たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自由と桜と死 <宮下隆二著『新訳 西行物語』>を時折目を通しながら

2018-03-26 | 人の生と死、生き方

180326 自由と桜と死 <宮下隆二著『新訳 西行物語』>を時折目を通しながら

 

今朝、わが家の目の前にある杉木立に、さっと停まり、軽く一段滑るように降りたかと思うと、すっと木立の奥に飛んでいきました。私のバードウォッチングの貧弱な視力ではキビタキくらいの大きさかなと思うくらいで、同定するにはほど遠い状況です。

 

ふとさらに下の斜面を眺めると、桜の木々が三分咲きでしょうか、わずかに咲いています。幹自体まだ細身で、植えてからまだ20年も経っていない感じでしょうか。花見をする機会も遠のいてしまいました。それほど桜木に心が惹かれることもないのですが、カナダから帰国して以来、鎌倉、横須賀、当地(2度)と4回転居しましたが、いつも家から見えるところに桜木がありました。

 

鎌倉時代は、とても立派な桜の木がありましたが、あるとき分譲地開発が始まり、近隣で残すよう交渉したものの、皆さん大学教授など穏やかな方ばかりで、反対運動まで広がらず、最後は業者側の伐採を止めることができませんでした。

 

横須賀時代は、谷間を挟んだ丘陵地帯が桜木を含む広葉樹で、秋は紅葉、春は桜と見事な景観でした。そこも丘陵地全体を開発する計画が進められ、もう少しのところで全面伐採という危ういところでしたが、反対運動が広がり、残りました。

 

当地に移った最初の家では、神社に通じる桜並木が美しくとてもきれいでしたが、花見に訪れる人も少なく、わが家の窓から眺める楽しみを満喫していました。

 

現在地は、それらに比べると、か細い桜木ですが、それなりに若々しさを感じさせ、古木とは異なる情緒があって、これもおつなものです。

 

西行の話を取り上げようと思ったのは、今朝のNHKおはよう日本で、<進む超単身化 人生の締めくくり方に変化>というニュースを見ながら、ふと感じることがあったからです。

 

途中からちょっと覗いたので、正確な情報を理解したわけではありませんが、<超単身化>ということがかなりの人に早い段階での自分の死とその処理を考えるきっかけになっているのかなと思います。

 

私が見たのは、50代くらいの女性でしたか、単身かどうかわかりませんでしたが、自分の死後について家族の負担にならないよう、いろいろ自分で決めておこうとしているような内容だったように思いますが、具体的な死後の処理についてはその前に報道されていたのか、よくわかりませんでした。すぐに画面は僧侶が代表となって僧侶派遣サービスを行っていて、法要など、少人数での参加者を前提としたサービスを提供しているようです。金額もネット上で俗名か戒名の種類によって、明朗会計でやっているようです。

 

これも一つの死に対する人の生き方でしょうか。少なくとも、すでに葬儀のあり方、火葬・埋葬・散骨などの多様なあり方は、長い間話題になってきていますので、死後残された遺族が考える時代から当人が早い段階で考える時代に近づきつつあると思います。

 

その中で、自分の自己決定した意思を託すべき、家族がいない場合(実際にいても託すことに躊躇することもあるでしょう)、その意思は実現可能でなく、夢物語になり得ますね。その点、この番組で紹介されたのかわかりませんが、生前に委託契約など一定の事項を死後に行う契約を取り結ぶ業態もでてきたようです。その有効性に問題がないわけではないですが、家族がいない場合には(家族が関与しない場合も)、公正証書にしておけば、かなり実現性のあることになりそうです。

 

行政としても、亡くなった後、家族がいなければ、仮にいたとしても連絡がとれないような家族だと、そういった受託者がいて、その預かり金などで葬儀、火葬などが行われれば、行政費用を投じなくてもよいでしょうし、あえて異議を述べることもないように思えます。

 

これからの時代、高齢者が増え、しかも単身の高齢者が増えるでしょう。昔あった村社会での共同行為としての死の作法は、共同体としてのムラが消え去ったと言ってよい現代では、そのような機能を期待するわけにはいかないでしょう。

 

ようやく自分の死の始末を自分で考える時代になりつつあるのかなと思うのです。

 

それで西行さんの登場と考えたのです。

 

宮下隆二氏は、西行物語の新訳で、「頑張らないで自由に生きる」西行像を描こうとしているようです。たしかに西行は自由に生きた面があるかもしれませんが、ほんとうにそうだったかは、宮下新訳でも、私には十分に納得できる解釈とはいえないように思うのです。

 

その詳細は私の勝手な解釈ですので、今回はオミットしておきます。

 

ところで西行は、あちこちに西行庵という彼が一時の住まいとした場所が紹介されています。高野山に上る途中の天野の里にもあります。新訳では、娘が尼になり、そこに住み、母も後から再会して一緒に住んだというのです。高野山壇上伽藍にも西行庵がありますが、はたして西行が金剛峯寺の本拠の一角に住むとは思えません。吉野山の西行庵のように他の僧侶がいない隠れたところに住んだのではと思うのです。

 

善通寺にある西行庵も訪ねたことがありますが、やはり善通寺をはじめ由緒のあるお寺から結構離れた位置でした。西行はそういう場所を好んだのではないかと思うのです。で、母娘が天野の里に住んだというのは彼の生き方からすると奇妙に感じています。

 

他方で、紀ノ川の北岸、橋本市清水にも西行庵がひっそりとあります。紀ノ川の袂ですね。昔は渡し船も少なかったのでしょうか、仮に西行がそこに住んでいたとすると、川を渡って、少し上っていけば(西行の健脚なら半日もせず)、天野の里にたどり着けたのではないかと思うのです。母娘が近くにいるとすれば、出家した身ということで、あえて再会を避けるために、川のそばにとどまり住んでいたとの解釈もできなくはないのですが、私には無理な解釈にも思えるのです。

