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J.R.Hicks 経済史の理論

2005-08-13 15:08:42 | 趣味の話&本と雑学メモ

ふるい本を引っ張り出すので、お許し頂きたい。

経済学者の大御所 J.R.ヒックス 教授の「名著」のひとつである。

経済史の理論

講談社

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本当は、原書がいい。
『あまぞんドットこむ』ほどの巨大書店に、なんと本書の原書を検索するに、出てこない。何故か!取り扱わない理由など、難しく考える必要はない。要するに読もうとする読者があまりにも少数。つまり、非常に売れない本だからである。
わかりよい英語、ずいぶん綺麗な英語、ヒックス教授の流麗な英文は、たとえ歴史や経済学の苦手な読者であろうとも、本著にて「ヒックス教授の云いたい事」が解かる筈。です!
類人猿に毛の生えた程度(毛が抜けた程度?と表現すべきか)の原始人社会では、何も経済学を通して人間(類人猿)社会を判断する必要はなかった。しかし人間が群れ集まり集団ができた時から、人間と人間のあいだに「格差」が発生しはじめる。つまり、集団のボスとその配下との係わり合いの中からは、おのずと格差が発生してくる。文明の発生は富の発生が源であるからして、いよいよこの頃から「経済」が芽生え、経済学的角度から診れる歴史が発生する。
つまり、まずは村社会をつくり、ボス村社会と村社会が闘争し抗争し、闘争に打ち勝つため工夫した結果が文明の黎明か?その頃から、人間社会の発展の歴史が始まる。が、さらにさらに、近隣部族集団間の富の奪い合いは続く。集積された富のエネルギーで文明が発生。さらに文明の曙は文化の発展に継続され、考える葦である人間はさらに哲学と宗教を発生させ、異なる宗教を基盤とした権力闘争は生まれる。近代的富の蓄積から近代国家の成立、国家間の相克、民族意識の黎明、東西冷戦、延々に長大に後世へ繋がる。もって現代の我々が知る『歴史』がある。
この歴史の流れを、経済学者の切り口をもって違った角度から論ぜられているから、この著書が面白い。
さらに面白いのは、経済のグローバル化についての解釈である。
ヒックス教授曰く、
グローバリゼーションの潮流は、決して最近になって発生したものではない。利権を伴う交流がすでに始まっていたギリシャローマ時代からすでに発生しているものである。別段、近年になって、特に経済学の分からない三流社会学者の間で声を大きくしてグローバル化に反対するまでもなく、経済が拡大し近隣地域から世界にまたがる交流が発展する限り、それに伴う文化の交流は発生し、社会のグローバル化は当然の帰結であるなどなどという「くだり」が面白い。
この著書の基本軸は、ヨーロッパの文化と歴史の発展をベース土台として、英国人理論経済学者の切り口で論ぜられるが、アジアと日本についても触れられている。
ヒックス教授曰く、「日本は、特殊な民族であり国家である!」と、、、
尚、日本経済については、教授はさらに別の著書で語られている。
おっとどっこい!たいへん失礼。
なに、本書の筋書き解説は、必要ない。
読後感(読後観か?)を、締めくくる。
本書は、歴史学者の主たる歴史解析方法、すなわち社会科学として捉えられる歴史を、ヒックス教授は(当然ながら)経済学者として、経済学の切り口から分析し、解明する。すべからく歴史の胎動を経済発展とそれに伴う競争理論の「一点」にて視点を集中し、分析される。理論経済学の手法で世界の歴史を解剖するから、解かりよい。
問と答えが明快になる。
明快だから、読んでいて気分心身ともに壮快になる。

英国での(英文原書)初版は、(たぶん)1963年。
新保博先生(当時・神戸大学経済学部教授)の翻訳本の初版が昭和45年(1965年)。
我輩が本書を購入した時、すでに12刷目。昭和59年10月である。
購入当初、張りきって読始めたが、情けないかな、わずか30ページでGive-Upした。
何故、中途でほうり投げたか?
当時を思い起こせば、本書の内容に没頭する時間的余裕と感性が欠如していたのであろう。
そして(訳本に)再度挑戦し、ようやく読了した。すでに12年前になろうか?
幸運にめぐまれ4年前、シンガポールの古本屋で見つけ入手した英文原書、遅ればせながら読了した。

