南三陸町が震災で亡くなった職員遺族から告訴されたニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120306-00000076-jij-soci
職員が避難警告せず我先にと避難していたら、
今度は町民の遺族が『避難して助かっていただろう職員』を訴えるのだろう。
地震から約30分で津波が到達していた。
足腰丈夫なものにとっては十分自分の命は救える。
水門などしめず、アナウンスなんてせず、状況確認はやめ、とにかく生きる事に専念しろ。
それでもいいと思う。
死んでしまえば終わりなのだから。。。。
相手を助けて自分が死ぬか、相手も自分も死ぬか、自分だけ助かるか。
こんな状況で、誰がどれを選んでも責められるものではない。
どんな生き物でも本能がある。
働きバチのように子孫を守る為に役割を持って行動するのと同じで、
自ら死を覚悟で戦う者が必ずいるし、生き延びて子孫を守るものもいる。
生き残った人を責められるだろうか?
遺族の人にとってみれば、みんなそれぞれ今生き残った人達はある意味薄情。
だけど、ある程度薄情でなければ次に進めない。
責める相手がいれば、自然災害は人災へと変わっていき、悲しみは憎しみへと変わっていく。
ある程度薄情でなければ一生憎しみや恨みを背負うだろう。
自然相手ならあきらめもつくのに
憎む相手がいるとその責任を追及したくなる。。。それが人間。。。
だけど、誰かに死の責任があると正当化されてしまえば、次に進めなくなるのではない?
もし正当化されたなら、過去にも津波が来て、その危険性のある場所に住居を構えることが自己責任。
正当化を固持すれば、死に至った理由は自分にも責任がある、そう言いたくなる。