たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

河川津波で何を考える <NHKスペシャル 「“河川津波” ~震災7年 知られざる脅威~」>を見ながらふと思う

2018-03-05 | 災害と事前・事後

180305 河川津波で何を考える <NHKスペシャル 「“河川津波” ~震災7年 知られざる脅威~」>を見ながらふと思う

 

いま外は豪雨です。いくつかの裁判書面を書いている中、地響きのする雷音が鳴り響いていました。10分間雨量30mm以上?とも思われるたたきつけるような雨音もかなりのものです。なお、時間雨量とか一日雨量とかはそれなりに意味がありますが、私は分単位、とくに10分間雨量とかがどのくらいで、それがどのくらい続いたかを気にしますし、もちろん累積雨量としては3日間程度も気にします。ある事件で、時間雨量を調べるだけでは地滑りとか、崖崩落、斜面崩壊などの原因要因を調査するうえでは不十分と感じたのです。

 

というか、分単位で調べると、雨量というのは相当幅があることがわかります。というか、これは大変だと豪雨の中外にいると不安になりますが、通常は、長続きしません、休憩時間?があるんですね。自然も巨大エネルギーを持続させるには休みもとらないといけないのでしょう。

 

と余分な前置きをしてしまいましたが、見出しのテーマ、昨夜見ました。「河川津波」ってどんな特殊な現象なのだろうと興味をもったからです。

 

私はアマゾン川の大遡行をつい思い出しました。7000km以上もある世界最長の川で、ときには河口から800kmも逆流というか、大遡行をしちゃうわけですね。これは映像で過去に見たことがありますが、まさに龍神が上流に向かって角を立てて上っている感じでした。

 

でもNHK番組で映像化されたものは、残念ながら、東日本津波の河川遡行としては実写された物ではありませんでした。シミュレーションで遡行、というか「河川津波」を描いていました。

 

これまで津波被害は、もっぱら沿岸周辺からはじまって平坦な大地を侵入する様子が映像で実写されてきました。ただ、実際は、海岸付近には多数の大中小河川が流れ込んでいて、大津波の時、一部では何10kmも遡上したという指摘があったと思います。

 

北上川の古戦場など、多くは氾濫原ですから、河川津波が起これば浸水被害が甚大になったと思いますし、現在は利用制限区域になっているようです。

 

番組では砂押川という中小河川で起こった河川津波をシミュレーションしていたかと思います。平地部は時速30kmで津波が進みますが、河川内では40kmとさらに速度が速まるというのです。

 

その理由については、とくに解説がなかったように思うのですが、護岸壁で囲まれていて、障害物がないため、遡行がスムーズにいくのでしょうか。ま、いえば、津波の幹線道路になってしまうのかもしれません。

 

こういった護岸工事は、洪水対策という治水事業として、上流部、中流部から吐き出される雨水量をできるだけ早く海に吐き出すためになされている、他方で、堤防外の利用価値を高め、安全性を確保する役割を持っているのでしょう。

 

しかし、海からの逆流という、河川津波は想定していませんので、こういった遡行があれば、逆に簡単に上流に向かうことになるでしょうね。

 

ただ、要因としては、それだけではないと思うのです。沿岸部、とくに河口付近は、堤防により陸地への日常的な高潮が来ないように対策をとっていますが、これが津波にとっては障壁になり、河口の空いた部分は逃げ道となって、河口に入った途端、勢いを増すことは想定できます。

 

通常、たとえば荒川が東京湾に流れ込み河口では、大変な三角波が発生しています。東京湾に流れ込む太平洋の海流と荒川を下ってきた淡水とが猛烈な衝突を繰り返しているのです。普通の時は、それで相撲のぶつかり状態でそれなりに平衡を保つのでしょう。

 

でも大津波となると、それは一気に河川流の流れを打ち負かして、遡上するわけですね。

 

で、この点で少し問題を指摘しますと、昔、横須賀市の久里浜海岸(あのペリーが上陸した地点ですね)に流れ込んでいる平作川という小さな河川が洪水被害を発生したことがあり、そのとき問題になったのが違法駐留している無数のボートや船がその要因の一つとされたのです。その後、違法駐留船舶を移動させる施策がとられた記憶です。これが津波による影響だったのか、上流からの大量の雨水流によるものだったのかは記憶が定かではないので、適切な例といえるかは、書きながら、ふと躊躇してしまいました。

 

この河川津波の時も、一部の映像で船が遡行流とともに流されていましたが、これが多いと橋桁にぶつかり、堰き止められて、そこから破堤、越堤など洪水発生のおそれがでてくることもあるでしょう。この津波ではなかったように思えますが・・・

 