 

新訳によれば、それだけ慕っていた母娘となりますが、西行の最後に対面したとかの話は聞いたことがありません。西行は、あくまで一人の生と死を選んで、生涯を貫いたのではないかと思うのです。

 

むろん高野山の寺社復興や、東大寺大仏復興などに注力した西行の生き方はどのように考えたらいいのかはわかりませんが、家族の絆を切る姿勢は徹底していたのではないかと思っています。

 

そして河内国の弘川寺で

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」

 

と詠んだ願いを追い求めて、1190331日(旧暦216日)満開の桜の下でなくなったのではないかと思っていたところ、新訳では、京都東山の雙林寺で亡くなったというのです。いずれの寺も訪問したことがないので、なんともいえませんが、前者は真言宗であるのに対し、後者が天台宗という宗派の違いは西行に限って気にする必要がないでしょうね。

 

ところで、西行といえば桜の詩ですね。

 

「あくがるる 心はさても やま桜 ちりなむのちや 身にかへるべき」

「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」

「今よりは 花見ん人に 伝へおかん 世を遁れつつ 山に住まへと」

「春風の 花を散らすと 見る夢は さめても胸の さわぐなりけり」

「風さそふ 花のゆくへは 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり」

「花見れば そのいはれとは なけれども 心のうちぞ 苦しかりける」

 

ま、この辺にしておきますが、私自身、和歌の意味が理解できているわけではないので、ただ雰囲気を感じることはできそうな気がしています。

 

その西行は、この桜、花を通して、常に生死に直面して生きていたように思うのです。それは自由に生きたかもしれませんが、日々死と対面していたからこその自由ではなかったか、このような和歌から私の勝手な解釈ですが。

 

そしてたいてい「花」あるいは「桜」と歌っている中で、一番最初の和歌では「やま桜」と詠んでいるのを取り上げましたが、それは当たり前だから、ふだんは種類まで指摘しなかったのかもしれません。

 

現在私たちが見て喜ぶソメイヨシノはわずか150年ほどの歴史の浅い、脆弱な人工栽培、まいえば、ハイブリッド育ちですね。むろん西行が生涯愛した桜とは異質なものですね。

 

その詳細は毎日朝刊記事<そこが聞きたい桜の季節と日本人 地域が育て、めでてこそ 3代にわたる「桜守」 佐野藤右衛門氏>をごらん下さい。桜守(さくらもり)という伝統的に職人もいまでは少ないのでしょうね。

 

ソメイヨシノはいまでは日本中、有名な桜の名所はどこもかしこもですね。日本の伝統美、西行らの和歌で日本人の心を慰めてくれた桜は、孤高の生き方をしているように思うこの頃です。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


国家が行った差別の怖さ <奪われた私・旧優生保護法を問う>を読んで

2018-03-25 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180326 国家が行った差別の怖さ <奪われた私・旧優生保護法を問う>を読んで

 

毎日新聞は、旧優生保護法に基づく強制不妊手術の実態を繰り返し大きく取り上げてきました。恥ずかしながら私自身これらの記事で初めて、96年に優生保護法が母体保護法に改正されるまで、国家による法の下の平等に反する取り扱いが公然と行われてきたことを知りました。

 

知らないことを知ることは物事の一歩でしょうけど、知ることによって人はなにか変わるか、が試されるような気がして、この話題になかなか取り組めませんでした。

 

最近23日から25日の連載記事で毎日が整理した内容で取り上げましたので、私自身が知るための第一歩として、これらの概要をさらにピックアップしてみようかと思います。

 

<奪われた私・旧優生保護法を問う>とのタイトルで、次の連載が中川聡子と上東麻子の両記者によって取材活字化されています。

上 ずさんな審査で不妊手術

中 「不良な子孫」に異議

下 自分の人生を生きたい

 

優生保護法という名前は知っていても、人生で関わる人は限られるでしょうし、何のために法律が作られ、どのような運用だったかを知っている人は非常にわずかな人だけでないかと思います。しかし、そこには差別に対する根源的な思想を感じますし、あの相模原障害者施設での大量殺傷事件の被告人の考えに通じるものさえ、感じてしまいます。

 

ではその優生保護法について、記事では<「不良な子孫の出生を防止する」ため1948年に制定され、遺伝性疾患や知的障害、ハンセン病の患者らへの不妊手術、人工妊娠中絶を認めた。強制不妊手術の適用は遺伝性疾患(4条)と非遺伝性精神疾患(12条)があり、88%にあたる1万4566人が4条を適用された。批判をうけて96年に「母体保護法」に改定された。同様の法律があったドイツやスウェーデンでは国が被害補償制度を設けている。>と概説しています。

 

この不良な子孫の出生を防止するという立法目的自体が、4753日に施行された現憲法の下で生まれたことに異様な思いを禁じ得ません。まだGHQ統治下にあり、食糧不足で自分たちが生きることで精一杯の時代背景もあったかもしれません。昭和23年当時ハンセン病や知的障害などに対する差別が当然視されていたのでしょうね。

 

上記記事では、強制不妊手術の適用の一つ、遺伝性疾患(4条)として1万4566人がその適用を受けたということですが、その記録がほとんど残っておらず、実態解明が容易でないようです。

 

上の記事では<旧優生保護法下の強制不妊手術を巡り、国に損害賠償を求める裁判が28日、始まる。>この事件を手がかりに記事が展開しています。

 

<今回の裁判を起こす宮城県の60代女性と、その義姉>は別の強制不妊手術を受けた女性が<「私の体を返してほしい」と、国に謝罪と補償を求め>る運動をしていることに触発されたとのこと。こういう差別被害は、誰かが立ち上がって初めて気づくことが少なくないですね。

