たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ストップ温暖化 <論点 「パリ協定」発効1年>を読みながら

2017-11-02 | 原子力・エネルギー・地球環境

171102 ストップ温暖化 <論点「パリ協定」発効1年>を読みながら

 

最近、ブログを朝と夕に2回書くようになりました。別に理由はありませんが、なんとなく関心をひいたからと時間があるからでしょうか。ところが、やはり無理がたったのか、今朝のブログの後どうも手が少し痺れてきました。いまも痺れ感があります。

 

というわけで、これ以上悪化するといけないので、このブログはより簡潔にまとめたいと思います。

 

見出しの毎日記事は昨日取り上げようとしたのですが、毎日ウェブサイトになかったので別の話題に変えました。で、別の機会にと思っていたのですが、たまたま昨夜見た放送がおもしろかったので、それを紹介しつつ、この記事のコピペでまとめようかと思います。

 

10時の時間帯は割合忙しいのです。BSは<国際報道2017><深層NEWS><日経プラス10>を興味のあるテーマごと見ています。それにNHKクローズアップ現代プラスがあるので、頭の整理ができないで見ています。

 

で、昨夜は<国際報道2017>の花澤 雄一郎キャスターがアメリカでトランプ政権1年の実態を取材していて、これは毎回興味深いです。ちょっと取材した都市の名前は覚えていませんが、石炭・石油産業が盛んなテキサス州の一都市で、その市長が共和党員にもかかわらず、パリ協定を離脱したトランプを批判し、自らは自然エネルギーを市全体で推進しているのです。露天掘りの石炭があちこちにあるというのに。

 

それは気象変動の影響を直接受けることに加えて、石炭・石油価格の不安定な変動により経済が安定しないことをしっかり抑えて、安定的な需給と長期低価格での供給が可能な風力など自然エネルギーを積極的に導入しているのです。カリフォルニア州ではないのですから、驚きです。ある意味でトランプ政権の経済政策、国際交渉にしっかりした見通しがみえないことの反映かもしれません。

 

というか、まさにパリ協定発効1年の状況は、世界でじわじわとその方向に向かっているとも言え、アメリカだけでなくわが国も遅れている状態にあるかもしれません。世界をリードしてきた自動車産業も、部品の極端なほどの分化と垂直的統合という構造のため、カリフォルニア州の環境規制に対応できなかったり、EV化が他国に一歩先んじられているように思えます。中国はすでにあまりにひどい大気汚染対策としてEV化を強力にすすめています。

 

そんなとき、二人の気象変動問題のリーダーが、それぞれ問題提起しつつ、将来の道筋の一つを示しています。ここでは自治体の動きを中心に引用します。

 

長年環境省の地球環境局でリードしてきた<浜中裕徳・イクレイ(ICLEI、持続可能性をめざす自治体協議会)理事長>は、次の事例を取り上げ、他の自治体もこれを参考に取り組むことを提案しています。

 

エネルギーの地産地消であり、安全保障です。<自治体などが出資する地域新電力がある。地産地消のエネルギーにより、電力会社を通じて中東の産油国に払っていたお金を地域内で回すことができるようになる。>

 

<北九州市は「北九州パワー」を設立し、バイオマスや風力の発電所をつくる計画を進めている。「アジア低炭素化センター」も開設、公害克服の経験をもつ役所や民間のOBを含めた人材で、アジア諸国への環境保全支援に取り組んでいる。こうした取り組みを通じて50年には、二酸化炭素(CO2)排出を市内で05年比50%、アジアで150%減らす目標を掲げている。>

 

<イクレイ会員の富山市は、路面電車などの公共交通を軸としたコンパクトなまちづくりや小水力発電の導入に取り組み、注目されている。京都市や徳島県なども「脱炭素社会」に向けた意欲的な目標を掲げている。>

 

<浅岡美恵・気候ネットワーク代表>は、長年取り組んできた民間団体のリーダーとして、同様ながら異なる事例を取り上げています。

 

