たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

バイオマスを新宮で!? <バイオマス発電所 新宮港に立地計画・・>などを読みながら

2017-11-19 | 原子力・エネルギー・地球環境

171119 バイオマスを新宮で!? <バイオマス発電所 新宮港に立地計画・・>などを読みながら

 

再生可能エネルギーの将来にかけたい。アルゴアさんのその思いは力のない一人の人間にすぎない私も感じています。

 

さて、今朝の毎日記事和歌山版ですが<和歌る?紀になる!バイオマス発電所 新宮港に立地計画 県内初、21年稼働目指す>と、神門稔記者が期待を込めて取材しています。

 

<新宮港(新宮市)の工業用地で、県内初となる木質バイオマス発電所の立地計画が浮上している。実現すれば、燃料に用いる木材の需要増と、地域の雇用創出という一石二鳥が期待できる。企業誘致に腐心してきた市は「地域活性化に大いにつながる。何としても立地を実現したい」と強い関心を寄せている。>

 

<計画しているのは、木質バイオマスをエネルギー源とする発電・電力販売を手がける「エフオン」(東京都)。>同社のホームページでは<EF-ONグループのバイオマス発電>となかなかすでに大分・福島県で操業して頑張っている様子。

 

<市企業立地推進課や同社によると、新宮港第2期工業用地16万9000平方メートルのうち、約5万3000平方メートルを立地候補地としている。約100億円を投じ、出力1万8000キロワット、年間稼働日数330日で、2021年中の稼働を目指す。>

 

同社の専攻事業の大きく上回る出力を予定している内容ですね。

ただ、<同社は9月末の取締役会で事業計画を決定し、市にも意向を伝えた。進出にあたっては今後、国から事業認定を得ることなどが必要となるが、現時点で具体的なスケジュールは定まっていない。>とはっきりしません。

 

市の方は多額の費用を投じて埋立造成した工業用地が、各地の失敗例のようにならないよう苦心している様子。<市も計画を歓迎する。市は第2期工業用地に今年度中に10社を誘致し、全用地を分譲するとの政策目標を定めている。しかし、現時点で進出が決まったのは6社にとどまる。7社目として、エフオンの誘致を何とか実現させたい考えだ。>

 

さてそのようなバイオマス事業の誘致は事業実現可能性が十分見込みのあるものか、いまのところ材料がないので、期待したいところですが不安もあります。これまで各地でバイオマス事業計画が立てられ、多額の補助金を得て機械設備を購入したのはいいけれども、ずさんな計画で頓挫して訴訟で責任が問われるケースも少ないのです。

 

で、企業側の見通しを見てみたいと思います。<同社は新宮を候補地に選んだ理由について「我が国有数の木材産出地であったため森林資源の潜在性が高く、発電に必要な燃料の確保が十分に見込める」としている。発電事業を通じて、林業や製材事業、運送業者など関連業界への経済効果も期待できる。>

 

バイオマス事業において大きな壁の一つは、バイオマスの原料が低廉で持続的な供給体制が整備しうる見込みがあるかという点です。しかしながら、同社の指摘する「我が国有数の木材産出地」というのを見て、あれれっと、つい耳を疑ってしまいました。たしかに和歌山県内では紀南といわれる南部の生産量は相当なものといえるでしょう。しかし、全国的に見ると微々たる程度です。

 

確認の意味で、農水省の<平成27年林業産出額 都道府県別統計表>を見たところ、金額ベースですが、和歌山県の木材生産額は全国の0.2%にすぎません。でも「木の国」と標榜しているではないかと疑問に思われる人もいることはわかります。しかし実態はこの統計の通りです。北海道や東北、それに九州でほぼ5060%を占めていて、他はほんのわずかです。

 

ですからエフロンがこれまで立地した大分県や、福島県とはかなり条件が異なります。ただ、バイオマスは製品になる木材というより、製品化できない枝葉や質の落ちる原木を対象としますので、それが大量に生産できればいいともいえます。とはいえ、一般的には木材生産量が大きいという地域は、生産コストが市場競争力をもっていることをも意味しているわけで、はたして新宮地域でそのような生産力があるのかは検討されるべきでしょうね。

