ちょっと待って!

見たこと聞いたこと、すんなり納得できません。あ、それ、ちょっと待って。ヘンじゃありません?  ヘンです。

エキシャとキシャ。

2018-03-26 23:06:30 | Weblog
 gooにログインして、マイページを開いた(つもり)。
「どんなお仕事をしていましたか?」と書いてあったので、「易者でした。ハワイ在住の頃はハワイタイムスの記者でした」
と書いて『保存』したら、「無効です」と消えてしまった。「自営業」と書いたら、「どういう仕事でしたか」と一覧表が出た。
「易者」があった。クリック。「年月日」欄が出た。花輪飾って開店したわけじゃないけど、入口に「運勢学」の暖簾を掛けた
のが開店日かなと大体の日を入れた。しばらくして石油ショックがあり、ショーの会社が潰れて、ショーはハワイの姉さんのキ
ーショップを手伝いに行った。全員移住することになり、移住手続きをした。
 ショーの次に、ヤクザ志願の二男が行った。3番目に、家を売りにかけて、私が行った。家のことは姉に頼んだ。 ハワイで
仕事を探していると、「ハワイ・タイムス」が「カメラが扱えて記事が書けるギョール」を募集していた。(ギョールてなんや
?)辞書を見ても判らない。ショーに訊いても判らない。よくよく考えて、ガレージがグラージだからガールらしいと気が付い
た。「面白そうや」と面接に行ったら、すぐ採用になった。
 ほんとに面白い仕事だったが、時々取材に行くほかは一日4時間だけの勤務。時間がモッタイナイので、ワイキキ。ビーチの
軽食屋で6時間のバイトをした。軽食屋の時給は1ドル70セント。新聞社の時給は2ドル40セントで、取材は1時間か2時
間の割り増しだった。
 記者は、仕事や遊びで来る日本の歌手や芸能人によく逢えたし裕福な一世のパーティなどにも度々招かれた。

 軽食屋の厨房は、誰にでも出来るつまらない仕事だが、オーナーのミセス・ヤマダは小説になるオモシロイにんげんだった。
3分遅れたら、「計算できないから1時間オフよ」と言った。57分、海辺にいる人たちを眺めて過ごした。お昼ご飯食べる間が
無くて、抜きで働いていても、売れ残りのおにぎり一つ呉れなかった。1か月働いて、喧嘩して辞めた。「アホのケチ!」
と怒鳴ってやった。
 日本でアルバイトしていた長男が、「まだ来てはいけない」というのに、「秋からハワイ大へ行くから、英語に慣れてないと困
る」とバイトのお金で飛行機の切符を買って飛んで来た。
 
 この題名は「易者と記者」。駅舎じゃないヨ。汽車じゃないヨ。