たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

2017-04-16 | 災害と事前・事後

170416 埋もれた文化の助っ人たち <災害と文化財 77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>を読んで

 

昨日は天候の乱れに油断しました。春うららかな日和と思って洗濯物を珍しく外の干しで出かけていました。夕立ほどではないですが、雲行きが怪しくなったと思ったら、突風が吹き、細かな雨が落ちてきました。案の定、無残に乾いていたはずの干し物がびっしょりでした。これも天運ですから、と昔の人の心意気で受け入れることで心も安らかになります。

 

今日はほんとに穏やかな一日のようで、もうNHK囲碁トーナメントも終わりのんびり状態です。趙治勲名誉名人が負け戦をまるで関ヶ原の薩摩軍のごとく堂々と四目半で終着。午前中は庭いじりをして、また花の苗を100近く買ってきては植えて、少しは花園?に近づいてきたとまでは思いませんが、気分転換にはちょうどいい作業です。

 

庭いじりしていて気づいたのですが、庭の背後の斜面は高さが7mはありそうで、勾配も70度以上に見えます。間知擁壁ではないかと思うのですが、首都圏の政令都市などで制定している、最近の宅地造成法などの擁壁構造基準だと、高さが5m以下で勾配が65度以下となっているかと思うので、地方だから、あるいは古い時代だから、OKだったのでしょうか。それはともかく、その擁壁底部には枯れ草が伸び放題です。咄嗟にこの擁壁を降りてみようかと考えるところが私らしいところです。

 

私はカヌーイストの端くれですので、川を見るとどうやってカヌーで下ろうかとか、つい思ってしまいますし、海に出ればあの島の周りシーカヤックでのんびり回ってみたいとも思うのです。そして沢登りストというのはないでしょうが、崖を見るとどうやって登ろうかと思うのと同時に、どうやって降りようかとも思うのです。

 

昔、40年以上前、ダム開発調査のお手伝いをするアルバイトをしたことがあり、これは大変な作業でしたが、とてもいい経験になりました(今はダム開発反対の立場で動いているのですから不思議なものです)。そのとき、だれが言い出したのか、消防士の経験者がいたのか、ある高さ5mないし10m(このあたりの記憶はありません)のコンクリート擁壁をロープで降りる練習をしようという話になり、私も参加して、そのときはできた記憶です。そのときのアドバイスは、壁に直角に脚を向け、体は脚と直角に曲げるということでした。

 

それで今はやりのウェブ情報を探ってみたのですが、海兵隊からフリークライミングまでいろいろな情報がありました。しかし、最近の登山道具を使ったもので、ロープだけを頼りにするものは見当たりませんでした。これはやるしかないと、枝打ちように使っているぶり縄のロープを用意して、この後か明日でも挑戦してみようかと思います。失敗したら大けがもありうるので、そうしたら、このブログもしばらくお休みになるかもしれません。とはいえ、私もそれなりに慎重なところもあり、年寄りの冷や水と言われないように、危ないと思ったら辞めます。途中で引き返せないので、要は降り出しの瞬間が判断の分かれ目です。この成否は明日?でも報告しましょう。

 

さて、ここまで書くのに一時間近くを要したようです。実は我孫子の女児殺害事件について、容疑者が保護会会長で児童たちを見回る前線にいた人ということから、安全のあり方、リスクへの対処について書いてみようかと悩んでいました。ただ、この件は当分の間報道されるでしょうから、別の機会に譲りたいと思います。

 

で、時にはいい話をと思い、毎日記者・稲生陽氏が和歌山版で、連載している途中ですが、見出しのテーマを取り上げたいと思います。

 

わが国は自然豊かな国土をもっているとつくづく思うと同時に、各地で災害が頻繁に起こることも外国で生活していた経験から痛感します。首都圏で暮らしていると、とくに軟弱地盤の上で暮らしていたこともあり、頻繁に地震の揺れが襲ってきて不安な思いをしていました。カナダで滞在していた頃は、寒さは厳しいものの、地震や津波といった災害の危険をまったくといってよいほど感じたことがありませんでした。

 

そして災害が起きると、障害のある人たち、病気を抱えた人たちは、その他変化に対応することが苦手な人たちは災害弱者とでも評されましょうか、一般の人以上に大変な思いをされるでしょう。それでも最近はようやくこういった災害弱者に対する対応が徐々に整備される方向に一歩前進といったところでしょうか。

 

これに反し、物言わぬ、というか自ら救済を求めることが出来ない物の場合(生物もそうですが、ここでは物に限定)、救済する意識を私たちが抱かないと、埋もれたままというか、災害まではなんとか長い風雪を耐えて存在し続けてきたのに、災害によって存在したことすら分からないまま、自然と一体となるというといいですが、現実には消滅してしまうことが少なくないのが現状ではないかと思うのです。

 

