Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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GT300観戦小記 5/5 "Fuji GT300km Race" 最終回

2005-10-09 07:42:18 | つれずれ紀行
 9月25日午後2時、このたびの富士スピードウエイGT300レースの幕が切って落とされた。

なんと、レースが始まって周回3~4周目にかかったところ、スピードウエイの東側に『虹のブリッジ』が架かったのだ!

富士スピードウエイでは初めて、、、。
久しぶりに見た虹は、なんとも美しく、綺麗だった・・・

予選当日に(24日)接近してきた台風の影響が危ぶまれ、25日早朝はレース開催そのものも実施か?中止になるかどうか?主催者FISCOの見当も付かないようであった。事実、GT300の決勝以前に行なわれた予選ならびにサブイヴェントの決勝レースのほとんどは小雨の中を走行。場所は富士山麓、すなわち山の天候は変わりやすく、いま小雨と思えば瞬時にして豪雨に変わる。したがって各マシーン、レインタイヤを装着しての走行。

小雨、豪雨、なんのその!
各レーシングマシンときたら、ライトを照らし、レーサー独特の長め一本の窓拭きを高速で回転させながら、降りしきる雨をつんざき、なんと、走るは走るは・・・
この低い車高の視線の位置、この高速走行にて、前方は全く視界ゼロに近いものがあるであろうから、ここは『感』で走っているに違いない。なんとまあ、プロのレーサーとは、恐ろしい事をすることよ。
こうなればこのサーキット内を、すでに目をつむって走れるくらいに頭脳と身体で記憶しているに違いない。
これ、ロボットの成し得る業か、いや、プロのレーサーとて人間である。
「そうか!」
そうなんだ・・・
「人間の能力とは、どこまで磨き上げ鍛え抜かれるものなのか?」
「どこまで、限界に挑戦し続けられるのか?」
「なんとまあ、こんなに急いで走らなくともよいものを、、、」
「キチガイ(プロ・レーサーの意)とは、とんでもないところで勇気を奮うか?なんとも恐ろしい事をするものよ・・・」

この「モンスターGTマシン」と、それを操る「キチガイ連中」の様子を観ていた我輩、はたまた感動の涙が出るではないか・・・

周回ラップタイムはノーマルタイヤ装着走行時と、ほとんどその差はない!
レインタイヤを着けて走っても、6km強のサーキットを一周するに、違いは僅かに3~5秒違いか? つまりそうなるとレインタイヤもノーマルタイヤとほとんど同じ走りをしているという事になるではないか!
我輩、ぶったまげた・・・
マシーンの後輪が跳ね上げる水は、まるで高速船が海の上を走っている如くにけたたましく波を立てる。しかし、なぜかその跳ね上げる水の高さは抑えられ、後ろから見ていると跳ね上げられた波(水)は、決して車の後部の外には跳ね上げられず、車体の数メーター後ろ(5~6メーター後ろか、はたまた10メーターくらいか?)に、車の中心に沿って跳ね上げられた波(水柱)がアーチ状になって収束していくではないか!
水柱を跳ね上げつつも、その跳ね上げた水柱は、外に向かって飛び散らず、内側に向かって収束するから不思議である。
いや、不思議ではない。高速走行を容易にする為の空力学上、マシーンの切り裂く空気は、マシーンが走り去った後部に収束するよう設計されているのであろう。したがって跳ね上げた水柱も、空気同様、空力学的に収束していく、その姿をまざまざと見せ付けてくれたのだ。
まるで「巨大みずすまし軍団」が走っているようであった。
(けっして、アメンボウではないぞ!)

