170420 自律と専門的知見 <続・マンション漂流/1 修繕費+リベート=積立金 つけこむコンサル>を読んで
今朝は目覚めると青空から光りが降り注いできました。外を見ると、ツバメが何羽か麗しいワルツでも踊っているかのように青空を舞台に流れるように飛んでいったかと思うとクルッと回転して別方向に飛翔しています。
そういえば病床生活の長かった子規ですが、結構ツバメの句があるんですね。あの華麗な飛翔にあこがれたのでしょうか。自分もそうありたいと思ったのでしょうか。明治22年から34年まで膨大なツバメの句を残しています。以下の句で、明治22年喀血して初めて子規と名乗った以降の6段までと、28年に喀血して重態になった年の「我床・・・」以降とでなにか違うような気がするのは思い過ごしでしょうか。終焉の地、根岸でもやはりツバメを活写しています。
つきあたるまで一いきに燕哉
春雨やよその燕のぬれてくる
大仏を取て返すや燕
あら海や燕ゆらるゝ椀の上
馬の尾やひらりとかはす乙鳥(ツバメの別称)
燕の家尋ぬるや桃の花
我床を出る時燕室に入る
逢阪の山を越え行く燕哉
燕や根岸の町の幾曲り
さてもう5時を過ぎていますので、本題に入りたいと思います。マンションと言えば、その価値はどこでみるかというと、最初はどうしても自宅という専有部分の広さ、設備、眺望といった区分所有権の対象に着目しがちでしょう。しかし、マンション住まいに慣れた人なら、その管理がどうか修繕積立金がどうかといった共用部分の管理がしっかりしているかについてもより着目するようになるかもしれません。
私自身、35年以上前にマンション管理をめぐる事件を取り扱い、地裁、高裁、最高裁くらいまで争いましたか、しばらく管理のあり方が頭の中から離れない時期がありました。相手方の代理人は優秀な先輩で、厳しい議論をやり合い、いろんな面でいい勉強になりました。しかし、それから20数年ほとんどマンション管理の問題から離れていて、昨年久しぶりに取り扱うようになり、少し注目するようになりました。
見出しの記事、マンション管理のコンサルが問題にされています。そもそもマンションは見知らぬ人が集合して居住する共同住宅ですが、マンションが出始めた頃、昭和40年代は50戸くらいの小規模が多かったように思います。それがどんどん高層化し、しかも一棟ではく、それが複数、場合によって10棟以上といった集合体となると、管理する組織、管理組合はよほどがんばらないと機能不全に陥りかねません。
そもそもマンションに入居希望するような人は生活の場で管理組合のような組織に入って全体の管理に携わることをあまり好まない人が多かったと思います。しかし、マンションは日常的な管理がどのくらい適切になされているかで利便性・快適性が変わってきますし、当然マンションの価値にも影響します。とりわけ大規模修繕といった長期的な計画を要する問題は、管理組合にとっては大変重い負担になるでしょう。
そんなとき、専門的な知見をもった人がマンション管理組合の立場でアドバイスしてくれたり、さらに具体的な計画の立案、業者選択、施工管理にまで目を配ってくれれば、助かるでしょう。そこにマンション・コンサルタントの必要性・有益性があるのでしょう。
しかし、コンサルを全面的に信頼したり、依存すること、かえって問題が生じることになりかねないのは、別にマンション・コンサルに限らないと思います。弁護士・税理士・公認会計士など国家資格があるからといって、その専門的知見に全面的に委ねるようなことはおかしな結果になるリスクもありえます。むろんマンション・コンサルの場合、管理組合は委任者であるとともに、多数の区分所有者の利益を代表しているのですから、その利益がきちんと図られているか、自らの判断でチェックする必要が高いというべきです。株式会社で言えば、取締役の忠実義務といったものに類似する注意義務が求められるでしょう(むろん無報酬でしょうから取締役のように有償であるのと同じには扱えませんが)。
とはいえ、毎日記事の例はひどいですね。<約2年前、初の大規模修繕を控えた埼玉県の高層マンション。コンサルタントが管理組合に示した工事の概算額は、住民がためた修繕積立金とほぼ同じ4億円だった。「積立金を使い切ろうとしているのでは」。修繕委員長の40代の男性は不信感を覚えた。
