171107 心に潜む偏見 <LGBT・・・性同一性障害の僧、大阪に駆け込み寺>を読みながら
10年のあるとき、高野山大学で、仕事である僧侶とお会いしました。そのとき初めてその外観や言動を見て、一瞬戸惑いました。たしか男性のはずだが、この方はと困惑したのを記憶しています。
高野山にも尼僧がいます。むろん町中で見かける僧侶はほとんどが男性です。高野山大学には<高野山専修学院>があり、<数ある真言宗の修行道場の中でもとりわけ高い評価を受けている僧侶の養成機関です。毎年80名近い修行僧が集まり、1年間共同生活をしながら勉強や修行に励んでいます。>私もなんどか外から外観を見たことがありますが、道場らしい雰囲気を醸し出しています。その中に<尼僧部>があり、<高野山の尼僧(女性僧侶)の修行道場です。>とのこと。前者は僧侶の養成機関ですが、後者は尼僧がさらに修行する道場となっています。いずれにしてもそれ以外では、尼僧が高野山で活動する場は少ないように思います。
だらだらと僧侶と尼僧の話をしてしまいましたが、いずれも外観で識別できますね。そもそも仏教伝来は日本人では尼僧が最初に担ったことは有名ですね。で、なぜか高野山ではいつからか(空海がそうした?)女人禁制が維新まで続きましたね。
ともかく僧侶は、男性と女性で異なる寺(善光寺は例外)で、修行から一貫して異なる道を歩むことが前提にあるようですね。
私の心の深奥にも、そんな性差を根付けてしまっているように思うのです。それが冒頭の困惑に出たのでしょう。
その方が今日の毎日朝刊和歌山版で<LGBT「駆け込み寺」 終活相談や結婚式 性同一性障害・高野山の僧、大阪に計画>(ウェブ情報は10.28東京版)と篠崎眞理子記者が取り上げた僧侶でした。
記事によると、<性同一性障害の僧侶、柴谷宗叔(しばたにそうしゅく)さん(63)が、性的少数者(LGBTなど)のための寺「性善(しょうぜん)寺」を来年度中に大阪府寝屋川市に建立しようと準備を進めている。仏教の勉強のため、51歳で会社を辞めるまでカミングアウトできず、苦しんだ経験を持つ柴谷さん。子供を持たず、老後に不安を抱えることも少なくない性的少数者の「終活」相談など「LGBTの駆け込み寺」を目指す。>とのこと。
男性と女性の違いを外観で識別し、決めつけることの問題意識はあっても、現実に突然、意外な場所で直面したとき、自分の素質が曝露されますね。わたしの内心の困惑は、柴田氏は穏やかに迎えてくれましたので、事なきを得ました。
この記事によれば、柴田氏は51歳まで苦しみながら読売新聞記者として活動していたのですね。記者の場合も当時は(今でも?)ほとんど理解されていなかったのではないかと思います。記者クラブは編集部も含め、外に向かっては差別禁止や公正さ、開示を求めたりしますが、喫煙にしても男性優先にしても、内部のブラックな壁は厚かったのではと思います。
<遍路の途中、装束が男女とも同じことに気付いた。「男性を演じる必要、ないんじゃないか」。心がふっと軽くなった。>遍路は奥深いですね。「同行二人」自体、孤独と救済を的確にすくい取っているようなキーワードです。それに加えて男女同じの装束も、意味があるのでしょう。
<「女子トイレを使ってもいいですか?」。間もなく大学院の職員にカミングアウトした。人生初の経験。その後、僧侶となり、10年に性別適合手術を受け戸籍上の性別を女性に変更した。高野山真言宗も理解を示し、僧籍簿の性別変更も認められた。>
高野山真言宗も懐が深いですね。私のように高野山の内紛や各地での紛争を歴史的にフォローしていると、真の宗教的な意義が見えてこない面があります。柴田氏の脱皮というか、進化というか、今後の「駆け込み寺」にも期待したいと思います。
人は生きていく中で、さまざまな差別化を図る傾向を一方でもっていると思います。他方で、公正さ・平等を常に大切にしようという心を持ちながら、その相克の中で、自分なりの選択をしていくではないかと思うのです。聖徳太子は仏の前にはすべての人が平等といったとか。差別する心を憎むというか、そういう意識をいかに抑制して生きていけるか、私も後残された人生を少しは近づきたいと思っています。
そんな気持ちからつい、この記事を取り上げました。
今日はこの辺でおしまい。