7520号で昨年記述した、唯一のファンとのふれあい。昨年の鷹の感謝の集いの報告号。
7520号の写真等で、ご覧ください。
またもや、11月、昨年と同等の手法で、実施されそうです。今季は、家内と、激論20時間??行かないことに決定。
王さんにも会いたいのですが。あの企画、進行。全くファンを馬鹿にしているからです。
第一に、球団、選手会の主催ではありません。某メデイアの主催のようです。選手たちは、選手会は、何を考えているのでしょうか?
お金がかかるから、面どくさいから・・・・これは真実の理由でしょう。
上が今年の案内です。まるで昨年は、ファンは病原菌かウイルスの如く扱われて、隔離作戦。スタッフに聞いても周知されていないから、間違い案内ばかり。ウロウロ何度したでしょう。
しかも入場料も感謝の1、200円です。
詳細は・・・・新聞やホークスサイトで、どうぞ。とある。さらに、主催:【感謝の集い】実行委員会。
これが曲者である。
だから、このメデイアの企画と判明するのだ。なぜ、球団や選手会がこの中に入って吟味して推進しないのであろうか?
愛情のない球団になってしまった。王さんの明るさやサービス精神は、消えてゆくばかりだ。
感謝の集いは、ファンが選手に感謝するのでしょうね。私も老齢化しました。
昨日からの西日本スポーツ。
わたしの89番。特集だって。いやな感じです。以前はセンターの守備争いを、まさにセンター試験と放送したら、数日後・・センター試験・・・だって。いやな感じです。
言葉の競争ですから、早いが勝ち。綺羅星のごとく、我輩は、言葉の宝物もっていますからね。まね?されたって平気です。
さて、王さんの功罪のうち。知られているかも知れませんが。
①とにかく庶民宰相です。これは王さんの、親御さんの教育のおかげでしょう。お兄さんだって冷静で、対応もヨカです。これは驚きです。
街の、クリーニングやさんはじめ悪口を聞かない。選手諸君もまねとは言わないが、近づくべきである。ファン対応のことである。
王さんも最初からそうではなかったと思える。きっとファン対応で失敗して、どなたか(両親?)から、厳しく諭されたに違いない。若き青年時代の教訓を生かしてるのであろう。
本塁打を打ってから、グランド一周さえ、親御さんから、パフォーマンスしてはいけないと聞いたことがある。あの特別の世界記録だけは、初めて両手を挙げて、グランドをまわった、ご両親に、もらった、あの丸い花束を贈呈されました。裏話は沢山ありますね。
是だけではありませんんが、現在の選手には、各種お手本になるし、TPO次第だが、良いところは、絶対まねすべきではないか。
つまりプロ選手、監督としての、すばらしいサンプルである。
②1軍でミスした選手を即2軍へ。
こういう行動は、人間の精神分析上、芳しくない。過去、何度そういう場面をみた。さすれば、その選手は、なにくそ魂であがればよいが、却って、腐る場合もあるので、選手の個々の個性まで把握しておく必要があったのでは。(甘いかなあ?)
人間は感情の動物であるから、仕方ない・・・・という意見もあろう。晩年の根本さんは、そうしたであろうか?
諭して、どういう理由で、あのプレーなのか?なぜ?こういう話愛??があって始めて、立ち直れる。どれだけの優秀な選手がつぶれていったであろうか?
