『エセ男爵の日誌』より(2004年11月12日)
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「遊歩道のどんぐり林」
(2)
そうだ!思い出した。
この夏、NHK・BSテレビ放送で見た。つまり同じ映画を見たわけだが、すでに三度目を観た計算になる。
そう、昔懐かしい70mmフィルムをふんだんに使った大型スクリーン映画全盛時代の頃の「さる映画」をおもいだした。どう勘定したって、今から35年か、いやいや四十年以上も前の作品であろう。
若かりし頃の、オマー・シャリフ主演の映画、映画の内容はもちろん濃い味顔が好く、この年になり、あらためてこの男優の良さが一層理解できる。が、映画に先行して「映画主題曲・ララのテーマ」があまりにもヒットしすぎた。
そんな名作映画『ドクトル・ジバゴ』、である。
オマー・シャリフは、我輩の大好きな男優の一人である。また、彼自身はみごとにこのロシア文学の大作「ドクトル・ジバゴ」を演じきっている。女優の名は、いつもの事ながら思い出せない。
ストーリーの始まりと、あらすじを思い出しておこう。
ジバゴが未だ物心付かぬときに両親を失う。
幼くして母方の親族の医者の家族に引き取られ、首都モスクワ?いや、当時はペテルブルグだったか?そんな街のど真ん中の、恵まれた穏やかな上流社会階級の環境に育ち、まずは当然ながら「一流の医者」になる。大学に残るよう勧められるが、彼の人間愛に満ち溢れた精神から「人助けをしたい」と主張し、もって若くして開業医となる。感性豊かなジバゴは文学にも秀で、詩を書きはじめ、それを生涯続ける事となる。十分な教育と感性にはぐくまれたジバゴは、文体美しく、人間愛に満ち溢れる彼の「詩集」を世に送り出す。彼の作品は当時の上級貴族社会に大きく評価され始め、一流の詩人として世に出る。
19世紀末、ロシア社会は大きく社会主義体制が胎動し始めてきた。いよいよ帝政ロシアの時代から革命が始まり、共産主義時代に移る大きな世の中の激動の中、ジバゴの人生は嵐の中の帆船のごとく、時代変遷の嵐に翻弄され続ける。結果、心身ともにボロボロに朽ち果て、モスクワ市中で心臓発作に襲われ、果てる。約3時間20分に及ぶ長編映画は、そんなドクトル・ジバゴが辿ったロシアの大地、四季折々の変化などをみごとに描ききっている、美しくも悲しい映像の連続である。そのBGMとして流れる名曲「ララのテーマ」が、より一層に映像を引き立ててくれる。
この映画の始まりと終わり、、、。
始まりはタイトルからスターの名その他の文字が出て来る時。
さらに、3時間数10分の長い映画の間合い、、、。
つまり、確か、二度にわたって5~10分間くらいの「インターミッション静止画面」を思い出したのである。話を整理すれば、まず合計4度にわたって同じ静止画面が出る。
それは、シンプルに「白樺林を描いた油絵」なのである。
同じ構図の絵に、色彩と色調を使い分け4枚の絵になっている。絵全体の色調の違いのみで、それぞれの絵でもって春夏秋冬を分け描いている。
まず、映画の始まりの絵。
タイトル表示の画面では、淡い薄緑と黄緑に白樺林を描き、春を表現していた。
夏をあらわしている二番目の絵。
それは十分に繁った濃緑色の葉に変化している。白樺の葉の合間に見え隠れする無数の白樺の幹が生き生きと真っ白に、しかも、みずみずしく描かれている。白樺林を包み込む背景の色、つまり空を描いているのであろう透き通ったスカイブルー。明らかに夏の白樺林を表現している。これが最初のインターミッションの画面である。
ようやく秋、それが三番目の絵。
前の画面で真緑に十分に生い茂った立った白樺の葉は、この絵の中では純粋な黄色と黄褐色混じりのものに変わっている。地表の色は落葉で十分に敷きつめられた濃淡混成した茶系でまとめられている。絵の背景は逆光で射し込む夕日を想わせ、淡い橙色(だいだい色)になるいや、たしか薄雲を通し、か弱く哀調を漂わせる夕日が、白樺林の幹と枝の空気を通過して描かれた「冬の訪れを予感させる」情感が、我輩の脳裏によみがえって来た。