残念ながら、そうとうな土砂降り雨だった為、我輩レインコートの準備無しにてすでに肌寒いサーキット近くに立ち寄る元気なく、したがって水柱の上がっている写真が取れていない。観客席の屋根?ひさし?の出っ張ったところ、すなわち雨の降りかからないところに退避し、防水装備されていないカメラをひた隠しに防水加工?されているカメラケース仕舞い込んだから、一枚の写真も取れていない。今にして想えば、かなり残念・・・

かくして、
富士山麓の自然の神々は、このイヴェントを歓迎し、祝ってくれたに違いない。
すなわち、
雨上がりの『虹のゲート』をもってレース開催を祝福。
ノーマルタイヤ着装のまま、Fuji GT300km Race は無事スタートしたのである。

    <Fuji GT300km Race 観戦小記・完>


 PS:近年になく、このたびは殊に短時間の行動&移動で、マイペース的なゆとりは全く無く、(自宅)~東京~御殿場(富士スピードウエイを含む)~東京~軽井沢~東京~(自宅)と、動き回った。
この一週間、余韻が残り、さらに疲れが出てしまった。
こうして『殴り書き的雑感記』を書き終え、一区切り付けた。
自己満足的に書いてみれば、以外や以外、中身少なく、あるいは全く無く、虚脱感のみで、すでに何と云う事もない、、、。
しかし書いてみなければ、この判定判断とて付かないから、数ヶ月あるいは数年後、思い浮かべれば、こうして書いておいてよかったと思うこともあるであろう。
レース観戦後、
早いもので、すでに2週間が経過した。
さて、
今日から(すでに昨日あたりから)マイペースに戻した。
実は、そうなんです。
今、どうしてもやらねばならぬ事がある。ようやく頭を切り替え、マイペースにて「KIKAKU」完成に向け、全力で挑まなくてはならない・・・
いや~
ブログ記事なぞ書いてる暇、ないではないか!
今日から又、神経が磨り減る・・・
考えただけで、背筋が寒くなる・・・
しかし、引き下がれない!
この際、プロGTレーサーに負けず劣らず、やり切るしかないか・・・

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GT300レース観戦小記 4/5 「Restaurant Orizuru に想う・・・」

2005-10-07 11:30:54 | つれずれ紀行

 富士スピードウエイ内には唯一のレストランがある。

その名は「ORIZURU」、わざわざローマ字でレストラン名が表記される。

我輩、9月24日の早朝(午前9時過ぎだから、すでに早朝でもないか)、見学をかねてBreakfastを食しようとし、ぶらりと訪ねた。テーブルの場所はレストランの南側、南端真ん中の窓際の席を一人で陣取った。広大なレース場内におけるレストランの場所は、ヘヤピンカーブを走行するレーシングマシーンが良く見える場所に設営されているから、いっけん場所がよさそうだが、しかし実際にレストラン内の一番よい場所を占領しても、あまり芳しくない。

何故か?その理由を、以下、簡単に記しておこう。

(1)レストランを、もう一段高い位置(僅か5メーターでよい)に建設したらよかった。高床式建築には、なんら問題があったのか?それとも予算の問題だろうか?我輩素人の目で見れば、たいした建築物ではなさそうで、どうせ、鉄骨プレハブ住宅程度のしろものであるからして、もう10メーター~15メーター程度の鉄骨を組み上げるにさほどの予算超過はないと思うのである。平屋のレストラン内、敷地の東側は視界が悪いせいもあってキッチンスペースになっているようだ。二階建てにして、一階(地階?)をキッチンスペースとショッピングスペースにすればよかったのではないか?

(2)窓際のテーブル列と奥のテーブル列があった。我輩が入ったとき、レストラン入場客は少なかった。奥のテーブルに座っている客は、皆無であった。そう、奥のテーブルに座った場合、ヘヤピンコーナーを走る車はほとんど見えないであろう。もし、奥のテーブルの位置を一段高くしておけば、奥の席からでもサーキットコースは十分に見渡せるのではないか?なぜ(設計段階で)そうしなかったのか?今からでも遅くない。そうすればいいと思うが如何?

(3)また、ブルーがかったガラス越し外のテーブルに鎮座の薄紫のゼッケンをつけている諸氏は、報道関係者である。
テラスのテーブル数、僅かに4脚。
全て4人がけのセッティング。
この人たちだけが群がっているが、後は4人がけテーブル3脚に、ただ一人で座っている。我輩は同席するか?いや、この際同席するまでもなかった。結果、外に出ようと思ったが満席状態だった。この外のテラスの数が少なすぎる。テラスをもっと広くして、テーブル数は少なくとも5倍に増やすべきである。せっかく富士山麓まで来たのだから、アウトドアーのレストランを楽しみたい顧客は9割以上とみる。