 

たかが出力1万8000キロワットに必要な原料ですから、紀伊山地一帯の山林を考えれば、余裕綽々ともいえます。しかしながら、現実は厳しいものです。枝葉や低級な原木となると、容量が余分になります。10トントラックで運ぶとしても大量の運搬が必要でしょう。

 

さてそこではたと思い浮かべるわけです。紀南地方には風光明媚で、産業化がさほど進んでいない分、産業道路も海岸線は別にして、紀伊山地一帯には整備された状況にはないと思います。むろん現在も相当数通行していますが、新宮港に向かって膨大な数が走行するとなると、これは困ったことになりかねません。世界遺産の観光客にはどう映るでしょう。

 

道路も頻繁な走行に耐えうるか、気になります。

 

いやいや、それだけ生産する林業主体があるのかどうか、それが問題です。大規模な林家はさほどなく、あってもバイオマスを魅力とは考えないでしょう。森林組合もそれなりの生産力を持っていますが、各地に別れていますし、連携して共同生産体制を作ってまでして、費用対効果が生まれるか、なかなか難問でしょう。

 

そして工業団地の中でも問題は起こりうるかと思います。エフロンのホームページにある写真ではきれいな機械工場だけが映っていますが、実際は原木や枝葉を受け入れるのであれば、大規模な敷地がの置き場や裁断・分別などになります。その作業環境は見た目には美しいという人ばかりでなく、また臭いなど発生しますが、通常、大気の中で行われるわけですから、近隣工場との関係がうまくいけばよいのですが。

 

で、こういう懸念は、たまたま新宮港に立地することから、場合によっては燃料を外国からも輸入することになり得ることを心配するからです。むろん補助事業ですから、最初からそのようなことをすることはおそらく補助条件に適合しないはずです。操業開始すると、原料の確保が大変で、禁じ手を使う危険もあることを心配するからです。

 

たとえば<バイオマス発電事業者に最適な燃料を世界各国より輸入販売>といった宣伝があります。これらがどの程度どのような場所で利用されているのかは知りませんが、背に腹は代えられないといった経営者にとっては助かるでしょうね。でもそれはバイオマス補助事業の趣旨に反しますね。

 

わが国の林業を蘇らせるというか、新たに生まれ返らせるには、地道で真剣な討議が必要でしょう。新宮の計画に期待したいです。

 

まだ、2つ3つ書きたいと思ったテーマがあったのですが、手の方が痺れてきました。

今日はこの辺でおしまい。


救命のあり方 <高齢者救命 本人望めば蘇生中止・・・>を読みながら

2017-11-19 | 人の生と死、生き方

171119 救命のあり方 <高齢者救命 本人望めば蘇生中止・・・>を読みながら

 

先日のブログでドクターヘリの素晴らしい活動ぶりを紹介しました。それは救急医療、救命医療の一つのあり方でもあるのだと思います。ドクターヘリを懸命にされている担当医のプロ意識というか、医師魂というか、尊敬の念を禁じ得ません。

 

他方で、本人の立場に立ったとき、常に救命が望まれるか、社会的コストや行政負担といったレベルの前に、個々の人としての生き方、死に方に対する思いも考えていく必要があると思います。私個人は、なんとかして自然死を導く心構えを常日頃から準備しておく必要を感じています。

 

さて、昨夕の毎日記事<高齢者救命本人望めば蘇生中止 総務省委託研究班「医師指示とセット」>は、長谷川容子記者が救急搬送依頼の増大と、消防隊の到着対応と、医師が対応するまでの時間的間隙、患者本人の意思などとの整合性などを射程にした、総務省研究班の他追う手順案について、記事にしています。

 

残念ながら、総務省や消防庁のホームページをちょっと除いたのですが、当該案を見つけることができませんでした。記事で紹介された案を基に少し勉強したいと思います。


直接関係しませんが<平成27年度救急業務のあり方に関する検討会報告書>が見つかりました。多少は参考になるかも・・・

 