 

<義姉は結婚した夫の妹が手術を受けたことを夫の母から聞かされていた。飯塚さんの活動を知り「妹が受けた手術はこれだったのか」と合点がいった。弁護士に連絡を取り、手術記録の情報公開請求を経て、提訴に至った。>

 

強制不妊手術という、人にとって基本的な機能を奪い取る重大な身体侵襲であるにもかかわらず、どうも手続き記録が審査側・実施する医療側、そして患者というべき家族側に交付されたり残されていないようです。そこに何かこの制度の怪しさを認めることができます。

 

それでも情報公開制度は一定の機能を果たしています。<この情報公開請求で出てきた記録で、妹が15歳で手術を受けたことを知る。しかも申請理由は「遺伝性精神薄弱」。>

 

では遺伝性の判断はどのようにしてなされたのかですが、私も事件で昭和20年代の聾唖症という判断根拠(生まれつきか、事故によるものか)を調べたことがありますが、残念ながら得られませんでした。その後平成に入って等級が2級から1級に上がる診断をした医師の意見書が見つかりましたが、その根拠が曖昧でした。本来、本人の事情を知っている両親が亡くなっており、疾病の原因を把握する合理的な資料がありませんでした。

 

ところで、情報公開請求では<審査経緯の記録は開示されなかった。>というのですが、仮に存在しているのであれば、開示を拒否する合理的根拠がないと思うのです。異議ないし訴訟で争わなかったのでしょうかね。この審査記録は、森友事件以上に、簡単に廃棄されるべきものではないと思います。

 

他方で<同様の障害を持つ親類縁者もいない。妹の療育手帳交付に関する情報公開で「出生時に口蓋(こうがい)裂で生まれ1歳時の手術で麻酔が効きすぎて障害が残った」という経緯が判明。「遺伝性」の判断がいかにずさんなものだったかを知り、がくぜんとした。>というのは、当然の思いでしょう。ただ、療育手帳記載の内容が医療記録に基づいているのかどうか(本来はそうあるべきですが、伝聞であることもあるように思います)は検討の余地があると思います。

 

いずれにしても、侵襲を行った審査側、国賠訴訟では、被告国が遺伝性を明らかにすべきでしょう。森友事件のように、記録を廃棄したといった答弁は許されないと思うのです。

 

別の審査資料が見つかり、そのずさんさな審査手続きが明らかになっています。

<神奈川県立公文書館の同県優生保護審査会資料からは、手術の対象者をどのように評価して選別していたのか、その一端がうかがえる。>

 

その一例では<「小学校には一年おくれて就学。中学校は二ケ月通って中止してしまひ、自宅でぶらぶらし、昭和三四年七月、■■に入園」。現在の病歴は「母や同居人に対し乱暴な口をきき周囲をわきまえない。年下の子とは遊ぶが、自分から外に出て遊ぶような事は出来ない」とある(原文ママ)。診断は「精神薄弱(痴愚)」だ。>いったいどのように遺伝性を判断したかまったく示されていないですね。遺伝性だから許される話ではないですが。

 

別の例では遺伝性について<家系図によると母が同病の疑いがあり、遺伝性疾患として手術「適」とされた。早世した姉は「経済的な面もあって入院させられなかった」という。>と安直な判断がなされています。

 

これらの審査について総括的に次のようにまとめています。

<障害や病気を抱えたこれらの人々は、本来は支援を受けるべき対象のはずだ。しかし法律の下、「優生上の見地から不良」とされたために、基本的な教育や支援すら受けられず、排除されていったことがうかがえる。当時、養護学校は少なく、障害児の多くは就学免除・猶予とされた。また、現在の医学ではすべての精神疾患は何らかの遺伝素因がかかわっているものの、単純に遺伝するものではないとされるが、多くの精神疾患を抱えた人が「遺伝」と判定されていた。>

 

審査側というか国の考え方を示す資料として次はあまりにひどいです。

<社団法人母子保健推進会議(当時)が72年に発行した冊子「母子保健」。その巻頭特集が「日本民族改造論」だ・・・「何より大切なのは民族の質を改造する、人間を良くすること」と問題提起する。国立機関の医師や有力大学の研究者が「障害児の生まれる危険の大きい結婚を減らすのが第一。結婚しても子を産まないようにすればいい」「極端に質の悪いものを減らせば全体のレベルが上がる」と指摘。>

 

<中 「不良な子孫」に異議>では女性の<「産むか産まないか」を自己決定できる社会>を求めるという、この問題の本質を取り上げています。

 

それは<国賠訴訟を機に、被害補償のあり方を検討する議員連盟発足、厚生労働省の実態調査と、事態が急展開している。>ことへの懸念です。

 

旧優生保護法の時代、堕胎罪との2つの法制度の下、後者が<「女性は子どもを産むべきである」という社会規範がある上で、>前者が<「ただし産まなくてもよいケースを国が決める」ということだ。その目的の一つとして「不良な子孫の出生防止」を掲げた。戦中の「産めよ殖やせよ」から敗戦後の人口抑制に至る人口政策を、象徴する法律だった。>というのです。

 

個人(とくに女性)の本質的な権利に対する国家の統制ですね。

 

それが72年の旧優生保護法改正問題でクローズアップされてたのですね。

<時は72年にさかのぼる。優生保護法は大きな岐路を迎えていた。中絶が許可される項目から「経済的理由」を削除する▽新たに「胎児に障害がある恐れがある場合」(胎児条項)を追加する--という改正案が国会に上程された。>

 

この改正案を批判したのは<この動きは「私たちの存在否定だ」という障害者の反発を招いた。先頭に立ったのは、故横田弘さんら脳性まひの当事者団体「青い芝」神奈川県連合会だ。>

