硬い話題を柔らかくどうでもいい話を真面目に語ることをモットーに書いています。
ある日曜日の昼下がり。
近所の年季が入った喫茶店に
ふらりと入ってみた。
この店はかつて来たことが
あるかなぁ。だとしても
2年以上は経っている。
全く馴染みはなくstranger。
換気を意識してか入り口は
半ドアの状態。
暗い室内は喫茶店特有だ。
使い古されたソファー。
各テーブルにはガラスの
大きな灰皿が配置してある
ようだ。煙の苦手な私は
反射的にあたりを見回した。
喫茶店の「喫」は喫煙から
来たのかなとどうでもいい
ことを一瞬頭で巡らせたが
すぐやめた。
薄暗い店内は閑散としていて
客らしきシルエットは
僅か2名ほど。
いずれも老女で各テーブルを
思いに老けながらお茶を
しているが時折strangerな
存在である私への牽制?の
眼差しも忘れていない。
店主もそうだ。
気がつくと目前に店主が
立っていた。
「ホット一つ」とオーダー。
マスク越しからの返事はなく
店主は無言でキッチンへ
消えていった。
「マスクが息苦しくて」
「いつになったら外すことが
出来るのかしら。」
静寂をかき消すかのように
私の近くにいる老女が口を
開いた。
「ずっと続くんじゃないですか
。第二波も警戒しないといけない
し。」店主は諦めに近いような
分かりきった回答で老女に
応えた。
店内での会話は制限されている
のかそれっきりで再び静寂が
訪れた。
珈琲の香りを味わった後の
精算も無言。トレーに乗った
お釣りをとる時はソーシャル
よりも心の距離を感じて
しまった。コロナの時代は
孤の世界を招いたのだろうか…
徐々に経済活動が再開してきた
一方でテレワークシフトが
崩れつつある。
一時は週一からニの出社に
留まっていた時期もあった
が、世の中が動き出すとアポ
依頼、出張も増えてくるから
自ずとスケジュール調整も
苦しくなってくる。
例えば午前中に出社して
午後からテレワークなど
何のための在宅勤務なのか
だんだん分からなくなって
きそうだ。
首都圏などはコロナ以前から
満員電車とストレスが
長らくの問題であった筈だ。
テレワークと時差出勤。
後々に一過性であったと
私は考えたくない。
唇がヒリヒリする。
以前中国(成東)出張へ行った
知人から土産にもらった
賞味期限ギリギリの麻婆豆腐
の素が棚から出てきたので
作ってみることにした。
箱に説明が細かく書かれて
いるが全て中国語なので
工程途中でミスジャッジを
してしまいそうだ(・・;)
挽肉を炒めるところまでは
問題は無かったが麻婆の素
を入れた時にトロミもなく
物足りない気がしたので
素を二袋投入した。
これが明らかにミスジャッジ
になった(゚o゚;;
ネギと豆腐を入れ、片栗粉を
溶いて入れるとだんだんと
麻婆豆腐らしくなってきた。
が、味見をしたらあまりの辛さに
身体が退けぞって反射的に怯む。
とりあえず麻婆丼にして
みて食べようとしたが
舌が痺れ胃がチクチクして
食が進まない。
勝浦の坦々麺を食べた時も
食べ始めから三分後には
痺れて味が分からない感覚に
陥ったが、今回はこれを超えた。
翌日に麻婆麺にしてもひと口
食べて諦めざる得なかった。
昔 中国留学生の方から
麻婆豆腐の伝説を聞いた記憶
が残っている。
人は死ぬとあの世に行くまで
の間に長いトンネルがあると
いう。
トンネルの途中にお婆さん
が鍋を持って立っており、
彼女が麻婆というお婆さん
らしい。
麻婆の鍋に入っている食べ物
の味を再現したのが麻婆豆腐
という話だ。
死者はこの麻婆豆腐を食べて
あの世にいく訳だが、「甘く
感じれば天国、辛く感じれば
地獄」かどうかは
麻婆に聞くしかないか…。
数年ぶりにスポーツ刈り
にした。
何かサッパリしたい気持ちに
駆られたのかもしれない。
若い頃と違い、髪の所々に
白髪が潜んでいる。最近は
「味わい深い髪になったなぁ」
と思うことにした。
やがて頬も垂れてシワも
深く刻まれていくだろう。
チャールズブロンソンの
スーパーマグナムシリーズ
(原題Death Fish)の主人公
のようにベテランが若者を
圧倒するある種はちゃめちゃな
存在に憧れるようになって
きた。
これは映画の世界
ではあるが…。
ようやく決算を終えたが、
今年は達成感が全くない。
このモヤモヤもスポーツ刈り
のきっかけになったのかも。