<長野県飯田市が、公民館活動などで培われた地域の「結い」の伝統を生かし、住民主体で地元の自然エネルギーを導入する活動を柔軟に支援する条例を13年に制定した。大阪府吹田市は今年6月、電力購入で太陽光などの再エネ比率を主な条件にした競争入札を行った。自治体トップは具体的取り組みで、メッセージを発していってほしい。>

 

また、CO2排出削減の面で、環境規制の強化が求められるとして、<仙台市は環境影響条例で国の石炭火発の規模要件を撤廃し、今年10月、今後の建設計画には強く自粛を求めていく指針を策定すること表明した。全国初の取り組みで大いに評価したい。>と述べています。

 

二人の専門家の意見は取り上げた事例を含め参考に値すると思います。ただ、私は、たとえば徳島県の上勝町のような小規模な町でも、きわめて多様な事業を通じて実践している例こそ、多くの自治体にも、いや住民個々にも参考になると思っています。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日


自殺と他殺の狭間 <標的 座間9人遺棄事件/上 「一緒に死のう」私も誘われた・・>などを読んで

2017-11-02 | 人の生と死、生き方

171102 自殺と他殺の狭間 <標的 座間9人遺棄事件/上 「一緒に死のう」私も誘われた・・>などを読んで

 

今朝の毎日記事<標的座間9人遺棄事件/上 「一緒に死のう」私も誘われた SNSで女性物色 白石容疑者、写真送り「会いたい」><社説座間で9人の遺体発見 現代の闇に戦慄を覚える><座間9遺体27歳容疑者「殺害し証拠隠滅図った」>など多数が9人の猟奇殺人を取り上げていました。

 

神奈川県座間市の小さな町のワンルームマンションともいえないような小さな一角で9人のばらばら遺体が発見された事件は多くの人の安寧を震撼させるに十分でした。そのニュースが流される中で、NYではハロウィーンの賑わいと平穏な自転車歩行者専用道路でトラックが暴走し8人の死亡者と多数の負傷者がでたというニュースが輻輳するかのように広がりました。

 

両者は大量殺人といってよいかもしれませんが、まったく異質の構造・背景をもっていますね。ただ、現代の世相を背景にしているためか、少し考えてみたいと思うのです。

 

両事件については、すでに多数のニュース・記事が氾濫していて、まだまだ事件の真相を迫ったり、対策などさまざまな情報が発信されると思います。まだほとんどわかっていない一部の情報を下に、簡単に自分なりに整理してみたいと思うのです。

 

座間9人遺棄事件の容疑者のこれまでの経歴・前歴・SNSを使った物色など、断片的な情報がわかっています。自殺願望者を狙って、暴行・金銭目的で巧みに誘って猟奇な犯行に及んだという、警察が初期捜査で把握したものです。重要な物証のいくつかは残されていたので裏付けはとれるでしょうが、多くは容疑者の自供ですから、まだ変転する可能性がありえます。これだけの猟奇事件を犯す容疑者像、その動機に迫る追求はこれからでしょうから、この点は別の機会に議論できればしたいと思います。ただ、報道では、8月に突然、このアパートに引っ越してきた事情が鍵を握っているようにも思えます。彼自身は売春目的をかくして女性を勧誘していたことで執行猶予付き判決を得たばかり、その後裏切り者といった攻撃がSNSなどでされていたとの情報もありますね。彼自身が追い込まれていたのかもしれないというのが半分あります。それが自供しつつ、顔面を完全に隠す態度に見えるように感じるのです。

 

で、見出しの本題は、自殺願望の女性たちのことです、被害者となった人たちです。一生で一度も自殺を考えない人は、この世の中、珍しいのではと思うのは私の狭い認識でしょうか。過去、偉大な成果をあげた芸術家にはもちろん、そういった悩みを残した方もいますし、私も含め庶民の少なくない(あるいはほとんど)人は一瞬でもそういった思いに至らないことはないのではと思うのです。それが継続して、深刻化し、さらに自殺(自死)に踏み切る人が増えているかどうかは別にして、かなりの人がわが国でもいるのも現実です。

 