記事によると、<増加する高齢者の救急搬送>を前提に<総務省消防庁から委託された研究班が、持病や老衰で終末期にある介護施設などの高齢入所者が心肺停止した場合の対応手順案をまとめた。>どうやら高齢入所者を主たる対象にして、その心肺停止に対する対応マニュアルのようです。

 

そして眼目は、<本人の事前意思と医師の指示がセットで確認できた場合は蘇生処置の中止を認めており、研究班は高齢者の蘇生処置を巡る法整備をにらんだ議論の高まりを期待している。>蘇生処置を原則としつつ、<本人の事前意思と医師の指示>が確認できれば、その措置をとらない、自然に任せようということのようです。むろん議論のあるところですから、これを世に問うて、議論の深まりを期待しているわけですね。

 

では具体的な案の内容ですが、

<手順案では、持病や老衰による心肺停止が前提。>と心肺停止の原因を限定しています。そして<救急車の要請、救急搬送などの段階に分け、入所者の蘇生を希望しない意思が分かる事前指示書と、担当医の蘇生中止指示を合わせて確認できた段階で救急隊員は心肺蘇生を中止できるとした。>というのです。

 

以上の一般的な内容は理解できますが、次の具体的な内容となると、まだぴんときていません。

 

<担当医は直近の入所者の状態などから医学的見地で蘇生中止を判断。施設に常駐していないため、中止指示は職員らが電話などで確認する。

また、医師の到着が心肺停止の数時間から半日後であっても「到着まで蘇生は行わず、救急車も呼ばずに待つように」などの指示が事前に医師から施設に出ている場合は指示に従ってもいいと提言。指示の効力は「心肺停止前の2、3日以内」との考えを示した。>

 

最初の医師の判断は理解できます。でも次の<医師の到着が心肺停止の数時間から半日後であっても「到着まで蘇生は行わず、救急車も呼ばずに待つように」などの指示が事前に医師から施設に出ている場合>というのは、事前の蘇生中止の判断が近いうちに心肺停止を予期できる診断の基に行われているということだと思いますが、心肺停止の原因が想定外でもよいという趣旨に読めることから、その点が少し気になります。

 

予想外の心肺停止が起こっても、元々の病気で心肺停止がまもなく起こる状態だから、やはり蘇生は不要との判断で良いのかもしれませんが、医師の蘇生中止判断の前提が絶対正しいとは限らないとの考えに立つと、少し気になります。

 

とはいえ、<伊藤センター長は「尊厳を保ちながら死にたいという本人の気持ちが置き去りにされていないか。誰もが満足のいく終末期医療を考える必要がある」と話している。>との考え方には賛同します。

 

次の記事内容からすると、どうやら背景には、救命医療の対応自体、各地でさまざまで、確立したシステムがなく、多少混乱している部分もあるようです。それとこのような提案をすることにより、事前に救命医療のあり方、介護職員や救命隊員の対応の確立も現場としては求められているのかもしれません。

 

<介護施設では、みとりの方針が施設ごとに異なり、担当医が施設内でのみとりを指示していても「夜中に入所者の心肺が停止し、誰にも連絡がつかなければ救急車を呼ぶ」という職員もいる。

 救急隊も地域の実情に合わせた活動手順をとっており、広島、長崎、大分県などでは、担当医の指示が得られたら蘇生処置を中止してもよいとしている。しかし、救急隊には消防法に基づき傷病者を処置しながら病院搬送する義務があり、蘇生処置を希望しない事例を巡って現場で対応に困るケースがある。>

 

こういった関係当事者の法的問題だけでなく、やはり長谷川記者が指摘するように<自分らしい死を迎えたい意思をどうかなえるか。幅広い論議が求められる。>と、自らの死を直視して、多様な生き方・死に方の選択を事前に家族なり関係者と話し合って、自らの気持ちを示しておくことが肝要かと思うのです。

 

