たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

車の未来は <トヨタ 「移動サービス」シフト 自動運転EV、アマゾンなどと開発>などを読みながら

2018-01-10 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

180110 車の未来は <トヨタ 「移動サービス」シフト 自動運転EV、アマゾンなどと開発>などを読みながら

 

トヨタはいま大きな選択のときなのかもしれませんね。いろいろなニーズに応え、新たに参入してきたAIITがらみの企業群との競争の激化、中国・インドなどの新興国の急激な需要増大と技術革新の速さは、従来の自動車業界とは異なる状況になっているように見えます。

 

といって私はトヨタの車の性能や企業体質の一端しか知らない、いやほとんど知らないに等しいながら、すばらしいこれまでの業績に日本企業の誇りとも感じてきました。

 

が、今後もそうなるかは激烈な企業競争の中で試されることになるでしょうね。とりわけ私自身、現在車を保有していますが、いずれは車は所有から一時利用になってしまうのではと思うこともあります。車を愛車と呼んだり、とてもきれいに内装を着飾っている人には、とんでもないと言われそうですが、基本は移動手段に過ぎないものではないでしょうか。

 

必要なときにスマホで呼べばさっと玄関までやってきて、さっと目的地に届けてくれる自動運転車両ができればそんな社会になっていくのではと思ってしまいます。

 

ま、それは私が生きているうちに実現できるかはわかりませんが・・・

 

さて毎日朝刊記事では新たな機運を掲載しています。

トヨタ「移動サービス」シフト 自動運転EV、アマゾンなどと開発 配送、相乗り…ニーズ把握へ>と。

 

豊田章雄社長がピンク色の車両を売り出したときもびっくりさせられ、その後のロボット的な色合いを見せるプリウスをはじめ様々な外観・形状の車両を登場させたことには驚きより、これは私の感覚を超えていると思ってしまいました。

 

いまは固執してきたハイブリッド車からEVにシフトする姿勢を示しつつ、独自の路線を見いだそうと努力しているのがわかります。

 

<トヨタ自動車は8日、米ネット通販大手アマゾン・コムや米ライドシェア大手ウーバー・テクノロジーズなどと連合を組み、バス型の自動運転電気自動車(EV)の開発を進めると表明した。自動運転やライドシェアなど新たな技術・サービスが次々と登場する中、車を使う側の視点を重視しないと生き残れないと判断。他業種との開発連携にかじを切る。>

 

たしかに<バス型の自動運転電気自動車(EV)>なるもの、完全に従来の自動車のイメージを変えるものですね。現代の多様で感性豊かな人ならこれも受け入れるのでしょうか。私には想像できませんが。

 

<トヨタがこの日公開したのは低床・箱形の「イー・パレット コンセプト」。運転手なしで動くライドシェアや配送、移動販売車、宿泊施設などとしての使用を想定する。>

 

用途は多様さを売り物にしているようですが、ニーズとしてはありうることでしょうね。私自身はライドシェアが気に入りましたが、他はこれだけでどこまでニーズに適合するかが勝負でしょうね。

 

いずれにしてもトヨタは、あらゆる可能性のある企業との連携で見えない未来の車両づくりを構想していくようです。もう自動車業界だけの狭い領域で車は作れなくなっているのでしょう。

 

企業コンセプトも豊田社長が<「私の目標はトヨタを自動車メーカーからモビリティー(移動)会社に移行すること」とも述べた。>ように、大きなチェンジを求められているのでしょう。

 

でもこの<モビリティー会社>ということで、未来の需要に応えられるかはいまのところ明らかではないですね。

 

ソフトがどのような進化をとげるか、新たな産業革命・技術革命の時を迎えているのかもしれません。

 

<トヨタの友山茂樹副社長は「クルマは誰にでも簡単に作れるモノではない。IT企業やベンチャーにやれることは限られている」と開発の主導権確保に自信を見せる。>ことに対し、清水憲司、釣田祐喜両記者は不安視しています。過去のIBMの例がありますね。

 

なお、<モビリティー(移動)サービス >については解説でつぎのように書かれています。

 <車などで移動手段を提供するサービス。バス、タクシーなど公共交通機関やレンタカーが代表的だが、近年は1台の車を会員で共有するカーシェアリングや、行き先が同じ方向の人と相乗りすることで運賃が安く済むライドシェアなどが登場。必要なときにスマートフォンのアプリで車を呼び出す配車サービスは欧米や中国などを中心に普及し、米ウーバー・テクノロジーズや中国の滴滴出行(Didi)などが存在感を高めている。独ダイムラーや独フォルクスワーゲン(VW)、米フォード・モーターなどが近年、相次いで移動サービス子会社を設立。トヨタ自動車も今年4月、傘下の自動車リース、レンタカー会社を統合し新会社を設立する。>

 

豊田社長のいうモビリティ会社がこのような内容を意識しているのだとすると、果たして自動車メーカーとして世界に君臨できるか疑問ですが、きっともっと高い理想を掲げているのでしょう。

 