 

それは本質的な取りかけです。

<生き方の「幸」「不幸」は、およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」と言う名で胎内から抹殺し、しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名文を付ける健全者のエゴイズムは断じて許せないのです。(原文ママ、会報より)>

 

この記事では、その戦いの歴史がコンパクトにまとめられています(省略します)。

 

最後の<下 自分の人生を生きたい>では、家族の反対で子供を産むことができなかった障害者の男女の話と、障害を持ちながら勇気をもって子供を産み育てる決断をして、なんとか頑張っている男女を紹介しています。

 

前者の例1では<男性は18歳でいじめなどをきっかけに統合失調症になった。精神科に入退院を繰り返したが、45歳で、同病の女性と同居生活を始めた。・・・ 数年後、女性が妊娠したがすぐ流産。兄夫婦が強く求め、女性も不妊手術を受けたという。・・・兄からは「優生保護法がある」「手術しないなら一生退院させない」と詰め寄られた。強引に転院させられ、手術を受けた。「自分の人生も、生まれたかもしれない子どもも殺された」と感じた。「障害者は家族に結婚も出産も邪魔されるのか」と納得できない。>

 

前者の例2では<10代から統合失調症を発症。20代で勤めた職場で障害者の男性と知り合い、交際している。「子どもがほしい」と話し合い妊娠したが、母は激怒した。「許さへん」。妊娠を希望し服薬を調整していたため、症状も悪化していた。心身ともに追い詰められ、母と男性と3人で話し合い、震えながら手術同意書にサインした。手術の後、2人で子の名前を決めた。「月命日」には心の中で悼む。

 

後者の例として、社会的支援を受けながら子を産む育てている夫婦がいます。

<神奈川県茅ケ崎市のNPO法人UCHIのグループホームで暮らす小林守さん(31)と聡恵さん(22)には今月、長男陽飛ちゃんが誕生した。2人は軽度の知的障害がある。

 牧野賢一理事長は、2人が児童養護施設と障害児入所施設を出て以降、粘り強く支援。人間関係が苦手な守さんは職場でけんかをしたり、お互い異性関係で問題を起こしたりした。職員が適性を見極めて活躍の場を紹介したり、子どもを持つことを話し合ったりして、2人の交際から結婚、出産までを支えた。>

 

しかし、現行の障害者福祉の各制度は障害者が子供を産み育てることに、決して優しいとか、気配りをしているとはいえません。

 <牧野さんは約15年前から5組の子育て支援に関わった。最初のカップルの女性が妊娠した時、福祉事務所のケースワーカーの第一声は「産ませないよね」。グループホームに夫婦が住むことを行政も渋った。障害福祉サービス事業所のUCHIは子の支援はできず、保健所や保育所と連携する必要もある。「支援者にも彼らが結婚し育児をするという意識がなかった。人として当然のニーズに向き合い続けたい」と話す。

 

障害者の自己決定権はいまなお軽視されているように思えます。保護される対象で、主体的になることを阻んでいるかのようです。

< 「障害者は保護する対象で、自己決定する存在だと思われていないのだろうか」。DPI女性障害者ネットワークの藤原久美子代表(54)は問いかける。1型糖尿病の合併症で30代で視覚障害者に。「育てられないでしょう、障害児のリスクも高い。あなたが心配なのよ」。40歳で妊娠したとき、母や医師から中絶を勧められた。だが、妊娠を喜ぶ夫に背中を押され、出産した。>

 

育児の支援は十分でないです。

 <育児の場面では、制度の不備を日々感じる。障害者本人の支援制度があっても、障害者が子育てのさまざまな場面で使えるサービスが乏しい。「障害者が子育てする存在として想定されていない」。現在、国は障害者基本計画(第4次)を策定中だ。サービスや制度の前提となるのが基本計画だ。藤原さんらは障害者の「性と生殖の自己決定権」を書き込むよう求めている。>

 

大いに勉強になりました。これで私の何が変わるかはわかりませんが、現実を知ることが第一歩と思っています。

 

本日はこれにておしまい。また明日。

 

 


介護施設での死亡と虐待 <川崎3人転落死 元職員に死刑判決>を読みながら

2018-03-24 | 医療・介護・後見

180323 介護施設での死亡と虐待 <川崎3人転落死 元職員に死刑判決>を読みながら

 

昨日の毎日記事は<川崎3人転落死元職員に死刑判決「冷酷な態様に慄然」>とこの事件を大きく取り上げていました。

 

高齢化社会はもの凄い勢いで進んでいますね。70歳は高齢者でないともいわれています。少なくとも老人とはいいにくいですね。介護施設を訪ねると、たいてい80代、90代の方がほとんどのように思えます。それぞれいろいろな病気を抱えているわけでしょうし、家族による自宅介護も困難なのでしょう。

 

では介護施設は万全か、私も自分で入ったことがないのでよくわかりません。保佐人としてとか、後見人として、介護老人保健施設や介護老人福祉施設、有料老人ホームなど、いろいろな施設に何度も訪問してはいるものの、介護の実態をしているわけではありません。

 

ただ、たいていは(とくに有料老人ホームは)とてもきれいで清潔感があり、職員の方の挨拶もきびきびしていますし、明るくしてもらえます。きっと入所者の方々も、理解できる人は過ごしやすいのではないかと思うのです。

 

でも事件は起こっていますね。一部かもしれませんが、それはマグマだまりが蓄積しているのではないか、マグマが大きくならないように、なんとか抑えるようなシステムがとられているのかどうか、気になります。

 

3人もの転落死が殺人となり死刑判決が言い渡された事件、記事では<川崎市幸区の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で入所者3人が転落死した事件で、3件の殺人罪に問われた元施設職員、今井隼人被告(25)の裁判員裁判の判決で横浜地裁は22日、求刑通り死刑を言い渡した。>と述べています。

