170519 商いの未来 <米国 対面小売り窮地 ネット通販隆盛で大量閉店>を読んで
薄闇の中に目覚めるのには慣れたものの、早く目覚めるせいか、いや、体調が悪いせいか、最低血圧が高いので少しは気になります。どうも終日ボッとしている状態が多いことも気になるのかもしれません。今のところ認知症らしき明確な症状は現れていないのでいいのですが。
最高血圧(収縮期血圧)は時折140を超えるものの、一時期のように継続性がなく、正常値にとどまるようになりました。ところが拡張期血圧は高止まりです。運動不足も影響しているのか、食べ物のせいか、いろいろ考えています。心配するときりがないので、ほどほどにして、日々の作業を繰り返すばかりです。耳を澄まさなくても、野鳥の楽しそうな語らいが新鮮な空気とともに部屋に入ってきます。朝早くから刈払機の音などけたたましい機械音がないのもうれしいことです。
今日は寒暖差が激しくなるところがあり、場所によっては日中30度を越えるとか、ラジオから聞こえてきましたが、事務所は冬は少し寒いですが、夏は涼しくて、今日もほとんど暑さを感じませんでした。外にでかけると、車はサウナのような状態で、大変ですが、事務所の中はクーラーも必要がない(夏でも普段かけたことがありません)のです。
さて今日もいつの間にか5時近くなりました。本日のテーマはと少し考えてみましたが、ボッとしていることもあり、いい考えが浮かびそうもありません。そんなわけで見出しの記事<米国対面小売り窮地 ネット通販隆盛で大量閉店>になにか感じるものがちょっとだけひらめき、内容がどうなるかは書きながら考えて、タイピングを始めています。
記事では<国の小売業界が業績悪化に苦しみ、大量閉店に追い込まれている。米ネット通販大手アマゾンといったオンラインショッピングに来店客を奪われたためで、スポーツ用品店など専門店の経営破綻も相次ぐ。大量閉店が不動産市場を変調させ、金融市場の波乱要因になる恐れもある。>と現状を総括しています。
ネット通販は、この前、宅配便の過重労働との関連でブログで書いた記憶があります。便利で安価であることはそれが画期的であればあるほど、従来の産業・市場を破壊することになることは、これまでも繰り返し見られた現象ですね。資本主義の世界では当然、大きな産業構造の変更を促すことになるでしょう。
ただ、北米のショッピングモールは、80年代から90年代にかけて郊外型店舗として、車社会のまちづくりに適合するというか、多くの市民に受け入れられ、各地でどんどん作られていったと思います。わが国も2000年代に入ってぐらいから次第に拡大したような印象です。二番煎じで、一周というか二周遅れの感じもありました。
で、私は90年代初頭から中葉の北米のそれを訪問したり、利用したりしていましたが、当時すでに閑古鳥が鳴いていたように感じていました。私は名前だけの研究員でしたので、自由に平日もなんでも研究対象と言うことで、そういった場所を訪問していましたが、ほんとに来客はわずか、店員もお客さんを相手にするようなこともなく、これで広大な敷地と集合店舗の経営が成り立つのか心配したぐらいです。ただ、北米の庶民は結構、土日に一度に大量に買い物をするので、それで賄っていたのかもしれません。
それとカナダの場合冬季はマイナス20度前後が当たり前ですので、巨大ショッピングモールに行けば一日遊んで買い物をして家族が楽しめる、それもTシャツ姿でというのは結構人気があったようにも思うのです。
ただ、一般に、店員のサービスは低いレベルというか、あまり期待できない印象でした。また、ある程度高品質に内装や室内装飾がされていましたが、わが国の名門百貨店と比較するのもなんですが、とても劣る印象でした。私が銀座三越や日本橋三越、日本橋高島屋、あるいは新宿伊勢丹などを訪れていたのは80年代から90年代初め頃ですので、その後の百貨店の衰退でどうなったかは知りませんが。
こういった名門百貨店の店員サービスというかおもてなしの作法は、わが国に導入されたショッピングモールの店舗ではなかなか期待することが出来ないですね。私も、90年代後半以降は、物の質やサービスの質に拘らなくなったのですが、それは社会情勢とも関係するかもしれません。
