にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

to sing? vol.2

2011年09月18日 | 日々のこと
引き続き、"You taught my heart to sing"についてです。(12日15日の記事参照。)

別のかたからもコメントをいただきました。
「少し長いので・・・」ということで、コメントではなくメッセージの形でいただいたのですが、ご本人の了承を得たうえで以下に引用させていただきます。

***

teach は目的語を二つ持つ動詞で、言語学者の中では話題になることが多いようです(他にはSprayとか)。
で、teach は、Teach (目的語)(目的語)という構文を形成します。
後ろの目的語には、~ing の形の(drawingなど)動名詞がくることもあり、こうした形の、「~すること」と、to 不定詞 の形の目的語の意味合いが違う、ということなんでしょうね。
to 不定詞の翻訳には、「~するのだ、ということ」みたいな言い方が書いてありました。

犬に芸を教えた、というのが例文でした。
芸をするように、教え込んだ、ということですね。

日本語の「~すること」という「こと」、はかなり幅広い意味合いを持っているので、翻訳として、的が外れているわけではないと思います。

厳密な意味合いを残そうとするならば、

「わたしのこころに歌うように教えてくれた人」
というくらいになるのかな、と思いました。

歌う、歌い方、とか、技術を、ではなくて、
歌う、表現する、という生き方を教えてくれた、
という、そういった意味合いなのかなと思います。
それを含めて、でも、
歌うことをおしえてくれた、という表現は、
あながちずれていないように思います。

***

そういえば、teachのあとに動名詞をとる場合と、to 不定詞の場合の訳し方の違いを、昔高校で教わった記憶がうっすらとあります(いまはもう忘却のかなたですが・・・。英語の先生、不肖の生徒ですみません。)

いままで一度もうけたことのないTOEICを今度受験しようかと考えているので、ほんとうに勉強になります。

ありがとうございました。

それにしても、英語、むずかしいなあ・・・。

2011年09月16日 | 日々のこと
前の研究室時代からの先輩とあってごはんを食べました。

韓国にいっておられたとのことで、韓国のお土産と、編集された本をいただきました。

お土産は、すごく優しい珊瑚色の巾着袋でした。

その先輩が、迷っている学生さんに、こんなことをおっしゃったとうかがいました。

おもしろいと思えないなら、テーマをかえたほうがいい、と。研究が進んだからこそ、おもしろくないということがわかったのだから、あなたの研究は進んでいるのよ、と。

とても素敵な言葉だなと思いました。

学生さんにしてみれば、周りのみんなが最初に決めたテーマにそって研究を進めている中で、自分だけがいまさらテーマを変えると、遅れをとるような気がして、足踏みしてしまうそうです。

学生さんの気持ちもわかるような気がする反面、先輩がおっしゃるように、それは、遅れているということではないのだと思います。

それは、論文に限らず、人生の選択についてもいえるのではないかと思います。

それまでの経験を無駄だったと思えば無駄になるし、その経験から何かを学べるのなら、早いとか遅いとかいう問題ではないのだと。

ただ、そのひとの歩くスピードがあるだけで、早いとか遅いとか比べられるものではないのだと思います。

ひとつひとつの岐路で迷いながらそのときの自分にとって一番いいと思う道を選んできて、いままで歩んできた道を、ほんとうによかったな、とあらためて思ったひとときでした。




to sing?

2011年09月15日 | 日々のこと
12日の記事 You taught my heart to sing を読んだ友人から、「to sing」はこの場合、「歌うこと」というより、「歌い方(how to singのhowがぬけた形)」では?という指摘がありました。

いま調べているところです。誰か詳しいことをご存知の方がおられましたら教えてくださいね。

英語自体が難しいのはもちろんですが、歌の歌詞となるとさらに難しくて・・・いつも悩んでいます。
英語に限らないと思いますが、言葉はほんとうにむずかしい。

でもこうして文章にして発信することで、違っていれば指摘していただけるし、「正しい」答えが得られなかったとしても、考えるきっかけになるので、発信していきたいと思います。

