たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

動物園と法律 <動物園とは何か 法学の視点から考える>を読んで

2017-04-22 | 自然生態系との関わり方

170422 動物園と法律 <動物園とは何か 法学の視点から考える>を読んで

 

今朝の早暁は曇り空でどうなるかと思っていたら、どんどん青空が広がり、おかげで汚れたベランダの床掃除にはちょうどよかったものの、太陽の光が熱く感じるほどでした。

 

それでも早朝は涼しいというか寒いくらいで、その中を今日も一筆啓上・・を高らかに謳っています。そのホオジロがヒノキのてっぺん、穂先の上でまるでダンスをしながら謳っているようなので、100倍ズームのビデオカメラでのぞきました。もう10年近く前のカメラなので画素数も最近の物とは比べようもないほどで、やはりぼけて見えます。とはいえ、30mくらいしか離れていないので、ホオジロの鳴きながら頭を体を揺らしている様ははっきり見えます。なんともかわいらしいものです。

 

昨日は久しぶりに昔の仲間Hさんから電話があり、相変わらず水質浄化に係わる(そんなレベルではないのですが、あまり一般受けしない言葉なので今回は直截な表現は避けておきます)研究をしているそうです。私の方はこのブログ三昧で日々を送っていることを伝えました。読み人知らず、というか読んでくれる人がいればそれはありがたいですものの、これはなんども書いていますが、私のエンディングノートで、いまは親のやることに関心を抱かないわが子がいつか興味を持ったとき、私が唯一残す物としての意味合いをもっているかなとHさんにも話しました。実際のところそれは余禄であって、やはり千日回峰行はできないけど、それにあやかるというか、そんな毎日を送る気持ちで書いています。

 

だから一人黙々と書くことに意味があるのかなと思っています。酒井大阿闍梨も、誰が見ていようがいまいが関係なく、歩くことにのみ集中していたからこそ、生死の狭間を行き来しながらも達成できたのでしょう。私の場合は生死の狭間とは縁のない状況で、ただ、書くことによって、自我を没却できるのではと半分期待しつつ、書いています。

 

さて、本題に移りたいと思います。先般、学芸員を一掃すべしといった暴言・虚言を批判的に取り上げた際、私もいい加減な理解で、批判的な言辞を述べてしまったことを反省する意味で、とりあげようかと思った次第です。

 

そのとき、博物館法に学芸員が有能な資格者として規定されていることを指摘しつつ、同法で動物園・水族館・植物園なども対象となっていること、そして上野動物園など著名な動物園・水族館の一部を取り上げて、創意工夫を繰り返しながら運営していること、それが学芸員の活躍もその重要な要素であるといった趣旨の指摘をしたかと思います(振り返って読むことはほとんどないので記憶です)。

 

しかし、博物館法はたしかに動物園・水族館などをも対象としているというか、対象から除外していないのですが、明示的に取り上げていないだけでなく、まず同法の対象になるのは登録していることが前提です。私が取り上げたいずれも著名ですし、大規模な施設ですので、登録しているものと錯覚していました。しかし登録されていませんでした。

 

このことは、今日、久しぶりに「環境と正義」という機関誌を読んで、気づいたのです。これは私が所属している日本環境法律家連盟が毎月発刊している環境関連の情報誌といってよいかと思います。大学の教師から弁護士、環境に係わる運動家、ジャーナリストなど多様な筆者によるオリジナルな情報が毎回盛りだくさんです。最近はどうも気分が乗らず、あまり読むことがなくなってきたのですが、つい目を通して、動物園のテーマに惹かれてしまったのです。

 

筆者は諸坂佐利(神奈川大学法学部)氏で、タイトルは「動物園法学事始め 第一回 動物園とは何か 法学の視点から考える」というものです。諸坂氏によると、「現在登録されている動物園は唯一、日本モンキーセンターのみです。」私が何度もいったことのある井の頭、上の、ズーラシアですら、登録されていないのです。先のブログで引用したすべてが登録されていないようです(諸坂氏は動物園のみをとりあげていますが、水族館も同様と思います)。

 

