たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

学芸員を考える <山本地方創生担当相 「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

2017-04-17 | 日本文化 観光 施設 ガイド

170417 学芸員を考える <山本地方創生担当相「がんは学芸員」発言を撤回>を読んで

 

今朝は異様な空模様です。雲の動きが活発で見事な墨絵の世界を描いたかと思いきや荒れ狂う荒らしのようにも見えてきます。それでも一筆啓上・・・のホオジロが高らかに歌っています。そうかと思えば色鮮やかなジョウビタキのつがいがうれしそうに飛び交っています。ラジオから流れる天気予報は雷雨、豪雨のおそれということで、つい雨戸を閉めることにしました。私はあまり雨戸を閉めるのが好きではなく、雨が降る様子を眺めるのが好きです。歌川広重の東海道五十三次・庄野宿・白雨のような風景を眺めるのが好きです。が、留守の時は何が起こるか分からないので、台風並みの豪雨であれば雨戸もやむなしでしょうか。

 

昨日たしか、わが家の擁壁降りをチャレンジする話しをしたと思います。ロープを持ってきて、擁壁を見たのですが、どうもぶり縄用のロープが身近すぎるようで、継ぎ足してはみたものの、途中で引っかかっては大変と思い、断念しました。というか、庭いじりで疲労困憊していたため、それだけの体力も残っていないことが主たる理由かもしれません。いや、別理由でしょうか。

 

ロバート・ダウニー・Jrが演じる新しいスタイルの映画シャーロック・ホームズで、相手の攻撃に対しどう対応するかをシミュレーションするのを、この擁壁降りもロープを使ってシミュレーションしてみましたが、どうも降りるのはなんとかいけそうなんですが、登るときがイメージできません。これは大変。登るときのロープの動きが見えてこないのです。これは少し時間がかかりそうです。そんないろいろの理由を繰り出して、一時断念を自分で弁解しています。

 

さて今日は内容証明一本といくつか仕事をさばいて、少し余裕があったので床屋にも行き、来客を待つ間に、少しブログ書きを始めています。そろそろ今日の本題に入ろうかと思います。

 

驚きましたね。昨日私が学芸員の方々たちの活躍をたまたま取り上げたら、その学芸員をガン呼ばわりして、一掃する必要があるとまでのたまう大臣が出てきました。すぐ撤回したそうですが、なんとも恥ずかしい話しです。

 

とはいえ、私も学芸員の方とはさほど話した経験があるわけではなく、仕事ではたぶんなかったように思います。趣味の世界では時折話しを伺う程度ですので、私もその実態を知っているわけではありません。

 

さて、毎日16日記事<インバウンド山本地方創生相「学芸員はがん。一掃を」>では、<山本幸三地方創生担当相(衆院福岡10区)は16日、大津市での講演後、観光やインバウンド(訪日外国人)による地方創生に関する質疑で、「一番のがんは文化学芸員だ。観光マインドが全く無く、一掃しないとだめだ」と述べた。>と報じられています。そして<【動画で見る】山本地方創生相の発言>では、京都・二条城での対応を取り上げてやり玉にしています。

 

しかし、<現場の学芸員「事実誤認」「理解ない」>では、<山本氏は二条城について「文化財のルールで火も水も使えない。花が生けられない、お茶もできない」などと発言。>に対し、<管理する元離宮二条城事務所の久野育・総務課長は「基本的にかなりの事実誤認があると思う」と首をかしげる。

 昨年10月のイベントでは国宝・二の丸御殿の大広間や黒書院などで能や生け花が実演されており、久野課長は「そもそも担当相が二条城に来られたわけでもなく、さまざまな報告を読んで勝手に間違ったイメージを作っているのでは」と疑問を呈した。>とのことで、そのとおりでしょう。

 

インバウンドはたしかにその意識が必要でしょうが、それは学芸員のみを問題にする話しではないでしょうし、そもそも学芸員の活動実態という事実をよく認識した上で、担当大臣として発言すべきでしょう。

 

そもそも山本大臣は、いま人気のNHK番組「ブラタモリ」を見たことがあるのでしょうか。この番組の面白さはタモリの博識と女性アナのとんちんかんな応答を絶妙に組み合わせている点もそうですが、やはり学芸員の演出力や知見によっている部分が大きいと思います。

 

また、昨日紹介しておりますが、文化財レスキューといった活動だけではありません。学芸員の方々のボランティア活動もさまざまな場面で見られます。私もいろいろな深みのある蘊蓄を吐露していただき参考にさせてもらうことが少なくありません。

 

そして毎日記事でも指摘されていますが、学芸員は博物館法で登録博物館では必須の職員とされています。

 

同法4条の当該規定を援用します。

「3  博物館に、専門的職員として学芸員を置く。

 学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる。」

 