経済学として歴史を捉えた本著、その読後感想、あらためて回想するに、しかと思い当たる点がある。
それは、
経済学者たるは、競馬の予想屋でもなく占い師の類でもない。したがって何も、経済予測し、言当てる義務も責任もない。近未来、および将来の経済動向を予測する学者は、学者とは言わない。単なるビジネスマンか、あるいは政治屋的評論家である。

しかし本書は、
すでに本書が著述された時代、すなわち1960年代初頭において、Hicks教授はマルクス経済学の学説崩壊を完璧なまでに見通されておられる。加えて当時、すでに東西ベルリンの壁の崩壊を予測されていた。ベルリンの壁の崩壊、ならびにソ連の経済崩壊、マルクス経済学の不成立な理論をすでに喝破されており、全てが見事に的中しているではないか。

歴史を分析し省みるに、まず、イデオロギー論議はまったく不必要!
経済学者の目を通してみた世界史(西洋史)感が、如何に冷静で、かつ的確な歴史分析ができるのか!
上述のワンセンテンスが、我輩の純粋なる感想である。本書は、経済学の基礎のウンチクはおろか、社会科学のなんたるちあ?が全く分からなくても読破できる「常識の書」であると思う。

と云いつつも、我輩が尊敬し傾倒する西尾幹二先生的歴史観は大いに感ずるものあり。西尾先生の歴史認識と見解は、我が国の歴史観に於ける最重要論点と考える。しかし当記事とは組み合わせ不可能であり、すなわち、この場では経済学者の云々を語る。今後、この視点でのわが国の歴史観は、あらためて取り上げたい。

最終章あたりでのヒックス教授の理論展開では、「21世紀の見通し」まで立てられているではないか。振り返ればおおよそ半世紀以前に「構築」された見通してある。
しつこく云っておくが、それは予測ではない。
その内容たるや、なんと、経済学者から見た(理想とする)21世紀とは、古代のギリシャ時代にまで立ち返るが如く、世界にちらばる国家という体制は、その枠をさらに縮小単純にして、「都市国家」的なカタチになるであろう。と、予測をされているのだ。
この表現みごと、含蓄がある。
そう!その通り。
確実にその通りだ!と、我輩は思うのである。
なぜなら、今、今日、この時間に、生き証人としての自分が、こうして21世紀の今日を生きているからである。
生きていて、見ている、自分も実行している。
すなわち、
良し悪し善悪は別として、世界の多様な地域に跨って人間が行き交い、超複数の人間による多種多様雑多な要求と夢を満たす世の中に、今、もうすでになっているではないか。すでに、そんな時代がすでに到来しているではないか!これぞ、Hicks教授のおっしゃる「都市国家的」多様な小集団の現れであると解釈し、もって、Hicks先生の21世紀の予測論と判断する。選択肢の多い、複雑な人間社会の精神的満足と経済的欲求を如何に満たすか!一括りの単純社会ではなくなる!と、明言されているのである。事実、21世紀はそうなりつつある。

21世紀に生きる諸君よ、、、
まず目を見開き、もう一度切り口を吟味し、且つ角度を変え、列強植民地政策主義に翻弄された近世の歴史を再診断させる。決して恨み辛みの余韻を引きずってはならず、さりとて歴史は黙視できない。
以って、けっして歴史は繰り返さない!と、、、
いよいよ読み終えた読者に対し、熟慮せねばならないテーマを与える。いや、テーマを持って将来を模索し、凛と見据えよ!
と、ヒックス教授が示唆されておられる!と我輩は解釈する。

ばかばかしいが、少し話しをマスメディアに転じてみれば、
東アジア3国の、歴史認識云々、靖国参拝云々、戦後60年の節目に云々、終戦の年に云々、、、
何と、くどい!
もう、すでにわかりきった事を言うでない。
マスコミよ、政治家よ、評論家よ、学者よ、教師よ、企業人よ、サラリーマン労働者諸君よ、右翼も左翼も、ばあちゃん母ちゃんネエチャンをひっくるめた日本国民よ、もう少し大人になって将来を冷静に見つめ、先を考たマクロな議論をしてくれないか!
今日、すでに、平和呆け弁当を食べ残した重箱の隅をつつき合ってるときじゃない!新しいもっと中身の美味い弁当を、皆の工夫で作らねばならない時が来ているではないか。

