最近は金融市場の大事件をきっかけに、国内産業だって様々な問題が連鎖的に起きている中で、
ドミノ的に倒れないように、皆、可能な限り処置をし、歯を食いしばって踏みとどまろうとしているような気がします。
皆んな、疲れている・・・・けど頑張っている。
疲れて折れないように自分を気にしながらも生きている。
そして何を目指すわけでもなく、その場に滞留しながら、やるべきことに翻弄され、病まないように、
「ほどほどでいいんだよ」と言ってくれる人との居心地の良い関係を選んで、安心しているようにも思える。
夕方、ビジネス街のコーヒーショップで仕事をしているとそんな会話が良く聞こえます。
しかし、
先日、カリスマセラピストの石井裕之氏:最後のセミナー「
アンプラクド:遺書」で、彼が伝えたかったことは、私の想定外のものでした。
私が受け止めたのは「『自分はこんなもんじゃない』と思ってもいいんじゃないか?」ってこと。
石井氏曰く、周囲の期待は自分の能力とほぼ同じであり、
私が考えるに、その期待に私たちは出し切れる能力をすべて発揮して応えているわけではないと思います。
潜在的に眠っている能力もあれば、出し惜しみをしている能力もあったり、上手く発揮できていない能力もあるから。
もったいない・・・・
確かに、自分が自分にもっと期待していい・・・
そう書くと、人は皆、価値観や事情が違うんだから、頑張りたい人もいれば頑張りたくない人もいて・・・・
みたいなことを言われるかもしれない。
少なくとも、私もついさっきまで、そう考えて組織の中でエネルギーの低い人は、数%はいても仕方がないとも思っていました。
しかし、自分をどうなだめても、私はどうしても「人は皆、価値観や事情が違うなりにも頑張りたいんじゃないか」と思えてならない・・・・
無論、私の自己概念がそう解釈させているのかもしれないが。
仕事自体は人生の目的にはならないこともわかっているつもりなのです。
しかし、人はその仕事に振り回されながらも、多くを学び、成長し、自分の居場所を見つけ、報酬を得て、家族関係を維持しているのも事実であり、
貧困の問題だって、就業能力や就業機会という仕事に大きく起因すると思うし、
仕事も仕事の時間も大事です・・・・(仕事の定義は各自の解釈で)
そして、私の仕事は、「仕事をしている人を支援すること」であります。
産業カウンセラーになり、疲れた人たちに「頑張ろう」って言うことが、果たしていいことなのかに時々疑問を持っていました。
無論、「頑張ろう」っていうのは、「自分らしく頑張る」ってことなんですけど。
ところが、こんな私の度肝を抜く事件が、石井さんのセミナーの最後に起きてしまった・・・・
それは、
2000人近く集まったセミナーが、ある掛け声をかけて幕を閉じたということ。
それは、
「ガンバロー!」
この日のセミナーは、もちろん熱狂的な石井ファンも多かったと思うけど、石井ファンに連れてこられた石井ビギナーもいたと思います。
少なくとも、私の臨席の人たちは、しり込みをせず、大声で「ガンバロー」と言っていたと思うし、少なくとも私の声だけが浮いていたという訳ではない・・・・
そっか、
みんなこんなに頑張りたいんだ・・・・
なのにうまくいかないことを他人や周囲のせいにしたり、
他人を信用することができず、本来得ることができる暖かい関わりを持てずに、だた自責の念に囚われながらも、
本来の力を出すことができない。
こうして、何百人、何千人単位で集客できる、話し手の方に共通しているキーワードは
「自律」
であります。
人との関わりの中で、自分の中に問題に気づき、自分で考え、自分で選択し、決断し、行動し、評価し、改善する。
私は、自律は「自分のPDCAサイクル」だと理解しています。
中でも決断のないところに、継続可能な行動もない。
自律の時代でありながら、他責型のメンタルヘルス不全が増えている・・・・
「頑張ろう」と言える人がいてもいいことを少しだけ理解しました。
で、大声で「頑張ろう」と言い終わった後、
私の脳裏をよぎったのは、
「あー、私は宝くじで2億円当たっても、今の仕事を続けるだろうなぁ」
ということ。
ナンダソリャ!?
確信を持ちたかったのは、そんなことではなかったと思うけど、副次的に生まれた確信でした。
書いてみて、人前で何かを教える仕事は、相手以上のエネルギーで巻き込むことの重要性を再認識しました。
充電を大事にしながら、年末まで頑張ります!
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