このEVとライドシェアの動き、そして各分野の大企業同士が入り乱れて連携している様子は<クローズアップ2018夢のクルマ、実現間近 IT企業交え開発競う 完全自動運転、今年前半試行も>にわかりやすく解説されています。

 

なお、余談ですが、<パナソニックアマゾンのAIで車載システム開発>の記事では、<米ネット通販アマゾン・コムの人工知能(AI)「アレクサ」を自動車に搭載し、ドライバーが声で車内のエアコンを操作したり、音楽を流したりできるシステムを開発すると発表した。>これって便利かもしれませんが、AIであればいいとも思わないと言うのは私の偏見でしょうか。そういえば私の車にも搭載されているようですが、今のところ使う気持ちにはなっていません。

 

PCと同じで、どんどんさまざまな機能が搭載され余分なものが満載という状態になり、使えないものでPCの速度が遅くなる、私のように理解能力にかけているものにはお邪魔虫になるおそれもあるように思うのです。

 

車を快適空間と位置づけて、自動車開発を邁進してきた自動車メーカー、関連ソフトメーカーも、ライドシェアのように新たなモビリティ社会構造を生み出すような創造力を発揮してもらいたいと思うのは私一人ではないように思うのですが、・・・

 

そろそろ一時間になりました。本日は打ち止めとします。また明日。

 


カヌーイストとして <カヌー 鈴木選手、ライバルに薬物>などを読んで

2018-01-10 | スポーツ

180110 カヌーイストとして <カヌー 鈴木選手、ライバルに薬物>などを読んで

 

私は趣味をカヌーと一応、標榜しています。たしかにカヌーを始めて40年近くなるので、ま、そういってもいいかなと思いつつ、実のところ、現在は完全な「ペーパー」パドラーです。フォールディングカヌーを転居のたび、唯一大事なものとして持ち運びますが、袋に入れたままの状態です。

 

とはいえ、カヌーイストの心はいつも持ち続けています。どこに行ってもレンタルでカヤックなどが借りられれば、川に繰り出します。カナダの西海岸、ユーコン川、アマゾン川支流など、もちろん多摩川、江戸川、荒川、長良川や湘南の海や津軽海峡など、何度も下った川もあります。やはり当時、カヌー人気を高めた野田知佑さん流のゆっくり川を下ろうタイプです。

 

いまブログを書いているさまざまなカヌーイストも、相当な技量を持っていても、カヤックでそれぞれの地域景観の成り立ち、自然生態系の多様さを堪能しながら、また沿岸の人々との触れあい、さらには古代や地質時代に遡りながら、心と体が自然に浄化され、一体化することに喜びを抱いているように思います。そういうブログを時折見るのも楽しみです。

 

ところで、毎日記事、昨日からかつてない問題として大きくカヌー競技者の不正が取り上げられています。最近カヌーやカヤックを楽しむ人が増えていると思いますが、ほとんどは協議とは無縁ではないかと思います。カヌー競技のスプリントも、スラロームも、すごい技量と体力が必要ですし、醍醐味もあるのですが、いかんせん地味に印象をぬけきれないように思います。

 

私自身は、その理由の一つとしてこれまでの協議会場の場所に問題があったと思っていました。それは大抵、こういったカヌー競技を開催される場所が都心から離れた奥地であり、交通の便もよくないだけでなく、設営する会場も、あまり観客を動員できるところを準備できないところだったのではないかと思います。それは競技者にとって不幸なことだと思っていました。

 

2020年オリンピック・パラリンピックでは、豊洲と舞浜が会場となり、観客施設もちゃんとしていて、ようやく檜舞台ができあがると、期待していました。むろん環境問題の点からはたしてこの会場が適切かという疑問も抜けないで、心の中では相克していたのですが。

 

彼らの練習を見たことはないですが、基本、個人競技でストイックでしょうし、自然や歴史景観を楽しみといったことは考えられず、ただ競技に打ち込みばかりでしょう。

 

私が荒川を舞台にカヌーで上流に上ったり、下流下りして東京湾にでていたころ、大学生ですかレガッタの練習中の若者を時折見かけました。朝霞の堰からの下流は当時、水質が悪く、東京湾に近づくほど良くなっていた印象ですが、その朝霞付近で練習しているものですから、とてもよい環境とは思えないですし、夏はとてつもなく暑いですし、冬は寒いです。それを懸命に漕いでいる姿は美しかったです。

 

ボストンのたしかチャールズ川などでレガッタしている姿は周りの木々も美しく水面も鮮やかでとても絵になるのですが、荒川の練習姿も若者の鍛錬する姿のすがすがしさを感じさせてくれました。

 

で本題の<カヌー鈴木選手、ライバルに薬物 「東京五輪出場に焦り」 連盟が除名へ>ですが、<日本カヌー連盟は9日、東京都内で記者会見して、2020年東京五輪の出場を目指していたカヌー・スプリント男子の鈴木康大(やすひろ)選手(32)が昨年9月に石川県小松市で開かれた日本選手権で小松正治選手(25)の飲料に禁止薬物を混入させていたことを明らかにした。ライバルをドーピング違反に陥れるゆがんだ行為について、鈴木選手は連盟の聴取に対し「地元の五輪にぜひ出たいという焦りがあった」と述べたという。>