さて、
写真の手前は、我輩の当日の朝食である。

メニューは、
(A)手前、フルーツケーキ2枚セット(いかにも薄く切ったグレープフルーツ2枚が添えられているか?)
(B)野菜サラダボール(刻みキャベツに茹でとうもろこしが10粒程度添えてあり、さらにプチトマトがのっている)
(C)ホワイトコーヒー(”カフェオレ”レというメニュー名であった)
(D)水?アイスウオーターと記すべきか?(ビアグラスにウオーターをセルフサービスで注ぐ)

味は?
そう、
フルーツケーキは美味しく、
サラダも新鮮、
コーヒーも決して不味くはなかった。
水は(無料であるが)、美味しかった。

二晩にわたるアルコール漬けの我輩の胃袋と脳の血液に対して、この朝のBreakfastはいかにも適量にして、やさしく且つヘルシーな朝食であった。

ちなみに、
以上のメニューは、セルフサービスである。

値段は?1000円札渡して、100ウン10円のお釣があったから、これで800ウン10円也。
値段?決して高くない。
満足している。
我輩としては、もっと高くても好いから、もっと良い食材を出して欲しいという感覚である。そして敢えて申し上げる。せめてサラダはガラスの器に入れたほうがおしゃれである。(この写真はガラスの容器で問題ない。しかし翌日同じメニューを注文したらセトモノの器に入っていたのだ)この様子だと、あとのメニューは病院食的器に入ってくること必定。この程度の器で何も感じないレストラン経営者だとすれば、当のレストランORIZURUのみならず富士スピードウエイの誇る施設全体の雰囲気にそぐわないぞ~・・・

このレストラン、全てビュッフェスタイルのセルフサービスになっている。
レストランの左端は、すべて食材を縦に並べ、最初にトレーを持って縦列をなし、自分の食したいものを、冷蔵?ガラスケースの中にある食品を指し示し申告し、レストラン従業員に取り出してもらい逐次自分のトレーに乗せながら、自らセルフサービスを行なう。食品陳列棚の最期にキャッシャーがあり、自分のトレーにのっているメニューのアイテムをレジスターに打ち込んでもらい、清算する。
さらに、
飲み物コーナーは別の系列のラインを構成しており、食品をピックアップした後、さらに別の列に並んで飲み物をチョイスし、選び終わりトレーにのせた上で、さらにまた飲物系列用レジスターで計算する。

人件費節減の為、無駄な三流サービスで顧客の苛立ちをを省く為、セルフサービスは(かろうじて)甘受できる。

しかし、メニュー食品のピックアップコーナーの配置からして、なんともはや、いかにも手が込んでいるから顧客にとっては分り辛く、ピークの混雑時には反って顧客の混乱をきたす感、無きにしも非ず。

ま、
ORIZURUの方式、押しなべて云えば、イメージ的には、東京ディーズニーランドのレストランを思い浮かべていただければよろしい。

なんだかしかし、ちょいと違うのである。

東京ディーズニーランドは、米西海岸アナハイムの本店にて、長年にわたる実績を手本にしているから、店内のレイアウト配列は完璧である。アメリカは合理主義の国、サービスは簡益をモットーとしているであろうというのは我々の勝手な思い込みであり、以外や以外、米国を旅する度に、レストランに於けるアメリカ流サービス精神の「徹し方」には何度も脱帽している。半端じゃないよ!アメリカ的一流を自称?する誇り高い(アメリカ人の)格調とは、なんと云っても「その店のサービスのスピードと、客への配慮」を競い誇るものである。このあたり、何故か日本のレストラン業界には、そのほとんどは(一部を除いて)どことなく本物のサービスがなしえていない。日本のレストラン経営者の経営センスの貧弱さゆえか?サービススタッフの時給の低さゆえか?はたまたその双方合いまった総合的帰結なのか・・・