東京の設計事務所をコンサルに選んだ決め手は、他社の3分の2というコンサル料の安さだった。仕事も丁寧だった。担当者は会社の規模や実績など自ら決めた「条件」で応募業者を約10社に絞り、こう言った。「見積額は各社とも概算とほぼ同じになるでしょう」
談合ではないのか。管理組合で話し合い、「別の業者からも見積もりを取る」とコンサルに告げた。応募条件ではじかれた旧知の地元業者と比べるためだ。すると、コンサルから内容証明郵便が届いた。「当社の関与なく施工業者を選定するなら、今後の業務は辞退させていただく」
別のコンサルが教えてくれた。「逃げたのはリベートを取れなくなるから。倍近い規模のマンションでも3億円余りでできた」。修繕委員たちは顔を見合わせた。「いくらリベートを取るつもりだったんだ」。コンサルを代え、来年に実施予定の大規模修繕は約2億円で済みそうだという。>
上記の記事のように、最近の管理組合の役員の人たちは、過去の経験を踏まえて、ずいぶん慎重になっているのと、ウェブ情報でさまざまな問題情報を入手して、検討するようになり、悪質なコンサルによる被害を回避する場合が増えているかもしれません。
とはいえ、コンサルに任せてしまったり、管理業務を委託している管理業者(通常、管理業務主任者がいて、相当程度のマンション管理の知見をもっていますし、さらにマンション管理士という国家資格をもつマンション・コンサルタントになっている人もいるでしょう)に一任するのでは、管理組合の理事会としては適切な管理を行ったとはいえないでしょう。
以前も紹介したと思いますが、昨年3月、国交省は「マンションの管理の適正化に関する指針」を見直し、より適正な管理を求める趣旨を明らかにしています。
残念ながら、この方針だけでは、まだ具体的実効的な適正な管理のあり方を示したとまではいえないように思うのです。その意味で、管理組合としては、この方針に則り、より実践的な管理手法を具体化しないと、悪質なコンサルの横行を阻止できないおそれがあります。
マンション管理、とりわけ大修繕といったことについては、専門的な知見が不可欠ですが、だからといって、たとえばコンサルが具体的な工事費用や入札方式を提案したとき、そこに合理的な説明がなければ、それは信頼するに値しないとみるべきでしょう。むろん個々のマンション毎に、修繕の要否、その程度は異なるでしょうし、それぞれ専門的知見が必要ですが、適切な競争入札などにより、相対比較できるデータを提示してもらうことなどにより、素人でも理解できるようにするのが、コンサルト役割ではないかと思うのです。
専門家の言うことだから、任しておけでは、信頼に値しないのです。業者からリベートをとるなどといったことは言語道断です。そこまでひどくなくても、業者選定において、適切な修繕費用の明細が提示されていなかったり、修繕の必要性について合理的な説明がなされていないような場合など、コンサルの意味をなさないでしょう。コンサルはある種のインタープリターでもあるわけだと思うのです。
これは弁護士なども同じです。依頼を受けた仕事をするのに、どのような問題があり、どのような方針で行うかについて、依頼者に説明し理解してもらいながら業務を進めることが信頼の基礎ですし、専門家として求められる業務の中核だと思うのです。マンション管理士とか、マンション・コンサルタントといわれる専門家は、信頼を得るための情報提供を納得してもらえるまで行うのでなければ、その国家資格なりが絵に描いた餅になりかねないと思うのです。これは弁護士も同じですが。
天に唾するような話しにもなってきたかもしれませんが、私としてはできるだけそうありたいと思いますし、専門家と言われるそれぞれの分野の人は心すべきではないかと思うのです。記事で問題にされているリベートは論外です。
そしてコンサルに依頼する管理組合も、最終責任は自分たちですから、自らの判断で理解できるまで、また区分所有者の理解を得ることが出来るかの合理的な基準で、判断する必要があると思うのです。毎日記事の管理組合の方はしっかりした対応をされたと思いますが、そうあるべきであり、国交省の指針もそのような方向性を示していると思うのです。