ちょっと待って!

見たこと聞いたこと、すんなり納得できません。あ、それ、ちょっと待って。ヘンじゃありません?  ヘンです。

はじめてのアジ

2017-12-05 23:59:20 | Weblog
ショーの病院巡りに付いていくので、半日潰れます。30日はM医療センター。4日は循環器センター。循環器科は、1週間前に採血してもらった結果を聞きに行っただけです。東西南北、走り回って、お決まりの薬漬けです。薬が無かったら明日にでも死んでしまうような信者です。私は運転しませんから、助手席に座って居眠ったり喋ったり写真撮ったりしているだけですが、共倒れでない限り、連絡係りにはなるでしょう。
 朝出て、4、5時間後に帰って、それから洗濯したり、片付けごとをしたり、ご飯拵え、食事とばたばたしていますので、夜、テレビの映画なんか観ていますと眠くなって、パソコンはパスです。
 で、根来寺の小さな店に入った続きが遅くなりました。

 15分ぐらい待って、若い方の人が、丸い丼鉢一つを小さいお盆に乗せて、ドアの無い入り口から入って来た。ショーの前に置いたのを見ると、八分目まで汁が入っていて、おでんの具らしいものがいくつか沈んでいる。こんにゃくは一丁を3等分して斜めに切って厚みを半分にしてある。小さなジャガイモとごぼう天と、ちくわが半分。厚揚げとか串に挿した筋肉などは無い。お盆の端に、チューブの芥子がコロンと置いてある。湯気は立っているけど、関東炊きのいい匂いはしていない。
「こんな汁いっぱいで、どないして芥子つけんねん?」
「あはは。汁の中へ入れるのかなあ」
 ショーは、丼鉢の縁3所に、芥子を絞りだして付けた。「あー。落ちた」
「やっぱり、汁の中へ入れて食べるねんナ」
 女の人はもう一つ、お盆に丼鉢を乗せて来た。
「お待たせしました。カレーうどんです」
「お皿、一つください」
「ああ。はいはい。お皿ですネ」
 お皿が来た。
 私は、カレーうどんをお箸でつついて、へええと言った。茹でたうどんの上に、カレーライスに掛けるどろりとしたカレーがそのままで掛けてあった。
「うどんのおつゆでカレー伸ばすのにな」
 何処の店でも、「ウチのやり方」というのはあるが、汁たぷたぷのおでんも、汁け全然なしのうどんも始めて見た。循環器センターのビーフカレーは、カレーがしゃぶしゃぶで、固い肉が3個入っていて、一口食べて思わず「アマーッ」と叫び、急いで配膳カウンターへ持って行って塩を振り、ソースをかけてからでないと食べられなかった。
 ネゴロのカレーうどんは、多分フクロごとお湯で温めたカレーらしく、味はまぁまぁだったが、妙なものには違いなかった。
「美味しい?」とショーに訊いたら、「なんにも味がない」と呟やいた。
「ダシぜんぜん入ってへん」
 え? うわ。ダシなしの関東炊きなんか、あるのん? 
 この店のことをショーがもう一度話したのは、2日経ってからだった。

  

四つだけのメニュー

2017-11-28 21:43:15 | Weblog
……あとは明日、書きます。と書いたのは一昨夜だった。昨夜は映画見ながら眠っていて、目が覚めたのが11時だったので、パソコンはしなかった。ベッドへ行って、本を読みかけて、やっぱりスタンドを点けたまま、また眠ってしまった。だいぶ、睡眠不足が溜まっている。