そして冬、最終第四番目の絵。
まさに白樺林の雪景色。それは、映画終了後のラストタイトルの文字の流れの背景を十分に支えきれる絵である。十分なオゾンで清めつくされた空気を通し、林の中の全てが見通せる。清楚な白樺の幹。最後の一枚の葉も落し尽くし丸裸になった枝。地面も背景も、微細に変化を加えた白色。白樺の幹の白い皮の間にわずかに覗える黒い幹の皮下。樹氷に包まれた枝の間にもかすかな黒が見え隠れする。背景はわずかに青色と灰色を感じさせるが、色調といえば変化が加えられた白色!あるのみ。
以上、四季をあらわす色調の違う同じ油絵の画面構成は、単純な縦方向のみの、ほとんど直線に近い白樺の幹にから伸びる枝を感じさせるような左右方向斜めに延びる細い線が描かれているだけのシンプルなものである。
思えば思うほど、まことに単純な画面構成である。
しかし、白と黒をベースに置き、同系色の色調が組み合わせられ、取り立てて工夫がなされているわけでもない画面構成は逆に強いインパクトとして脳裏に残るのである。その単純な画面が、その絵画を鑑賞する人の想像力を誘引するのであろう。少なくとも我輩の場合、そうなのである。
そして今朝、この油絵とほぼ同じシーンである「映画、ドクトル・ジバゴ」の二度目のインターミッション「秋の白樺林」の印象とほぼ同じものを見た。
その瞬間、いかにも晩秋を感じた。
白樺林とドングリ林とでは大きな違いがある。なぜ、どんぐり林か、といえば、一ヶ月前まで、簡単に手のひらで救い上げることのできるくらい、数え切れないどんぐりがその林の中いたるところに落ちていたからである。観察している人物が知らないだけで、もしかするとどんぐりの樹木に混じって白樺の木があるかもしれない。この際しかし、植物学的な分類はどうでもよいのであり、肝心な事柄は「どう感じるか」という芸術的精神的な受け止め方、すなわち感性の部分を大切にすればよいのである。
いうまでもなく、この大自然が描く秋を感じている輩は、決してドクトル・ジバゴ本人ではない。映画という手法で現わされた「ドクトル・ジバゴ」のストーリーの偉大な基盤に横たわるもの、これらの全てに、あらためて十分な感性をもって理解しようとしている人物がいた。その人物とは、十数年前の自分自身の青年時代から今に到るまでを「ドクトル・ジバゴの生涯」とオバーラップさせ、すりあわせて思い出そうとしている男がいた。その男、オーベルジュ・ブランシュ富士に、二ヶ月前に着任したばかり、富士の東山麓で目にする大自然の全てが新鮮であり、感受性に反映する。
今しかし、
秋の訪れや大自然の営みと変化に反応している「この男」の心境とは、決して「人生の秋」の心境ではない。むしろ冬から春先にかけての季節的感覚、積雪から雪解けが始まり、地表には植物の若芽が吹き出す時期、そして、そんな心境である。自ら身を挺した現場の仕事を大切に、そして真心込めて、お客様に接したい。
爽快にして晴れやかな気分でる。
「そうだ、明日の午前中でいい。是非この風情を写真に撮っておきたい」
と、一人でつぶやきながら「コンシェルジュデスク」に向かった。
「完」
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<以下、「Yahoo映画情報」より抜粋>
ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説を映画した長編大作。時はロシア革命前後の動乱期。純真な心を持つ詩人でもある医者ジバゴを主人公に、ラーラとトーニャという2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた生涯を描いてゆく。人生の軌跡を、多彩な登場人物を交えながら時代のうねりと共に描く壮大な一大叙事詩。M・ジャールによる美しい“ラーラのテーマ”も忘れがたい。
製作年度 1965年
製作国・地域 アメリカ/イタリア
上映時間 194分
監督 デヴィッド・リーン
製作総指揮 -