お気づきのことがあれば、どんどん教えてください。

いずれにせよ、大切なのは、”You taught my heart a song"ではなく、"to sing"という言葉が使われているということだと思います。

「歌を教えてくれた」だと、なにかひとつの歌のようになってしまい、固定されてしまうけれど、"to sing"だと、歌う、という動詞になる。

こころが、なにかに響いて生き生きと動き出す様子が伝わってくると思うのです。


今日もいつもお世話になっている美容院に行った帰りにむ~らさんに寄ってレコードを聴かせていただきました。

レコードを聴きながら、わたしにとって歌うために一番大切なのは、「触発される」ということかもしれないと思いました。

ほんとうに素晴らしいものは、ひとを触発する力を持っていると思うのです。

もちろん、受け手であるわたしのこころの琴線が鈍っていたら、素晴らしいものであっても響かないと思いますし、ひとによって同じ人の歌を聴いても感動する人とそうでもない人がいると思います。

単に好みの問題もあるし、感性の違いや、タイミングもある。

人それぞれの感じ方があっていいし、どれが正しくて、どれが間違いということではないのだと思う。

ただ、わたしは、わたしを触発してくれるものを大切にしたいです。

そして、恋愛に限らず、いままでにわたしを触発してくださったたくさんの方たちに、この歌を贈りたいと思います。

HPリニューアルしました♪

2011年09月14日 | 日々のこと
ふとしたきっかけで、無料でHPを作成できるウェブサイトを知り、今朝から4時間ぐらいかけて作ってみました。

また使い方などわからないところが多いので、暫定的ですが、今後もすこしずつ手を入れていきたいと思います。

前のHPを作ったときのPCが壊れてしまったので、前のHPを閉じることができないのですが、すこしずつ必要なコンテンツをひっこししてこようかなと思っています。

ものをつくる作業は、やり始めるとたのしくてとまりません。
お気づきの点やご意見がありましたら、教えてくださいね。

にわとりHP

You taught my heart to sing

2011年09月12日 | 日々のこと
"You taught my heart to sing"という曲を聴いています。

「あなたはわたしのこころに歌うことを教えてくれた」という美しいタイトルを持つ曲。作曲者はMcCoy Tynerで、作詞者はSammy Chan。

ジャズのスタンダードには、愛のうたがたくさんありますが、そのうたを普遍でありながら特別なうたとして輝かせるのは、こころもふくめた、風景のきりとりかただろうと思います。

カメラが瞬間をとらえるように、言葉で一瞬をとらえるのだと思う。



わたしのこころは空っぽの貝殻だったけれど
あなたに出逢ってから
うたにあふれたメリーゴーランドになったの

あなたがわたしにおこしてくれた奇跡は
生涯消えることはないでしょう
あなたは忘れえぬ人
わたしのこころに歌うことを教えてくれた人



貫禄のあるDianne Reevesの歌唱もいいですが、Vivian Ortegaという人のうたが繊細でとても好きです。

音楽の勉強

2011年09月10日 | 日々のこと
イラストは、ドーナツじゃなくて、レコードのつもりです(あいかわらず写実的ではありません・・・)

きのうは、来月ライブをさせていただくむ~らさんで、コーヒーとシフォンケーキ(チーズケーキと迷いましたが、今回はシフォンケーキにしました)をいただきながら、かれこれ3時間ぐらい、レコードを聴かせていただいていました。

初めて聴く歌手のかたも多くて、ジャズヴォーカルの奥深さをあらためて知った思いでした。

そのなかで、わたしは低くてあたたかみのある女性の声がとても好きだということを発見しました。基本的に嫌いなヴォーカリストはいないので、それぞれの個性が好きですが、低くてあたたかい声は身体にすっとなじみます。

マキシン・サリヴァンという人のうたが特に好きでした。

昔、ジャズミュージシャンのひとたちは、ジャズ喫茶に通ってソロを耳で聴いて譜面に起こし、練習したのだそうです。いまみたいにCDもインターネットもなくて、レコードがものすごく高価だった時代。

