たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

障害者介護に司法判断 <65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>などを読みながら

2018-03-14 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180314 障害者介護に司法判断 <65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>などを読みながら

 

ある裁判事件で和歌山市まで往復し、刑事事件の件で関係者といろいろ連絡していると、もう7時近くになりました。なんと時間が経つのが早いこと。光陰矢のごとしはさすがに言い過ぎですが、もう少しゆったりと時間をもちたいと思うのですが、なかなかそうもいかないこの頃です。高齢化の影響も受けているのかもしれません。いや、そんなことを理由にしてはいけませんね。

 

昨夕の毎日記事を見て、驚いてしまいました。<障害者介護65歳以上で打ち切り きょう初の司法判断 浅田さん「年齢で扱い異なるのは不平等」 地裁 /岡山>(ウェブ情報は今日付になっています)という見出しに、一体どういうことと思ってしまいました。

 

障害者に対するわが国の制度は縦割り行政の狭間で統合的な配慮がなされていないことを感じることがよくあります。それを杓子定規に行政運営していると、差別的扱いになることを考えられない行政当局の姿が浮き彫りになることが、最近の司法判断で時折見かけますが、今回も岡山地裁が異なる判断をしていれば、司法の正義がどこにあると問われることになったのではと思うのです。

 

本日午後4時すぎに配信された共同通信記事は簡潔ですので、その背景事情について毎日記事を引用しながら追っていきたいと思います。

 

原告は<脳性まひの浅田達雄さん(70)>毎日の高橋祐貴記者の取材に応じて話しています。<「重度障害者が人間らしく生きたいと願うのは、許されないことでしょうか」。岡山市内の自宅で、電動車椅子に座った浅田さんは机上の文字盤をゆっくりと指した。

浅田さんは手足などに重度のまひがあるが、1人暮らしをしながら原稿のパソコン入力など仕事もしてきた。>すごいですね。私の依頼者だった方にも交通事故で手足が不自由でもPCを巧みに動かし、手足の不自由な人用に改良した車両も運転したりできますが、いろんな不便を抱えています。その方を見ていると、浅田さんの大変さもある程度理解できます。

 

当然、一人だけで生活はできませんね。浅田さんも<年齢と共に家事や入浴など生活全般で介助が必要になり支援法に基づいて月249時間の介護を受けていた。低所得のため自己負担はなかった。>といのです。

 

<状況が一変したのは2013年2月。65歳の誕生日の3日前、支援法の介護サービスの打ち切りを伝える市の決定が突然届いた。>理由は次の事情によるのです。<同じサービスがある場合は「保険優先」という現行の社会保障制度の原則がある。支援法にも「介護保険で同様の給付を受けられる時は、自立支援給付を行わない」という趣旨の規定があり市は厳格に適用していた。>

 

<浅田さんの収入は月約15万円の遺族年金だけ><ボランティアによる支援では限界があり>結局、<翌月にやむなく介護保険の利用を申請した。>その結果<介護保険は原則1割の自己負担で月1万5000円が掛かる。>この負担は浅田さんの収入にとっては極めて大きいですね。

 

それで<浅田さんは13年9月に「障害者が高齢かどうかで扱いが異なるのは、法の下の平等を定めた憲法に違反する」と訴えて提訴した。>これに対し、<市は打ち切り処分を見直し、支援法による介護サービスを認めたが、時間が十分でなく、浅田さんは今も介護保険を利用している。浅田さんは「市は『支援法で決まっているから処分は正しい』と主張し続けた。弱い者いじめではないか」と訴える。>

 

このような問題は全国に起こっているわけで、<65歳に達した障害者を巡り、国は2007年に「一律に介護保険優先とはしない」と通知し、自治体に柔軟な対応を求めている。>

 

その結果、<自治体の運用改善が進み、岡山市は15年2月から個別事情に応じて支援法のサービス利用を継続できるよう方針転換し、千葉市なども改善した。>というわずかな前進があったようです。

 

障害者保護の精神が、高齢者ということで一括りに取り扱われ、負担強化になり、その精神がないがしろにされることを、なぜ行政は意識できないのでしょう。

 

むろん高齢化により手足が不自由になり、あるいは認知症状になることは、障害を抱えてきた人と、ある面では類似する側面があるかもしれません。しかし、単純に高齢者になったことを理由に機械的に介護負担を求める取り扱いに公平性や合理性があるとは思えません。