河川津波で怖いのは、護岸工事は、本来の氾濫原を平地利用する、それを保護するために行われてきたと思いますが、それが想定外の河川津波に遭うと、越堤が起こりやすいですし(元々氾濫原ですからね)、そうなると被害が甚大となりますね。番組では多くの犠牲者が出たと言うことでした。

 

で、私が気になったのは、河川流(つまり上流部など上方から下ってくる水流ですね)と河川津波が合体したとき、その水嵩はさらに増えて、越堤は極めて容易になることの危険性です。さらにいえば、通常、上から下ってくる水流と下から上がってくる水流がぶつかれば、アマゾン川の大遡行ほどのウェーブができないとしても、当然、水の流れが立ち上がるというか、あのプレートテクニクスと同じように隆起してしまうのではないかと思うのですが、これは素人発想でしょうかね。

 

こういった河川津波特有の、水の形態、流れは、番組では追求されていなかったように思うのです。

 

これが仮にそうであったとしても、この河川津波を回避したり、最小化したりする手法は、簡単には見つからないでしょうね。強いて言えば、いま大丈夫と思われている高い堤防方式がさほど安全ではないことを、意識を持ってその周辺に住み、どう逃げるかを改めて考えておくことでしょうか。

 

地震列島日本、プレートテクニクスの複雑な連続的衝突の上に立っているわけですから、災害の発生は不可避と考えて、具体的な対応策を真剣に取り組むことしかないでしょうね。

 

そろそろ一時間近くになりました。何を書こうとしたのか忘れてしまいましたが、雨音も強いですし、今日は早めに帰宅した方がいいかもしれません。

 

ということで本日はこれにておしまい。また明日。

 

 


公害訴訟と弁護士 <公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ・・豊田誠氏>を読んで

2018-03-05 | 司法と弁護士・裁判官・検察官

180305 公害訴訟と弁護士 <公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ・・豊田誠氏>を読んで

 

いや懐かしい顔が毎日朝刊の紙面一杯に掲載されていました。<そこが聞きたい 公害病訴訟半世紀の歴史的意義 温暖化、原発に教訓生かせ 全国公害弁護団連絡会議初代事務局長・豊田誠氏>にあった豊田誠さんです。彼の存在は、日弁連の活動の中でも異彩を発揮していた、一時代を築いたような印象があります。

 

豊田さんが大勢のいる会議で発言すると、その切れ味鋭い、本質をついた内容は、会場の多くの参加者には心の深いところに訴えるものがあったように思います。小柄な体格でしたが、よく通る声で、この分野のリーダーの一人として、体験に根付いた発言は心に響いていました。私もその一人でした。

 

四大公害訴訟は私が学生時代に新聞を賑わし、最も影響を受け、その後その担い手の人たちと交流の機会をもつことができました。

 

豊田さんは訴訟参加へのきっかけについて<1967年に若手法律家の研究会で誘われたのがきっかけです。翌年1月には、イ病治療の第一人者として知られる医師の故・萩野昇先生から「自分は医者として最善のことはやるが、患者を救済するのは法律家の課題ではないか」と泣いて訴えられたことに心を動かされました。弁護団は地元の故・正力喜之助弁護士が団長を務め、若手を中心に約30人が思想信条を超えて結集しました。イ病の悲惨さが弁護団を団結させました。>

 

これはイタイイタイ病事件だけでなく、熊本水俣病事件、新潟水俣病事件、四日市公害訴訟でも、若手弁護士が手弁当で主導的な役割をしているのです。ベテラン弁護士の多くは過去の裁判例から勝訴の可能性を見通せず二の足を踏んでいたのです。

 

ベテラン弁護士が豊富な体験から裁判事件を勝訴に導く可能性と、それが新しい問題だった場合に「賢明な判断」の基、訴訟提起を躊躇する可能性、リスクを回避する可能性とは、一定の相関関係があるのではと思うことがあります。

 

豊田さんをはじめ当時若き弁護士たちが、理論より、裁判例の蘊蓄より、患者・被害者の山上を眼の辺りにして、情感で訴訟参加を止められなかったのではないかと思います。

 

豊田さんは<強調しておかねばならないのは、イ病訴訟の勝訴によって公害被害者の「敗北の歴史」が「勝利の歴史」に転換したことです。公害の原点としては足尾銅山の鉱毒事件が知られていますが、四大公害病訴訟以前の日本の公害は、企業や官憲の抑圧により、ほぼ泣き寝入りの歴史でした。イ病での勝訴は、苦渋の歴史を歩んできた全国各地の公害被害者と弁護団に「やれば勝てる」という確信と勇気を与えました。>

 

私は後日、神通川のほとりに立って、そのような被害者、弁護団の思いをわずかながら感じたことを覚えています。

 

