ちょっと待って!

見たこと聞いたこと、すんなり納得できません。あ、それ、ちょっと待って。ヘンじゃありません?  ヘンです。

ここだけのはなし

2018-07-03 23:00:00 | Weblog
桂歌丸さん、最期に見せた弱音 弟子の桂歌春が告白「とてもつらかった」

 お元気な頃でもずいぶん痩せておられたので、何処か「痛い」「苦しい」人じゃないかなぁと思っていました。
「鼻の頭がすりむけていた」って、どういうことなんでしょうか? 多分溽床もあったと思います。看護士さんたちは、辱床の痛みを知らないから、扱いはヒドイですよ。
 
 
 私は、一子相伝の家伝薬(黒田家の目薬玲珠膏で名前だけ知られた)を持っています。明治26年から昭和20年まで、私の祖母は「火傷・皮膚病の特効薬または女の薬」
として広く販売していました。神経に作用する鎮痛剤ではなく、免疫力を強くして身体の機能を元に戻すというもので、辱床などには魔法のように効きました。
 「痛い」も「苦しい」も言えない犬・猫・猿・などもこれを付けると楽そうに静かに眠っていました。

 亡くなる前にそんな症状を知ったら、作ってお届けしましたのに、ほんとに残念なことです。

 私の母が百歳過ぎて、「生きているのに飽いた」と言って入院した時、絶食点滴で一夜にして辱床になりました。すぐにこの家伝薬を綿花に塗布して患部に貼りました。
 ある夜中、母が「痛い、痛い、痛い」というので見ると、若いい看護士が、差し込み式おまるの取っ手の方をおオシリの下へ手荒くねじ込んでいるところでした。思わ
ず大きな声で言いました。「反対や! 差し込む方と持ち手もわかりませんかッ。産婦人科へ行って教えて貰いなさい」と。
 翌日「退院します」とドクターに言いました
が、なかなか許可はして貰えませんでした。キリスト教のホスピタルへ電話で相談すると、「ドクターには黙って、すぐに連れて来られた方がいいでしょう」ということ
でした。でも姉は、「そういうわけにはいかない」と、ドクターの許可を待ちました。母は、家に帰って三日目に自分のベッドで亡くなりました。
 いまでもあの時の、当直看護士の間抜けた顔はよく思い出します。


 病院で、「痛い」「苦しい」と言いながら亡くなる人は、ほんとうにお気の毒です。ご冥福、お祈り致します。
 あなたが、死んだ方がましというぐらい「痛い」「苦しい」ときは、私に教えてください。