エニアグラムを初めて学んだのが、ちょうど3年前のことです。
消費者対応研究会の先輩のTさんから、どんな風に実務に生かせるのかという可能性を教わり、それ以来、何か受け容れがたい現実に直面した時に、自分を立て直すための知恵のひとつとして活かしている状況です。
エニアグラムは、無意識にその人の持つ「囚われ」に着目して9つの性格に分類されているのですが、学び始めた時に、「囚われ」という言葉を理解することができなかったことを思い出します。
思い込み、決めつけ、こだわり、執着・・・・
そんな言葉に置き換えながら、自分の持つ「囚われ」を、節目節目に実感しますね・・・(苦笑)
その中には、浅はかで何の根拠もなかったり、単に傲慢だったり、自己中心的だったり、醜かったりするものもあり、自分の囚われを知ることはとても怖くて、嫌な作業でした。そして、今も細々と継続中・・・
私は、今、転職して間もない状況で、会社が変わると、新しい会社の文化に馴染む、新しい業務に馴染むなど、様々な努力を要する訳ですが、なかなかすぐに反応できないことも多くあります。
上司としては異分子が入ってきて、いったいどんな人間なのか非常に気になるところだと思います。
ジョハリの窓のワークなどで自分が知ったことですが、私は多分あるタイプの人たちからすると「思考型」の人間と映るようです。それはエニアグラム的に言うと、タイプ8っぽい人から見ると「頭でっかちの優等生」という評価を受けがちです。
しかし、多くの場合、その印象は段々と薄れていくのではないかと思います。
まっ、高校時代、「落ちこぼれ生徒」も経験してますし・・・・(苦笑)
のちの人生もそんなにキレイに生きているとも思っていませんし。
(それとも、頭でっかちで失敗したのかしらん?真相はいかに!?)
新しい環境の中で、行動よりも「思考」が先行するのは、細部よりも全体をまず把握したいという自分の「囚われ」があるからです。私は多分、小さいことを積み重ねて最終的に全体を理解するプロセスが苦手で、今取り組んでいることが、全体とどんな関連があるのかとかそういったことを理解したい願望があるからです。
早く全体的なイメージをつかみたいというこだわりがあるのでしょう。
その影響で、一時的に行動が弱くなる時がありますので、「頭で考えずに、まずはやって下さい」というデビュー戦を飾ることがあります。
今回もそういう接点がありました。
はいはいわかりましたっ、今、囚われを手放しますよ。
少々お待ちください、と言って握り締めた手を開く・・・・
感情が大きくぶれている時、「今、何に囚われているの?」と、そんな自問自答をこの何年か続けていると思います。
もともと、あまり自分に目が向かず、相手にばかり目が向く人間でした。
加えて、何かに囚われすぎて、変われなかった時期が長くて、苦しかったのだと思います。
しかし、強く握り締めている物を手放して、新しいものをつかむことができた時に、開けた世界は意外にも鮮やかだったという経験をしたことを思い出します。
エニアグラムでは「囚われ」は決して「悪」ではありません。その人を動かすとても大切なエネルギーとして「その人らしさ」を作るものと考えます。その考え方は大好きな考え方です。
しかし、非合理的な「囚われ」に気付いた時は、握り締めた手を意識的に緩めることが必要だと考えています。
でも、本当はそんな「小難しいこと」を考えずに、ありのままでいたいとも思ってるんですけどね・・・(苦笑)
非合理的に囚われている時は、あまり心地よい状態ではないかもしれませんが、劇的に自分を変える必要もない分、慣れ親しんだ自分のままでいることができるので、ある意味、楽チンかもしれませんね。
でも、人生は長いですから、囚われを上手くコントロールしながらいろんな自分にあってみたいと思います。
そしていろんな人にも会ってみたいと思います。
最近、くたびれがちですが、共感できたら、ぽちっとお願いします。
↓