 26日、京奈和道路が和歌山だけ完成したので、岩出までは早かった。岩出のインターを出ると、すぐ根来だ。ちらほら紅葉があって人家の無い道を走ったから、知らないところみたいだった。食堂もコンビニもない。お寺に着いたのは11時34分だった。風が少し寒い。
 最近はどこのお寺も拝観料をとるけれど、根来寺は無料で駐車場もタダで、紅葉も桜も有って好きだ。ただ、いいろいろ出来る食堂がない。駐車場の入口に、横に長いバラックみたいな建物があって、「うどん」と「おでん」という小さな旗が立っている。根来寺には8回ぐらい来ているが、この店に寄ったことはない。「うどんでも食べる?」
 入口は2枚戸で、入口の左右に大きな台があって、お土産ものらしいものがちょこちょこと並べてあった。「薄着で来たら寒かった」という人のために、衣類も10着ほどぶら下げてある。
 戸を開けるとすぐ前に女に人が二人立っていて、「いらっしゃいませ」と声をそろえて言った。右側の窓際に三つほどテーブルと椅子が並べてある。
「なにが出来るんでっか?」
「おうどん。おでん。カレーですね」
 と、二人で後ろの壁を指さした。古そうな紙に、「きつねうどん六百円。カレーうどん六百円。カレー六百円。おでん六百円」と書いてあった。六百円均一だ。きつねうどん六百円は高い。うちで作ったら50円で出来るのに、三百五十円がいいところだ。おでんをするなら、二人が立っている所に大きな鍋でたっぷり作ればいいのに。お鍋から湯気がもうもうとたって、美味しそうなニオイがしたら、お土産みたいななにかを買いに来た人も、二つか三つ食べるかも知れないよ。二人の後ろが壁で、前はカウンターだから、バスの案内所みたいだ。
「私はカレーうどんにするわ」「はい。カレーうどんですね」若い方の人がにこにこして、カウンターの紙にメモした。一人の客がカレーうどんを一つ注文しただけだからメモは要らないと思うけど。種類が多いのなら迷うが、たった4種類なのにショーは思案している。
「おでんとご飯にしたら?」
「ご飯、あるんでっか」
「はい。ここに、書いてます」
 品書きがあんまり少なくてびっくりしたから気が付かなかったけど、すぐ上の別の紙に、「白いご飯あります」と書いてあった。
「おでんだけでよろしいワ。ご飯は要りません。」
 おでんの種は聞かなかった。どうせ、こんにゃく、あげ、じゃがいも、ちくわぐらいをお皿に乗せて来るんだと、ショーも私も思った。
「奥にもテーブルがありますので、お好きな方でお待ちください」
 どうせ誰も入って来ないだろうと思ったけど、この時カラカラと戸が開いて、中年の男女二人連れが入って来た。ショーは、ドアのない小さな入り口から、奥の部屋へ行った。窓際が、作り付けのL字型テーブル。真ん中に四角いテーブルが二つ、ひっつけて置いてあった。温かくない小さなストーヴがあった。
 私たちは、窓際の長テーブルの椅子に座った。コーナーに、ミニトマトみたいな実が沢山成った柿の一枝が横にして置いてあった。
「へええ。本物や」

……また続きは明日です……

ついでの紅葉

2017-11-26 23:40:09 | Weblog
 昨日(25日)の朝の新聞に、一人で貼れる…「膏薬貼り手」の宣伝が載っていた。百回ぐらい使えて478円だという。毎夕食後に貼って、朝はまだ私が食べているのに「とって…」とテーブルの横に立って背中を向けられるのがイヤなので、「これ、買おか」とその記事を見せた。広告は全然見ないショーは、あははと笑った。少しは、手間かけさせて悪いなぁと思っているらしい。私は前歯を治療中で、食パンを一口大に切って食べているから、背中から膏薬を剥がしたあと、手を洗わなければならないからイヤなのだ。ショーは自分の背中だから、なんとも思っていない。
 「膏薬を貼り合うだけの夫婦かな」という川柳があったけど、私は膏薬には用がない。ついでに言うと老眼鏡も用が無い。
 「百円屋に、あるかも知れへん」食パンが同じ厚みできれいに切れるパンカッカーも探そうと思っていた。タマゴカッターなら百円屋にある。
 雨が降っていた。少しある洗濯ものを洗濯機で回している。「郵便局へ行くねん」とショーは言った。ついでなら行こう。「根来寺の紅葉、まだあるね」
「ネゴロも行くのんか?」
 ついでにあちこち行くのが私は好きだ。支度をしていると、雨がやんできた。風が少しあるから、紅葉見ながらお弁当は寒そうだ。「お寺の近くでお昼食べよう」と、出かけた。

