たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

契約ルールの基礎 <民法改正案 契約ルール大幅見直し 今国会成立へ>を読んで

2017-04-13 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170413 契約ルールの基礎 <民法改正案契約ルール大幅見直し 今国会成立へ>を読んで

 

昨夜は満月の光を受けて寝床もなんとも明るく、蛍の光といった感じで読書も出来たかもしれません。でもバタン休?でねむってしまいました。今朝は生ゴミコンポストの中に、落ち葉をたくさん入れ込んだり、剪定した枝条を少し小さめにして突っ込んだり、コンポストづくりに励みました。

 

春もおぼろでしょうか、いや訂正。月もおぼろでした。お嬢吉三の名台詞、「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空」に続いて、おとせという夜鷹から、百両の金を奪ったことから、「こいつぁ春から縁起がいいわえ」という立て板に水の調子はなんど聞いてもいい気分にしてくれます。が、話の内容はなんとも身勝手などうしようもないもの。

 

それでも歌舞伎の演目でも人気の一場面なのはなぜでしょう。歌舞伎座で観劇すると特に印象に残る舞台になる不思議・・・作者・河竹黙阿弥が生きた江戸末期から明治中期ころまで、世相は複雑・混沌としていたのでしょう。その時代背景にこのような芝居、その台詞が受けたのでしょうか。

 

現行民法が成立したのが明治29年、河竹黙阿弥が明治26年に死亡ですから、明治23年成立の旧民法の時代に晩年を送っていたことになりますね。明治政府は長い論争を経て、一旦、フランス法典を模範とする旧民法ができたものの、ドイツ民法典に依拠する現行民法に取って変わってしまいました。その内容の是非はともかく、長い歴史をたどった現行民法も、ようやく今回大改正の運びとなりました。

 

なんとなくお嬢吉三を登場させたのは、西欧式の文明開化を急いだ明治政府ですが、それまでの取引や社会の秩序はどうだったのでしょう。明治に入っても、それ以前の江戸期、さらに遡れば律令制度以来、ほとんど取引に係わる法令といった具体的なものがなかったのではないかと思っています。では未開の社会だったのか、そうではないでしょう。英米法もまた法典がないけども、慣習法というコモンローが秩序を維持する役割を果たしていました。チェールズ・ディケンズの小説などでは、弁護士が登場し、裁判も取り上げら得ていますが、コモンローという基準で裁判が行われ、それが判例法となって取引秩序を維持していてきたのでしょう。

 

とはいえ、当時の弁護士はというと、平気で嘘をいう、虚偽の証言をさせるといったことが平気で行われていたかのように、ディケンズは表現していますが、実のところはよく分かりません。

 

他方、わが国はというと、むろん日本書紀の中で、厩戸皇子による17条憲法には百姓による訴訟が増えていること、役人は朝早くに出て仕事に励まないと訴訟案件が溜まってしまうと警告しています。長い民事紛争と裁判の歴史があるわけです。源頼朝も紛争解決機能を期待され、武士の棟梁に祭り上げられたとも言われています。

 

江戸時代に入ると、訴訟手続きが次第に整備し、時代劇などでも取り上げられるようになりましたが、裁判の審理のために訴訟する当事者が宿泊する公事宿ができ、その手続きを代理するような代言人という、弁護士の元になったとも言われる職業も出現するようになったわけですね。

 

江戸時代の訴訟は限られていましたが、それでも相当数があったようです。すでに裁判例をあつかった書籍もかなり出版されています。といっても取引社会自体がそれほど発達していなかったこともあり、取引秩序をめぐる裁判はほとんどなかったのではないかと思うのです。

 

紛争がなかったわけではないと思いますが、取引当事者双方が信頼と誠実さを基本においていたのではないか、そのため大きな紛争にはなりにくい状況であったように思うのです。商売人というか、商いというのは信頼が一番というのが近江商人、上方証人、富山の薬売りなど、いずれもそういった観念が支配していたのではないかと思うのです。

 

と長々と前置きを書いてしまいましたが、そろそろ飽きる頃でしょうから、本題の民法大改正(民法の一部を改正する法律案要綱)に話題を転じたいと思います。

 

この改正案は、日弁連も意見書でおおむね賛同しており、私自身ほとんど勉強していませんが、同じような意見です。

 

意思能力や、消滅時効、保証人、約款、敷金などの規定は明示することでより合理的になったと思いますし、その他詐害行為取消権や債権者代位権、根抵当権など、法律要件の整備をしてわかりやすくなっていると評価されています。

 

とはいえ、日弁連意見書でも指摘されているように、取引社会における個人保証に依存する信用供与側のスタンスが依然変わっていない状況は、合理的な取引のあり方、事業に対する収益性をいかに見込むかと言った本来あるべき取引秩序への舵をきったとは到底いえないでしょう。保証人の意思を公証人によって厳格に確認することになった改正案は、それ自体は望ましい改正です。しかし、信用供与のあり方、金融機関などの審査機能のあり方や、新規事業に対する見通しをしっかり読み込み、融資するといった本来企業として望まれる能力が、保証人や担保不動産の価値だけに頼ることで、ますます劣化するおそれがあります。

 

渋沢栄一が株式会社制度を、そして銀行制度を作っていったのは、資産のある個人保証に頼るような事業では将来性がないことを暗に示唆していたのではないでしょうか。

 

今日はたまに早く終わらそうかと思っていますので、ほぼ一時間経過したことから、中途半端ですが、この辺で終わりとします。関心のある方は日弁連意見書をご覧下さい。