原作 ボリス・パステルナーク
脚本 ロバート・ボルト
音楽 モーリス・ジャール
出演もしくは声の出演 オマー・シャリフ 、ジュリー・クリスティ 、トム・コートネイ 、アレック・ギネス 、ジェラルディン・チャップリン
*主演男優:オマー・シャリフ
(我輩の好きな往年の男優、その一人である)
生年月日 1932年4月10日
出身地 エジプト/アレキサンドリア
本名はMichel Shalhoub。材木商の家庭に生れ、4歳でカイロに移住。ビクトリア大学では学生演劇会の委員長などを務めた。卒業後は父の仕事の手伝いなどをしていたが、23歳の時に渡英して王立演劇アカデミーの聴講生となり、帰国後の55年にエジプト映画でデビュー。同年にはエジプトのトップ女優と結婚して20本以上の作品に出演。次第にその名は世界的にも知られるようになった。やがて製作者のサム・スピーゲルに呼ばれて62年「アラビアのロレンス」のベドティン族長に扮して国際デビュー。アカデミー助演賞候補にもなり一躍有名になる。その後は「ドクトル・ジバゴ」、「ファニー・ガール」、「うたかたの恋」と代表作が続いた。私生活ではドヌーブなどと噂になり、66年に離婚。77年には別の女性と再婚した。またブリッジの名手としても有名で、その腕前は世界選手権に出場するほどのものだとか。
<以上、Yahoo映画情報より抜粋>
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「遊歩道のどんぐり林」
(2)
そうだ!思い出した。
この夏、NHK・BSテレビ放送で見た。つまり同じ映画を見たわけだが、すでに三度目を観た計算になる。
そう、昔懐かしい70mmフィルムをふんだんに使った大型スクリーン映画全盛時代の頃の「さる映画」をおもいだした。どう勘定したって、今から35年か、いやいや四十年以上も前の作品であろう。
若かりし頃の、オマー・シャリフ主演の映画、映画の内容はもちろん濃い味顔が好く、この年になり、あらためてこの男優の良さが一層理解できる。が、映画に先行して「映画主題曲・ララのテーマ」があまりにもヒットしすぎた。
そんな名作映画『ドクトル・ジバゴ』、である。
オマー・シャリフは、我輩の大好きな男優の一人である。また、彼自身はみごとにこのロシア文学の大作「ドクトル・ジバゴ」を演じきっている。女優の名は、いつもの事ながら思い出せない。
ストーリーの始まりと、あらすじを思い出しておこう。
ジバゴが未だ物心付かぬときに両親を失う。
幼くして母方の親族の医者の家族に引き取られ、首都モスクワ?いや、当時はペテルブルグだったか?そんな街のど真ん中の、恵まれた穏やかな上流社会階級の環境に育ち、まずは当然ながら「一流の医者」になる。大学に残るよう勧められるが、彼の人間愛に満ち溢れた精神から「人助けをしたい」と主張し、もって若くして開業医となる。感性豊かなジバゴは文学にも秀で、詩を書きはじめ、それを生涯続ける事となる。十分な教育と感性にはぐくまれたジバゴは、文体美しく、人間愛に満ち溢れる彼の「詩集」を世に送り出す。彼の作品は当時の上級貴族社会に大きく評価され始め、一流の詩人として世に出る。
19世紀末、ロシア社会は大きく社会主義体制が胎動し始めてきた。いよいよ帝政ロシアの時代から革命が始まり、共産主義時代に移る大きな世の中の激動の中、ジバゴの人生は嵐の中の帆船のごとく、時代変遷の嵐に翻弄され続ける。結果、心身ともにボロボロに朽ち果て、モスクワ市中で心臓発作に襲われ、果てる。約3時間20分に及ぶ長編映画は、そんなドクトル・ジバゴが辿ったロシアの大地、四季折々の変化などをみごとに描ききっている、美しくも悲しい映像の連続である。そのBGMとして流れる名曲「ララのテーマ」が、より一層に映像を引き立ててくれる。
この映画の始まりと終わり、、、。
始まりはタイトルからスターの名その他の文字が出て来る時。
さらに、3時間数10分の長い映画の間合い、、、。