ところで、毎日記事は、百貨店の店舗数の減少にとどまらず、大手スポーツ用品店や家電量販店といった専門店も経営破綻になるなど、これまでの小売業界に地殻変動が起こっていることを指摘しています。
そして<大量閉店は金融市場にも混乱を起こしかねない。米国では商業用不動産ローン担保証券(CMBS)と呼ばれる証券化商品を発行し、ショッピングモールの建設費用を調達するのが一般的だが、モールの収益力低下がCMBSの下落につながる恐れがあるためだ。>とリーマンショックの再来の懸念も一応指摘しつつ、CMBSはその引き金となった低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)をまとめた証券化商品とは異なるので、そのような心配はないとも指摘されています。
一応私もそう思いつつも、ネット通販では対面販売が不要なのですから、あの広大なショッピングモールの大規模店舗群もいずれは閑古鳥がなくのではないかと懸念します。私が経験した90年代前半でも兆しがありましたが、現在は商いのあり方自体が本質的に変わっていく傾向にあります。すると広大な敷地が必要とされなくなったら、不動産市場も、そし証券化商品と連動した金融・株式市場も、当然に下落していくしかないのではと憂慮?します。
しかし、私は大規模店舗ないしショッピングモールは新たな戦略で生き残りをかける道を模索すると思いますし、そこに新たな商いの道が生まれるのではないかと期待します。
たしかにネット通販は便利で安価です。品物の豊富さは抜群です。わざわざ店舗に出かけなくて、PCやスマホでぽんとクリックすれば、希望の品物が届くわけですから、物自体を取得するには、縄文時代から始まった交易における、異なる民族間での信頼関係を築きながら長期間をかけた貴重な物の獲得の時代から長い歴史を経て、ようやくたどり着いた物自体の価値だけに着目した商い方法でしょう。
その品質についても、詳細な客観的なスペックが記載され、また、購入した利用者の評価(中にはサクラもいるでしょうけど)もその品質をより理解できる工夫があります。また、販売店の中にはメールで親切で礼儀正しい対応をすることが少しずつ増えているようにも思えます。これからさらにビジュアル的にも、商品理解の点でも、苦情処理についても、より進化してカスタマーへの利便性を増大することは間違いないでしょう。
しかし、物は、それこそ物によっては、個々人にとって、とても個性的な付き合いの対象でしょう。その感触、臭い、色合い、自分の手足との整合性など、極めて個性的な側面をぬぐいきれないところがあります。
それだけではありません。物を購入するときの雰囲気、場も大切な場合があるでしょう。そして物を扱う店員との会話も有効に働くことが少なくないでしょう。合羽橋などで食器等を選ぶ場合、その主人がどういう解説をするか自体が、まさに商品価値の一部になっているかもしれません。それは名門百貨店の店員の中にそういう資質の人が少なからずいたと思うのです。
物を売るというより、物がもつ歴史や秘めた利用価値を売るというか、作り手の意図、配慮を語るような売り手がいる場所になれば、物自体の取得を越えて、それは縄文時代にあった深い背後の文化も物を通じて伝わるそういう、商いも一つあっていいのではと思うのです。
と同時に、さまざまな店舗の複合や、エンターテインメント施設との一体的なサービス提供を越える、新たな生活スタイル、新たな文化の場、たとえばエコロジカルな生活全体を演出するとか)を提供できる場は、やはり広大な敷地を必要とするでしょう。そこには森があり川が流れていてもいいのではないかと思うのです。単に都市的環境、ビルディングを表面上作り替えても、飽きてきませんかね。
丸之内の商店街ビルは、三菱地所が中心になってある意味、日本有数の事務所ビルと商業店舗をうまく配合しているように思えます。その景観配慮は、長い歴史を通じて一貫して行われてきたため、その点ではわが国では貴重なまちづくりの例だと思います。
しかし、心の豊かさやゆとりを提供する空間が生み出されているかというと、残念ながらほど遠く感じるのは私の狭量さでしょうか。
丸之内ビル街をつい引っ張り出してしまったため、どうも本線から脱線してしまったようで、そろそろ1時間ですし、疲れも出てきましたので、内容がいつものように中途ですが、これで今日はおしまいとします。