たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自殺を考える <ぷらすアルファ 自殺を考えた時は…>などを読みながら

2017-11-04 | 心のやすらぎ・豊かさ

171104 自殺を考える <ぷらすアルファ自殺を考えた時は…>などを読みながら

 

今日の天候は不気味なほど刻々と変わっていきました。朝は穏やかな日和の中、庭木の枝が伸びていたので、ブリ縄を久しぶりに使って木に登り、さっさと細枝をハサミで刈り込み、太い枝はノコで落として、一汗かきました。

 

秋の花の苗をいくつか植えて少し彩りをよくしたところで、法律相談の予約が入っているため事務所に向かいました。かなり前に弁護士特約のLACから配点されていたのですが、例のアディーレに依頼して事件処理がされていた事件で、業務停止処分をうけたため、こちらに回ってきたのです。ところが大量の事件を扱っているため、解約後の処理として、記録を本人に返還する手続きが滞ったのでしょう。なかなか記録が戻ってこなかったので、相談事務ができませんでした。事務所にとって、依頼者にとっても大変な事です。

 

ともかく記録が戻ってきたのですが、土曜日しか依頼者の時間がとれないと言うことで、相談日をいれたのです。気の毒な案件ですが、簡単には対応できない問題があり、時間をかけて調査することになりました。

 

その後に、私が関わっている大畑才蔵ネットワーク和歌山と井澤弥惣兵衛さんを知ろう会との交流会があり、懇親を深めました。後者からは弥惣兵衛さんの歌を詩吟と琴の演奏を披露していただき、なかなか奥ゆかしい音色と歌詞で楽しむことができました。当会の方は土木関係の人が中心で堅いなりにいろいろ事業を工夫していることを紹介して、和気藹々となり、相互交流を今後も行うような話になりました。今度は海南市の亀池を訪れる企画もあるかもしれません。

 

と長々と見出しと関係のない話になりました。手の調子がよくないのに、こういうことを書いているとますますだめになることを自覚しつつ、止められないのは性格でしょうね。

 

さて本題に入ります。今朝の毎日記事の上記見出しで、坂根真理記者は<神奈川県座間市で9人の遺体が見つかった事件の被害者は、ツイッターで誘い出された可能性がある。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には善意と悪意が入り交じる。自殺を考えたとき、どうすればいいだろう。>と座間の猟奇事件の契機となった自殺とSNSを取り上げています。

 

自殺を考えたとき、人はどうするかについて、そもそもそういう状況に追い込まれた人の対応と、最近の潮流を注目しているようです。

 

<生きていくのが心細くなったとき、苦しみを誰かに話すには膨大なエネルギーが必要だ。自発的に専門機関に電話するのも、ハードルが高い。>と多数の相談機関があるにもかかわらず、ハードルの高さを指摘します。

 

その実態は厚労省のレポートが根拠でしょうか。<厚生労働省が昨年、20歳以上の男女3000人を対象に実施した調査では、自殺を考えたことがある人が24%もいた。しかし、誰かに相談したり助けを求めたりすることにためらいを感じると答えた人の割合は47%に達した。>

 

ただ、この47%の回答者が相談のハードルが高いからといえるかは疑問です。自殺を考えるといってもレベルがいろいろでしょうし、それに自殺を考えるくらいの人は自意識も相当高い人が多いのではないかと思ったりします。他人に頼らない、頼りにならないと考える人も多いわけで、そういう人は決して第三者に打ち明けることは避けるのではないかと思うのです。優秀な人ほど多くないでしょうか。芥川はだれかに打ち明けたのでしょうか。あれだけの感性豊かで想像力のある作品は生死の苦しみの中で自問する心から生まれたのではと思っています(勝手な想像でしょうけど)。そういうことは偉大な文学者に限らず多方面でいると思っています。

 

<SNSで検索すると、多くの自殺願望の書き込みがある。>ということですし、今回の猟奇事件の容疑者もそれを巧みに利用していますね。それでSNSがなにか自殺願望者にとって安易に利用できる手段となっている前提で、次の議論となっているようです。

 

このSNS利用者の特性とか、数がどの程度かここでは取り上げられていませんが、一定の特性があるのではと思います。SNSへ書き込みして、自殺を遂げる、あるいは悩みを聞いてもらって救われるのいずれか、自分の心が定まらない人で、このような書き込みをする人は、孤独であることは確かでしょう。ただ、孤独との対峙がうまくいかないのかもしれません。という私もうまくいっているわけではなく、ただ、長く接して巧み?に慣れ親しんできて高齢者の域に達しているくらいでしょうか。