今季も大隣、大場選手など、なんか欲求不満の塊のまま、終わった感じです。
だれですか鉄腕とか江夏二世とか、なんとか呼称した方は?責任者出て来い・・・と言いたい。
③2004年からですが、特に、ここ2年間は、打順の組み合わせが、ファンから見てて、不思議でした。せっかく、昨日良かったのに外してみたり、リズムが変わって、わかりにくい打順を組んだり。何か意義があったのか。不思議な場面でした。この場合かならずといっていいくらい、敗戦でした。
犠打の手法などは、もう述べません。
④キャンプを通じた練習の不合理。(王さんの責任でもないが)
素人だからわかるのでしょう。キャンプ(12球団)のクール別の内容。個別に分析すれば、なんで、あんなこと?と思える場面ばかり。基礎体力をつくるの時期ではないのに、監督以下誰も、頭をかしげない。
打撃練習、バント練習、ピッチング練習などみれば、おかしくて、おもわず吹き出してしまうほど。50年前のスタイルをそのまま??まあ近代野球とは、縁どおいキャンプである。
もう、あのお月さまに人間が行って、帰る時代です。WBCの監督選びに、変な人選したり、加藤とか言うコミッショナーが、意図的に、ファンの目線も、もたずに球場めぐりしたり。まさに、目にしている、プロ野球界は、変革もいわゆる・・チェンジ・・・もない。
全部ではありませんよ。
⑤厳しい意見だが、王さんのあとは、森脇氏のはず。昨年の手術中、彼が陣頭指揮をした。なぜ秋山監督なのか、私には理解できません。
秋山監督の母親は、すごい弁舌さわやか。各地で講演もやっている。普通、片親が、お話がうまければ、大体、そこの息子はおとなしい。ですから、心配しているのです。王さんの言葉を必死にメモするのではなく、王道学を学ぶべきだした。
今季も、ベンチでは、会話するのは、秋山氏よりも森脇さんが多かったようで、複雑です。このことは、日経の浜田さんも危惧する、評論をされています。
従って、王さんは、次の指導者を、真に育てたのでしょうか?パリーグというよりも。球界の指導者たるべき人物です。
長島さんもそうだ。この野球界・・・・・そういう教育面では、歴史があるには、大いに遅れているのでは。
王さんには、病気のあとだけに、今季ゆっくり休養専用して欲しかった。
⑥根本さんを欠いた王さんの力。
本来は、二人で、改革の道に進み、野球界を・・・・・!と夢見ていたのでは。藤井投手や根本さんを欠いて、優勝。そして、中内さんを欠いて・・・・・・。
いまでは、王さん、名誉の形で、名前だけか?どうやら九州へ半歩かなあ、いやあ、その半分くらいか、カラダを残して数年後には、残念ですが。東京へ。
フン!東京ってなにさ!!
野球理解度の薄い、孫さん笠井さん。フロントが、燃えなくてはベンチも選手も燃えない。ここに2004年から、厳しい結果(CSという不運もあったが)になって行ったのでは。
今季ほど悔しい戦いは無かった。見てて歯がゆい、悔しい、どこに、このイラつきをぶつけたら良いのか?今でもあの悔しい残像は、はっきり、残っています。何度フキンを、ブラウン管へ投げたのでしょうか?家内が!!
現在、スポーツ紙だって、どこを読むのか、読んでいいのか。ヨカ話ばっかり。王さんの本音はいまでも、闇の中です。
何度も言います様に、敗軍の将、兵を語らず。
⑦新監督秋山氏には、改革、チェンジ・・・。大きな、練習も含めて、精神力、学習面すべて、大きなジェスチャで、おおきな声で、鍛えることを、お願いしたい。
あのコーチは、あの選手と仲がよいとか、その逆も。いまから、そうだとは、困ります。
背番号89番→81番へ。引いた数字は8である。
王監督時代から、逆に8つ増やし、新しいモノに挑戦する義務があります。秋山監督!!
王監督の初年度と、かわってチームスタッフも変わった。変わった意味が今でも推測だけで意味不明。ドーム人気の陰り・・・・王さん一人で消してしまった。まだスゴイ人気であった。そして、翌年の2年目・・・・数々の、痛ましい事件?も起こった。
なにせ、試合をみてても、草野球並みの戦いであった。連敗ばかり、連勝なし。悔しい6位の成績である。じっくり見てください。
これがBBMのレコードブックからの痛ましい成績です。74個の、くやしい敗戦の●ばかりです。この頃までは、選手諸君と、監督との会話も少なく、なにか、一歩も二歩も引いて選手が居たのでは。なにせ、世界の王さんでした。
『ラーメン屋の息子ではないか』・・・・・根本さんは必死に垣根をとり払おうとした。有名な話ですね。いくら悪口を言っても、目の前では、こんにちは!がんばってください!・・・・・・という会話になってしまう、これが普通でした。不思議ですね。
盗塁死63個で、単独首位すごい数字です。犠打は83個でこれも単独首位??