 

死刑判決を言い渡すくらいですから、<渡辺英敬裁判長は3件の殺人罪の成立を認め、「人間性のかけらもうかがえない冷酷な態様には慄然(りつぜん)たる思いを禁じ得ない。死刑のほかに選択の余地はない」と述べた。>と厳しく責任を糾弾しています。

 

争点はいくつかあったようで、まず事件性ですね。<判決はまず事件性を検討し、転落死した3人のうち女性2人は「自力でベランダの柵を乗り越えることは不可能」と指摘。別の男性も「事故や自殺の可能性はほぼない」として3件とも第三者による事件と認定した。>

 

転落死した3人の事情が書かれていないので、なんともいえませんが、おそらく判決文では自殺等の可能性がないことを詳細に検討していると思われます。

 

他方で被告人の犯人性ですね。これは<被告が3件の発生時にいずれも夜勤をしていたことや、逮捕直前に母親に電話で「自分がやった」と述べたことなどから「被告が犯人と推認できる」とした。>

 

すべての発生時に夜勤だったとしても、それはちょっと薄弱な根拠ですね。それ以外に当てはまる夜勤者がいないかどうか、あるいは外部からの侵入可能性がないかどうかの検討も必要でしょう。また、転落死した3人との職務上の関係(担当であったとか)や、対応になにかトラブルがあったかとか、はっきりしませんが、あまり資料がないのでしょうかね。

 

母親に自供した点は、その通り裏付けられるのであれば、かなり有力ですが、なにをやったか特定できるのでしょうか、その言葉だけでこれを絶対視するは禁物ですね。

 

もう一つの重要な争点、自白の信用性について、<法廷で再生された取り調べの録音・録画映像から「取調官の高圧的な態度や誘導姿勢はない。具体的、迫真的で現場の状況と一致する内容の供述で、自白の信用性は相当に高い」と述べた。>

 

録音・録画が重視された印象ですね。録音・録画がいつどのような状態で行われたかがどのように審理されたか、気になるところですが、ま、控訴審で再び議論になるのでしょうね。

 

また、被告人の<「自閉スペクトラム症」についても、<影響も顕著ではないとして、責任能力も認めた。>とのことで、一般的な理解では、これだけで責任能力に大きな影響を与えるとはいえないと思いますが、具体的事情をみないとこれも判断が分かれる可能性もあっていいと思うのです。

 

判決では、<被告は2014年11~12月、当時86~96歳の入所者の男女3人をホームの居室のベランダから転落させ、殺害した。>ということですから、わずか実質1ヶ月強で3人もの高齢者、しかも86歳から96歳のご老人ですね、こういう方を転落させたのですから、大変なことです。

 

<有料老人ホーム入所者転落死事件の経緯>によると、被告人が20145月に勤務開始し、それから半年後の114日、129日、同月31日と転落死があったのにもかかわらず、県警は翌年5月に被告人を入所者の財布窃取で逮捕し、有罪判決を得たものの、殺人罪として逮捕したのは162月ですね。なかなか物証なり的確な証言もなかったのですね。

 

判決では、録音・録画を信用性あるものとしていますが、それならなぜ悪逆非道を犯した理由・動機が解明されていないのでしょうか。録音・録画時に、本来なら、そのことを聞いているはずですね。単に自分が犯した客観的な行為のみを話すのではなく、動機や背景を語らせるのが常道です。

 

その解明がなされていないのが腑に落ちません。とはいえ、動機を語りたくない犯人もいますので、客観的な事実だけを抑えておこうとしたのかもしれませんが、そういった事情が録画などからわかるのでしょうかね。

 

と長々と前置きを書いてしまいました。

 

この事件で気になったのは、なぜ被告人がこのような非道な行為を行ったか、その背景なり、事情を知りたいと思ったからです。いや、被告人の特殊な性行とか、自分勝手な思いとかで、談ずるのはどうかと思っています。

 

被告人がこの施設で働き出したとき、現在25歳で、4年前ですから21歳頃ですね。ほとんど社会経験がない、また、介護の経験もないかあったとしても十分とは思えない年頃ですね。

 

介護施設は、私自身体験していませんが、書籍やネット情報では、あるいは事件となったケースなどを参考にすると、施設利用者と介護職その他とのトラブルは日常的に起きうる状態にある、それをマグマだまりのように介護職員が耐えている状況があるともいわれています。

 

だからといって、人を殺したり、虐待したりしてよいはずは、もちろんありません。でも仮にマグマだまりのような状態があるのであれば、そういったストレスなりを解消するような仕組み、制度を施設が準備して備えておく必要があると思うのですが、どこまで整備されているのか心配です。いや、ほとんどないという話も聞きます。むろんしっかり備えている施設もあるでしょうけど、それがどうもブラックボックスに思えるのです。

 

介護職の仕事を理解しない方の中には(それは入所者や家族)、まるでお手伝いさんのように指示したりする人もあると聞いたこともあります。認知症や高齢化の影響で、入所者が騒いだり、暴言を吐いたり、何度も同じことを言ったり、叩いたり暴力を振るったりするひともいるそうです。ハラスメントもあるそうです。

 

さまざまなことをされても、入所者の病気等に配慮して、我慢、忍耐を指導されているのが介護職たちではないでしょうか。

 

それにはいろいろな対策をとっている施設もあるようです。一人で悩んでいる介護士がいれば、悩みを聞いて対応を検討するといったことを同僚、あるいは上司を含んだ会合で検討して対策を講じることも有効かもしれません。また助っ人を用意して代替するといったこともあるでしょう。入所者の個性をよく知り対応するため日誌等で、問題言動を書くなどして、そのときの条件を検討することも一つの策かもしれません。