ところで、豊田さんは、<勝訴の背景には法理論的な発展もあります。>これは豊田さんが指摘している牛山積氏以外にも多数の法学者にとどまらず、垣根を越えた科学者の支援が幅広くあったことを忘れてはならないと思います。それもほとんどがボランティア参加でした。

 

四大公害訴訟は、もしかしたらそういうボランティア参加が垣根を越えた法学者・科学者の中で広がった最初の時期ではなかったかと思います。70年前後の安保闘争とは少し異なる闘いが地に着いた形で広がっていったと思います。

 

豊田さんが理論的な革新性として、<訴訟の中で、カドミウムとイタイイタイ病の因果関係をどうとらえるかが問題となったのですが、そこで出てきたのが早稲田大で教授も務めた牛山積(つもる)さんが当時提唱していた「疫学的因果関係論」です。>を指摘しています。

 

そうです、私も当時、この議論をわからないまでも勉強したように思います。この「疫学的因果関係論」が他の公害訴訟でも、常に基本的な要素となり、これによって勝訴を勝ち取ったいったと思います。

 

従来は、原因物質を割り出し、閾値を明確にし、閾値を超える質・量について、発生源から人体への影響まで、発生機序を科学的に解明して結果に導く証明が求められていたと思います。

豊田さんは<三井金属側は「カドミウムがどのぐらい体内で蓄積されると、どういったメカニズムで病気が発症するのか」について証明を求めたのです>と指摘している部分です。

 

これに対し<弁護団は、そういった「量と質」を証明しなくても、神岡鉱山からカドミウムが神通川に流れたことや、その水で米を育てるなどした地域と発病地域との統計的な相関関係を示すことができれば法的には十分だと主張し、判決でも認められました。>

 

話しは変わりますが、20年近く前でしたか、ある大きな訴訟について、豊田さんに弁護団長を頼んだことがあります。彼はもう私の時代ではないよ、君たち若い世代の時代だよみたいなことをおっしゃって、やんわりと断られました。

 

ところが、いま東京電力福島第1原発事故について、<「原発こそ最大の公害だ」と表情を硬くした。避難者訴訟には「弁護士人生をかけて飛び込んだ」という。80歳を超えても気力は衰えない。>一兵卒として、頑張っている姿が見えてきます。豊田さんらしい「高齢者」弁護士の姿です。

 

少し痩せた印象ですが、意気軒昂な様子を拝見し、今後も活躍されることを祈っています。

 

<私たちは今、公害被害者に寄り添い続けてきた人の怒りに耳を傾ける必要があるのではないだろうか。>と取材した古川宗記者の言葉も大事ですね。

 

ここで終われば豊田さんの紹介に終わるのですが、半世紀前に席巻した「疫学的因果関係論」について、当時の公害訴訟としては重要な役割を果たしたことを適切に評価すべきと思っていますが、現代の複雑多岐に進む科学技術の進歩は、それでは問題の解決にならないおそれを感じています。

 

そもそもこの考え方は、ドイツ法制を移入した「相当因果関係論」といった法概念を前提に、当時、深刻化しつつあった公害に対処するために、うまれた議論であったと思います。

 

そして現在も、常に原因物質は何か、その閾値は何かが問われています。ただ、科学的因果関係論として、そのような理解が適切かは改めて検討されるべき時代に来ていると思うのです。

 

そもそも疫学は、医学の世界で唯一の科学的な因果関係の成否を調査解析判断する分野ではないかと思います。その手法として、原因物質の特定は必須ではないのです。医師はこの薬はこの症状に効果があるとか、この病変の診断名は○○であるといった診断の根拠は、まさに疫学です。わが国では病理学が幅をきかしていますが、それだけで判断できるわけではないのです。

 

他方で、訴訟分野でいうと、北米での民事訴訟の因果関係は疫学的証明という確率論が中心とうかがっています(ま、20年近く前にアメリカ法の専門家からの聞きかじりですが)。

 

でなにを言いたいかというと、現代の大気汚染、水質汚濁による健康被害は、多様な化学物質による複合汚染が累積的に影響することにより発生している可能性があり、それは個別の化学物質の閾値とそれを超えているか否かといった考え方では、因果関係を解明できないというのです。

 

これは当時、うかがった津田敏秀岡山大学医学部教授の話です。私がお会いした頃はまだ講師だったかと思いますが、その情熱、議論は的確でした。上記の議論は津田氏の詳密な論文を十分理解できていない中で、記憶で書いていますので、話半分にしておいてください。

 

いま津田氏の因果関係論は、私の頭の中で支配しているもの、神経回路がのんびりむーどになって追いつかなくなって、彼の活躍を期待するのみです。