……半分居眠りながら書いていた。いつものように12時を回った。あとはまた明日にします……

過去から過去へ

2017-09-20 23:49:15 | Weblog
 テレビに、林隆三が出ていた。「あ。あのヒト、歌手の、中……ナントカ言う人やん。中…なんやったかなあ。ネンネコロリオコロリヨ……とちゃうわ。ネンネンコロリ寝転んでやったかなあ」
 最近、名前がなかなか思い出せない。
「林隆三、このごろ出ぇへんな」「もうとうに死んだやん」「死んだ?」「石立よりあとやったけど、古谷一行よりだいぶ前」「そうか。おれより20以上若かったのにな」
「いま、中年の主役、あんまり無いのかなあ。村上やタクマも、もう、ちょっとトウ立ってるし…。梅雀、いろんな役こなしてるけど、林みたいな味、ないもんね。高島オトウト、三の線ガンバッテるけど、違うしなあ。ああトーキョウララバーイ(歌う)。東京ララバイやな」
「うん。スポックの耳。スポック。覚えてるやろ」「いま、再放のスパイ大作戦に出てるわ」
「あれ、なんちゅう題やったかなァ」「宇宙船--えーと。宇宙船。え……エンタープライズ。それがなに?」
「スポックの耳みたいなミミの女やん」「ああ。そやそや。中島ミミ。エミ」「中原りえやろ」「はあ。中原リエか。ミミ言うから、ミミかと思た」「ミミはな。なに、ミミやったかなあ」「♪…コイビートにふられーたの。よくあーる話じゃないかー」
 中原リエは、歌手にしては美人だったが、耳が目立っておかしかった。なんで、女優もやめたんだろう。
「林は、なんで死んだんやて?」
「さあ。長いこと病気してたいう話も聴けへんかったけど」「再放再放してる間、病気いうこともあるしな」
「あ。あの俳優だれやった?」
 画面に、よく見た男優が映った。「あれは、誰やった?」「山城新吾や」「あんなおじいさんになってた?」「再放ドラマが多かったから、判れへんねん」
「白馬童子は、昭和20年ごろやった。東千代之介や錦之助が里見八犬伝に出てた。ペギー葉山が ♪…町の小さーな靴屋さんには……。歌とうてた」「おれは学校へ行ってた」
「里見浩太郎は、あの映画から里見で出たんかなァ。まだ、そんなにお爺さんしてないけど」
「若く見える人、おるねんなあ」
「フランク永井がコイサーン歌とうてて、裕次郎が ♪…砂浜のォすーなーを、指で掘ってたら… 歌とてて…」
「嵐カン が出てた。知恵蔵。歌右衛門。長谷川一夫。上原謙。奈良光江。三枝子。みな、死んでしもたなあ」
「あんたのお兄さん、死なはったん、4年前やった?」「6年前とちゃうか。おれも、あんまり日にち無いな」