 

共同通信記事<65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>では、<65歳を境として障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に基づく無償の訪問介護が打ち切られ、介護保険の利用で一部の自己負担が生じたのは不当だとして、岡山市の脳性まひ患者浅田達雄さん(70)が市の決定取り消しなどを求めた訴訟の判決で、岡山地裁は14日、請求を認め、65歳時点にさかのぼって支援法に基づく給付を命じた。>とのこと。

 

具体的な判断根拠については、明日の記事にでも期待しましょうか。重要な裁判例ですから、判例データベースにも搭載されると思われます。その時点で改めて検討してみたいと思います。

 

それにしても岡山県議でしたか、政務活動費をつかって調査旅行をやっていながら職員に報告書を書かすような、情けない議員活動と職員の杜撰な対応がまかり通っていることと対比すると、本件は岡山市の事例ではありますが、岡山県・市ともに襟を正して欲しいものです。

 

30分で済ましたせいで引用ばかりになりました。今日はこのへんでおしまい。ま他明日。


米企業と自治体の行方 <アマゾンの巨大化と疲弊するアメリカ各地の自治体の誘致合戦がもたらすその自治崩壊の懸念を考える>

2018-03-14 | 都市のあり方

180314 米企業と自治体の行方 <アマゾンの巨大化と疲弊するアメリカ各地の自治体の誘致合戦がもたらすその自治崩壊の懸念を考える>

 

今朝も朝日が高野の峰峰をシルエットにしながら東方から天空を青空に染めていきます。すぐそばの杉と檜の混交林?ごとき小さな林では、野鳥の声が元気です。ウグイスの軽やかな鳴き声がうれしいです。

 

最近ヒノキの梢に小さな野鳥が飛んできてはしばらくたたずみ、私がのろのろとその姿を見ようと100倍の倍率のあるビデオ機を持ち出そうともたついていると、ビデオを向けた瞬間いつも飛び去っていきます。私のメガネの度はPC用にも使えるように緩くしているため、あまり遠くは見えないのです。スズメよりは小さいのはわかるのですが、なんだろ。スズメ目アトリ科だろうとは思うのですが、色もくちばしも、さっぱりわかりません。

 

今朝ようやく概要を突き止めることができました。といっても安物のビデオで10年以上前のものですから、解像度はイマイチと機械のせいにして、完全な同定は次の機会にしたいと思います。

 

当初はノビタキだと思っていたのですが、嘴とお腹の色合いからみてアトリ科のおそろくカワラヒワかなと思うのですが、今回は久しぶりの高倍率でうまく調整ができず、作業中に、飛んで言ってしまいました。それでもアトリの特徴的な嘴だけは確認できましたので、もう少し顔から尾羽や腹部などの形・色をよく見極めたいと思います。40年近く前はバードウォッチャーとして?首都圏各地を飛び回っていたのですが、すっかり忘れてしまいました。

 

またまた前口上が長く伸びすぎてたるんでしまったベルトかソバのようになってしまいました。

 

今日は和歌山地裁まで出かけるのですが、京奈和高速が和歌山市まで接続するようになり、少し時間の余裕ができたのと、朝のニュースで少し驚きもありましたので、見出しのテーマでちょっと書いてみようかと思います。

 

NHKニュース おはよう日本>では、ウェブ情報としては<「おはBiz」は、アマゾンがアメリカで始めた新サービス「アマゾンGO」。レジを通さずに買い物できる”未来のコンビニ”を豊永キャスターが現地リポート>しか取りあげていませんが、これは私は見ていません。

 

私が見たのは、途中からですが、アマゾンが本拠地にしているシアトル市の土地価格がバブル的に急上昇し、家賃も倍々になっている状況です。アマゾンはウォールマートを買収?と提携?して直接販売事業に参入したほか、他事業にどんどん進出する状況で、社員の賃金も超右肩上がりのようです。その結果、私が見たのはあまり広くない部屋の家賃が月50万円余と東京都内より高い印象。あり得ない?!

