先ほど北海道から一報!
残念ながら、予選は1敗1引き分けで敗退した、ホークスジュニアチーム。あとは他チーム次第ですが。
でも惜しかったとも言いません。ほめてやります。すべて12球団は力の差はありません。ほんの髪(神、紙)一重・・・。応援してくれた球団スタッフや親御さんに感謝しましょう。1位にも12位にも、同じく大いにほめたてやりたいです。
負けても、始めて悔しさや、さらに不足したところが良くわかるからです。小学6年生諸君、お疲れ様、そして出場オメデトウ!
さて昨日の新聞の記事でも掲載中ですが。平和台野球場の解体。本日は事前に文化課の許可をもらって、敷地内に入って撮影した。工事用ヘルメット持参。
センターからライト側の写真です。解体はこれからです。
センターから右、つまり、レフト側はすでに解体が進捗している。来年の3月までとか。外部周辺では何組かのカメラマン?とお会いした。結構皆興味を持ってこられたのであろう。ご覧のコンクリの山である。
ところが新発見、ここが3塁側のブルペンでした・・・・と紹介を職員さんから教えていただいた。確かに、向こうからわずかこちらに傾斜している。ここで、何人の投手が待機して、戦いに臨んのだのであろう。さらに球場に入る大通りの橋の袂には、あの球場のプレートが・・・。
ついつい見逃してしまう。柳の下あたりです。
左右には、ライオンズの歴史や球場の簡単な歴史が刻まれている。たしか稲尾さんもこの除幕式には出席していた。
これからなつかしさを求めて多数のファンがここ平和台にこられるであろう。その変貌ぶりには、驚愕のまなこで・・・・・・・。
そしてここ中央から撮影。今の地盤はあのグラウンドの高さをほとんどそのま維持していて
これから発掘とともに、変化していくのでしょうか?カメラをほとんど地盤においてレフト側を撮影しました。今でも歓声が聞こえてくるようです。
私もここ平和台で、草野球を行い、いつもなら流し打ちするのが、ツイ、応援の声に答えて?引っ張ってレフトライナーだったことをいつも思い出します。
でも歓声って良く聞こえました。グランド内では。
帰りにはお隣の陸上競技場の事務室にお邪魔して色々親切にお話を聞かせていただいた。ここにはスポーツの歴史がありました。まさに福岡の。
1955年から今年2007年までの福岡国際マラソンの優勝者の名と記録が掲示されていました。この長き間で25分くらいチジンデいるのですね、記録は。
この陸上競技場の建物本体も平和台野球場とあまり変わらない歴史の建物だそうです。そういえば、横から見れば、かなり古い壁面が見えました。
また、ここ平和台野球場の前には、初めて、ホークスがその拠を構えた、パインビルも堂々と立っています。
球団事務所から、目の前の、球場が全部当時見渡せました。今はその面影さえありません。
こういう歴史がだんだんと、もう忘れられて行きます。
正式には、平和台野球場ですね。通称平和台!・・・・。時計もあって事務所は窓が開いています。試合開始前の指針でしょうか。そういえば上の看板・・・13時半開始ですね??
試合前には、食堂で気安く選手達とも、休憩。こんな風景もありました。ほのかにうどんの匂いがします。選手は村田投手です。エースでした。
壁には、選手のポスターが・・・。よく取られました。さああ12名の選手名が言えますか??
満席に近い球場です。あの人形さんも総動員。まもなく平和台が終わります。そして、百道ではこの頃、鉄骨が上がり始めていました。前年の10月ころです。周りは草ボウボウでした。
さああ、この車、おなじみですね。最近お会いしましたらもうここで50年ですって。さよなら平和台の頃の写真を探したらありました。おじさんパラソルをセット中です。
近く平和台を完全に閉じますが、今回の訪問で、なつかしい興奮がしてきました。
1992年9月末から10月頭のお話(写真)です。
西鉄ライオンズの本拠地。そしてダイエーホークスも1989年から4年間、ここ平和台球場であった。あの日開幕戦(勝利)では空から人間グライダーが飛んで来た?