 

いずれにしても一人で問題をか駆け込む、それが個人の中でマグマがたまってしまい、噴火につながるかもしれません。それを回避する策を施設経営者を中心にしっかり対応しておくことが大事ではないでしょうか。

 

また以前紹介したユマニチュードといった方法の取り入れも、検討してほしいと思うのです。介護士の研修などでは、技術的な手法は教えても、心のケアをどうするかについては十分でないように思えるのです。

 

外野から勝手なことを書き連ねましたが、転落死事件のようなことが二度とあってはいけませんし、虐待も同様です。だれもが介護施設を利用するかもしれない時代、みんなが利用しやすい、安心して利用できる施設になってほしいと思いますし、介護職の大変さも理解していきたいと思います。(ま、私は一人孤独死を享受したいと思っていますが)

 

今日はこれにておしまい。また明日。


仮想通貨は何者? <仮想通貨 流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>などを読んで

2018-03-23 | 金融経済と合理性・倫理性

180323 仮想通貨は何者? <仮想通貨 流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>などを読んで

 

今朝の国際ニュースでNY株式市場が3%近い大幅下落と報じていましたので、これは東証も相当影響あるなと思っていましたら、案の定1000円近い急激な下落でした。それに円高ドル安の進行が進んでいますね。トランプ政権の世界経済無視の独壇場ぶりが影響したのでしょうか、あるいはこれからの株価や為替動向こそ、経済実態に合ったものになるのでしょうか、外野の席でのんびり観戦しようかと思っています。

 

他方で、毎日が継続して記事にしている仮想通貨の問題、今朝は小さく扱っていましたが、その不完全さを感じさせるというか、とても将来的に適正な取引を生み出すような仕組みになっていないことを感じます。

 

毎日朝刊記事<仮想通貨流出ネム全額を交換か 資金洗浄が完了?>では<仮想通貨交換業者コインチェックから約580億円分の仮想通貨「NEM(ネム)」が流出した事件で、犯人側が流出ネムの全額を他の仮想通貨に交換した疑いがあることが22日、インターネット上の取引記録などから分かった。>

 

それは結局<情報セキュリティーの専門家は、犯人側のマネーロンダリング(資金洗浄)が完了したとみている。>ということになりそうです。

 

追跡すべき責任ある団体というべき<国際団体「ネム財団」は20日、流出ネムの追跡を停止したと発表した。>というのですから、犯人側の勝ちなんでしょうね。いや、仮想通貨の本質的機能といわれる誰でも取引を監視できるということ自体、砂上の楼閣と非難されても仕方がないかもしれません。

 

それ以上に、国際社会がさまざまな違法取引を取り締まろうと、マネーロンダリングの監視を強化している中、この新鮮で創造的ともいえる仮想通貨は、今のところ、国際秩序を犯す道具になり得ることを示したことになりますね。

 

なぜ仮想通貨が標榜していた鉄壁?の監視機能が破られたかについて、毎日記事は先月の記事<クローズアップ2018仮想通貨流出 闇ウェブ取引、追跡難航 転売が活発化>で、その構造的欠陥を指摘していました。それがすべてかどうかもわかりませんね。

 

ともかく記事によると<犯人側は流出ネムの一部を匿名性の高い「ダーク(闇)ウェブ」と呼ばれるサイトで転売する動きを活発化させ、ネムの追跡は困難になりつつある。>

 

ダークウェブサイトというのがあるのですね。それはある意味、表の取引があれば、裏の取引が成立するのは人間社会の自然の成り行きでしょうか。それはネット自体がすでにブラックボックスが巨大化しているように思えますから、当然でしょうか。

 

本来、仮想通貨に目印がつけられ、追尾可能というのが前提でした。

<ネムを扱う国際組織「ネム財団」やネット上の有志は、犯人のものとみられる流出先の口座を特定し、移動が確認されれば取引記録に「盗まれたネム」であることを表す目印を付けて監視している。>

 

しかし、この目印自体が、人間が関与する以上、隙間というか穴というか、抜け道が成立するのですね。

<専門家の分析によると、移動したネムに目印を付けるまでには平均3分かかる。一方、取引記録が承認され、所有権が移るまでの時間は1分程度に過ぎない。15秒程度の仮想通貨もある。>取引成立のスピードと、目印付けのスピードに大きなタイムラグがあるのですから、これだけとってみても、追尾可能とか、すべて監視できるとか、そんな前提はおかしいですね。

 

その結果というか、犯人側が小口化して大量に、頻繁に取引を繰り返せば、追尾不能になるのはわかります。

<多くが小口取引や頻繁に売買されたネムとみられ、その動きを完全に捕捉できていない。最終的に善意の第三者に渡った場合、「取引後に流出ネムと判断されても、回収することは法的にも難しい」(交換業関係者)との見方もある。>

 

そのほか、メッセージを添付できることを悪用して値引き販売して、多くの購入者を誘引することができたとも考えられているようです。

<犯人は、送金時にメッセージを添えられるネムの機能を悪用。不特定多数の口座に匿名性の高い「闇ウェブ」での取引を持ちかけ、「15%オフ」などと割安での交換を申し出ていた。>

 

闇ウェブの世界では目印自体が機能しないともいわれているそうで、それはそうでしょうと納得してしまいます。

<サイバーセキュリティー専門家の杉浦隆幸氏は「闇ウェブでの取引は誰が売買したのか特定しづらいため、目印の抑止効果は期待できない」と語る。>

 

それでも対策はあるようですが、これは私の理解が及びません。

<流出ネムの交換・換金を止める方策について、杉浦氏は「プログラムを書き換えることで流出ネムを『隔離』し、交換を止める方法があるはず」と指摘。「換金が始まった以上、踏み込んだ対策が必要」と語る。>

