たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人というものの複層構造 <NHK 草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>を見ながら

2018-03-30 | 戦争・安全保障・人と国家

180330 人というものの複層構造 <NHK 草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>を見ながら

 

数日前でしたか、中国の山間地にある村人の集団移住を描いたNHK番組を見ました。途中から見たので、なぜ、どのようにして集団移住が決まったのかはわからないまま、決まった後の場面を見ました。ある集落では一人だけ残され全員が移住することになり、みんなでバスに乗って、真新しい分譲地に向かいました。外観は立派ですが、内装・設備はかなり時代遅れで、これが中国の一面かなと思いました。それは氷山の一角でした。集団移住した彼らには仕事がないに等しいのです。なんと学校にも行っていないため、自分の名前も書けない、数字もわからない状態でした。これでは都市住民が成長を謳歌して内外で派手な生活をしているのとの大きな落差を感じてしまいました。

 

30年近く前だったでしょうか、東北部に取り残されていて帰国した日本人家族の事件を担当しましたが、そのときその村での生活実情を聞いたとき、戦前か維新前のような暮らしぶりと、生活意識に驚きましたが、TVに映っている移住民たちもさほど変わっていない様子でした。中国の成長は、都市部だけであって、地方ではまったく異なる文化・文明状況に閉じ込められているのではと思ってしまいました。

 

このときは眠気を催しながら、ついつい見てしまったのですが、内容が曖昧ですので、再放送があれば見てからこんど取り上げたいと思います。

 

このような中国の中にある格差、それは都市圏内にもあるでしょうし、その格差構造は複雑に入り組んでいると思われます。多民族国家である中国について、TVニュースで一面だけ見ても到底理解できるものではないでしょう。それでも一つの事実を知ることは、違った見方ができる一つの要素として重要だと思うのです。

 

そんなことを昨夜見たNHKの<草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!>でより強く感じさせられました。

 

草薙氏と柳澤NHK解説者?とのソウル市内でのアパート同居生活は、短期間ながら、韓国人の一面を見るのに、いい内容を提供してくれたと思います。

 

ソウル市というか、韓国には一度も訪れたことのない私としては、とても興味深い内容でした。これまで隣国である韓国へは、なんどか誘いを受けながらも、あまり興味を抱くことがなかったため、足を踏み入れないままでした。当地にやってきて、古代の朝鮮に興味を抱くようになってからは、行ってみたい国の一つになったのですが、飛行機に乗ること自体億劫になってしまい、いまではTVで他人の視点で見るだけでも満足しています。

 

ソウル市の中心街などは時折、TVで放映されているのを垣間見ますが、都市化しているためか、あまり大きな違いというか、特徴を感じることができないことが多いです。

 

ところが二人が選んだ場所は、その市街地の外れあたりにある、高台でした。かなり古そうな住宅街の中に、二人が選んだアパート?はきれいにリフォームされたのでしょうか、都会的な内装で、しかもリビングの窓からはソウル市街が一望できる一等地のような眺望を堪能できるところでした。

 

しかし、それはその部屋だけが都会的センスをもっているように思えました。周囲はソウルの異なる雰囲気を残していました。多くの住民は、朝鮮戦争で故郷に帰ることができなくなった元北朝鮮の人、北朝鮮から逃れてきた人などで構成されているようです。

 

草薙氏は10年以上前に韓国に滞在し、韓国語もある程度話せ、彼のことを知っている人に呼びかけられるほどでした。それでも北朝鮮と関わりのある人と接触するのは初めてだったのでしょう。柳澤氏は通訳付きで取材に取り組んでいました。北朝鮮から逃れてきた人などが通う教会に入り、その中で、80代の女性二人が戦時中の写真が自宅にあるので、それを見せながら話す約束を取り付けたようです。ところが、その後断りの電話が入りました。それは日本のテレビ局の取材に応じて戦時中の話をしてそれが放映されたとき、どのような批判の声が上がるかわからないといった忠告があったようです。

 

TVの前に現れる韓国人の多くは、占領時代の日本人の悪行を取り上げて批判するのが当然のようになっていますね。それが韓国人すべての考え方というより、ごくわずかの人が仕向けているのかもしれません。その実態はわかりませんが、次のエピソードなどはそう感じさせるものでした。

 

二人がその町中を歩いていて、ドアが開いているビルの一角に入っていくと、年老いた女性たちが集まってなにかをやっていました。二人が挨拶をすると、険しい声で日本人批判を何人もがしていて、とてもその場にいられないような状態でした。ところが柳澤氏が一人に話しかけると、普通に話しをして、批判の声もおとなしくなりました。そして別れ際、おそらく批判していた人でしょう、日本人が嫌いではないとも言っていました。

 

TVなどの前では、占領時代の日本人への批判をしないと、かえって仲間から、あるいは韓国人の多くから非難されることをおそれているように思えるのです。

 

むろん戦時中の非道な行為の責任について、国家間での協定で解決済みというのは、国民一人ひとりとしては納得できないことも少なくないでしょう。傷つけられた心の痛手は生涯にわたって残るでしょう。

 

そういうことについては、私たち日本人も、自分が行ったことではないわけですが、国民として意識をもつ必要を感じています。とはいえ『帝国の慰安婦』で書かれたような、一定の客観的な事実に基づく主張であればきちんと受け止める必要がありますが、根拠の乏しい主張の場合は、敢然として議論する必要があると思うのです。

 

とはいえ、ソウルの中の北朝鮮の人の立場も複雑でしょう。朝鮮の統一といいますが、朝鮮自体が元々、3つ、あるいは多数の国に分かれていた時代の方が長かったのではないかと思うのです。北朝鮮が領土とする地域は別の民族が長く支配してきたのですね。また、魏志倭人伝にも登場する楽浪郡は平壌を中心として、長い間中国の有力な地域として独立的存在を保っていたわけですね。

 

わが国の統一国家以前、その後の戦国時代といっても、朝鮮ほど異なる国の様相は経験がないのではと思うのです。その意味で、朝鮮というか、北朝鮮や韓国という国、人を理解するのは容易ではないとも思うのです。

 

といいながら、私は日本人の血には、朝鮮を中心に他民族の血が相当入っていると思うのです。律令国家を形成する以前にどのくらいの人が朝鮮半島から渡ってきたでしょう。その人たちの血は日本人と一体になっていると思います。というか、そういった血統といったものが歴史の変遷の中でどれだけの意味を持つのかも疑念を持ちたくなります。

 

でも私たちは、そういった歴史に刻印された記録(多くは国家が規定したものでしょう)によって人を見てしまう傾向を否定できないように思うのです。今回の二人の小さな旅は、ほんのわずかでも国家が作ってしまった刻印を薄めてくれて、人というものと対峙するチャンスを与えてくれたかもしれません。

 

イムジン川を歌った北朝鮮に故郷のある歌手、とても心に響く歌声でした。やはり歌って素晴らしいですね。

 

今日も脈略なく、書いてしまいました。おしまい。また明日。