たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFのESG投資>などから少し考えてみる

2017-11-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171123 性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFESG投資>などから少し考えてみる

 

タイトルの話題に移る前に、座間9人殺害事件が少しひっかかるので、とりあげます。この事件で被害者に一人男性がいますが、白石容疑者の供述だと、狙ったのは若い女性ばかりで、男性は想定外のようです。彼は事件直前には若い女性をだまして性風俗店で働かして職業安定法違反容疑で逮捕されています。

 

白石容疑者のこの一連の行為の背景には、女性を、しかも若年の女性を蔑視するようななにかを感じてしまいます。甘い言葉をかけて誘惑すれば自分の自由になるといったものを感じます。でもそういう意識に類似するものは、わが国一部(あるいはかなりの部分)で長い間醸成されてきたのではないかと思うこともあります。ここまでは序論です。

 

男女の平等を掲げた憲法が成立した後も、長年にわたりわが国では女性を劣位におく社会制度が続いてきたように思います。とりわけ性風俗や性表現の世界では、むろん女性や表現者の中には表現の自由として保障されて良い場合もあるでしょうけど、わが国では適切な配慮に欠けてきたのではないかと思うのです。

 

性風俗店は、生ぬるい規制の中で、存続し続けています。男性がサービスするというのはあまり聞いたことがありませんので(ゲイなどのサービスは別にして)、むろん女性のみがその商品として扱われてきました。そんな状況で、とくに未成年や若い女性は格好の餌食になってきたのではないでしょうか。いやいや、最近の少女は大人顔負けするほど自主的積極的という見方も一部正鵠を射ているかもしれませんが、例外でしょう。

 

性表現のあり方も昔に比べれば厳しくなり、電車広告やさまざまな情報媒体でも制限が厳しくなり、公開の場で見にしなくても良い状態が増えてきたとは思います。

 

しかし欧米社会を垣間見ると、わいせつに近い表現媒体はまず子どもや一般市民の目が届くような場所で見かけることはないように思います。わが国のようにある種みだらな画像や活字がまだまだ氾濫しているように思えます。最近電車に乗る機会がほとんどないので、どうだかしりませんが、電車の中でそういった内容の雑誌を平気で広げて読んでいるような人は、日本以外では先進国で見かけないのではないでしょうか。

 

そして本題に入ります。昨夕の毎日記事<ミニストップ成人雑誌、置きません 来年から全店で 千葉市で1カ月先行>と、ようやくコンビニが英断を下してくれました。

 

<コンビニエンスストア大手のミニストップ(本社・千葉市)は21日、来月1日から千葉市内の全43店舗で成人向け雑誌の販売を中止し、来年1月1日からは全国の全2245店舗で実施すると発表した。記者会見した藤本明裕社長は「誰でも安心して使える店づくりをする」と述べた。>

 

そうです、だれでも安心して使える店、さらにいえば、公共の空間はそうであって欲しいわけですので、こういった意識を広げてもらいたいものです。

 

ただ他のコンビニは二の足を踏んだようですから、まだまだ壁が高そうです。<千葉市は昨年度、子供への配慮や2020年東京五輪・パラリンピック開催で外国人旅行客が増えるのを踏まえ、有害図書の表紙の一部をフィルムで隠す実証実験の実施を決定し、同社を含むコンビニ4社に協力を要請。結局、4社とも「作業負担が大きい」といった理由で難色を示し、市は実施を断念した。>

 

しかし、ミニストップ社は、<利用客から「子供の目線で困る」との声もあったことから検討を進め、取り扱いそのものを中止すべきだとの結論に至ったという。同社によると、働く女性の増加で近年は女性利用客が増える傾向にあるという。>そうです、子どもの目線や女性利用客への配慮が必要でしょう。男性でも不愉快な思いをします。あの一画は。

 

<販売中止の対象は「各都道府県が条例で18歳未満への販売を禁止した雑誌類(有害図書)」>は、子どもの健やかな心の成長にも影響することがわかっているのに、なぜこういう商法が許容されているのか、コンビニも含め同様の店舗はしっかり考えてもらいたいです。

 

女性を商品として扱う、それが当たり前と心の底に根付かせてしまう危険があるでしょう。むろんネットの方がもっとひどいでしょうから、その対策が急がれることは確かでしょう。

 

次に、今朝の毎日記事<メディア時評性犯罪への意識は変わった=甘糟りり子・作家>は、性犯罪で被害者となる女性の意識が変わってきた可能性を示唆するものです。今回の刑法改正で男性も被害者になる強制性交等罪が新たに設けられましたが、男性被害者の例はアメリカに比べ希でしょうね。そういえば、映画Disclosureでは女性上司によるパワハラが一つのテーマでしたが、まさに強制制性交罪の事例ですね。

 

甘糟氏は、<今年5月、若い女性がカメラに顔をさらし、実名でレイプ被害を告発した時は驚いた。気軽に「同じ女性として」などとは言えない。あえて言うなら、同じ人間として、その勇気にショックを受けた。>という、女性がレイプされたことを公開の場で告発することの難しさを、女性側を含む社会がそういう意識を作り出していることを示していますね。

 

たしか80年代でしたか、映画The Accused(告発の行方)を見たとき、改めてレイプ事件って女性は大変だなと思いました。ただ、被害女性を演じたジョディ・フォスターはすばらしい演技でした。

 

私自身その前に一件だけやむを得ず引き受けた弁護事件があり、被告人の被害者が嘘を言っているという弁解を裏付けるべくいろいろ調査したことがあります。被害者の立場を尊重(被害事実を明らかにしないで)しつ関係者に聞き取りすることの難しさを感じました。で、その事件では調査の結果、被告人の弁解は信頼できないことから、さらなる調査を要求する被告人と協議して辞任しましたが。それ以降レイプ事件は扱ったことがありません。