規格外

2017-09-18 20:53:35 | Weblog
 「皺の無い人と多い人とは、どんなところが違うのか」という番組を見ていた。皺のない人は黒い日傘をさすとか、顔はよく洗うとか、化粧をきれいに落として寝るとか、保湿クリームを塗っているとか、いろいろ言っていた。アメリカのドライバーは、何十年も同じ道を走っているから、「顔の左右がこんなに違うのです」と写真を見せていた。右側はヨレヨレシワクチャで、左側は年相応。午前と午後の走る時間を変えるなり、左ハンドルの車を右ハンドルの車に代えるなりすればいいのに。運転席は紫外線除けのガラスにする方法もある。日本には、そんな変な顔の人はいない。
 テレビに出てくるドクターは、大体いい加減なことを言うようだ。お風呂の入り方はこうでなければいけないとか、食事は、野菜から食べなければいけないとか、お茶より白湯の方がよいとか、あれ食べてはいけない、これ食べんなければいけない……コーヒーはブラックが良い、水は一日1.5リットル飲め、夕飯のあとは何も食べるな………うるさいよ。途中でチャンネルを変えた。
 私は皺はない。メイクもしない。日傘は挿さない。サングラスは持っていない。黒い服より白い服の方が涼しいと思っている。保湿クリームは使ったことない。基礎化粧品は、いつも自家製。読書も縫物も編み物も眼鏡不要。6時半に夕飯をたべて、11時頃お菓子を食べる。おにぎりを食べることもある。夜中にお茶は飲まない。
 温泉で、掌を丸めてもう一方の手の指でぴゃっぴゃっぴゃと石鹸のアワを立てて顔を洗っている人がいた。高いところにシャワーの取っ手を置いたまま頭を洗い始めたので、思わず「頭低うしてお湯かけなさいよ。こっちにばしゃばしゃ掛かるやないの!」と怒ったことがある。50才ぐらいだったけど、思考力ゼロのテレビ生徒だ。 

発明発毛

2017-09-13 23:56:50 | Weblog
 「教えてggoo」に、薄毛、抜毛の質問がたくさんある。「専門家」が回答している。むかしから、発毛剤、育毛剤がわんさかさっさコマーシャルをばら撒いていた。
 頭をコンコン叩くというのがあった。笑わない杉浦さんが大真面目で、ぺったり髪の毛貼り付けたようなオツムこんこんしていたけど、リハーサル入れると何回こんこんしたことやら、気の毒で笑った。こんこんやって、あのヘヤスタイルが百日鬘みたいになったらもっと面白かったのに、宣伝会社はセンスなかったなあ。あれを買って、家で自分の頭コンコンした人も大勢いたことだろうに、ダメみたいだった。どれぐらいやってたか忘れたけど、スギウラさんはこっそり退却した。
 ほかにもいろいろあったけれど、これといった発毛剤はなく、ウイッグ会社が「植えろ植えろ」と田植え歌みたいにうたっていた。 私は57歳の時、ストレスから猛烈な抜毛を経験した。髪を握ってシューッとしごくと、必ず2、30本抜けた。一日100本ぐらい抜けていた。
 その8年ほど前に細胞賦活剤(酵素油)を発明していたから、頭につけた。モーレツ脱毛はすぐに止まって、1ヵ月もしない内に頭のことは気にしなくなった。
 私は独善的で大した問題じゃないのに、世の中人は自分でなんにも発明出来ないんだあっはっはと呆れてひとりわらった。

 賦活剤もあまり使わず10年あまり経って、髪の分け際が薄くなっているのに気がついた。鏡で見ても少し目立つ。(ああ。私もトシなんだ)と慌てて、いろんな植物で発毛剤を作る研究をした。これでいいというのを拵えて、気になる個所に割とせっせとつけた。
 私は母に似て剛毛。姉は父似の柔らかいくせ毛で、フシギなことに、年齢が増すにつれて黒いしっかりした髪になっていた。気もきつくなった。
 姉は、会うと「ウイッグ買うたらええのに……」と言った。2度、美容室で買ったけれど、自毛と色が合わなくなって、何か月も使わなかった。70代は帽子造りを趣味にして、年中外出には帽子を被った。私の作った育毛剤を気に入って「欲しい」という人が10人ほどあり、作って分けてあげていた。
 80歳になって、大成功という発毛剤が出来た。いま、外出に帽子は必要なくなった。なんにも自分で研究しない人たちは、効くか効かないか判らない他人の作ったものに望みをかけて、いつまででも買い続けるのだろうか? 
 男性は「それがどうした!?」と毛なしで開き直れるけど、女性は「ウイッグさまぁ」とマツザカさんやセキネさんに信頼を寄せる。
 他人任せばかりでは、あたまの皮も脳みそものっぺりになる。とヒトのことを心配してあげられるほど気は優しくなった。