是だけ見ても、チームの姿勢が、総合力としては、問題ありきであったのでは。
だが、優勝した年では、防御率、打率ともトップでないのに優勝を勝ち得た時代もあるのだが。不思議な数字の塊である。
6月度は、13勝11敗、7月度は10勝6敗と見事な月もあったのだが。4月と9月は、目も当てられない成績であった。
大阪では、例の・・・・事件もあって、帰りのバスが立ち往生。これで選手に悔しさが生まれればよかったですですが。
敗れた年は、かならずと言って、後半は6連敗の成績、今季だって、2位狙いに変更したとたんに、逆に獅子は6連敗だった。
だから、ひるんで、首位をあきらめたら、いけないと強く放送したのですが。あのまま、我が鷹は強い気持ちを保持すれば、何かが起こったかも知れぬ。
細かい数字や結果分析は別にして、王体制2年目・・・1996年、悔しい6位であった。
そして、根本さんのとの別離がお訪れるのである。1999年4月のことである。今考えれば、負けた戦いの年は、もう記憶が薄れて行くのだ。
1999年の日本一から2003年のリーグ優勝までは、皆様ご存知の流れ。思いだしながら、その4、その5・・・・・とつづきます。記憶はまさに、遠くに行ってしまいます。博物館グッズでなつかしさを、思い出します。今季はいわゆる、20、70年の記念日。
2008年、この期、6位で終わってしまった。
そして王さんの退任のニュース。
敗軍の将は、まさに兵を語らずであった。そういう意味では、王さんの引き際は、立派だったが、選手の奮い立つ姿には、最後まで、お目にかからなかった。
とにかく、王さん!と気軽に呼べる時間を差し上げたい。
日本、いや世界の宝ですから、もうゆっくりして、WBCも遠慮して欲しい。あのぐるりに居る人たちが悪いのだ。また、さらに王さんの命をちじめることになる。
逆に言えば、指導者を育てていない野球界が一番悪いのでは。ですから我が、放送どうりの野球大学を創設して、指導者コース、選手コース、審判コースなども創設すればよい。(すでに既報ずみ)
体系的に、学習した指導者が世界に羽ばたけばよいのだが。いつまでも、王、長島、星野・・・・。では、もう古すぎる。
スポーツの世界共通の課題である。
それでは、王監督の初年度のことから述べてみましょう。王体制の内味は?これが王監督著の【豪快野球で王道を往く】である。副題には・・・・さらば巨人軍とある。意味は深かろう。
前述したように、すでに根本さんのこころの中には、ドーム開場の1993年度には、王さんが監督へ・・・・決まっていたようだ。1993年11月のことだ。
そして1995年、王体制を守るべきスタッフは。(補佐役?)
投手コーチ:村田兆治氏。
ヘッド兼守備走塁コーチ:寺岡 孝氏。
バッテリーコーチ:達川光男氏。
打撃(大田卓司氏)、守備走塁(桜井輝秀氏)ブルペン(森 広之氏)
打撃兼走塁コーチ:高橋嘉彦氏。以上ソウソウたるメンバーだった。
2軍の監督は異色の、有本氏。二軍投手コーチが、今までの一軍コーチの杉本氏であった。
育成コーチには、あの藤原さんもいた。
私が、ただ心配なのは、一軍スタッフの陣容は、彼等の経験だった。選手経験ではなく、指導経験である。
この本から引用すれば・・・・・王さんいわく・・・・・荒武者ぞろいで選手の素質を今以上に引き出してくれる・・・・。
いざ公式試合が始まれば、あの成績で、コーチ陣の中から不協和音が聞こえてきた。無論異色の人間ばかりであるから当然であるが。
このスタッフは、王さんの意見であったのか、当時の根本さんのアドバイスだったのかは、もう闇の中。
チーム成績はご存知のように・・・。
54勝72敗4分・・・勝率は429。対ロッテ戦は屈辱の5勝21敗。散々なはずかしめの戦い。
地元でも2勝11敗の、なんともはや???の戦いであった。この年優勝したオリックス君(イチロー君は首位打者)には、ほぼ5分の戦いであったので、ほんのちょこっと溜飲を下げた。
パリーグ打撃成績では二位なのに、前回放送したごとく、犠打数が最低。首位オリックス君のほぼ半分の成績だった。併殺打もだんとつの1位です。わああ・これはすごいことです。
要はバランスの悪いチームであった証明ではなかったか。7連敗や5連敗もあった。この年6月から失速してしまった。
悪いムードになれば、必ず人間犯人探しだ。・・・・だ。・・・・だ。とか。王監督の二年目には
早くもコーチ陣の入れ替え。去っていった人も黙して語らず。大人ですね。
監督本人も、悔しくて、寝れなかったのではないか。我等も、くやしい何年を費やしたのであろうか?ドーム人気が王さん人気へ。うまくダイエー商法は、回転した。
野球が大好きなスタッフに囲まれて、うまく進むようにみえたのだが?結果は!二年前に長島さんが監督に就任、これも刺激であったと王さんは言っている。
当初、九州までは良い選手が来なくて・・・・・。という記事に、反論したファンも多かったが。なんと根本さんの力もあって、続々全国区の選手たちが、入団する。王さんの監督就任も、多大な貢献をするわけである。
今季で退団。できたら、ここドームの名称も、。JAPAN YOHOO DOME も良いが。
JAPAN 89 YAHOO DOME に改称してほしい。銅像だって、中内さんも一緒に、作って欲しいくらいだ。
王監督の就任前と初年度のわずかな歴史。その他は、詳しくは新聞や各種メデイアで残されている。最近では、王さんの記念館設置の記事もあった。
永く、会館継続できればよいのですが。ドームミュージアムの苦い例もありますからね。