たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

世界遺産的価値 <世界遺産登録勧告 福岡・宗像「神宿る島」・・>を読んで

2017-05-06 | 古代を考える

170506 世界遺産的価値 <世界遺産登録勧告 福岡・宗像「神宿る島」・・>を読んで

 

今日はなにか体全体にだるい感じで朝から過ごしています。どんよりした空に、時折襲ってくる小粒の雨、空気には湿気がたっぷり含んでいそう、そんな外気がそういう気分にさせる一面もあるかもしれません。私の場合昨日の庭造りで砂利10kg入り袋を20弱運んだのが腕に痺れと体全体に倦怠感を残したのが体の変調の主な要因だと思われます。

 

家の四方のうち、おおよそ南北に花壇風?花の園を作っている最中で、東側は庭石に階段がります。西側をどうしようかと思いつつ、隣家のリビングに近いので、花園にすると虫が飛んできて、嫌がる人もいることをおもんばかり、と同時に、その場所はわが家の窓からは見えにくい位置あることもあり、早朝の暗闇の中で考えた結果は、枯山水風の庭石です。

 

で、我流かつ安価な枯山水ということで、まず、道路際で密集していた池垣をどさっと剪定して残った枝葉を集め、その一画に穴を掘って埋めました。以前は野焼きで焼いていたのですが、分譲地だととてもできそうにありません。といって焼却場で燃やすのは循環思想に反します。自然に還れ、ではないですが、土に戻そうとしたわけです。そのうえに、掘った土をかぶせて、当初は前方後円墳の外観にしようかと思いつつ、近所迷惑と思い、カルデラ風の二上山を作りました。

 

そして庭石の方は、緑色の小砂利と、五色の中砂利を敷き詰めました。後者は氾濫原風を装い、前者は谷間から流れ落ちる川を似せて、作ってみました。ところが濡れている小砂利のときはきれいな緑色でしたが、乾くと鈍い灰色ぽくなってしまい、とても清流とは似て非なるものになってしまいました。やっぱり安物はダメだと言うより、しっかり色を確認してから買えばよかったと、いつもの反省です。

 

ま、失敗に懲りない、というか、失敗は成功の元と思う私なので、今日、改めて、少しいい砂利を買ってきて上から敷き直せばいいだろうと思っていたのですが、この砂利袋を持ち上げるという作業が私には大きな負担で、結局、とても今日は続けることができる状態ではなく、当分の間、休養するようにと、腕の神経細胞からの命令を受けて、ぼっと過ごしています。枯山水はしばらく中断して、いずれ続行しようかと思っています。

 

やはり昨日の疲労が腱鞘炎に影響がでてきて、これだけタイピングしただけで、ちょっと負担になっています。今日のテーマも、簡単に仕上げさせていただきます。

 

さて、今日の毎日ウェブ情報は、<世界遺産登録勧告福岡・宗像「神宿る島」 イコモス>といった見出しで、また他のマスコミもこぞって、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として構成された8件のうち、4つを除外し、4件について登録を認め、登録名を「『神宿る島』沖ノ島」と変更することも勧告したことをとりあげています。

 

イコモスの評価は信頼性の高いもので、この勧告により少なくとも4件は登録が認められそうな状況です。

 

さて、世界遺産として認められる価値とは何か、文化庁が推薦していた8件のうち、4件が対象となり、4件が除外される、そのメルクマールは何か、ウェブ情報だけでははっきりしませんが、とりあえずウェブ情報を引用します。

 

まず、毎日ウェブ情報<世界遺産登録勧告4件除外に文化庁 今後の対応検討>では、<登録が勧告されたのは、宗像市の沖約60キロの玄界灘に浮かぶ沖ノ島と、岩礁の「小屋島」「御門柱(みかどばしら)」「天狗(てんぐ)岩」の4件。>としつつ、除外されたのは<沖ノ島を遠くから拝むための宗像大社の「沖津宮遥拝(ようはい)所」や「中津宮」「辺津(へつ)宮」と、祭祀を担った豪族の墓とされる同県福津市の「新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群」の4件>となっています。

 

日経ウェブ情報<沖ノ島に考古学的価値 世界遺産、島以外は除外勧告>が少しだけ細かいので、これを援用します。

 

まず勧告を受けた4件について、<遺跡や出土品が多数残る沖ノ島を朝鮮半島やアジア大陸との交流に伴う「古代祭祀(さいし)の記録を保存する類いまれな収蔵庫」とし、考古学的な価値を高く評価した。岩礁も一体のものと認定した。>

 

これに対し、除外された4件について<世界遺産登録の要件を満たさないとした。その理由として、信仰・伝統を「日本の国家的価値」にとどまると指摘した。>とあります。

 

