180313 映像の力と人の魅力 <NHK 福島タイムラプス 震災7年目の映像詩>を見て
今日もなにかと忙しくして、本当は仮眠する時間をいつの間にか通り過ごし、裁判所に出す書面づくりや刑事事件の接見をしたりで、ようやく今日の仕事を終えたらもう7時前になっています。
田舎生活でのんびりと暮らしているつもりでも、仕事が入るとついのめり込んでしまい、若いときのようにはいかない体を無理に動かせています。とはいえ、都会生活と違い、基本、暗くなると仕事をしないという意識が定着しつつあります。深夜午前様、最終電車に乗れたり、乗り遅れたりの生活が自分にあったのかと、今は不思議に思うくらいです。
時が経てば人も環境も変わりますね。人の気持ちも変わる部分がずいぶんとあるように思うのです。それでも変えない、自分というものを、あるいは存在する根拠を永遠に思いたいという人もいるでしょう。
そういう有り様は、東日本大震災では、いろいろな人が様々な取組で描かれてきたりしてきたように思います。一昨日、3.11の日曜日の夜、たまたま、衝撃的な映像につい引き込まれてしまい、最後まで見てしまいました。
最初は映像がもつその鋭敏な感覚のような、あるいはミクロの世界まで切り取ったような、またあるいは背景に流れる時の経過が見せる迫力と静止したかのような前景とが見事に調和がとれた映像に魅せられたのです。
でも見ていくうちに、映像者の姿勢、対象への感情移入というか没入に、強く打たれるものがありました。いや、対象となったそれぞれの生き様に、人間の凄さ、弱さ、そして人の生き様に惹かれたのかもしれません。
それは<NHK BS1スペシャル「福島タイムラプス 震災7年目の映像詩」>です。
その映像手法は「タイムラプス」という<連続撮影した写真をつないで動画にする技法>です。写真を動画にするのですから、それだけでも大変だとわかりますが、その手法も一部紹介されていました。
タイムラプスの撮影をしているのは<清水大輔(しみずだいすけ・41歳)さん>
<一年に渡り福島県各地を訪ね歩き、震災から7年たった故郷の風景の“今”を撮影していく。傷ついた風景の向こうにどんな再生への光が見えてくるのか。タイムラプスならではの映像美で再生への道を歩む福島の姿を伝える。>それが今、静かな反響を呼んでいるというのです、たしかに凄いのです。
清水さんの撮影方法は、たとえばあるカルデラ地形の山の撮影をする場合、キヤノンの高感度画像のカメラを手持ちで構え、肩幅程度でたった上、高速シャッターを切りながら、カニ歩きのごとく、横に少しずつずれて、連続撮影をしていくのです。
この多数の画像をつないで動画にするわけですが、当然ながら、一枚一枚の画像には微妙にずれが生じますね。それをある画像処理ソフトを使って符合するようにあわせていくのです。それは大変根気のいる作業です。たとえばパノラマ写真を4,5枚の写真で合成しようとしても、簡単ではないですね。それを動画にするわけですから、むろん枚数も半端ではないのですから、根性物語です。でも清水さんの表情は童顔で明るく誠実さが表情に出ていて、人なつっこさを感じさせます。
まだ独身だというのですが、こんな雰囲気のある、根性のあるいい青年を一人にしておくのはもったいないと、高齢者としては余計な言葉まででそうになります。
ところで、清水さんは、番組では4人の個性の強い人物と会い、語り、いや、その声をしっかりと心に納めるのです。それは、福島の7年を苦難の中で生き抜いてきた7年をしっかりと受け止めるのです。
その一人、松村直登さんの姿は強烈でした。彼は避難指示に従わず、一人残って現在に至っています。彼の母親が避難指示で指定された避難場所には住めない、一人残るというのを聞き、母一人残すことができないということで、残ったのです。
そこは山間の長閑な場所です。松村さんは農業と建設業をしていたそうですが、被災後はすべてダメになったのです。そして今は捨てられた犬や猫のえさやりをしてるのです。それは軽トラ一杯の餌が毎日必要だとか。決して健康そうな犬猫ではないですが、飼い主も連れて行けなかったのでしょうね。
彼が案内した場所は、以前牛を飼っていた農家がいなくなった牛舎でした。がらんどうになったそこに見えてきたものは、たくさんの牛の骨です。松村さんは、子牛が母牛に乳をせがむのですが、母牛は相手にしない。自分の餌もない中では乳もでないのです。家畜は人間が放置した途端、生きられないのですね。
松村さんは、他にも枯れ草を用意して餌をやっていました。細身の不揃いの牛たちです。どこかの牧場主の牛たちで、いろいろなところからやってきたそうです。それでも松村さんは生き物は一緒ということで、餌をやっています。
その松村さん、手入れをしていない杉林に入っていきました。巣箱に近づき、蓋を開けて、中からヒナを捕りだしたのです。手のひらにのったヒナたちは餌をねだるように一生懸命鳴いています。元気です。そうしたら、母鳥の甲高い声が聞こえてきました。はやく出て行ってくれといっているのでしょう。それはそうですね。
でも松村さん、この巣箱を利用して野鳥の定期観察を継続しているのです。日本野鳥の会だったか、どこかの大学だったか、その委嘱で、野鳥の健康状態を日誌につけて、細かく観察記録を残しているのです。
森の除染は、とりわけ帰還困難区域ではあまりやられていないでしょうから、野鳥が餌にするような虫なども放射能汚染の影響が相当強いと思われますが、意外と元気なのですね。
松村さんは、野鳥が元気に育っていたら、人間も生活できる環境になるといったような発言をしていたように思います。彼は厳しい環境の中で一人生存を全うしてきたのですから、汚染の影響を体現しているのですね。静かな語りながら、壮絶な人生を歩んでいる、そして信頼に値する人と思うのです。避難指示に従わなかったけど、私がその立場に置かれたら、迷うだろうなと思います。
で、松村さん、清水さんの美しい福島の映像詩が映し出されたPC画面を見て、一言つぶやきました。いくら美しいものをとっても、帰ってくる人はいないと冷静に、そして冷たく言い放ちました。
おそらく清水さんは、多少は予想していたとしても、相当ダメージを受けたと思います。でも清水さんはそれで引き下がる人ではありません。
杉林の中に入っていって、しばらく歩いていました。そしてふと体が不自然に危なっかしい動きになったのです。それは除染で刈り取った後の中に、新緑の葉っぱがどんどん出てきていたのです。それを踏みつけないように、踏み出した足が行き所を失うような状態になったのです。
そして清水さんはしばらくその葉っぱを見ていました。そして決断したかと思うと、自作のカメラ移動装置を使って、その杉林と新緑を撮影したのです。
それを後日、松村さんに送りました。杉林と新緑が刻々と変わっていく日の光、風のささやきの中で、汚染の暗闇を吹き飛ばすかのように、自然の回復していく様子のごとく、見事に捉えていたのです。松村さん、一言、こんなところがあったのかと思わず、おそらく心の中でにんまりとしたのでしょう。
ちょうど一時間となりました。今日はこのへんでおしまい。また明日。