そして博物館法にいう「博物館」は狭義の博物館だけではなく、とっても広範囲なのです。美術館・天文台・科学館・動物園・水族館・植物園なども含まれます。

 

博物館法2条に「博物館」の定義規定があります。

 

「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、

その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(中略)のうち、

地方公共団体(中略)が設置するもので、・・・登録されたもの」とされています。

 

「歴史、芸術、民族、産業、自然科学等」が対象ですから、とても広いのです。しかも「教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し」ですから、パブリックユースを本来目的にしています。しかも「レクリエーション等に資する」ことも重要な目的となっているのですから、本来、インバウンドと相容れないような利用方法になるはずがありません。

 

むろん、中には「調査研究」を追求してそれに固執する学芸員もいるかもしれません。しかし、それも時代の要請により、重点の置き方が変わる程度の話しであり、あるいは、いままで重視されていなかった演出の仕方もこれからう「創出」されるかもしれません。

 

繰り返しますが、動物園や水族館、植物園も博物館なのです。そこに所属する職員が学芸員というわけではありませんが、学芸員の深い教養と専門的知見が最近はやりの見事なエンターテインメントの舞台形成にも役立っているはずです。私も子どもが幼い頃、よく通ったところですが、大人も子どもも楽しめるようにさまざまな演出・工夫がされてきたように思います。上野動物園、旭山動物園、品川水族館、沖縄美ら海水族館などなど、あげればきりがありません。

 

それぞれの博物館も、年々歳々同じようなことを繰り返してきたのではなく、脱皮の繰り返しであり、破綻状態から学芸員を含む多数のスタッフによる創意工夫で誰にも好かれるような博物館に這い上がってきたところも少なくないのは、TVなどで紹介されています。

 

最後に、これは学芸員プロパーではないですが、たまたま昨夜見た<NHKスペシャル 熊本城再建“サムライの英知”を未来へ>を見ての感想を付け加えたいと思います。

 

熊本地震で崩壊寸前になった熊本城の石垣の映像は、何度見ても驚嘆に値します。一列の石垣だけで上の城郭を支えている姿にはほれぼれします。そしてこの番組では、その石垣の叡智に迫ります。それは歴史家、地盤工学、城郭研究など各界の専門家が集まり、石垣の全体形状、石垣一つ一つまで分析しつつ、謎の秘密を追求するのです。

 

そもそも反り返った石垣の形状については、兵士が上れないようにという軍事目的であったというのが一般的な理解だったと思います。しかし、この調査の結果、耐震性のための科学的知見に基づいた合理的なものであったことが推認されました。現代でも難しい数式でその石垣の形状が構成されていたのです。三角形の高さを上に上がるほど低くしていくことにより、耐震性が強化されるというのです。

 

さてこれを考えたのが築城の名手といわれる加藤清正とのこと。「サムライの英知」だとして番組はその経緯をも探ります。築城が1599年。清正は、朝鮮出兵のとき、1593年に韓国ウレサン市にあるソセンボ倭城を築城していますが、その石垣の形状は直線的なもので、耐震性の点では従来通りのものとして劣ります。番組ではこの間の6年になにがあったかを探り、1596年に起こった慶長伏見地震を取り上げ、そのとき伏見城が全壊したことから、清正が反り返り構造を発見したというのです。

 

さてさてここは私自身、まだ合点がいきません。そもそもなぜ清正なのか。彼は賤ヶ岳の七本槍の一人で、腕に自信があったことは確かでしょうが、では築城の技術はどこで得たものでしょうか。そこはいまのところ私自身理解できていません。いや、私自身は、ほんとうの発明者は石積み技術をもつ専門家ではないかと思っています。いわば企業内研究者のようなもので、実際は研究者、あるいは研究チームが発見したが、企業が特許権を持つといったようなものではないかと思うのです。そして当時は企業に代わって、武家集団のトップであり、大名となった清正が築城の名手という特許権を獲得したのではないかと愚考しています。

 

では、その技術者ないしはその集団はどんな人たちかです。私は、紀元前から長い築城経験をもつ朝鮮の技術者集団が日本の技術者集団と協力して、台湾企業とシャープのように、創造的発展をして、新たな築城技術を生み出したのではないかと想像しています。いまは何の根拠もありませんが、当時、朝鮮から大勢の技術者が強制的にわが国連れてこられ、九州各地で新たな文化を生み出していますが、築城においても似たようなことがあったのではと推測するのです。

 

学芸員の話から脱線しましたが、途中、来客対応をしたこともあり、2時間を優にオーバーしました。まとまりがないのはいつもの通りですが、なにか忘れ物をしたように思いつつ、それなりに満足して今日は終わりにします。