 

とても信じられない卑劣な行為ですね。カヌーイストであれば考えがたい、いや競技選手というさらに格段の「品格」(これが最近怪しくなりました)を求められる人が犯すことかと嘆息してしまいます。

 

別の記事<カヌースポーツ界、前代未聞の薬物混入 「クリーンな日本」失墜 鈴木「私の弱い部分」>では今回が初めてではなかったようです。<禁止薬物を混入した鈴木康大(福島県協会)は繰り返したという。>

 

しかもそれ以外にもあるようです。<10年以降、パドルなど備品が紛失したり壊れたりするトラブルが相次いだが、今回鈴木は連盟の調べに複数回の関与を認めた。10年の日本選手権ではパドルが急になくなり競技が一時中断したこともあったという。>

 

どういうことでしょう。どこの番組のニュースか一部だけ放映していたのを見ましたが、鈴木選手の義父が取材に応じて、彼から告白を受けたと言うことでした。義父は地元でカヌー教室を開いているようでしたし、娘で鈴木選手の奥さんはオリンピック・カヌー競技に出場を果たした優秀な選手だったようです。鈴木選手は一旦、引退した後家族の後押しもあって復帰したそうですが、こういった周囲の応援が不必要に圧力になっていたのかもしれません。しかし、あくまで彼個人の責任ですね。

 

ところで、ドーピング違反が世界的に問題になる中、わが国のスポーツ界は適切な(あるいは厳重な)管理体制を整備し、これまで一度も違反選手を出してこなかったようです。

 

とりわけわが国の伝統的な競技、柔道を含め、注目される野球、サッカーなど多くの球技種目や体操・水泳などはしっかりした管理体制だけでなく、個人一人一人もチームの中で、また練習を通じてフェア精神が養われてくるのではないかと思うのです。

 

他方で、カヌー競技はどうでしょう。個人競技で、注目度も今ひとつ、他方で、海外に出れば違反薬物は横行しているわけですから、個人の意識だけに頼っていることでは、この情報社会・ネット社会では適切な管理が行き届かないかもしれません。カヌー自体、競技スポーツの歴史はわが国では浅いと思います。

 

最近はやりのフリークライミングも似たようなところがあるかもしれません。元々わが国ではロッククライミングや、身近では城の石垣・崖上りは人気がありました。それはスポーツというより趣味の世界でした。安全管理の面では不十分で張っても、トップになるためにアンフェアな方法とか、違法薬物をライバルに飲まさせるといったスポーツ精神に反することはありえなかったですね。私も石垣上りの愛好者の一人でしたし、沢登りもよくやりました。

 

オリンピック競技のあり方が問われる時代です。

カヌースポーツ界、前代未聞の薬物混入 鈴木大地・スポーツ庁長官、リオ五輪銅メダル・羽根田卓也、JOC・竹田恒和会長の話>で指摘されているように、あらゆるスポーツ競技に改めて注意を喚起して、多くの人に感激を与えるフェアな場を提供してもらいたいものです。

 

翻って、わが国にカヌーが利用されるようになったのは戦後でしょうか。いやいや、宮本常一氏の見方では、南方からカヌーでやってきた民族が島伝いで日本列島の海岸線を縦横に行き来し交易し、縄文文化の一翼を担ったのではといった指摘があったと記憶していますが、その可能性を感じています。

 

ちょうどそんなとき、モアイの巨大像があるイースター島にやってきたのは台湾の近くの島から、カヌーにアウトリガーを取り付けて太平洋の大海原を越えていったという放送がありました。筏よりは安定性があり、これは現実性があるなと思いつつ、カヌー文化の広がりを大事にしたいものだと思うのです。とりわけそのような勇気ある人たちが、さらに巨大像を造り運ぶという、偉大な文化を創り上げたわけですから、カヌーイストはすごいです。


 

追補

 

いろいろ書きたくなることが浮かんできて、何を書こうとしたかを忘れることはいつものこと。今回はいくつかありますが、とりあえずカヌー団体のうち、河川・海岸を利用してレジャーカヌーというか、水面利用のあり方を積極的に取り組む団体がないことを指摘しておきたいと思います。

 

アメリカで有名なのは全米カヌー協会(ACA)ですね。ある意味では全米ライフル協会ばりにかなりの力のある圧力団体ですね。ダム開発を含む多様な河川横断型開発対する保全活動、漁業者との水面利用をめぐる合理的な利用ルールの確立など、その動きは見習うべきものがあります。

 

ところがわが国には日本カヌー協会も含めそのような存在意義を示した例は聞いたことがないというか、たぶんそのような活動団体があるのかしらという状況だと思います。

 

むろん北米におけるカヌーは冒険・征服・交易のため17世紀以降ほとんどの河川が活用されてきた歴史もあるので、その重みは銃使用と似通った部分があるかもしれませんが。

 

とはいえ、釣り師の団体や漁協団体の圧力と比べれば、無に等しい状況はなんとかしないと、自然生態系豊かな日本の河川・海岸線の回復は心許ない状況です。そういう側面にも目を向けてもらえればと思うのです。