 

流出ネムの隔離とか、交換ストップとか、そういうことが果たして可能か、その手法はどういうことなのか、わかりませんが、他方で、なぜネム団体なりが可能な手段を講じなかったかの説明責任が問われる可能性はあるでしょう。

 

コインチェックはすでに補償を開始していますが、それが完全に履行されるのか、その額が適正なものか、やはり損害賠償責任を負わないといけないかは、すでに訴訟提起した方がいるようですので、その行方をみたいと思います。

 

ところで、仮想通貨はいったい何でしょうか、それが今日の本題です。たしかに通貨は為替変動があり、また送金手数料も高いなど、問題も少なくないですが、ほんとに代替するような新(真の)通貨になりうるかというと、心許ないですね。

 

キャッシュレスの取引がわが国ではまだまだの感がありますが、わたしなんかはできるだけ現金を持ち歩きたくない生き方をしたい一人ですので、なんとかならんかと思っています。コンビニなどいくつかの類型の店舗でさまざまなカードが利用できるようになり、少し便利になりましたね。でも利用できる範囲がきわめて限られていますね。仮想通貨の一部も利用できる店舗があるそうですが、現在の投機的取引が行われている現状や今回のコインチェックのような安全確保が担保されていない状況では、そのような現金代替機能を持たせることにはまだまだ道通しというところでしょうか。

 

社説を読み解く仮想通貨「NEM」流出問題 問われる「通貨とは何か」>でも、<毎日は2月25日の社説で「本質論抜きの規制は誤る」との見出しで、なぜ未熟な業者が業界の主力にまでのし上がったかという背景と、仮想通貨そのものの議論が必要だと主張した。

 「通貨とは何か」まで踏み込んで議論しなければ問題の本質は見えない、と考えたのである。>という指摘は正鵠を射ていると思うのです。

 

本質的な議論なく、仮想通貨を野放しにした政府の姿勢が問題ではないかとも指摘しています。

<社説では規制が不十分だった背景として、政府が市場育成を急いでいた事情を挙げた。各国は現在、フィンテックと呼ばれる金融技術などをさかんに導入しているが、日本はキャッシュレス化や電子商取引で立ち遅れているためだ。>

 

これは本末転倒の対応であったと非難されても仕方がないと思うのです。それはいま日本経済全体にかかっている黒い霧のように思うのは私一人ではないと思うのです。

 

不正というキーワードがここ数年、話題にならなかったことがないほど、どの業界でも指摘されています。商工中金の不正はいったい全体なんでしょう。鉄鋼メーカー、自動車メーカーなどの検査不正も、企業全体の体質が染まっているとしかいいようがないですね。東芝をはじめ一流企業といわれたところの不正がはびこっているのですから、驚くほかありません。

 

アベノミクスは、日本経済を成長させようと、数字を追ってきました。なにか数字だけ一人歩きしてきたように思ってしまいます。そこに人がいて、その人の健康、肉体的にも精神的にも健康であったか、将来もありうるかは、どうも軽視あるいは無視されてきたように思うのです。

 

官僚の不正は森友・加計問題だけではないですね。忖度なることばが誰もが上を見るようにしか考えなくなってしまったかのような錯覚に陥るほど、いくつもの事件で露見してきました。

 

今回の貧弱な安全対策しか講じられていない仮想通貨を急激に普及させた一因は、このようなアベノミクスを信奉する、あるいはそれにおべっかする、そういう体質が、政治・官僚・企業に充満していないか不安になります。

 

G20共同声明 反保護主義進展なし 仮想通貨規制は一致>ではようやく国際的な協調のもと、仮想通貨に対して共通規制体制を議論する一歩を踏み出した様子が報じられています。

 

そして共同声明では

<G20では、仮想通貨が初めて議題となった。国家が流通させる通常の通貨とは、制度や使われ方が大きく異なるため、共同声明で「通貨の主要な特性を欠いている」と明確に区別し、暗号技術が使われる一種の資産とみなし「暗号資産」と位置づけた。

 暗号資産は匿名性が高いためマネーロンダリング(資金洗浄)やテロ資金集めに使われる恐れがあると提起。悪用防止の規制整備を急ぐほか、消費者保護をめぐる規制も対応を進める。また、金融機関などでも使用が広がれば、価格急落が金融危機につながる恐れもある。国際的にリスクの監視を行い、将来的に特別な規制が必要かどうかも検討する方針で一致した。>とのことです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。


地面師詐欺の背景 <積水ハウス 土地詐欺被害 「社長案件」社内審査怠る>などを読んで

2018-03-22 | 企業運営のあり方

180322 地面師詐欺の背景 <積水ハウス 土地詐欺被害 「社長案件」社内審査怠る>などを読んで

 

地面師という言葉を久しぶりに目にしました。しかも報道だけでなく、被害当事者の調査報告書にもしっかりと書かれていました。

 

80年代は、そういう類いの人物が跋扈していたように思います。私のような弁護士にまでどういうルートかわかりませんが、何百億円という土地売買の交渉依頼がありました。曰く付きの東京でも有名な土地でした。関係する人たちもどうも怪しいのです。こういう案件はたいてい所有者の依頼だとか、所有者を標榜するとか、所有者をブラックボックスのようにして暗躍しています。私はどうみても所有者からの依頼がはっきりしないかったことと、当時大手デベロッパーの法務部にいた知人から情報を入手して、結局、彼らからの仕事を断りました。その後どうなったか、・・・大きく変貌した東京の一面だったように思います。

 

ところで、今回は先般、わが国では環境問題に先端的な取組をするRE100に加盟した4社の一つということで紹介した積水ハウスですが、大変なお家騒動があり、その原因が地面師詐欺に企業トップが没入していたらしいということで、困ったものです。

