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光陽展「広島展」によせて(5/6)-2 「作品 :ティータイム」を鑑賞する・・

2006-07-03 11:22:58 | 怒素人的美術蘊蓄録
(添付画像:光陽展広島展・「ティータイム」)

<作品の紹介>

 作品番号: 46
 作者氏名: 北 川 悦 子 (会員)
 作品題名: 『ティータイム』
 受賞名:  会員奨励賞
 住  所:   東 京


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<其の1>

 光陽展広島展に赴いたのは6月末、早いもので、すでに1ヶ月になる。本日こうしてあらためて「作品・ティータイム」を拝見しながらも、当日の光景をまざまざと思い浮かべ得るほどに、この作品、我が脳裏に残像として鮮明に残っている。

 「静けさと安堵感」の伝わってくる作品。
 冷たく静寂なる「静か」さではなく、暖かい「静か」さなのである。
 「ティータイム」なる作品のタイトルは、解る。
 暖炉のある住居。
 ならば、所は、場所は、おそらくヨーロッパの、とある街、とある住居の一室、、、。
 この作品の暖かさは、まず暖炉の存在から感じ、漂って来るのか、、、。
 暖かさは人間の佇む生活空間でなくてはならず、人的空間の証拠に、暖炉の上部右から電話器と花、さらに楽器(マンドリンか)など配置、暖炉の左前方にテーブルが位置する。暖炉に火を入れれば、周囲上部は加熱するか。断熱施工されていると仮定するも、加熱を忌み嫌う木製楽器マンドリンと精密機械であるはずの電話器など、ゆめゆめ暖炉の周囲に配置すべきではなく、たぶん、暖炉に火を入れない季節時節の想定であろう。

 さて、この作品のすばらしさは、光りの表現。と、視る。
 暖かさの表現に、まずは左手壁の上窓から、斜めの光りを差し込ませておられる。背景の壁を斜めに照らし出す。その光りは壁に反射し部屋全体にちりばめられているであろうと思わせる。この絵画には、もう一箇所の光源がある。暖炉手前の石床に、右手の下方向から斜めに差込み、石版(たぶん大理石であろう)の床と、ティーカップやティーポットの配置されているテーブルの足元を、強力な光源で照らし出している。この光源が、この作品の奥行きと立体感をもたらしているのではないか。
 しかし、人工光源でない限り、左右全く異なる方向からの強力な太陽光が差し込んでくる事は考えられない。自然光に頼って撮影した写真芸術ならば、全く撮影製作不可能な「画面」であるけれど、絵画という技巧により、人工的作為により描かれた「作品」なるか。

 結論して、
 自然科学的に考えれば不可思議な場面構成であるが、何故か調和がとれている。その調和は、「暖かな静けさ」と「和み」を演出する。
 さらにこの作品の最大の魅力をご披露し且つ絶賛したい「理由」、在る。

それは、作品の中に見事に配置されている、、、

 「楽器」・・

 「ティーセット」・・

 「電話機」・・

 「花器と花」・・

 これら絵画調和を醸し出しつつ構成される小道具の、微細に描かれている「緻密精度」なるもの最高度の技巧にて詳細且つ緻密に描かれ、まるで本物を見ている以上の表現力。鍛え抜かれた絵筆の成せる業、はたまた作者:北川悦子女史の天分的感性から沸き出でた結果か。楽器マンドリンたるは、今直ぐに手にとって奏でる事可能に想え、電話器からは今にもテレフォンコール架かって古式豊かなベルが鳴り響きそうな感じすら思えて来る。ティーセットは、欧羅巴ポーセリンの質感あり。高品質なるセラミックの肌合いは見事、いかにも具現に表現済み。今直ぐに、指で弾(ハジ)けば、かん高い磁器の音が鳴り響くに違いない。
 
 いわずもがな、暖炉は、絵画演出舞台の華麗なる大道具である!

(残念ながら、添付画像にて細部の再現不可能。読者に対し、訴求力無きところ、
如何ともし難く誠に心もとない・・・)


<其の2> 

 先回記事「フェルメールを回想する」に記したとおり、自分勝手にフェルメール作品とすり合わせて「この作品」を鑑賞した。それは決して、フェルメール作品「Milk-Made(ミルクを注ぐメイド)」と比較し、構図的にも作画意図にも、ほとんど類似点はない。
 まず、
 フェルメール作品には「メイド」なる女性が描かれており、ミルクを注ぐ動作の動きあり、女性の衣服にはフェルメールブルーと称される「独特の青色」が配されている。そして、背景の壁には何ら飾り気無く、わずかに左手上部の窓際に、物入れの篭らしきもの、ぶら下がっているだけのシンプルな背景である。
 しかし、最大の違いは、フェルメール作品のまるで和室の障子紙でも通したような柔らな広がりを見せる間接照明的「光源表現」と、この作品の直線的「光源」の違い。等々、「光源反射」の表現の違いである。
 実は、この作品「ティータイム」を拝見した瞬間、思い立ったのがこの「光源問題」なのであった。さらに贅沢を云えば、この作品「ティータイム」の全体的色調に、若し「ティータイム作品」の中に、フェルメールブルー的「青色」の配置があったら、この作品はどうなっているか?
 若し、ティーセットの配置されてあるテーブルに、青色の布切れ一枚あったら、鮮やかにして藍色のフェルメールブルー的青色の「テーブルクロス」をさりげなく、テーブルの然るべき位置に配したらどうなっているだろうか?

 「・・・?」 
 
 そんな我が幼稚な鑑賞眼にて「幼児的欲求」を物申したくなるほどに魅力的な、北川悦子女史作品「ティータイム」なのである・・・

 正直、申し上げます。
 「飽きないのです・・・」
 「毎日の朝晩、出張あれば週末に、あるいは毎月2~3回、この絵画を鑑賞し続けたいのです!」

  <・続く・・>

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(参考資料はこちらから・・)

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