話し戻る。
午前9時過ぎにレストランに入った。あまりの空席に我が目を疑った。客が少なすぎるではないか?!
まあ客が少ないのは自分とは関係ない。
さてこの時間、肝心のパンが全く品切れだという。
実は我輩、
クロワッサンとツナサンドゥイッチが食べたかった。
しかし、売り切れと称して、パンは一切れもなかった。
午前9時過ぎに、パンが売り切れるほどに客が入ったとは考えられない。食品のないレストランなんて、どうしようもなく困ったものだ。
サラダ類は?
この小さなサラダしかない。
あたたかいご飯と、スープ?カレー?味噌汁?などなど、なんだかホッとミールは若干あったようだが、我輩朝っぱらから重いものは食さない。
自分でトレーを引っ張る棚の長さは、さて、7~8メーターの長さ(もっと長かったか?)?この長さの食品ケースの中に、のっかっている食品はごく僅か!利用客が少ないせいか?我輩の比較対照は、あくまでもヨーロッパの高速道路ドライヴインのこの種のレストランであるのだが・・・
比較する事すら、無理難題なのか?
せめてフレッシュフルーツカクテルくらいおいて置いて欲しいし、野菜サンドイッチなんて、朝作っても決して昼過ぎまでは腐りはしないであろう。
今年この状況であれば、今後、ますます先細りになるではないか、このレストラン経営は・・・

翌25日、決勝の日もこのレストランに友人と訪れた。
時間は午前11時過ぎ。
あいかわらず顧客少なく食品ショーケースに載るメニュー少なく、すべからく同じ状態であった。

言葉少なく、友人と話した・・・
「ORIZURUさん、これでいいのか?」
「・・・」
「そう、問題が多すぎる」
「・・・」
「そうだよな・・・」
「・・・」
以上、会話終わり・・・

「レストランOIZURU」の将来を危惧するクライアントの一人、そんな我輩の気持ちである。

<・・ぼやき的「観戦小記」、最終回記事に続く・・>

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GT300レース観戦小記 3/5 (観戦客を観察する)

2005-10-05 17:02:10 | つれずれ紀行
   感染者・・・
   (ひょっとしたら、感染と云った方が正しいかもしれない?)

  違う!

 観戦者観察の結果、

おおよそ観客は、男(=7割?)と女(=3割?)に大別され、さらに子供が加わった。女と子供は我輩とは別種類だから我輩の観察範疇には入らない。したがって男に限定して観察した。

*その一種=
 半ば阿呆口を開き、すでに白痴症状を訴えるもの、3割。
この連中、すでに脳味噌は真っ白である。顔を見れば頭の中身の白さが透けて見える。

*その二種=
 数次にわたって感激電流が押し寄せ涙腺を開きもって目が蕩(トロ)けていた連中、7割。
けっして涙は見せないけれど、次から次へとこみあげて来る感動の連続で、彼らは継続的に泣いていた。継続的に泣くから、涙はすでに枯れ果てて出てこない。この種の顔は、それぞれ同じ按配に「寂しさ」をうったえている。なぜか、カーレースを観戦すると、寂しく悲しくなるのだ・・・

そう・・・
こんな具合に、
2005年9月25日、入場料前売り券五千円也当日券六千円也の大枚を叩き、日本国静岡県駿東郡小山町の山間「富士スピードウエイ」に馳せ参じた連中は概ねこの2種類、いずれも総称阿呆に仕分け分類できた。

そこで当然我輩も、上述二種類の内のいずれかに属さねばならんであろう・・・
いずれに属しても、阿呆痴呆にかわりないか、、、。
そうです!そうなんです。そんじょそこらの阿呆どもを掻き集め、100倍した以上の「超努級阿呆」になってなり下がり、その症状たるや未だ回復の兆しなし・・・


<写真>
 電光掲示板をご覧頂きたい。
富士GT300kmレースは終了。全力で爆走し戦い抜いた「勇者」たち。サーキットを一周した後、順位の順に戻ってくるレーシングマシンは、観客席の前であらためて停止整列する。

一位の成績、66周/1時間49分01秒2・・・

撮影時刻、さきの9月25日午後3時半過ぎだったか?・・・

台風の過ぎ去った西の空(写真前方)、すでに夕暮れか。この空のいいえぬ雰囲気、戦い終わった富士スピードウエイの広大な敷地にたたずむ観客とレーサー達に対し、ねぎらいを込め、やさしくも物悲しく、今日の大舞台の演出をかもし出しているではないか。
西の空はいよいよ秋の気配にして、暮れゆく富士東山麓を照らしおおう。
この時点、ようやくレーシングタイヤの摩擦超高音とエグゾーストパイプの排気超轟音は、止んでいるから、うってかわって静かになった。いや、少なくとも静かに感じる。何しろ300kmを1時間50分足らずで走りぬくのであるから、平均時速にして163km少々か、、、

「速い!」の一言、いや、加えて「超ウルサイ!」の二言に尽きる!