この記事だけだと、イコモスの評価基準が抽象的で、世界遺産登録要件を満たすのは何か、満たさないのは何かが、必ずしも判然としません。私自身、イコモスやその関係者の協力を得て、訴訟において主張を展開したことがあり、その詳細で具体的な言及は説得的なものがあると思っています。イコモスが報道向けにリリースした今回の勧告の内容が概括的なものなのか、あるいは報道が要約した内容にしたのかは分かりませんが、いずれにしても、できれば詳細な構成資産の該当性の有無・理由を詳細に開示して報道に載せてもらいたいと思うのです。

 

たしかに、<沖ノ島は九州本土から約60キロ離れた玄界灘に浮かぶ孤島で、4~9世紀に航海の安全と大陸との交流の成功を祈願する祭祀(さいし)が営まれた。戦後の学術調査で、大陸からもたらされた銅鏡や武器、装身具などの奉献品約8万点が出土。全て国宝に指定され、宝物の多さから「海の正倉院」とも呼ばれる。島そのものが神体とされ、立ち入りは原則禁止されている。>ことから、イコモス指摘のように、<朝鮮半島やアジア大陸との交流に伴う「古代祭祀(さいし)の記録を保存する類いまれな収蔵庫」>と認定することは当然ではないかと思われます。では、岩礁など自然地形をどういう視点で認定したかはこの内容だけでは明瞭ではないですね。

 

他方で、<沖ノ島には宗像大社の神職が交代で駐在しているが、一般の人が上陸できるのは毎年5月27日の沖津宮現地大祭に限られる。大祭は沖ノ島近海であった日本海海戦で亡くなった日露両国の兵士を慰霊するのが目的で、抽選で選ばれた男性約200人が参加している。>といった点は、評価の対象となっていないと思われますが、「沖津宮現地大祭」に考古学的な価値を見いだせないのは当然ですし、仮に宗像大社3社を一体のものとして認定を求めるとしても、価値評価の対象とされないのではと思うのです。

 

ただ、立入制限が最も厳格な沖の島を中心とする認定なので、観光推進を目的に登録を目指した行政側としては残念でしょうが、それは本来の世界遺産登録の目的とはいえないのですから、やむを得ないでしょう。

 

長々と前置きを書いてしまいましたが、ここからが本論です。宗像大社について、そのホームページでは次のように述べています。

 

<宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申します。>

 

つまりはその信仰・歴史的価値として、三宮を一体として評価して登録されることでないと、適切ではないことになりそうです。その点、イコモスが<信仰・伝統を「日本の国家的価値」にとどまる>と評価した点は福岡県など地元では巻き返しを図っているようです。

 

私は、この宗像大社の祭神についての説明によって世界的な評価が高まるとは思えません。ただ、イコモスが<朝鮮半島やアジア大陸との交流に伴う「古代祭祀(さいし)の記録を保存する類いまれな収蔵庫」とし、考古学的な価値を高く評価した。>のだとしたら、宗像大社の存在自体も古代史の中で見直される余地があるのではないかと思っています。

 

イコモスが評価したのは4世紀後半から9世紀前半にかけての祭祀遺跡です。その内容はヤマト政権の大王の祭祀に匹敵するものであり、単に当時の交易の仲介地であったということでは説明できないものです(交易地とは異なるともいわれています)。

 

4世紀後半といえば、記紀に登場し燦然と輝く神功皇后がいます。そして夫、仲哀天皇は不自然な形で、神によって死を賜っています。保田道子著「応神天皇の故郷」によれば、仲哀は、宗像族というそれまでの支配者が、住吉族に敗れ、応神が大王の地位を取って代わり支配者なり、それまでの支配者であった仲哀を祭ったというような見解だったかと思います。一方が宗像大社(3つの神)となり、他方が住吉大社(3つの神)となったというのでしょう。むろん宗像大社の祭神は仲哀ではなく、3人のヒメですね。表だって仲哀を祭祀出来なかったというのでしょうか。

 

この仲哀と応神のトップの交代は、支配者の交替であったとしたら、そしてそれを裏付けるものが考古学的遺跡であったとしたら、それは東南アジア情勢全体に影響を及ぼす事件ですし、より深い検討が必要となるでしょうし、宗像大社3社を世界史的な意味で評価してもいいのかもしれません。

 

といっても私自身、保田氏の見解が理解できているわけではないですが、イコモスが指摘する考古学的な評価をもしかしてより深い歴史学的な意味づけも可能性があるのかなとふと思った次第です。

 

余計なたわむれの散策かもしれませんね。でもこれだけタイピングしても、なんとか痛みもわずかで続けられました。今日も無事終了。これで終わりとします。