ODORAMOX!

BABA庵から  釣り糸なんぞが ごちゃごちゃ こんがらかった状態を ここでは「オドラモクス」と言う。

口福

2013-10-26 14:40:03 | できごと
ことばにあらわせないくらい「おいしい!」と喜んだ思い出は、いままでに2回。
ひとつは、香港のレストランでいただいた酔蝦、DrunkenShrimp。
老酒に入れら酔っぱらっておとなしくなった活エビを、強火でゆでたもの。
もうひとつは、北京大学の学生食堂でいただいた餃子。
ちょうど年始めで、大皿に山盛りの餃子が、あっというまになくなった。
たれなど関係なく、餃子そのものがおいしかった。
どちらも、もう40年以上前のことだが、その後、おいしいと思う食事はたくさんあっても、
この二つだけが思い出に残っている。

しかし、数日前・・・もういちど「おいしい!」と叫んだのが、
完熟のパイナップル。
島の喫茶店で自家製の採れたてを「ちょうどいいところへきた」と出してくださったもの。
皮(完熟なので褐色になっている)までしゃぶりたくなった。

≪時価≫とかをつけたら数千円つけてもいい。

お金では買えない口福。

女性労働力は埋もれた宝?

2013-10-23 12:55:08 | 世の中
「アベはすばらしい!女性の労働力を高く評価している」とアメリカのビジネス指導者がもちあげた・・・気もち悪く感じた。
子どもの労働力が鉱工業生産に駆り出された時代を連想してしまう。

欧米の科学(近代科学)は、物質をバラバラに分解し、個々の機能を追究する。
東洋の科学・・・というかエジプトにも共通した古代化学は、
個々の関係・結びつきの中の機能を追究する。
経絡とか、それらは目に見えないから、証拠のない「非科学的」なものとされるが、
アジア的生産構造(封建主義)は、個々の労働力ではなく、
大家族の機能的労働力がささえてきたと思う。
それは、絆(きずな)とかしがらみという、組織関係ではないか。
老若男女が組み合わさった労働力で、
「老」「若」「男」「女」を、同等にばらばらにした労働力ではない。

どちらが生産性が高いか、何を「生産」するのかによるかもしれないが、
家族を破壊していく労働構造は、終末が見えるものと思う。

過疎化や少子高齢化は、人類が、いまだかつて経験したことのない社会だ。
(と、島民大学講座で知った)

アメリカ流の個人主義、そして大量生産大量消費の産業構造化は、
日本の家族を崩壊させていった(と思っている)。

学校教育も、大量生産のひとつ、良質(生産性の高い)労働力を育成するのが目的。

企業の賃金も、家族を支える賃金体系(扶養手当など)でないから、
共働きをしなければ成り立たない賃金体系になってしまっている。

大家族は、持続的社会の基本だと思う。
女性の活躍する場を限定してしまうことが問題であって、
社会の基本である家族を破壊するような、女性労働力の「活用」は、
いずれ、社会崩壊を生んでいくものと思う。

くじら墓

2013-10-22 17:28:04 | 世の中
金子みすゝの記念館がある仙崎に橋でつながっている小さな島、青海島がある。
その突端に見つけたくじら墓。
日本の鯨漁は、肉から骨・皮すべてをいただく。
欧米の、油だけをとる鯨漁とは違うし、
さらにちがうのは、漁師の心。アイヌの熊祭りと同じものを感じた。


業尽有情雖放不生
故宿人天同証仏果

碑文の説明:

我々の目的は本来おまえたち胎児を捕まえるつもりではなく
むしろ海中に逃がしてやりたいのだ
しかしおまえひとりを海へ放ってもとても生き得ないだろう
どうか憐れな子等よ
念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを開いてくれるように

Our purpose isn't to catch features
We would rather have left them in the sea,
but we can't return them to the sea
They won't survive
Therefore we made this tomb because we feel sorry for them
and want them to reft in peace

手入れ

2013-10-21 08:58:12 | 言語の表現
 古い日記から:

(6月) きょうはクリーンデイで、島中で早朝からゴミ拾い。けっこう道端に菓子袋とか空き缶が拾える(いちばんは煙草の吸い殻)。決まりはないけれど、道に伸びた木の枝や伸びた草を刈る所(人)もあって、わりとみんなが苦にする日だ。1日の東京新聞に玄侑宗久の「手入れし続ける国」と題した随想が掲載されていた。


自然とつきあう際の基本的な態度がこの「手入れ」
古代の日本人は、「毛」や「木」や「気」をすべて「け」と呼び、その自己増殖力を讃えた。
「産霊」(むすび)の力を感じたから
その増殖力が枯れてしまうことを彼らは「けがれ」と呼んで非常に嫌った。
旺盛な産霊の力を枯らさないまま、手入れしながらつきあう
日本人は、自然の増殖力を敬愛するがゆえに、そのような態度で自然と接してきた


「手入れが面倒だから」と、草が生えないようにコンクリートで塗り込めるようなやり方は、面倒を避けるために恩恵まで拒否する態度だと、防潮堤建設に疑問を呈し「国土強靭化計画」は海の厄介さを排除するためにその恵みも拒否しろと国民に迫るものと批判している。
それはともかく、日本語の奥深さをまた知らされた記事。

己がなり得るものに

2013-10-05 16:13:48 | 引用
 政治家には意外と哲学者がいるものだ。

 1961年にコンゴで飛行機事故(?)で命を落とした国連事務総長、
ダグ・ハマーショルドDag Hammarskjold『道しるべ』(みすず書房)鵜飼信成訳
死後に日記を編集されたホンダが、若かったであろうときの記述:

「ほかの人たちよりすぐれているでしょうか?」
ときには彼は語る、「いかも、ほかの人たちよりはすぐれている。」
しかし、こう語るばあいのほうが多い。
「なぜ、そうでなければならないのか。
 おまえは、おまえのなりうる者になっているか、
 それとも---ほかの人たちと同様に---おまえのなりうる者になっていないか、
 いずれかなのだ。」

 総理大臣も務めた父親のことばかもしれない。
「おまえのなりうる者になっているか?」
 地位とかの話ではないだろう。

 能力が優れているかどうかを悩むのではなく、
もっている能力を働かせなさいということ。
そして、能力というのは使ってこそ磨かれ、より向上していくもの。

ちなみに、本の冒頭に引用されたことばは、スウェーデンの詩人ペルティル・マルンベルク
「抹消する手だけが 正しいことばを書くことができる」