この後は表彰式になる・・・

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観戦小記 Fuji GT300km Race (2/5)

2005-10-01 18:50:13 | つれずれ紀行

  広大な「富士スピードウエイ」の敷地の中には、当然ながら『イヴェント広場』と称する場所があり、このたびのようなGT300kmレース開催に伴って食べ物やレース関連グッズなどの小物を売る屋台店が出たり、この写真のようなステージを使っての各種イヴェントが開催される。
 たまたまこのステージでは、GTレースに参加した有名レーサーのインタヴューが行なわれていた。いや、読者の誤解なきよう、このステージに立っているレーサーは優勝者でもなく上位3位のレーサー達ではないが、有名レーサーだそうだ。残念かな、我輩はレーサーの名前を常時記憶するほどのレースきちがい?ではないので奇しくも暗記していないこのステージの人物達の紹介ができない事、申し副えておく。

富士GT300kmレース観戦を終え、ちょうど一週間になるか、、、。
思い起こせば、脳裏に焼き付けられたエンジンの『音』と目の前を走り抜けていくマシーンの動きが『映像』となって残っている。

富士スピードウエイ全長6km強の距離を、わずか1分45秒前後のラップタイムで走り切るGTカーレーサー達の走行テクニックたるや絶対に普通ではなく、これぞ命知らずのきちがい沙汰といっても過言ではない。しかし、彼らプロドライバー達には天性の能力と日々のトレーニングによってこのきちがい沙汰が日常のものとして会得されているのだから、我輩を含む車好きのレースきちがいから見れば、彼らは英雄である。
英雄がこうしてステージに立つ。左端(レーシングスーツをまとっているが実はレーサーではなくただの司会者である)の男性以外の3人の男性はプロのレーサーで、左から2番目の外国人レーサーにスポットが当てられ司会者が会話を組み立てているが、聞けば聞くほどみっともなく、内容はたどたどしく、聞いていて観ていてまことに面白くないし、見ていて美しくない。
なぜ美しくないか?
勇ましくもレーシングスーツをまとったレーサーは、みれば見るほどに気の毒になる。なぜかレーサーを職業に持っている男子は、足が短くしたがって背は高くなく、短い足はそろって湾曲しているのであるから気の毒である。
そろって短足O脚。
もってこの体形はレーサーという職業的特長だから、短い足と背の低さをむしろ誇るべきであり、これ以上の議論は無用、体形的短所というより、むしろ長所という見方をすべきである。

カーレースに関連する大好きな古い映画を紹介したい。

レーサー

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栄光のル・マン

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上は、ルマン24時間レースを、くまなく現実に即して再現された名画。
スティーヴマックイーンのアメリカ人にしては小男短足。
すなわち元からプロフェッショナルレーサーの役柄にぴったりだった。もちろん演技もよかった。最高によかったのはカメラワークである。ルマンの24時間耐久レースを見事に映しぬき、まるまる一昼夜も走りに走りぬく24時間耐久レースの移り変わりを、約1時間半のムーヴィーとして圧縮し、ヨーロッパいやフランスの名門レース場ルマンの現場のつれずれを、画像と音勢で切り取った!
見事という一言なり・・・