それ以前(かなり昔?)は春日原(現春日市)に野球場があったと聞いた。
(今は亡き友人から聞いた話・・・・・今の竜神池周辺にあったとか・・・・しかも桜の木に登りスルスルと降りて席に付いたとか・・・・)今でも米軍ハウスの跡らしきモノもある。
ここ、平和台は第一次解体に続き、残り全部解体前とかで写真を撮影に行った。外野の壁や、センター壁、出入りした階段などが残っている。
1枚目・・・・お隣の城址の高台から撮影した、外野外壁である。右側に少し切れているところは、センター部分で、もう解体が始まっていた。かすかにクレーンが見えます。
試合経過のボードやビジョンがあったところです。この右サイドには、今やあの発掘記念館が堂々と建っている。
あの怪童、中西さんが打った場外ホームラン。打ったあとは、焦げ臭いにおいがしたとか。
逸話は今でも残っています。それほどパンチがあったのでしょう。考えられないですね。
そしてもっとも驚いた外野席進入の手すりと外壁。ここに階段でしょうか、あとがくっきり・・・・あの時を物語っています。今でも歓声がきこえてくるようです。このライト側から、どれだけ応援したのでしょうか。しかし弱かったなあああ。
そしてコレガ外野席に行くために急いだ階段です。手すりもすっかり錆びていました。
コレガ外野の壁です。すっかりクラックがたくさん。補強のための鉄骨の補強のあともありましたが、気になったのは、ご覧の上のこげたような所。3箇所。
コレガあの外野席の上にあった看板ボードを支えた鉄骨のあとでは??エメラルドグリーンに白文字でありました。外野を囲むように・・・・・・。
構造的には、主柱は鉄筋ですが、あとは、簡易ブロック壁構造のような、かすかな、あとが見えました。
そして、ライト側から、レフト階段付近を撮影しました。照明用の配線のアナや、あの悪臭?で匂ったトイレでしょうか、タイル後とか・・・・・・・。なつかしい残財とあえて呼びたい建物です。
選手達が停めた車スペース。よくファールが飛んできた場所。グッズ売り場、お弁当売り場など。
そして、さびしく朽ち果てた残材。
グランド内では、発掘中で、まったくその面影はもうありません。
3時間ほど撮影したり近所の方とお話したり、あの大きな道路から橋を渡る直前の歩道にある、ワゴン車販売のホットドッグやさん・・・・・もう50年も営業しているとか。
なつかしい風景でした。うれしかったのは正面入り口の案内看板。もう無いのにはっきり平和台球場の位置を示していました。
そして、心はずませ、子供と上ったあの坂、お弁当が並んでいたあの坂から球場を見れば・・・・・・・。
もうあの球場は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
上の写真はこの日お邪魔した風景です。きれいな石畳。ここからは何も見えません。何もありません。
上の写真は、さようなら平和台です。しかし正確には、平和台野球場が正式な名称でした。赤いバスは、選手送迎用です。
なを平和台関連の写真は、すべてわがアルバムからです。
早いものです。もうジングルベルの音とともに、年末・・・・まさに先生も走る忙しさがやってきました。街中の車のあわただしさ、いやガソリンのアップで少ないかも知れない。
わが鷹も納会も終了。本当に期待はずれの一年間でした。
大きな予定も無く、我々ファンも消化不良の今季・・・・どうして、忘年会で、ウサを晴らすか、悩みながら、出席して、皆このテーマに触れないように互いに気を使っている昨今です。
さて、選手通信簿を採点する元気なく、新聞などチラっと読みで、信用しない記事ばかり読まされています。いかにも優勝はまちがいない・・・・という記事ですから。
ここ4年間連続して無駄な希望でした。
先日の感謝デーでもだが・・・・どうして、テレビの前の選手態度(言動)と、実際のファンの前の態度では、かくも異なっているのか、不思議でたまらない。
色々ファンから実際聞くのだが、・・・・・選手はもうキライ!・・・・選手は応援しない!など。
このオフ時期だからこそなのに、あのファン感謝デーなど、絶好の時期だった、ファンを隔離作戦で終わってしまった。反省の色は、????省の???さんみたいに、見えなかった。
全員坊主の被り物でもいいから、カブッテから、反省の全員発声をききたかったなあ。
私達を罰してください!!(韓国ドラマ風に)
まああ、選手諸君も、この際、減給は必死だが、来季からの、眠気まなこの朝の声だしは禁止してほしい。なんにもならない。むしろ具体的目標をファン全員に公開してほしい。
キャンプイン前に、全選手の目標発表会をだ。
ベルの音は、年末は、クリスマスで鳴り、そして除夜の鐘が鳴り響き、そして・・・来季は、まさに2月開始のベルの音とともに、決戦の音が鳴り始める。
ここ福岡に集う、期待の新人さんや、FA獲得から退出したわが鷹球団。どうこの11球団との決戦に望むか、選手どころか、来季はフロントの全員にも命運がかかっている。
彼らには休みさえないはずだ。孫さんの厳しさがやっとでた、年末です。そんなに甘くない。
結構なことです。活躍してない選手の減俸・・・・今のところ、まだまだ甘すぎる査定ではないか??
不気味な孫さんの行動・・・・・もっと厳しくて結構です。期待します更改の時期です。