インナーチャイルドワークについて少し補足してみます。
インナーチャイルドとはそもそも直訳すれば「内なる子ども」です。
その中でも、子供の頃の傷つきの体験の中で、未消化なまま残されている感情のようなものと
私は理解しています。
もともと私は交流分析を深耕してきましたから、このようなことは「脚本分析」という手法の中で
やってきたつもりでした。
しかし、すっきりしない感じに苛まれ、しんどい思いをすることが節目節目に起きることを気にかけていました。
そして、このすっきりしない感じというのが交流分析心理学でいうところの「ラケット感情」です。
簡単に言ってしまえば、「偽りの感情」とか「代替感情」です。
じゃ本物の感情って何?と言うと、交流分析心理学では4つ
・喜び
・怒り
・悲しみ
・怯え
です。
喜びを感じる時、とても幸福で何も問題はありません。これで自分も相手もOKと教えてくれます。
怒りを感じる時、今ここで起きていることに向き合って問題を解決せよと教えてくれています。
悲しみを感じる時、過去とお別れする時なんだとを教えてくれます。
怯えを感じる時、未来に起こることを回避したがっているんだなと教えてくれます。
しかし、これらを封印して、かわりに味わっているのが「ラケット感情」です。
劣等感・罪悪感・優越感・憂鬱・イライラ・絶望感・虚無感・混乱・傷心・落胆・悲哀感・孤独感・焦燥感・同情心・義務感・使命感・
敗北感・後悔・恥辱・羨望・嫌悪感・当惑・攻撃性・潔白感・陶酔感・拒絶感・恨み・緊張感・猜疑心・自己卑下・不全感
これらを味わっている間は、根本的な問題にアクセスすることはありません。
まだ自立できない幼い自分が、子供の頃に本物の感情を出すことによって大人たちから見捨てられないために
これらの感情を代わりに味わうことで一時的に問題を一件落着させるために慣れ親しんできたと言えます。
これが、交流分析を学び始めた頃にはよく理解できずに困りましたが、
今は、ハッキリと体験を振り返ることで自覚できます。
でも、それは子供が子供時代を大人の庇護のもとで生き抜くために必要だった感情です。
今は、対して役にたたないのに、私たちは無意識の内に愛着し、その結果、苦しみから逃れられないことがあります。
かくある私も、優越感や無価値感、緊張感、敗北感といったものに振り回されることがあり、
ひさしぶりに向き合ってみようかということで、行ったのがインナーチャイルドワークでした。
それにあたり理解する必要があったかなと思うのが
・アダルドチャイルド
・機能不全家族
という2つのキーワードです。
何となく言葉の響き・印象が「憂い」を帯びたものに感じられ、この数年間キーワードとしては知っていましたが
向き合いませんでした。
で、
アダルトチャイルドって別に病気ではないし、機能不全家族と言っても家族に「完全」なんてあるのかと
考えれば、受け止める側にとってはどこか不完全性を残すものなのかなと思い、
向き合ってみたというのが私の心の動きです。
アダルトチャイルドは、もともとアメリカから「機能不全家族で育った子供」ということで、
「親からの虐待」「アルコール依存症の親がいる家庭」「家庭問題を持つ家庭」などが特徴なのですが、
私自身は、虐待もないし、両親はアルコール依存でもありませんでしたからあまり気にも留めてきませんでした。
が、しかし
「家庭問題を持つ家庭」という広い括りの中で、何かと「対立」が多い家族の構造にピンと来て、
そこからぐっと自分の理解が進んだという次第です。
子供ながらに怯えていたり、その対立を何ともできない無力感だったり、
対立が多い割に、私には優しい両親に困惑したり、婿をとらなければならないという使命感、
などなど
もう、それは洗い出せば、交流分析でやった脚本分析よりも遥かに深いところまでが「いっちゃった感」あります。
ひとことで言えば、数年に1度の
「悲しみの御開帳」です。。。
そして、この本が私をガイドしてくれました。
実は、1日5~10ページペースで、書写したんです。
インナーチャイルドの問題は、なるべく時間をかけてゆっくりと向き合うということが
大事らしく。
たしかにそうでなければ、すごいスピードでやったつもりになって終わってしまいそうな気もするし、
あるいはわき出した悲しみを収束できないままになりそうな気も少していました。
少し慎重にやってみたことには変わりはありません。
それでも、「悲しみの御開帳」の真っただ中においては、無意識が意識上に駆け上がってくるわけですから
仕事の集中力に支障をきたしたりしてしんどい思いをしました。
そんなことを経て、今があるのですがわりとスッキリしていて、
本来自分がエネルギーを投入したいことに向けての気力が充実しているように感じています。
「前に出ようとする力が強い人は後ろに下がる力も強い」
きっとそういう人は私だけじゃないような気もしますが。
自分を健やかにする方法は皆違うと思いますが、
私にとってはとても必要な時間だったかなと思う今年の秋です。