しかし今回は、公道を閉鎖して(貸切にして)運営されるルマン24時間レースとは全く違う、スピードサーキット内でのスピードレースなのだ。

さて、
富士スピードウエイの印象に即し、本日のメインテーマを喋りたい。

題名は『レーサー』
かのポールニューマン主演映画。
さしたる意識はなかったが、なぜかこの映画、1960年代の終わりごろか70年代初頭に、わざわざ映画館まで出向いて行って観ている。
ストーリーは、いたって単純、
夫婦で時に単身で、大平原の中の小さな町のモーテルに転々と投宿しながら、アメリカ大陸各地のいなかレースを巡業し転戦するプロレーサーの役柄を、ポールニューマンが淡々とこなす。最終的にインディー500マイルレース参加を目標としている危険な職業であるカーレーサーと、危険な職業から足を洗わせよう引退させようとする細君との愛情表現のあれこれと、旅先で出会う女との浮気、すべからく愛情のほつれ、夫婦の愛情の濃淡を背景に描いているが、所詮、男女の愛はストーリー進行における刺身のつま的存在でたいした意味はなく、荒々しいいなかレースの描写とポールニューマン演ずるプロレーサーの男性的単純演技が好い。
この映画で何が一番よいか?
音楽である。
これまた映画のイントロをつかさどる映画音楽がなんともすばらしい。
ステレオスピーカーの右から左へ、、、
レーシングマシーンのタイヤとエグゾーストノイズ(排気音)の移動がすばらしい。
ホン・ホン・ホオオ~~ン~・・ヒイ~~~ン、
最初は僅かに、右のスピーカーからかん高いタイヤノイズが聞こえてきて、
ヒイ~ン、ヒイ~ン、ヒイ~~ン、ヒイ~~ン、
そのノイズは百分の一秒単位で大きくなり、近くに聞こえ始め、
ウオオ~ン~・・・
突然エンジン音が聞こえ始め、
バオ・バオ~~バアオ~~~~~~ン~~~~
瞬間瞬時、左右両スピーカーから破れんばかりのエグゾーストノイズの爆音が鳴り響き、
次の瞬間、
ブオ~~~ン・・・
と、
左のスピーカーに排気音が移動したかと思うと、
ウオオオオ~~~ン・・・・
と、
左のスピーカーの音が小さくなり始め、
ヒュー~ウ~~ン・・・
と、左のスピーカーからタイヤの音だけが小さく聞こえ始め、
ステレオ全体から、音という音が全く消えていく。
この間、僅か、15秒足らずか?
まるで、まったく、このたび富士スピードウエイで体験した観客席前の直線コースを一気に通り抜けるGTカーの排出するタイヤの音とエンジンの爆音が相まって我輩の体全体を駆け抜けていった時間とリズムぴったりであった事、思い出した。
かくしてようやく映画音楽のイントロが始まるのである。
なんとも勇壮であった。
この映画音楽、映画を鑑賞し終えた後、数日たってドーナツ版レコードを買った。
タイヤノイズと排気音の録音の音が、ステレオスピーカーの右から左へ移動する音勢は、なんとも勇壮であり、聴くたびに我輩の脊髄に電流が奔って延髄を脅かし、脅かされた延髄の指令で目から涙が出た。出なくとも、目頭が熱くなったのを思い出す。
そう、
今に想えば当時若きサラリーマンだった我輩、ときどき出勤前にこの映画のサウンドトラック版のドーナツ版レコードを聴いて出社した。タイヤノイズとイントロの音楽を聴いた。
聴けば、今日も何かと仕事をすれば必ずお叱りをうける上司と顔を合わしたくなく当然行きたくもない会社に出社する元気がふつふつと沸きたぎりはじめ、
「ヨオーし、今日もイッチョウやってやろうぜ!ぐずぐず云わずに今日もまた、会社に行ってやろうじゃないか!上司の威圧に負けてたまるか、仕事に呑まれてたまるか!」
と、
我が戦闘出撃体制を整えつつ闘争精神にポジティヴに影響した。
高速走行中のタイヤの音と、エンジンからエグゾーストパイプを伝って排気される爆音轟音を聞いて勇気を貰った単純馬鹿的若輩者が、当時、まちがいなく存在していた。
ま~、とんでもなくすばらしいドーナツ版であった。
聴いてみたくなった。
今も倉庫を探せばあるかもしれないが、これまた長年倉庫にしまってあるステレオのレコードプレーヤーが動かないであろう、、、。

しかし、すでにその必要もなかろう。
なぜなら、
先週、富士東山麓にて、これと寸分違(すんぷんたが)わない、この生のサウンドを聞いたばかりである。
したがって今尚、生々しく且つ総合的にこれらの音勢(この際、けっして音声ではない。音勢ぞ!)が脳裏に焼きついているからだ・・・

   <・・・続く・・・>

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