ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

「チルチンびと」から「八丈島としょうがい者」

2020-10-04 14:49:28 | 引用
コラム「雑誌屋の昔話/第5回」から

1970年代の八丈島。

「島の人は親戚に一人はしょうがい者がいて、日常生活の中でそれぞれの役割りを果たして暮らしていた。」という。

筆者の身近にいたしょうがい者は、ヤギや牛と話せる、畜産の天才、あるいは、ストレリチアをみごとに咲かせ、観葉植物を幾種類も育てる、花や植物と話せる人だったとのこと。

「島の年寄りはそれぞれの才を見つける名人で、子どもでもしょうがい者でも必ず褒める。そして、先生にしてしまう。種蒔時期や水やり、牛の具合やら、なんでも相談に行く。先生は見事に答え、見事な作物や花が育つ。先生はちょっと変わり者だが、働き者でやさしい。年寄りの屋敷に草が茂れば、ニコニコと「お蔭狩り」(草刈り)に行く。茶の一杯と、お蔭さまの一言のお礼で十分。僕はそんな村の暮らしが懐かしい。」

筆者は風土社の山下武秀氏。

「チルチンびと」は中之郷出身の方が発行している雑誌と聞いて、島に来た時から購読している。
都内の書店で見つけると嬉しくなって、重複するのに買ってしまう。

「しょうがい者が、日常の中でそれぞれの仕事を持ち、暮らしの役に立ち、居場所を持つ。そんな社会の仕組みを、もう一度つくれないだろうか。」

「ロべの会」や「どろっぷす」などの活き活きとした活動の基盤は、先人が暮らしの中で守ってきた生活様式だと思われる。「新しい生活様式」を、歴史に学んでつくりだしていく賢さをもちたい。




  

笑える話

2018-03-11 16:43:57 | 引用

★ イギリスのジョーク 2018年3月 ベルトンさんのメルマガ268号から

☆ Literal Thinking

Sherlock Holmes and Dr Watson went on a camping trip.
After a good meal and a bottle of wine they were exhausted and went to sleep.
Some hours later, Holmes awoke and nudged his faithful friend.
"Watson, look up at the sky and tell me what you see."
Watson replied, "I see millions and millions of stars."
"What does that tell you, Watson, old friend?"
Watson pondered for a minute.
"Astronomically, it tells me that there are millions of galaxies and potentially billions of planets.
Astrologically, I observe that Saturn is in Leo.
Timewise, I deduce that the time is approximately a quarter past three.
Theologically, I can see that the lord is all-powerful and that we are small and insignificant.
Meteorologically, I suspect that we will have, a beautiful day tomorrow.
Why, what does it tell you?"
Holmes was silent for a minute, and then spoke.
"What it tells me, Watson, is that somebody has stolen our tent."

シャーロック・ホームズとワトソンが一緒にキャンプに出かけた。
ワインを飲みながらおいしい食事をしたあと、疲れたふたりは寝ることにしてテントに入った。
数時間後、ホームズは目を覚まし、忠実な友を突っついた。
「ワトソン君、空を見上げ、何が見えるか聞かせてくれ」
「それはそれは数え切れないほどの星が見えます」
「ワトソン君、君にとってそれは何を意味するのかね?」
ワトソンは一瞬考えこんで答えた。
「天文学的にいえば、何百万もの銀河、潜在的に何十億もの惑星があるということです。
占星術的にいえば、土星が獅子宮にあります。
時間についていえば、今は三時十五分頃ではないかと思われます。
神学的にいえば、主は全能であり、わたしたちは取るに足らない小さな存在にすぎません。
気象学的にいえば、あすはよく晴れるでしょう。
そしてあなたにとっては、これは何を意味するのですか」
ホームズはしばし沈黙し、そして言った。
「つまりこれはだね、誰かがわれわれのテントを盗んだということだ」

アジールのメモ(1)