 

毎日記事では3月18日付けで<積水ハウス土地詐欺被害 「社長案件」社内審査怠る 安価情報、取引焦る 「問題あり」複数指摘を無視>と報じていました。

 

この内容はわかりやすいので、これを引用しながら、事件の概要を観てみたいと思います。

 

事件の概要は<東京都品川区にある約2200平方メートルの土地建物について、積水ハウスが昨年4月、所有者を名乗る人物(後に偽者と判明)らと売買契約を結んだ。6月までに積水ハウスが計63億円を支払ったが移転の登記ができず、「所有者」からの預かり金を差し引いた55億5900万円の損害が発生。書類を偽造して他人の土地を無断で売却する犯罪(地面師事件)に巻き込まれたとみられる。>とのこと。

 

問題の土地は、<詐欺の舞台となった土地は、マンションを建設すれば即完売は間違いないとされる場所にあるが、売りに出ない土地としても同業者の間では有名だった。>こういう案件は、所有者の確認、その意思確認が簡単でなく、かつ慎重を要するのですが、どうやらかなりの手抜きをやってしまったようです。

 

<仲介役から土地売買の情報を入手した積水ハウスの営業担当者は、所有者になりすまして無断で土地を売却する「地面師」の関与を当初疑っていたものの、公正証書などを提示されて信用した。><所有者の本人確認の方法として、顧問弁護士は「知人による確認」を提案したが、結局書類で済ませた。写真を近隣住民に見せる方法もあったが、「所有者の機嫌を損ねるのでは」と考えて採らなかった。>

 

この記事からは、所有者本人確認が書類と、公正証書によったように見えます。たしかに公証人は本人確認を慎重に行います。むろん公証人にとって本人と称する人間を知らない訳ですから、運転免許証やパスポート、印鑑証明書などで行います。でもこれらは絶対のものではないです。顧問弁護士が指摘する<知人による確認>ってどういうことだろうと思われる方もいるでしょう。

 

それは今回の本人確認の書類自体が、積水ハウスの内部的な調査報告、<分譲マンション用地の取引事故に関する経緯概要等のご報告>によれば、所有者本人と称していたA氏(後で偽物と判明)の<パスポートや公正証書等による書面での本人確認>を<過度に信頼し切っ>た結果、それ以上の調査を怠ったために、真実の所有者でないA氏との土地売買契約を行い、売買代金を支払ってしまって、最終的に55.5億円の損害を被ったのです。

 

このことから<パスポートや公正証書>は所有者本人を偽る偽造のものであったと考えられます。公証人も、司法書士も見抜けなかったのでしょう。巧妙な偽造がなされていれば、通常のこういった専門職でも判断できないことがあります。地面師の方が上手であることはままあることですね。

 

高額の土地取引における慎重な取り扱いがおそらく積水ハウスぐらいだとしっかりとした規則が整備されているはずです。

 

ところが、毎日記事によると<土地購入を社内決定するための稟議(りんぎ)書は、阿部俊則社長(現会長)が現場を視察した昨年4月18日に起案され、20日に社長決裁、24日に売買契約が締結された。通常は社長決裁前に、仲井嘉浩取締役常務執行役員(現社長)や稲垣士郎副社長(現副会長)ら4人の役員が確認する決まりだった。だが、マンション担当役員から至急の対応を求められていた不動産部の幹部が後回しにすると判断し、4人は契約日の24日以降に回覧した。>

 

なんか森友問題のような雰囲気がありますね。むろんここではトップ自身の明確な意思が表れていますので、彼の責任がはっきりしていますが、周辺や部下も、異例な措置であっても、「忖度」を働かせたのでしょうね。

 

毎日記事は<稟議書が不動産部に届いた3日後(土日除く)に契約されており、通常とは違った決裁の段取りを踏んだ。社長がいち早く視察し決裁したため「社長案件となり、社内は反対しにくい」(関係者)空気となり、チェック体制が働かなかった一因になったとみられる。>とうまく総括しています。

 

しかも、外部からさまざまな警告が示されていたのに、リスク管理もコンプライアンスも、ガバナンスも働いた形跡がありません。

 

<「4通もの内容証明郵便を取引妨害とみなすことは非常識である」「単なる売買行為の妨害のために、警察が出動することは考えられない」>と毎日は報じていますが、同感です。

 

内容証明は真の所有者から届いていますが、たしかにその見極めが簡単でなかったとしても、こういった内容証明を取引妨害と一方的に決めつける対応は、企業統治のあり方としてはなはだ疑問です。

 

だいたい、うまい話に裏があると思うのが取引の常識ですし、いい物件で所有者が隠れているとき、偽造や本人をかたるたぐいの手法は、積水ハウスのトップ方も、若い頃十分経験したはずなのに、どうしたのでしょうね。

 

ただ、不動産業者、宅建取引業者、司法書士、といったこの道の専門家たちも、その例は少ないと思いますが、油断して本人確認やその意思確認を怠ることもあれば、あるいは、最近では所有者の判断能力がないような場合にでも、家族の了解があれば取引を成立させてしまう、旧態依然の取引も残っているように思えます。

 

昨日奈良で久しぶりに先輩と飲んで談論風発したせいか、疲れ果てています。それに少しトラブルがあり、書く元気があまりなかったので、何日か前の記事で少し気になっていたのを思い出し、その記事を元に少し書いてみました。

 

積水ハウスの内部調査報告は、概要だけの3pですので、中身がよくわからないところもありますが、毎日記事や経済プレミア記事<積水ハウスが“地面師”に55億円だまし取られた事情><積水ハウスがだまされた“地面師詐欺”(2)>がより詳細に記事にしていますので、興味のある方はご覧ください。

 

今日はこの辺でおしまいとします。また明日。