:03:50 | できごと

入国審査官  「辺境警備」つまり出入国管理は国境警備なのだと気づかせられるところで、入国審査官から「ニィハオ」とにこやかに迎えられてびっくり。パスポートを受け取って「謝謝」と言ったら「不客気」(どういたしまして)とまたにっこり。入国管理官は頬をぴくりともさせない硬い顔にしか出会ったことがな。初めて笑顔が上海とは・・・

警備員  両替をしに、初めて街中の銀行にはいってみた。(ホテルのほうが時間もかからない)
だれが案内係りかわからず、とりあえず入り口近くに2人でいた警備員に尋ねる。
すると「パスポートを持っているか」と確認しながら、素早く順番カードを引き出してから、書類を整えるよう係りの行員にいっしょに渡してくれた。銀行の窓口でけっこう待たされるのは日本と同じ。「書類に記入してから順番カードを取ってお待ちください」ではなく、何より先に順番カードを取ってくれるなんて、うれしい警備員。

公安=警官  次の写真は去年のものだけど、撮ってくれた友だちが送ってくれた。

乗っていたタクシーが追突されて、その事故処理を終えたときのものです。
交通事故が急増する上海で警官は大忙し・・・この方はもう3日も半徹夜状態で事故処理に当たっているというのに丁寧に対応してくれ、思わず記念写真を撮りたくなったのでした。
両側の方が警官とタクシー運転手。運転手さんもいい笑顔になっています。


上海のちょっといい人たち(1)

2008-10-23 19:01:14 | できごと
どういう風の吹き回しか「上海タイフーン」 やってます。
中国に仕事できたことは何回かあるものの、こんなに年取ってから、しかも起業にかかわって独りでやってくるとは、思ってもみませんでした。
北京とちがって上海には畏れをもっていましたが、来るたびに「ちょっといい思い」を経験しています。


北京オリンピックの次は、2010年上海EXPO。カウントダウンが始まっています。
写真は「人民広場」地下鉄駅構内。東京の銀座、大阪の梅田みたいなところでしょうか。若い人だらけです。
たまに見る高齢者は、たいてい夫婦連れで、いたわりあって行動しています。
ひとりで動いているこの変な年寄りは、いろんな人に助けられています。
・ 混雑した車内に乗り込むと、下から手が伸びて「座ってください」と席を譲ってくる十代(に見える)の男の子、女の子。
・ 切符売り場でもたついているのを、じっと見ていて操作をまちがえるとさっと直してくれたビジネスマン風の人。
・ 案内所で尋ねていると、職員の答えに「こうもできるはずよ」とアドバイスを入れて交渉してくれた若い女性。


朝の通勤時に、後姿がかっこいい2人と、バス停の若いお母さん。
女性たちはみんな、モデルみたいな姿勢でさっそうと歩いています。
日本の女の子に多い内股・がに股歩きは見かけません。
靴音も快く、スタイルがいいのは<所作>のせいだと思わざるを得ません。

堂々として声も大きいから、ちょっと怖い印象をもちがちですが、
(上海風に)細やかな気配りをすることに、わたしは気が付き始めています。
(続く予定)




キューバその2: 経済封鎖の<効果>

2008-06-04 22:12:01 | できごと
キューバからアメリカの最南端キィウェストまでは、わずか145キロ。
そのアメリカによる経済封鎖が50年も続いていて、おかげで50年代のアメ車が随所で見られます。
ボディは50年代のアメリカ製でも、修理する部品が入手できず、内部は旧ソ連のものやほかの機械部品の応用だったりするそうです。

後ろは中国から輸入した新しい観光バスです。
40人弱定員の快適なつくりですが、街を見学してバスに乗り込んだ男性が「あぁ、文明世界にもどってきた!」と漏らしたのには笑ってしまいました。


郊外では馬車が交通手段のひとつになっていて、バスと競走(できるわけないです)、乗客が手を振ってくれましたが撮影失敗。


ほかの交通手段は・・・相乗りヒッチハイクです。
大きな交差点では、通りかかる車を待つ人が集まっています。
手配する人がいて、車を停車させては方向別に整理して乗車させるとのこと。
キューバでは、車のナンバープレートの色で所属がわかるようになっています。
青は政府機関、茶色は会社幹部、黄色は個人、緑は軍、オレンジは外国人、赤がレンタカー、黒が外交官で、白が大臣。(観光バスも国営の旅行社だから青のプレート)
ヒッチハイクの<マネージャー>が停まるように合図したら、特に青プレートの車は必ず応じなければならず、停まらなかったら罰せられるそうです。

経済封鎖がもたらす困難は想像以上にきついものでした。
アメリカ以外の国の船も寄港できません。
たとえば日本の船でもキューバに寄港したら、そのあと半年はアメリカに寄港できないのです。
しかし経済封鎖はキューバに物資の不足をもたらす一方で、生活を工夫する力を強め、人々の絆を強めているような印象をもちました。
それは指導者の方針と力によるものではないかと思いました。
帰ってから読んだ 『カストロ 銅像なき権力者』 で、その印象はひとりよがりの主観ではないと知りました。