文化はいろいろな物に体現されています。古文書や仏像、生活道具などなど。それらが解読、解析されることにより豊かな文化の営みを知ることができ、私たちの心の豊かさを育んでくれることも少なくないでしょう。

 

ところが、その豊かな価値に気づかなかったり、信仰の対象とか自分の物だからとかの理由で特定の人や団体だけの世界の中にあると、災害時救済されないおそれがあります。

 

毎日記事<研究者らがレスキュー 歴史の痕跡、後世に>によると、このような文化的危機の状況にいち早く気づき、文化財保全に立ち上がったのが<藤本清二郎・和歌山大名誉教授(76)=近世史=>です。藤本氏は、2011年9月の紀伊半島豪雨災害のとき、<発生5日後の同月9日、自ら呼び掛けて、博物館の学芸員や大学教員、歴史ファン、一般市民らとボランティア団体「歴史資料保全ネット・わかやま」を設立し、「文化財レスキュー」に着手した。>そうです。

 

「文化財レスキュー」というネーミングは、なかなかいい感じですが、文化財のみを対象としているわけではないそうです。文化財に指定されていれば、行政的には一定の対応が可能でしょうし、保全措置も予防的に行われてきたと思います。むしろ文化財に指定されていない多くの個人や地域の歴史・生活・文化を刻んでいる物こそ、埋もれた遺産ではないでしょうか。それらをも対象とするレスキューだからこそ、余計大変ですし、事前対策が必要となるでしょう。

 

藤本氏は、<「文化財は人間が生きた痕跡だ。可能な限り残していくことが文化の豊かさを生む」>と語っています。誠にその通りだと思うのです。

 

連載2段目<散逸する「地域の宝」 生活道具、混乱で誤廃棄>で指摘されている<「古文書は古くて汚いから燃やしたなどというケースが多い」。>というのも分かります。まだ蔵の中にねむっているときはともかく、災害で泥にまみれたり、かび臭くなったりしたら、それだけで要らない物になってしまうでしょう。

 

私自身、生兵法で古文書を少しずつ読んでいますが、とても大変です。たいした内容ではないですが、江戸期の譲渡書などであることが分かると、歴史教科書の見方が生々しく変わってきます。田畑永代売買禁止令をもって江戸幕府による土地譲渡禁止を金科玉条のごとくとらえて、所有権を完全に否定し、他方で、明治政府による西欧文化導入を通じて、地租改正によって地主の所有権を認めたとか、明治民法によって近代所有権が確立したとか、といった見方の一面性を感じることが出来ます。土地の譲渡書は、江戸時代を通じて相当流布していたと思うのです。それを地方の百姓たちが普通に取り交わしていたことが鮮明に映し出されるのです。

 

さて話を戻します。<紀伊半島豪雨の際、泥水につかった文書を保全・補修する「文化財レスキュー」に中心的に関わった県立文書館の藤(とう)隆宏・文書専門員(43)>さんの言葉も重要です。<古文書は行政の文化財指定を受けていないものが大半で、災害時にはさらなる散逸が懸念される。藤さんは「行政の目が届きにくい未指定の文化財をどう守るかが文化保護の大きな課題となる」と対応の必要性を訴えている。>

 

見出しの毎日記事<77施設でネットワーク 収蔵品保全へ情報共有>では、上記の「歴史資料保全ネット・わかやま」とは別個の組織として、<「博物館や美術館は災害に遭った場合、早めに所蔵品の救助を要請して『助けられ上手』になろう。日ごろから連絡を取り合い、危機感が薄れないように努めてほしい」 >との考えで、<県内の博物館、図書館、歴史民俗資料館、各市町村教委などが参加する「和歌山県博物館施設等災害対策連絡会議」(和博連)が<文化財の災害対策に協力して取り組もうと2015年2月に発足した。県内の77施設・組織が加盟するネットワークで、伊東史朗・県立博物館長が会長を務めている。>

 

<「東日本大震災や紀伊半島豪雨の際、文化財レスキューで問題になったのは、どんな品がどこにあるのかすら分からないことだった。情報を共有し、助け合える関係作りが急務だった」>

 

<和博連は発足翌年の16年2月、収蔵品のある59施設に対し、各収蔵品の品目や数量などをまとめたリストを作って事務局の県教委文化遺産課に提出するよう求めた。

 しかし、これまでに提出があったのは、「該当品なし」とした施設も含めて19にとどまる。未提出の40施設は主に小規模館といい、このうちの一つで県中部にある施設の担当者は取材に「専門知識のある職員がおらず、どこまでがリスト化の対象か分からない」と話す。>と、予防的措置には、人的物的に十分でない状況が分かります。

 

私も当地で「大畑才蔵ネットワーク和歌山」の一員として活動を始めていますが、才蔵に係わる資料を含め、橋本市郷土資料館には多くの文化遺産ともいうべき物があります。この才蔵ネットワークもなんらかの協力ができるよう働きかけをしてみたいと思います。