上述の報道、報道に伴う三流評論家による議論、もう、馬鹿馬鹿し過ぎて話にもならない。なかんずく、郵政問題反対論者の言い訳へ理屈なんて子供だましにもならない。永田町ボケというか、世間知らずというか、これほどまでにも馬鹿馬鹿しさが自覚できないのであるから、理解不可能!不思議な世界だ。
だからマスコミの幹部連中よ!いい加減にしてくれ!
画面に出て来るTY各局、分単位にて同じものの繰り返し。
すなわち、同じ絵、同じセリフの繰り返し、時間つぶしはもう結構だ、しっかりと真面目にやってくれ、
きたる衆議院選挙よ、早く終われ!
小泉自民党圧勝の内に一刻も早く選挙を終えてほしい。
我々日本国民には、この先長い長い21世紀の国民の為に、やらなきゃならん事はたくさんある。しかししかし、一番に手を下さねばならないのが郵政民営化。何にもまして、これが将来の改革の第一歩である。早い話(誰も云いたがらないが)、族議員所有の郵貯と名の付くタンス預金340兆を、いち早くタンスから引っ張り出し民間に放出し、国民の幸福と若者の将来の為に有効活用できるよう制度を改めるのが郵政民営化の本質のはず。重要な論点にかすみを張りめぐらし目隠しし、国民に見えないようにしてきたのは反対論者であり、340兆を食い物にしてきた族議員だ。問題をすり替えるな!
さあ、野党はどうか?
単に40万人の郵便局労働組合員の選挙票が欲しいだけであるから、問題は単純である、簡単に見えてくる。単純馬鹿とは、すなわち野党の意味。

思い起こさねばならない「諺(ことわざ)」がある。

『風がふけば桶屋が儲かる・・・』

今、340兆の大風をふかさねばならん。
「外部経済」という理論経済学用語がある。
上記の熟語の意味するところ、要するに、たとえば今日、誰かが10万円使うとする。その10万円は一ヶ月も経たないうちに周り巡って20~30人の手に渡り、金は天下を駆け巡る。10万円が30人の手元を過ぎれば、結果として、10万X30倍=300万の現金が経済社会を動いた事になる。といった意味である。もって、正しく340兆を回り巡らせば、2~3年の間に2~30倍の経済効果がでてくる。これが解からないか!
これをもって真っ当な経済活動という。
しかし、
340兆をもって不透明な使い方をすると具合が悪い。
倒れ掛かったJA?腐りきった道路公団?垂れ流しで残高のなくなった年金基金の補填?族議員の懐などにに入ってしまえば、外部経済効果の本来的効率は、激減する。
もう一度云う。340兆を、世に放出せねばならない!
桶屋が儲かるどころか日本国中に好景気の大津波が押し寄せる。
すなわち、乗算的経済効果による好景気の津波である。
この津波は、人も殺さず家屋も壊滅しない「幸せ」を撒き散らすTSUNAMIである。
断っておくが、「KAMIKAZE」ではない。

この幸せのTSUNAMIを妨害している馬鹿がいる。
おおばかはマスコミ、ますこみがけしからん。
マスコミが(一部マスコミは除く)ここまで「ばかの集団」であるとは思ってもみなかった。あいもかわらず、重箱のスミしか見えないのか!
好きだなあ~重箱の隅がよ・・・

話し戻る。
英語の得意な方、是非原書を紐解かれたい。英文学の書とは違った意味で、英語の読書が楽しめる。格調ある経済学者の著した端正で美しく正しい英語が堪能できるはず、、、。
ゆえに、もう一度、英文タイトルを以下に紹介する。

"A theory of Economic History" by John R. Hicks

なんと、久しぶりに記事を書こうと思い、思ったところが書きかけの未完成記事(当記事)の記事完成に労を費やしてしまった。

実は、書こうと思った記事は、郵政民営化問題である。
一両日に書き、投稿するので是非ご覧頂きたい。
と思っていたが、ついでに書いてしまった。論点の核心からはいささか逃避しているが、核心との間合いは、逆に、ご理解ご納得いただけると思う。
そして、
書きかけの記事を、今こうして書き上げてみれば、さほど関連性がないでもない。

話し戻る、
しっかりと、歴史を通して「ものごと」見定めたい・・・
この著書、偏りがない。
社会科学の粋である。