では、博物館法は、動物園や水族館を対象としていないのでしょうか。いやいやちゃんと登録審査基準を設けています。旧文部省が昭和27年に「博物館の登録審査基準要項について」と題する通達で、上記を含め多様な施設を登録の対象としていることが分かります。でも結局、登録してこなかったのですね。その理由は、次の諸坂氏の論文で言及されるのではないかと期待しています。

 

では動物園には法的根拠がないのか、法的規制はないのかというと、いくつか関係する法律が諸橋氏によって指摘されています。まず動物愛護管理法です。といってもこの法律は私も紀州犬による咬傷事件で少し勉強しましたが、ピットなど多様な動物が対象で、動物園プロパーとはいえません。

 

諸坂氏は、動物愛護管理法の「愛護」という表記について、英訳では”the Act on Welfare and Management of Animals”とされていることから、明らかな誤訳ではないかと指摘しています。そのうえで、「動物福祉とは、その動物“種”「にとって何が福祉(=幸福)か。その種の本能や習性、食性、棲息環境を客観的に、すなわち科学の目をもって研究することを前提とした議論です。」とまず前提を指摘します。ここから「昨今の日本の動物園・水族館に対する海外からのバッシング、たとえばイルカ問題(和歌山県太地町立くじらの博物館)やゾウの花子の飼育環境問題(井の頭自然文化園)は、ここに元凶があるように考えています。」と指摘しています。

 

私自身、四半世紀前、日本生協の研究会で、捕鯨問題などについて、生態学者や獣医学者などと議論する機会があり、いまなお伝統的な狩猟採取方式を継承する日本の地域文化的価値と生物種の保護の面とをいかに両立するべきかについて結論が出ていません。その直後頃からカナダ北極圏の先住民イヌイットの人たちに会い、狩猟制限されて、銃をもたなくなったとか、酒におぼれて体を壊してしまったとか、そういう現状を垣間見たとき、どのような伝統と生物種の保護の調和的解決が可能か、今なお悩ましい問題だと思っています。

 

諸坂氏は、上記以外に、動物園に係わる法律として、都市公園法や自然公園法を取り上げています。しかし、いずれも施設を規制する趣旨であって、諸坂氏が指摘するように、動物園のソフトローという重要な部分が抜け落ちています。いや、自然公園法ではより事業計画などで本来の対象である自然と溶け込めるような動物園施設管理が可能ではないかと思うのですが、環境省にはそのような視点がないのでしょうか。都市公園法についても、現在では画一的な施設整備、広場整備といったものから、たとえばドイツの都市公園のごとく自然林を含め自然を取り込んだ公園形態を認める方向もあるのですから、運用次第で、動物園を取り込んで新たな管理ルールを設けることも可能ではないかと思うのです。

 

そのような法律の世界とは別に、諸坂氏は、公益社団法人日本動物園水族館(JAZA)のホームページにある動物園の4つの役割を援用しながら、ハード・ソフトを備えた国立動物園といった制度が必要であると述べているのかと思います。JAZA加盟の園が90で、全体の5分の1に満たず、その9割が自治体の公立動物園であるとのこと。それが問題のようですが、国立動物園を必要とする趣旨はわからなくもないのですが、公立だと問題であるかのような議論はまだ釈然としません。

 

むろん諸坂氏が指摘している札幌市立円山動物園で発生した「マレーグマ ウッチーの死亡事故」やそれ以前から繰り返し起こっている各種の死亡事故は非常事態といってよいと思いますので、きちんとした対応が求められるところでしょう。とはいえ、自治体立動物園だから、民間の動物園だから、問題が起こるということや、管理に限界があるというのは、一面ではそういえるかもしれませんが、それぞれの特徴や地域特性を生かすことも大事であり、国による管理が必要とまではいえないように思うのは、実態を知らないためでしょうか。今後の諸坂氏の立論を期待したいと思います。

 

なお、札幌市は上記マレーグマ事件について、動物愛護管理法に基づき、改善勧告を発出し、それに対して動物園側は改善計画書を提出しています。その妥当性については、ウェブ情報では概要にすぎないので、あまり当否を論ずることが出来ないのは残念です。