オブジェ Art Flower 2005-05-13 10:47:23 | つれずれ紀行 最近になって、わかった、、、。 なにが? つまり、ブログで記事を書くのは、おしゃべりと同じ・・・ 今日はしゃべりたくない。 こんな日があっても、よいのではないか・・・ だから黙してアートフラワーの写真を投稿する。 写真提供: 撮影者: M.T.先生 玄人、フラワーデザイナー&インテリアコーディネーター 撮影機材:判らず・・・ 毎日一回、クリック応援を!(人気ブログランキング) « シリーズ:バリ島ウブドの荘... | TOP | 師と称するに値う人物也:司... »
5 Comments コメント日が 古い順 | 新しい順 うふふ。 (polestar) 2005-05-13 17:05:02 >今日はしゃべりたくない。わたしなんか、しょっちゅうです(笑ホントに書きたくない日は飛ばします。書くネタは、一応ストックがあるので尽きることはないんですが・・・ 返信する >ufufu・・・・ (エセばろん) 2005-05-13 17:55:42 でしょうね・・・ですね・・・ですです・・・・ 返信する 空白。 (akiorei) 2005-05-13 19:59:14 バロン男爵。こういった時間が必要ですよ。 返信する 粋ですネ (水砂子) 2005-05-14 09:42:43 さすがは男爵、息の抜き方が、粋でいらっしゃる♪セクシーなお花ですねぇ。南国の葉、モンステラの葉っぱでしょうか… 返信する ここでも、ちゃんと「韻」がある!? (エセばろん) 2005-05-14 11:14:53 水砂子さん おはようございます・・・粋=息 と、くるか!こういう「会話」は、疲れないしありがたいのです。これ、癒しと表現すればぴったりか?違いますね。当世流行の「癒し」という単語、日常頻繁に使うのは大嫌いです。なぜなら、使う自分がいかにも弱々しいからでして、弱々しさを、そんな自分をさらけ出すのが大嫌いです。いくら強い人間でも『弱み』はある。その弱みを出しっぱなして日々生きてる輩がいるとすれば、そんな人間、もう人間やめてほしいんだな。植物ではないか。「傷を癒す・・・」・・・・そんな使い方が本流であるはずの「癒し」という言葉は、傷を負った動物(人間)が、その傷を治癒(ちゆ)するまで、今後の生存すらおぼつかない、そんなに大きな内容中身を持った言葉だと、とらえているのです。傷を負ってもいないのに、さも大怪我をした如くに日常使っている。我輩の認識として(他人の基準は知らない)、怪我や傷を治す時に使う(大きな)言葉=「癒す」を、日常の瑣末な事情まで枝葉を伸ばしてまで、安易に使いたくないということです。そう、こんなとき水砂子さんの粋な「おだて(我輩に対して)」を聞けばうれしくなり、そしてありがたく受け止められる。いまだ「少年の心」が我輩に残っている、そんな確認が出来ました。ありがとうございます。 返信する 規約違反等の連絡 post a comment ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
わたしなんか、しょっちゅうです(笑
ホントに書きたくない日は飛ばします。
書くネタは、一応ストックがあるので尽きることはないんですが・・・
ですね・・・
ですです・・・・
こういった時間が必要ですよ。
セクシーなお花ですねぇ。
南国の葉、モンステラの葉っぱでしょうか…
粋=息 と、くるか!
こういう「会話」は、疲れないし
ありがたいのです。
これ、癒しと表現すればぴったりか?
違いますね。
当世流行の「癒し」という単語、日常頻繁に使うのは大嫌いです。なぜなら、使う自分がいかにも弱々しいからでして、弱々しさを、そんな自分をさらけ出すのが大嫌いです。いくら強い人間でも『弱み』はある。その弱みを出しっぱなして日々生きてる輩がいるとすれば、そんな人間、もう人間やめてほしいんだな。植物ではないか。
「傷を癒す・・・」・・・・
そんな使い方が本流であるはずの「癒し」という言葉は、傷を負った動物(人間)が、その傷を治癒(ちゆ)するまで、今後の生存すらおぼつかない、そんなに大きな内容中身を持った言葉だと、とらえているのです。傷を負ってもいないのに、さも大怪我をした如くに日常使っている。
我輩の認識として(他人の基準は知らない)、怪我や傷を治す時に使う(大きな)言葉=「癒す」を、日常の瑣末な事情まで枝葉を伸ばしてまで、安易に使いたくないということです。
そう、
こんなとき水砂子さんの粋な「おだて(我輩に対して)」を聞けばうれしくなり、そしてありがたく受け止められる。いまだ「少年の心」が我輩に残っている、そんな確認が出来ました。
ありがとうございます。