2018-01-31 07:47:35 | 引用
中沢新一の本からメモ

「人間の本質をつくっているのは、自由な意思であり、それが人間と動物を分けている」
人間は自然とは違うやり方で言語や法の体系を自ら構成できるのだが、恣意的につくられたその言語や法体系がこんどは人間を拘束する力をもつようになる。
国家も自由意志の表現である。「国家の自由意志」は自らの意志の貫徹と他者の自由意志の拘束と破壊に向かう。
そのとき、人間の中には根源的な自由を求める欲望が発生する。規則の体系を乗り越え、否定していこうとする新しい欲望だ。
人間をほんとうに幸福にする革命は、人類の原始からたちあがってくる、そういう根源的なものにつながっていなければならない。

・・・主義とか政治思想よりも根源的なもの・・・孔子の「礼」を批判した老子・荘子のことばに合致していく。

やっぱりこだわることば

2017-06-16 10:55:17 | 引用
  「流行語は原則として絶対に使わない」

  「空疎で手垢のついた思考停止の紋切り型の表現を使わない」

  「仲間内だけで通じる符丁を得意になって使わない」

など、図書館で読んだ、林望『日本語は死にかかっている』巻末の提言。

この数十年でNHKがいちばん変わったのは、こんなことばの使用ではないか。


諸橋轍次 ノート 1

2017-06-01 16:12:27 | 引用

「不将不逆」=「過去のことは後悔するな、将来のことは前もって心配するな」

4月ころから諸橋轍次の『荘子物語』を読んで、次には『老子の講義』にしようか『論語の講義』にしようか迷っている。
「古典を味はって静かに世を観じ、己れを省みることは、有益なることでもあり、また楽しいことでもある。」
と序に述べられているが、若く経験も浅いときには古典を味わうなんてできないだろうと思う。
『荘子物語』をおもしろく読んだのだが、70を過ぎたいまだからこそ味わえる面白さだと思う。
(中国医学の本にも、鍼灸師の勉強や訓練に、年齢は関係ない、むしろ年を重ね経験を積んでからのほうがいい、とあった)

『大漢和辞典』という偉業をなしとげた諸橋轍次の著書を最近まで知らなかった。

漢字や中国古典について読むなら、この人の本!と思う。
確りと根本から説かれているから、すっきりとわかりやすい。

序文には、さらに、「論語」が百済の王仁博士によって日本にもたらされたのは、「古事記」より427年も前で「我が国民の有した最古の古典」とある。「今日まで千有余年、家毎に蔵せられ、人毎に誦せられて、国民精神の涵養に」貢献してきたと述べている。自分の無知に、常識の偽りに、驚くばかりだ。

ジョコビッチの黄帝内経

2016-05-18 10:12:32 | 引用
ジョコビッチの生まれ変わる食事』に中国の古典「黄帝内経」の内容を発見。
ヨガと太極拳を組みあわせたストレッチ運動を毎朝20分おこなうというジョコビッチ。
「東洋医学でいちばん参考になったのは体内時計の概念であった」と述べているが、
東洋医学もヨガも根本的なところを学んでいて表面的なまねではないのがすばらしい。

ことさらに話題にされる「グルテン・フリー」というのも、
現在の世界の小麦が品種改良(生産量をあげるため)を繰り返して
もはや昔の天然の小麦ではないことしっかり指摘している。

「テニスが与えてくれた一番の贈り物は、海外を旅する機会」
「他の文化を目にする機会を与えられることにより、さらに開かれた思考を手にする」

「オープンマインド」「マインドフルネス」ということばがたびたび出てくる。
「あまりにも膨大な死と破壊を目の当たりにして、私たちはもう隠れて暮らすことをやめた。本当に自分たちが無力だと実感したら、そこにある種の自由ができあがる」
「自らの無力感を本当に受け入れると、本当の意味で自由になれる」

ロンドンにある異色のレストランも紹介している。
ダン・ル・ノワール


世界一のテニス選手の、技術や体力以上に深く大きな人間のことばを表せていない翻訳が気になって訳者のブログを見たが、外国語ができるというだけの下司。実にもったいない。

『数学する身体』森田真生

2016-02-22 15:43:13 | 引用
『数学する身体』森田真生著
p:37 ・・・・・・・・・・・・・・・・様々な認知タスクの遂行において、脳そのも
のが果たしている役割が、思いのほか限定的である可能性があるということである。脳
が決定的に重要であることはもちろんだとしても、仕事の大部分を身体や環境が担って
いる場合も少なくないのだ。