私も常々そう思いながら、文書化はかなり以前に書いたままで、そろそろ現代医療の現状を踏まえた内容にしておくのも大事かなと思ったりしています。


相撲騒動を考える <日馬富士暴行 貴乃花親方、協会と溝深く・・・>などを読みながら

2017-11-19 | 日本文化 観光 施設 ガイド

171119 相撲騒動を考える <日馬富士暴行 貴乃花親方、協会と溝深く・・・>などを読みながら

 

私が子ども時代、外で遊ぶことがもっぱらでした。あらゆる運動にみんなが夢中でした。自分たちで考えて、たとえば階段から飛び降りる競争でどこまで高い位置から飛び降りることができるかなんてのもありました。その中でとりわけ相撲は人気がありました。しょっちゅう仲間内で取り組みがされ、私は割合強かったように記憶しているのですが、実際はどうでしょう(その後大学相撲部出身者と何度か相撲を取りましたが一瞬で負かされました、当然ですが)。大鵬・柏戸時代でしたが、私は柏戸の一本気な相撲に惹かれました。

 

さて話変わって、折角盛り上がってきた相撲人気に再び暗雲みたいな変な状況になっていて、連日「日馬富士暴行」事件の報道が繰り返されています。

 

ここでは、毎日朝刊<日馬富士暴行貴乃花親方、協会と溝深く 黙して語らず>のような協会と親方との問題、親方と弟子の問題は触れないことにします。単にこの暴行事件について飛び交う情報の整理をして、事実はどうなのか、事実を踏まえて適切な批判をすることでないと、相撲の将来を考えたとき改善することにつながらないと思うのです。

 

事実経過を毎日記事<クローズアップ2017日馬富士関暴行 「キレた横綱」混迷 証言食い違い/報告遅れ>と<日馬富士暴行リモコン、灰皿で殴打 個室モンゴル勢のみ>を基に、整理してみたいと思います。

 

この中に経過を表にしたものがありますので、これをとりあえず基礎にしますが、不確定な事実も記載されていますから、その点は除きます。

 

1025日深夜、酒席で、日馬富士関が貴ノ岩関を殴打(ビール瓶で殴打は不明)

1026日~29日福山巡業などに貴ノ岩関が参加して相撲を披露していた。

1029日、巡業後、貴乃花親方が鳥取県警へ診断書とともに被害届を提出

112日、福岡県田川市長を表敬訪問し、貴乃花親方は「10勝以上を」と貴ノ岩関への期待を語った。

115日~9日 貴ノ岩関が入院

119日、貴ノ岩関について診断書作成

1110日 休場届を提出。診断書は13日に提出。

 

さて、暴行傷害事件を扱っていますと、関係者の言い分は大きく食い違うことがよくあります。自分の体験したことだから間違いないと確信を持っているので、なかなかやっかいです。また、第三者で客観的な立場で見ている人の証言も、当事者との関係で、あるいは事件当時の騒乱の中で適切な認識・記憶が再現できるかというと、これまた必ずしも全面的な信用を置くことができません。場所とその周辺にある様々な物件(ここでは机や食器やリモコン、灰皿、ビール瓶など)の変動、当事者の刻々変わっていく動きなど、微細に再現することは容易でありません。

 

で、いま二人の関取の言動について、言動がマスコミを賑わしていますが、関係者の証言によるものではないかと思います。まったく誰かの証言も聞かないで取材報道することはあり得ないと思いますので、誰かが話していることは確かだと思います。むろん当事者の関取が直接、あるいは関係者に話している(いわゆる伝聞)もあるでしょう。しかしながら、上記の事情から、これらの証言(法的な意味で使っていません)には信憑性を根拠づけるものに乏しい段階だと思っています。

 

その意味で、ビール瓶、リモコン、腹皿で殴打とか、さまざまな情報は、現時点では参考にしかすぎないと思いますし、その情報が上記119日付け診断書を基にしているのだとすると、慎重に検討する必要があると思います。

 