ラジオの時代

2017-09-01 00:48:29 | Weblog
 私の小さいころは、テレビなんて無かった。ラジオだけ。茶の間の高ーい棚の上にある大きな食パン型のラジオが一日中鳴りっぱなしだった。落語や朗読やNHKフィルハーモニー交響楽の演奏や
浪曲、なんでもかんでも鳴っているのを聴いていた。夕方になると紙芝居屋のおじさんが二人、かち合わないように自転車で回って来て、面白い紙芝居を見せてくれた。
 継子いじめの話とか「黄金バット」とか「ふくちゃん」とか「ポンチ」とかが連続もので、おじさんが来るのを待ちかねていた。「ウッカッカッ」と笑う黄金バットより「うはははは」と笑う黄
金バットの方が好きだった。本が好きで、母が買ってくれる講談社の絵本も、父が買って来てくれる分厚くて重い「修養全集」も、12歳違いの叔父が読んでいる「巌窟王」や「ルパン全集」や「講
談本----水戸黄門 霧隠才三 岩見重太郎 柳川庄一 山中鹿之助----などなど」も、父が読んでいる「太閤記」や「お洒落狂女」も、姉が読むイソップやアンデルセンや西条八十や南洋一郎や、
あるものを片っ端しから読んでいた。その頃の本は、漢字にみんなルビが振ってあったから、小学校3年生でも苦労なく読めて字が覚えられた。
 若いころ(子供が6歳の時)オリンピックを機にテレビを買って、「少年ジェット」「鉄腕アトム」「エイトマン」「鉄人28号」「歌謡番組」などを見ていた。その頃の「銭形平次」は子供も好
きで、長谷川一夫だった。
 


なんで?

2017-08-04 00:46:18 | Weblog
このところ、毎日睡眠4時間だ。今日はブログを書きながら居眠っていた。頭の前頭部を2度、パソコンでガン! ガン!  と打って目が覚めた。おでこでなく「こんな上をなんで?」 と痛いところを擦ってみる。タンコブではなくて、凹んでい る。数日前に作った血豆もある。    以前、この画面にじかに書いた文章が、なんの拍子でかパッと消えた。  それ以来、ワードに書いている。ところが今も、頭を打った拍子にワードが消えて、書いた文章が無 くなった。あー。1200字ほど書いていたのに……、ガッカリ。 

コワイ

2017-07-22 00:02:23 | Weblog
  BSフジのプライムニュースで、いろんな生物ともどもヒアリのことも、「侵略的外来生物」と言っていた。  港のコンテナ置き場で見つかったのは、ヒアリより毒性の弱いアカカミアリだったそうだけど、中国から運ばれたコンテナの中にヒアリが いっぱいいたらどうするんだろう?  座談会では、「意図的に運ばれたと考えられる」と言っていた。コワイじゃないですか。ミサイルぶっ飛ばして喜んでるヤツよりヨッポド。 アヘアヘアベッチさん。遊んでる場合やおませんで。「国崩れてヒアリあり」なんていうてる場合でもないけど……。  今日の我が家のニュース。  ゴキブリのホーサンダンゴを各部屋にしっかりおいてある。  にも関わらず、今夜一匹発見。殺虫スプレー、掴むが早いかシュー! よたよたしながらも、テーブルの下のなにか置いてある所へ隠れた。 念のため、そこらへシュー。シュー。30分もしてから出て来て、仰向けになって4本の脚で宙を掻いていた。再びシューーーーーー! 庭へ放り出さないとうっかり踏んだらエライコッチャ(さもありなんという踏んだ感触まである。潰れる音もした)と思いながら、そのままに してある。コワイなあ、ムシって。こいつが悲鳴をあげたらもーっと怖いけど…。  夜食に、お昼の残りの巻き寿司2切れ、冷蔵庫から出してつまんで食べた。殺虫剤がついた指を洗うの忘れていた。  ワタシが一番コワイのかな?