Tグループを終え、身体の好転が感じられるようになって、ここ数年ずっと願ってきた「感じられる、受け取れる身体」になっていることを感じる訳ですが、
自分ってつくづくついているなぁと感じたのがこの本との出会い。
アレクサンダー・テクニークについては、書店で関心のあるコーナーに並んでいるのは前から知っていたのですが、いざ手に取ってみると買わずにはいられないことになり、一気に読みたい衝動を抑え、精読。
まず読んだのは、右側の本。
この本には、なぜ身体の痛みが改善しないのか、なぜ練習してもパフォーマンスが向上しないのか、その原因が医学や生理学の知識を全く必要としないで理解できるように書かれていて、なんだかとっても文芸書的風情な本。
そこで、まざまざと突きつけられたのが
・「成果至上主義(endgainning)である自分。
・刺激に対して、反射的、反応的になり、行き過ぎたり、無駄が多かった自分。
・誤った心身の姿勢・手段・過程(means whereby)より多くのことを獲得しようとしてきた自分。
それが、いかに身体に負担になっていたかということ。
そして、身体の痛みを決定的に好転させたのは、
「間違った緊張は正しい緊張が欠けていること」という考え方。
実は、私は大学での専攻上、解剖学の知識を備えていて、身体を理解するのはとても好きなんだけど、筋肉を「間違った緊張」「正しい緊張」という表現で理解することはこれまでなかった。
そして、
「止めること(No-Doing)」で、正しいことが自然と起きること.
そこで、まず実践してみたことは、間違った緩み方をしている身体の左側の筋肉全体へと意識を向け続けたこと。
これが、とても効果的で、いつもやっている背骨コンディショニングの体操の苦痛がかなり緩和したことから、身体の変化がさざ波のように押し寄せてくるのでした・・・
特に僧帽筋のゆるみ。
日頃どれだけ、肩が重力に逆らって僧帽筋が緊張していたんだって話。
両肩の位置が全然違う位置になったのか、最初は痛みがあったこと。
じゃ、なぜ僧帽筋がこんなに緊張するのかってのは、あきらかにこれまでの身体の間違った使い方だし、もっと深く掘れば、常に不安や恐怖を解消するために、行動しつづけなければいけないと無意識に信じてしまっている自分以外の何者でもないっしょ。。。
私は、いろんなワークショップで自分を「車」に例えがちなんですが、絶句するメタファーが紹介されていました。
身体を車に車に例えるとして、
故障があったら、どこか一部に欠陥があるから故障している訳ではない。
運転が下手だから、自らが教習所に戻らなければならない
このメタファーにノックアウトでした。。。。
そして、
抑制(No-Doing)とは、タイミングが早すぎたり、強すぎたり、弱すぎたり、熱心すぎたりする反応、言い換えるなら
知的でない反応を保留する能力である。
禅的なこの表現には、屈辱を隠し、平伏す。。。
など、もう反論できない内容をじっくり味わいました。
後で、友人の一人が「アレクサンダー・テクニーク」の教師に付いていただき自己の修正を進めていると聞いて、
一瞬、私も・・・と思ったけど、これを抑制することがあなたの課題でしょっ。
(この手のことのチェックを日常的に繰り返しているところです)
実際には、様々な動作を通して、自己の正しい使い方を学ぶことになるのだろうけど、私にとっては、実はここまでで成果には十分満足していて、日頃からの姿勢への意識(正しい位置を心がける・何気なくとっている姿勢に気づく)を高め、ここから先は、継続している背骨コンディショニング体操を地道に続けること。
強いて言えばロルフメソッドによる改善も検討していきたいと思ってもいますが、反応的にならず、整形外科的ではない方面から身体をどう理解していくか。
もう何かを貪ることはなしにして、これまでに得た知恵をじっくり深めてみたいなと思います。