数学者では岡潔の『春宵十話』に啓発されたけれど、なじめない天皇崇拝があった。
それは排外主義、東アジアの異国への差別感と表裏の感覚だ。
この感覚は、なぜか身近な人たちにある。
『国家の品格』の藤原正彦や、環境行政を鋭く批判した武田邦彦(ふたりとも「彦」だ)、
中流以上の家庭に育った知的エリート特有なのかもしれない。

その岡潔の著作を編纂した本を上梓したから、同じ類の学者なのかもしれないけど、
まだ、新鮮でおもしろく読んでいる。

   考え判断し実行をする機能は、脳では、脳だけではない、という視点は、
   中国の古典、東洋医学(医学・哲学)に共通するものがあるが、
   そちら方面への検証・研究には進んでいない。
   始めから捨象されているようだ。

p:30 学びとは、はじめから自分の手許にあるものを掴みとることである、とハイデッガー
は言う。同様に、教えることもまた、単に何かを誰かに与えることではない。教えるこ
とは、相手がはじめから持っているものを、自分自身で掴みとるように導くことだ。そ
う彼は論じるのである。

漢字社会には「啓発」ということばがある。英語だとinspireか。

カタログ雑誌「通販生活」

2016-01-27 11:31:36 | 引用
「通販生活」から

「もっと使わせろ、
 捨てさせろ。
 無駄使いさせろ、
 季節を忘れさせろ。
 贈り物をさせろ、
 組み合わせで買わせろ、
 きっかけを投じろ、
 流行遅れにさせろ、
 気安く買わせろ、
 混乱を作り出せ」

舞台『屋根』の脚本(倉本總)

勝手に送られてくるカタログ雑誌、
物欲に負けて、なんとなく見てしまう。
しかし「通販生活」は、おもしろい!
こんな「電通PRセンターの戦略十訓」なんて紹介している。
すべてが広告だという目で読んでいくから、かえって納得の商品紹介だし、
その紹介そのものがじっくり読める。

相生・相克

2015-12-21 22:26:44 | 引用
中国医学の学説を理解することはを『跳びはねる思考--会話のできない自閉症の僕が考えていること』に見つけた。

「助け合い」は、人と人とのあいだだけではなく、ひとりの人間の肉体の中でも、お互いを尊重し、ゆずり合うという行為がおこなわれているのではないでしょうか。

「臓」と「腑」は表裏の関係にあるとか、陰陽五行とか、難解なのは、こんな感覚・思考を失っている自分のせいだと気付く。

「何を、どのくらいの時間見るかを、僕ではなく目が決めている瞬間があるような気がします」
「脳と目が独自の働きを持ちながら、共存しようとしているのかもしれません」

香港の学生が問いかけていることは

2014-10-20 00:51:34 | 引用
10代20代の若者の運動の底には、時代の問題への根本的問いかけがある。
香港の学生が提起しているものは何か、見ていきたい。

70年代の日本の学生運動について、山本義隆
『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)
の講演会があったらしい。
東京新聞「こちら特報部」13日に「沈黙40年余、初の講演」が紹介されていた。

山本義隆氏は、東大全共闘議長として学生運動を率いたひとり。
無党派のまま真摯に運動の意義を追求してきた人。

1970年代のMovementの底流は
「平和、民主主義、科学技術の進歩」という三つの「絶対的正義」への疑問、という。

平和:  ベトナム反戦運動は(日本が平和であればよいという)一国平和主義を超えた
民主主義:多数決の優位などにより社会的弱者を抑圧しかねないとわかってきた
科学技術:
    「科学は自然ではあり得ない状況をつくって特定の現象を法則化するが、
     そのままでは技術にならない。
     技術化する際に公害などが起きたら、
     責任は科学にもある。
     そんな責任を顧みてこなかった科学のあり方が問われた」

これらの問題提起を真に理解しなかった、あるいは持続しなかった人たちが、
政治屋としてうごめく政治状況に、70年代全共闘運動の不毛が取り沙汰される。