 

私の知っているシアトルは、落ち着いた住みやすい都市として、全米でも長くトップクラスを維持していたと思いますし、とりわけ郊外住宅地は海と森に囲まれて風光明媚なところです。それに南部と違って、おそらく武器使用や携帯は市民の中では嫌悪感があるような印象で、安全な町でもあると思っていました。

 

ところが、この高家賃の結果、取材された中学教師は、年収400万円くらいの半分が家賃でなくなるということで、生活の危機に直面しているというのです。

 

さらにアマゾンの一人勝ちに近い独占的支配力が、第2の本拠地を物色し始めたところ、こんどは疲弊した全米各地の都市に過当競争を呼んでいるのです。ある都市は、8000億円の減税案を出すとか、さらには議会の議決権をアマゾンの許可を得て行使する、アマゾンと共同して市政運営を行う案とか、市の名前を変えてアマゾン市にするとか、極端な企業支配都市を演出しようとしているのです。

 

私もアマゾンのサービスを利用している一人として、アマゾンの市場戦略の巧みさを評価するものですが、アメリカが建国以来培養してきた市民自治(それは銃所持よりも重要と思っています)を奪うような状況は、アメリカという国の根本を脅かすことになると危惧します。

 

ついでにいえば、シアトル市は、日弁連のまちづくり調査で、936月に訪れ、ダウンタウンを中心とした都市計画を学ぶために、市の職員(実は担当は多くの弁護士で構成)、高層ビル計画を取り扱う法律事務所の担当弁護士などから、多くの有益な情報を得ることができました。そのときはもっぱらダウンタウンをもっぱら対象としてましたので、住宅地での厳格なゾーニング条例については学ぶチャンスがなく、その後カナダで長期に体験的に学びました。

 

90年代流行したCAP(Citizen' Alternative Plan)は、80年代に乱立した超高層科による外部不経済・環境悪化に対応するため、容積率・高度制限を課すものですが、他方で、公益的な利用が一定程度すれば緩和するという政策とのアメとムチの政策でもあったと思います。

 

当時日本では何百人といった弁護士を抱える法律事務所はなかったですが、アメリカではすでにそのような多くの弁護士で多様な専門分野に対応するチームで事案に取り組んでいました。プレゼンも事務所内の大会議室で、高層化の景観上の影響をビジュアルに軽減する内容や、公益的利用の内容を説明するものでした。

 

他方で、こういった高層ビルはほとんどすべてが環境アセスメントの対象となっていて、膨大な環境影響をチェックするようになっていて、それを法務部だったか、大勢の市役所所属弁護士が担当していました。

 

ちょっとまた脇道にそれましたが、こういったダウンタウンでの都市計画は特殊で複雑ですが、住宅地の都市計画は、居住者の利益を守るため、極めて保守的で、地域の自治を体現するものでした。むろん低層住宅地(これは場合によっては数10100以上に細分してゾーニングされています)で、高層化するようなことはゾーニングの変更ですから、議会の議決を必要としますし、公聴会での議論を経ないといけません。そういう都市自治は、市民自治によって確立していたと思われるのです。

 

それが一企業によって、公共投資やゾーニングという自治権の本質が歪められるおそれが生まれたとすると、とても危険な兆候です。それは強ければ良い、自分を支持する国民・団体の希望に添えば良いという、トランプ大統領の姿勢になにか通じるおそれも感じます。

 

だいたいツイッターで、最も重要なポストの一つ、国務長官を更迭するなんてことを平気で行う大統領がアメリカを、世界をリードしていく体制は、今後に不穏の影を漂わせているように感じるのは私だけではないでしょう。

 

トランプ政権を支えている株式市場、金融投資システム、ほんとうに大丈夫でしょうか。株価や不動産価格の上昇がほぼ止まらない傾向は、とてもいい兆しとは思えません。この一年でも学校での銃乱射事件は右肩上がりに上昇しています。精神の不安定にとどまらず社会全体の不安定を象徴してませんかね。

 

私たちは、便利になれば良い、欲望が達成されればいい、といった個々の自由・欲求をあまりにとらわれてきたのではないでしょうか。アマゾンは有益なサービスを提供してきたかもしれません。でも宅配便の従業員に過酷な労働を課してきたのも事実です。ようやくわが国では対策をとるようになりましたが、それは弥縫策にとどまっているように見えます。

 

わが国は元々、自治体の力が脆弱ですから、アマゾンのような企業が進出したら、どうなるかと思いつつ、侵されるほどの自治力もない、あるいは中央で守ってくれているので、大丈夫という見方もあるかもしれません。でもいまこそ逆に、自治体の力を発揮する時代ではと思うのです。