
いつも感じることですが、「セラピー」とか「ヒーリング」って何だろう?
本当にそれは、私たちにとって必要なことなのかどうか。
もっと昔の人達はきっと、身近な人との「対話」「ふれあい」によって、様々な喜怒哀楽の感情を癒し、人生を生き抜いてきたのだと思います。
昔、伊藤守さんの 「こころの対話」という本に出会った時、「私たちは最後まで黙って向き合って話を聞いてもらったことがあまりない」ということを実感しました。
人の話を聞いている時、どうしても頭の中に雑念が浮かんだり、次に自分が話すことを考えたり、話を遮ったり、知らず知らずのうちに、私たちは、最後まで人の話を黙って向き合って聞くことをしてこなかったように思います。
こんな方がいらっしゃいました。
その方は、成人した大切な息子さんを突然亡くされ、地獄に突き落とされたような日々を過ごしていました。
その方と出会わせていただいた時、確か、セッション時間は90分だったのですが、ほぼ話されたのは生きていた時の、息子さんの思い出話でした。
そして、2回目、3回目にお会いさせていただいた時も同じでした。
その時、私は、お話を黙って聞かせていただいただけで良かったのかなと思ったのです。何も気の利いたような話はできませんでした。
その後、ずいぶん経て、私自身も大切な人を突然死で2人亡くしました。
その経験をして初めて、黙って話を遮らず聞いてくださることのありがたさがわかったのです。
私は、当時、何回も何回も、親友に同じ思い出話をし、初めて話すかのように繰り返し、聞いてもらっていました。そのサポートによって何とか生きる気力を与えていただいたのです。
先程の私のクライアントさんとは、今でもまだ繋がりがありますが、「あの時、同じ話を何回も何回もしてしまってすいませんでした」と言われましたが、「私も同じでしたよ、話してくださりありがとうございました」とお伝えしました。
セッションの際に、「とりとめのない話ですいません」「同じ話でごめんなさい」とおっしゃる方がよくいらっしゃるのですが、「話すこと」「聞かせていただくこと」が、私はセラピーの基本ではないかと思います。
それは、セラピストや、ヒーラーとでなくても、あたりまえの日常の中でのさりげない対話によって、救われることもたくさんあるように感じます。
大切な人の喪失だけでなく、トラウマになるような辛かった出来事、また逆に、とても嬉しかった事など、これまで聞いてもらいたくても言えなかったことなど話すことで、私たちの中に、少しずつ変容が起きてきます。
様々な心理学的なアプローチやメソッドなどは、その後に、必要であれば取り組んでいけばよいと思います。
まだまだ、未熟ですが「聞く力」をこれからも育てていきたいと思っております。