つまり、確か、二度にわたって5~10分間くらいの「インターミッション静止画面」を思い出したのである。話を整理すれば、まず合計4度にわたって同じ静止画面が出る。
それは、シンプルに「白樺林を描いた油絵」なのである。
同じ構図の絵に、色彩と色調を使い分け4枚の絵になっている。絵全体の色調の違いのみで、それぞれの絵でもって春夏秋冬を分け描いている。
まず、映画の始まりの絵。
タイトル表示の画面では、淡い薄緑と黄緑に白樺林を描き、春を表現していた。
夏をあらわしている二番目の絵。
それは十分に繁った濃緑色の葉に変化している。白樺の葉の合間に見え隠れする無数の白樺の幹が生き生きと真っ白に、しかも、みずみずしく描かれている。白樺林を包み込む背景の色、つまり空を描いているのであろう透き通ったスカイブルー。明らかに夏の白樺林を表現している。これが最初のインターミッションの画面である。
ようやく秋、それが三番目の絵。
前の画面で真緑に十分に生い茂った立った白樺の葉は、この絵の中では純粋な黄色と黄褐色混じりのものに変わっている。地表の色は落葉で十分に敷きつめられた濃淡混成した茶系でまとめられている。絵の背景は逆光で射し込む夕日を想わせ、淡い橙色(だいだい色)になるいや、たしか薄雲を通し、か弱く哀調を漂わせる夕日が、白樺林の幹と枝の空気を通過して描かれた「冬の訪れを予感させる」情感が、我輩の脳裏によみがえって来た。
そして冬、最終第四番目の絵。
まさに白樺林の雪景色。それは、映画終了後のラストタイトルの文字の流れの背景を十分に支えきれる絵である。十分なオゾンで清めつくされた空気を通し、林の中の全てが見通せる。清楚な白樺の幹。最後の一枚の葉も落し尽くし丸裸になった枝。地面も背景も、微細に変化を加えた白色。白樺の幹の白い皮の間にわずかに覗える黒い幹の皮下。樹氷に包まれた枝の間にもかすかな黒が見え隠れする。背景はわずかに青色と灰色を感じさせるが、色調といえば変化が加えられた白色!あるのみ。
以上、四季をあらわす色調の違う同じ油絵の画面構成は、単純な縦方向のみの、ほとんど直線に近い白樺の幹にから伸びる枝を感じさせるような左右方向斜めに延びる細い線が描かれているだけのシンプルなものである。
思えば思うほど、まことに単純な画面構成である。
しかし、白と黒をベースに置き、同系色の色調が組み合わせられ、取り立てて工夫がなされているわけでもない画面構成は逆に強いインパクトとして脳裏に残るのである。その単純な画面が、その絵画を鑑賞する人の想像力を誘引するのであろう。少なくとも我輩の場合、そうなのである。
そして今朝、この油絵とほぼ同じシーンである「映画、ドクトル・ジバゴ」の二度目のインターミッション「秋の白樺林」の印象とほぼ同じものを見た。
その瞬間、いかにも晩秋を感じた。
白樺林とドングリ林とでは大きな違いがある。なぜ、どんぐり林か、といえば、一ヶ月前まで、簡単に手のひらで救い上げることのできるくらい、数え切れないどんぐりがその林の中いたるところに落ちていたからである。観察している人物が知らないだけで、もしかするとどんぐりの樹木に混じって白樺の木があるかもしれない。この際しかし、植物学的な分類はどうでもよいのであり、肝心な事柄は「どう感じるか」という芸術的精神的な受け止め方、すなわち感性の部分を大切にすればよいのである。
いうまでもなく、この大自然が描く秋を感じている輩は、決してドクトル・ジバゴ本人ではない。映画という手法で現わされた「ドクトル・ジバゴ」のストーリーの偉大な基盤に横たわるもの、これらの全てに、あらためて十分な感性をもって理解しようとしている人物がいた。その人物とは、十数年前の自分自身の青年時代から今に到るまでを「ドクトル・ジバゴの生涯」とオバーラップさせ、すりあわせて思い出そうとしている男がいた。その男、オーベルジュ・ブランシュ富士に、二ヶ月前に着任したばかり、富士の東山麓で目にする大自然の全てが新鮮であり、感受性に反映する。
今しかし、