 

それと何かのときに、だれにも頼れないというか、そう思い込んでいるのかもしれません。それで家族や関係者とも遮断した生き方、生活環境に入っているのかなとも考えたりします。

 

というのは、この猟奇事件の被害者9人中、発見の契機となったお兄さんのいる女性を除き、いまだ身元がわかっていないようですね。なぜ女性7名と男性1名はすぐに身元がわからないのでしょうか。よほど長く関係を絶っていたのでしょうか。若い方たちのようですので、家族・親族が亡くなって一人になっていたということは考えにくいですね。

 

それだけ関係を遮断しつつ、SNSだと自殺願望を書き込みし、それに応じる赤の他人の反応にはなびいてしまう、その対応の軽さみたいなものがこの問題の深刻さではないかと考えてみたりします。まだまだこうだといったものは見えませんが。

 

こういったSNSの問題について、<政府の「自殺総合対策大綱」では「ICT(情報通信技術)を活用した自殺対策の強化」が重点項目の一つだ。しかし、厚労省の担当者は「SNSで自殺をほのめかす人を救済するにはどうすればいいか、手探り状態」と明かす。>

 

ICTとかAIがビッグデータをより解析して、こういった自殺願望に対する対処を仕分けして適切に対応するということは、いずれある程度はできるように期待します。おそらくほんとに軽い意識(ご本人はきわめて深刻で大変でしょうが)で、SNSに投稿する一定の割合はこれで対処できる時代がくるように思うのです。それはしかし当然、限界があるでしょう。

 

<孤独を感じたことがない人はいない。誰にも相談できずに自殺を考えている人は、死にたい気持ちにどう向き合えばいいのか。>この感覚が深刻であればあるほど、SNSだけでなく電話相談もしないでしょう。でもSNSや電話をかける人は、まだ人を頼りにしています。生きた人の声や対応が救いになるように思うのです。

 

<SNSでの「死にたい」という言葉には、続きが隠されている。「ほどつらい」だ。「自死・自殺に向き合う僧侶の会」共同代表、浦上哲也さん(44)は「死にたいほどつらい気持ちを、誰かに受け止めてもらいたい人がいます。苦しみに寄り添い、『心配しているよ』と心を向けることで、救われる命があります」と話す。僧侶に無料で悩みを相談できるサイト「ハスノハ」にも、自殺願望をつづった投稿は少なくない。>という試みも助けになるでしょう。

 

その他いろいろな対応が紹介されていますので、詳細は上記の記事をご覧ください。

 

ところで、記事で紹介されている政府の<自殺総合対策大綱>、今年改訂されたものですが、すごい名称ですね。名称がたいそうなものだけでなく、<当面の重点施策>としてあげられている12項目は、最近の話題の過労死・ハラスメント・子どもへのいじめなどはもちろん含まれていますが、ちょっと驚いたのは最初に<1.地域レベルの実践 的な取組への支援を 強化する>というのがあり、ほんとに自治体レベルでこんな対応をやっているのと思ってしまいます。

 

むろんやれればすごいですが、これを打ち出す勇気のある自治体の首長がどれぐらいいるのでしょう。なんとなく名目におわらないのかと不安になります。

 

わが国の自殺率が先進国中トップであることが、こういった対策を講じる必要性の根拠なのかもしれません。テロによる犠牲がほとんどないといってよいわが国ですが、増加現象がとまり減少傾向すら見えると言っても、自殺率は驚異的なものです。いや、自殺予備軍となるとより驚異的な数字になるかもしれません。

 

幸福の国と評された維新前後のわが国の姿はどこにいったのでしょう。それは異邦人が見た幻想だったのでしょうか。まだ簡単に結論づけることはできませんが、政府の上記要綱を検討して考えてみたいと思います。

 

ただ一言言えば、生死を悩むことは人が生きるための必然ではないかと思っています。それを悩まないで生きることこそ、空虚ではないでしょうか。悩むからこそ生きている存在の証かなと思うのは偏屈でしょうかね。

 

とはいえ、重点施策で取り上げている、以下の事項は中身のある施策を講じる必要を感じています。

 

5.心の健康を支援する環境の整備と心の健康づくりを推進する

6.適切な精神保健医療福祉サービスを受けられるようにする

7.社会全体の自殺リスクを低下させる

11.子ども・若者の自殺対策を更に推進する

12.勤務問題による自殺対策を更に推進する

 

今日はこれでおしまい。