 

で、甘糟氏の意見は、伊藤詩織さんが、東京地検の不起訴処分に対し検査審査会に審査申し立て、不起訴相当の議決となり、こんどは民事訴訟を提起したということ、また記者会見で実名でレイプを告発したことについて、朝日と産経だけが短く取り上げ、他は取り上げていないことに、疑義を示しています。

 

<「不起訴相当」となったことで彼女の会見を無視するのであれば、せっかく性的な犯罪や嫌がらせをタブー視せず、現実を知って考えようと変わった世間の意識を帳消しにしてしまう。彼女の言い分がそのまま真実かどうかはわからないとしても。無実を主張している男性側の声も取材して、一連の流れを把握し、紙面で伝えることこそ新聞の役割ではないだろうか。>

 

そうですね、多くのレイプ事件では、見知らぬ同士なら別ですが、知り合いだと(それが多い)、結構強制制の立証が難しいわけですね。二人以外だれもいないのが普通ですから。それだけでなく、パワハラの複雑性を含め男女関係の微妙な関係があると、立証が容易でないことは確かです。それを顔をさらして告発した勇気ある女性について、刑事上は不起訴相当となったとしても、民事訴訟で当事者が対質(相互に尋問)するなど、立証方法によっては真実がより明確になることもあるわけですから、甘糟氏の意見ももっともでしょう。

 

で、今朝からニュース報道されていた熊本市議の話題<議場に赤ちゃん「子育て女性も活躍できる場に」>については、新橋でしたか路上で意見を聞いていましたが、賛成4割、反対6割でした。意外と賛成が多いと感じましたが、新橋駅(私が昔通い慣れた場所)周辺の環境も影響するのでしょうか、これを東京、まして全国の意識とするとどうかと思います。

 

<22日に開会した熊本市議会の定例会で、緒方夕佳(ゆうか)市議(42)が生後7カ月の長男を抱いて議場に入場したため開会が40分遅れる混乱があった。議員や職員以外が議場に入ることは規則で禁じられているが、緒方市議は「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」と説明した。>

 

面白いなと思ったのは、説得しているのは男性議員(かれらが担当だったのでしょうか)ばかりで、それにしても女性議員はほんのわずかでしたね。あのパワハラ暴言の女性議員は見かけませんでしたが、熊本市議会も興味深いですね。たしか熊本の女性は強いとも聞いていますが。

 

ところで、欧米の情報もニュースで流していましたが、結構欧米の議会では赤ん坊を抱いたまま議場に入場する女性議員が見られるのですね。乳を飲ませながら発言している女性議員もしました。これがどの程度一般的なのか、このニュースだけではなんともいえません。

 

ただ、私が90年代半ば、カナダのいくつかの市議会を相当数傍聴していましたが、裁判官の女性比率がかなり高いのと比較して、さほど高くない印象でした。

 

大学では、女性が赤ん坊ではないですが、幼子を連れて授業を聴講するのはさほど珍しいことではなかったと思います。最初はびっくりしましたが、慣れるとなんでもない感じですね。ただ、赤ん坊だと泣き出したらどうしようとか思うのですが、これも社会における共生と思えば自然に受け入れることができるのかもしれません。

 

ただ、お乳をあげるのは男性にはできないですが、ミルクを飲ますことはできるのですから、男性もまた赤ん坊の世話を担うのは当然です。この女性議員の夫はどうしているのでしょうとつい思ってしまいました。女性だけに背負わされている不公正がわが国の中で女性の自立が容易でない一因だと思っています。議場での赤ん坊同席も重要ですが、それ以上に男女が子どもの世話を同等に担うことを確立する方がもっと大事ではないかと思っています。

 

むろん、赤ん坊の世話は母親が向いているということもありますが、それももしかしたら偏見かもしれません。基本は夫婦がその能力・条件などに応じて個々の家庭の特性に合わして分担するのが望ましいのではないでしょうか。

 

最後に、昨夜の日経プラスでしたか、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋理事長がゲストで呼ばれて、その年金投資の推移と取り組みを話題にしていました。

 

記憶で書くので不正確な数字になりますが、高橋氏によると、年金基金が投資を始めて緩やかに収益を伸ばしてきて、これまでに累積60兆円の利益を生み出しているとのこと。そのうち、配当利益が半分の30兆円ほどで、確実な収益(配当は本来景況に影響しますが、一定の配当を実施できる企業に投資ができてきたということでしょうか)を得ているとのことでした。つまり、最近の株高による株式価格の増加によって投資利益を得ている部分は半分程度とのことでしょう。

 

それはすばらしいことです。でも本当に企業の業績増大が株高を引っ張って言っているのかは、神のみぞ知ると思っています。

 

最後に、高橋氏が現在GPIFで取り組んでいるのは<ESG投資>ということです。私がこの言葉を知ったのは2000年代初頭ですが、わが国ではそのような投資スタイルのかけらもない時代が長く続いていました。欧米食に比べ、極端に低いレベルにあります。ただ、世界トップとも表される投資資金をもつGPIFがこの目標を掲げるのであれば、今後日本の投資市場も期待できるかもしれないと思っています。

 

それでこのEnvironmentESocialS, GovernanceGですが、ここでとりあげるのはSの女性の活躍への投資です。長いものには巻かれろ式の日本企業ですので、GPIFがしっかり着実にこの方向を進めば、5年後、10年後はかなり明るい未来になることを期待できるかな、と今日のところは思っています。女性が活躍しないと、社会も家庭も元気がでないでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。