今日はこの話題を取り上げたのは、診断書というものについて少し触れたいと思ったからです。診断書は1029日に鳥取県警に提出されたものと、119日付けで作成されたものがありますね。話題になっているのは、後者は<「脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い」で全治2週間とする>内容で、前者では少なくとも<右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い>という記載はなかったようですので、その違いをどうみるかという点です。

 

まず、<右中頭蓋(ずがい)底骨折、髄液漏の疑い>と記載がありますが、この部分はTV放映などでみた診断書では2行目に一緒に書かれていて、1行目の脳しんとうなどと異なり、断定診断ではなく、疑いだということです。

 

MRICT検査で容易に骨折や髄液漏が診断できる場合もあるのでしょうから、今回の場合は疑いですので、はたして確定診断できるものかが問題だと思います。

 

ところで、暴行直後に作成された診断書には、そのような記載がなかったことをどう考えるかですが、その診断が夜間当直などで暫定的だったと見ることもできますが、対象が脳です。脳しんとうという診断があったかどうか明確でないですが、頭への殴打というのは争いがないところで、当然、貴ノ岩関が医師に主訴しているはずです。その殴打が鈍器などを使って行われたとの主訴であれば,症状にもよりますが、MRICT検査を念のためにでもとることをすすめるのが本来ではないでしょうか。仮に当直医が担当したとしても、日中の検査を指導ないしすすめるのが普通ではないかと思います。

 

脳への打撃は、直後でなく、しばらく経過して変調が現れることは、私自身も事件を取り扱った経験がありますし、医師なら常識でしょう。

 

ましてその診断書をもって被害届を提出するわけですから、その時点で骨折等の疑いがあるような自体ではなかったと思われます。その疑いがあれば、巡業の中止を指示するのが医師の責務ではないかと思います。

 

巡業中の貴ノ岩関の相撲を取る様子からは、体調の変異は考えられません。むろん一定期間経過後に現れる場合もあるので、この巡業中の様子だけでは判断できないと思います。

 

ただ、113日の田川市長との会談時に元気だった様子にもかかわらず、2日後に入院し9日退院したというのですが、9日付けの診断書からはその状況が感じられません。

 

<脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎>の診断は、この時点で入院を根拠づけるものか、気になるのです。殴打後すでに10日ちかく経過していたのですから、入院時のもう少し具体的な症状を記載するのが望ましいように思います。そして当該診断書を退院時に記載することを依頼されたことが窺えますが、それは休場届の理由付けのためと言うことが説明されていたはずだと思うのです。そうであれば、当該症状が相撲をとることができない程度であることをも指摘して記載するのが望ましいように思います。

 

当該2通の診断書を作成した医師が同じであれば、とりわけなぜ119日付けで、疑いを抱いたかを根拠づける必要があると思います。エビデンスによる医療と昔から言われてきて、また診断書も医学的見地からだれもが納得できる内容にする必要があると思うのですが、これら2通の診断書は、必ずしも十分なものとはいえないと思うのです。

 

急がしい医師が、常に満足のいく内容の診断書を作成すべきとまではいいません。患者が日本を代表する伝統的な行事である相撲の力士についてです。とりわけ慎重に対応する必要があると思います。

 

この件はとりあえずこの辺でおしまい。


日曜日の朝、事務所の花に水遣り

2017-11-19 | 心のやすらぎ・豊かさ

事務所は土日祝日は開いていません。でも花は生き物。水遣りにやってきます。自宅の庭の花は雨が降ったり、朝露もあり、最近はほとんど水遣りをしていません。でも事務所の中はそうもいきませんので、そのくらいは生き物に気を配ってあげたい?と思っています。

以前とりあげたターシャ・テューダーさんの庭のような理想はありますが、引退後に考えたいと思っています。いまは無知識のままいい加減に花と付き合っています。

今日は写真撮影で、とりあえず入り口の机にまとめてみました。最近は数を少なくしていっていますが、それでも結構あります。写真画像はできるだけ避けてきましたが、たまにはいいかと今日はアップしました。

昨日は急の仕事で内容証明を書き上げ、今日もいろいろ仕事が残っているのですが、ブログをいくつかのテーマで回見ようかと思います。