それぞれの悩みは個別的で一般的な解はないと思うのです。私の知り合いが命の相談でしたか、そういう電話の担当をしていて、かなり以前に内容には触れないですが、大変だがやりがいをもってやっているのを聞いたことがあります。私は相談者の中には死にたいと思うほど悩み続けた方もいましたので、その話を長く聞いていた時代(もう20年以上前)もありました。最近はそんな相談もなくなりました(相談しがいがないかも)。

 

私自身は、自分の死はいつも覚悟しているものの、それはあくまで自然死です。事故死もこれは想定内ですが、それなりのチャレンジする中で死も覚悟しますが、死に至らないよう安全性を確保しながらの行為です。

 

むろん社会の現状や環境に直面して、絶望感を抱いてしまうことも時にはありますが、こういったブログも一つの解消策かもしれません。自殺するくらいの自我があるのか、それが問題だと自分では思っています。

 

で、この「自殺志願者」という方たちの、容疑者とのメールかツイッターのやりとりは、なんとも安直な気がします。自分の気持ちがわかってくれる、それを実現してくれるようなかきこみがあれば、それだけで相手を優しい人、信頼できる人と思ってしまうほど、この方たちは素直なのかもしれません。あるいは溺れる者は藁をもつかむ状態にあるのかもしれません。でもほんとに溺れそうなのかどうか、自分の気持ちに自問できない状態になっているのかもしれません。

 

溺れる者は、現実に洪水の荒波に身動きがとれず、自分ではどうすることもできない状態です。しかし、自分の心の中が自殺願望で充満している人は、ちょっと環境を変えたり、見方を変えれば、そこにある自分はいつでも別の心の状態に変えられるのではないかと思うのです。人間の心は容易に変わりうる、あるいは同一性といったものがそれほど確固としていないのかもしれません。いや、芸術家や成功者の例を見ると、逆境に陥り、すべてを失ったと思った瞬間、再起する細胞が60兆の中に生まれているように思うのです。それほど人は危うい綱渡りをできる、潜在能力をもっているように感じています。

 

むろん「君子危うきに近寄らず」とまで言わなくても、平凡な道を慎重に選んで、生死をずっと考えないですむ人もいるかもしれません。でも日野原氏ですら、死は怖ろしいというのです。不思議だなと思っていまいます。生涯現役で、死を望まなかった意識の高い方、そういった生き方ができれば、死への願望なんてありえないのかもしれません。

 

ところで、<米国NYテロ 8人死亡 IS思想に共鳴か 「国家」崩壊後も消えぬ影響力>や<米国NYテロ 車暴走、8人死亡 IS忠誠、誓うメモ 9.11以降最悪>を見ると、これは敵対する人を殺すことが目的の行動です。でもなぜこの容疑者は、わずかの間にトラックテロを計画し、あえて遂行したのでしょう。そこには世界各地のイスラム教信者の逆境に加えて、アメリカを含むロシア欧米の無差別攻撃による殺戮も影響しているのでしょうか。こういったテロは今後も続くでしょう。人を殺すという一番やっていはいけないことをなぜあえて行うのか、改めて考えてみたい問題です。

 

最後に、座間事件の被害者は10代と20代初めの若い人たちです。容疑者も20代後半にもかかわらず、あの狭い空間で、残酷な猟奇事件を犯しながら住み続け、誘惑と犯行を繰り返した、というその巧妙さ、残忍さは、あのIS容疑者以上に暗いものを感じてしまいます。

 

安倍政権は<改憲「幅広い合意へ努力」など強力政権で舵取りをしていますが、世の中の底辺には、漆黒の闇にどうしようもない鬱積が溜まり続けているように感じてしまいます。

 

この件について安倍政権を批判する意図はありません。ただ、自殺願望の若者、それがとても簡単に悪意をもった甘言を優しいと吸い寄せられる脆弱さの中にいる人たちには、現代の政治社会経済はなんの救いにもなっていないことを改めて感じてしまいます。

 

日夜、自殺願望者などと話したりして、苦労を続けている名もない多数の人たちの善意は届いていないことも考えてみたいと思うのです。

 

今回はこの辺でおしまい。