秋の訪れや大自然の営みと変化に反応している「この男」の心境とは、決して「人生の秋」の心境ではない。むしろ冬から春先にかけての季節的感覚、積雪から雪解けが始まり、地表には植物の若芽が吹き出す時期、そして、そんな心境である。自ら身を挺した現場の仕事を大切に、そして真心込めて、お客様に接したい。
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ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説を映画した長編大作。時はロシア革命前後の動乱期。純真な心を持つ詩人でもある医者ジバゴを主人公に、ラーラとトーニャという2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた生涯を描いてゆく。人生の軌跡を、多彩な登場人物を交えながら時代のうねりと共に描く壮大な一大叙事詩。M・ジャールによる美しい“ラーラのテーマ”も忘れがたい。
製作年度 1965年
製作国・地域 アメリカ/イタリア
上映時間 194分
監督 デヴィッド・リーン
製作総指揮 -
原作 ボリス・パステルナーク
脚本 ロバート・ボルト
音楽 モーリス・ジャール
出演もしくは声の出演 オマー・シャリフ 、ジュリー・クリスティ 、トム・コートネイ 、アレック・ギネス 、ジェラルディン・チャップリン
*主演男優:オマー・シャリフ
(我輩の好きな往年の男優、その一人である)
生年月日 1932年4月10日
出身地 エジプト/アレキサンドリア
本名はMichel Shalhoub。材木商の家庭に生れ、4歳でカイロに移住。ビクトリア大学では学生演劇会の委員長などを務めた。卒業後は父の仕事の手伝いなどをしていたが、23歳の時に渡英して王立演劇アカデミーの聴講生となり、帰国後の55年にエジプト映画でデビュー。同年にはエジプトのトップ女優と結婚して20本以上の作品に出演。次第にその名は世界的にも知られるようになった。やがて製作者のサム・スピーゲルに呼ばれて62年「アラビアのロレンス」のベドティン族長に扮して国際デビュー。アカデミー助演賞候補にもなり一躍有名になる。その後は「ドクトル・ジバゴ」、「ファニー・ガール」、「うたかたの恋」と代表作が続いた。私生活ではドヌーブなどと噂になり、66年に離婚。77年には別の女性と再婚した。またブリッジの名手としても有名で、その腕前は世界選手権に出場するほどのものだとか。
<以上、Yahoo映画情報より抜粋>
良い文章でした、しかもトップの写真が良い。
バロンさんが転載したくなるのは当然ですね。
今までいろんなホテルのコンチェルジェのお世話になりましたが、最も印象が良かったのはタイのチェンマイのコンチェルジェでした。美人で気さく、しかも仕事が的確でした。 私のHP、下記のURLに関連記事があります。お暇がありましたら覗いて下さい。
http://www.ne.jp/asahi/takemura/yoshio/chennmai.htm
(注:手直し無しにて掲載しています)
昨年は11月に入って直ぐ(確か3日から5日まで)日展に入選した友人のお弟子さん(もちろん友人も来館しました)たち4~5名が、こぞって当館に宿泊。私は彼らに付きっ切りで「山中湖」辺りまで写生のお供を致しました。途中、見事なホンモノの白樺林を幾つか通過し、名画「ドクトルジバゴ」のインターミッションに使われた「白樺林を描いた油絵」のシーンを思い浮かべながら、加えて「絵描き連中」滞在中の楽しかった思い出など、「絵画」と「映画」と「絵描き達」の回想が交錯し、この日記になった記憶があります。
また、
絵画の美しさと印象を、何とか筆の力で再現したいという「気分」で、日誌にしました。しかし、書き切れていないのです・・・
未だ修行が足りません。
そんなところで、
イマイチ「きりっ」としない文章を、悠先輩から朝一番でお褒め頂き、その後「照れくさい思い」の半日を過ごし、今こうしてようやくご返礼と御礼のコメントをお出しする次第であります。
あらためて、申し上げます。
ありがとうございます。