コーヒー一杯で何時間も粘り、一心に聴き続けたと、いろいろなミュージシャンの方の回顧録で目にします。どんなに大変だっただろうと思います。

いまは、なんでもインターネットで調べられるし、聴くこともできるから、それはこの上なくありがたい(そんなに裕福じゃないひとにとってはとくにそうだと思います)のですが、レコードをお店で聴くという行為には、お店の方や他のお客さんとのコミュニケーションもあったはずで、ただ情報を得ることとは質が違うように思います。

わたしにとっては、たまに行く喫茶店は、ひとりではできない音楽の勉強の場です。

きのうも、いろいろ教えていただきました。

なんでも無料で、あるいはとても安く手に入ることは、アーティストの生活を脅かすことにつながることもある。だから、守るためにできることを探していかないといけないと思います。でも一方で、なんでも有料で、高くなってしまうと、お金がない人から芸術を遠ざけてしまう危険性もあるような気がします。

だから、YouTubeもよく利用しますし、好きなアーティストのCDは、お金をためてできるだけ買うようにはしています(ほんとうはレコードがほしいのですが、レコードプレーヤーを買ってから、になるのでもうすこし先の将来の夢です。)

ミュージシャンが、自分でレコードを揃えることは難しかった時代に、ジャズ喫茶があったからこそ育まれてきた日本のジャズ文化もあるのだろうと思います。

先日アメリカに行っていたときにお逢いしたベースの巨匠が、「ジャズの教育は日本が一番素晴らしいよ。二番目はヨーロッパで、アメリカは三番だ。」とおっしゃっていました。

「仕事さえあれば日本に住みたい。日本のミュージシャンは、とても謙虚で熱心に勉強する。日本は大好きだ。」とも。

もちろん、アメリカでしか学べない空気はたしかにあると思います。でもそこまで言われるなんて、たくさんの方々の努力があったからこそだな、と思いました。

日本のジャズ文化についてマイク・モラスキーさんが書いた著書があります。(マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ―』青土社、2005年)。

書評を、『文化/批評』(国際日本学研究会)という雑誌に掲載させていただいたので、もしご希望の方がおられましたらご連絡ください。

むずかしいけれど、バランスをとりながら、大切なものを見失わないようにしていけたらいいな、と思います。


音の色

2011年09月08日 | 日々のこと
ここ数日はずっとノラ・ジョーンズを聴いています。
彼女の音楽を聴くと、いつも緑と青が混じった深い色が浮かびます。
森のなかにいるみたい。

音や声はすごく力を持っているからなのか、疲れていたり、精神的に落ち込んでいたりすると、どうしても歌が聴けないときもあります。

そのときは無理に歌を聴かずに、ピアノやギターだけの音楽を聴いたり、なにも音楽をかけずに、木が風に揺れる音を聴いていると、また元気になって歌が聴けるようになってきます。

そんななかで、ノラ・ジョーンズやアン・サリーの声は、どちらかといえば楽器に近い感じがします。

アン・サリーさんの声は、澄んだ空のようなブルーのイメージです。

力強い歌声も、明るい歌声も好き(好きなシンガーは多すぎて数えきれません。。。)だけど、彼女らの歌は、いつ聴いても水がしみこむように空気をやわらかくしてくれます。

不思議だけどうれしいこと

2011年09月07日 | 日々のこと
きのう、ひさしぶりの友人と会いました。

ちょうど数日前が彼女の誕生日だったので、このあいだ作ったポストカードを何枚かプレゼントしようとしたら、「買うよ。だってそのお金は義援金にするんでしょう?」と言われました。

ポストカードを販売してみない?とむつみねえさんに言われた時と同じくらい、びっくりしました。

どう説明していいかわからないのですが、イラストを描くことは、わたしにとっては自分のため(いろんな色をぬったり絵を描くだけでこころが落ち着くので、セラピーに近いかもしれません)なので、それが誰かに喜んでもらえたり、お金を払ってもらえたりするのは、ありがたい半面、不思議で実感がまだ湧かないのです。

歌を歌うこともそうです。

でも、それが誰かに喜んでもらえて、さらにわずかでも被災地の方々のお役に立てるのなら、こんな嬉しいことはないです。

たとえば、わたしが自分で2000円義援金として寄付することと、わたしのポストカードを20枚買っていただけて、その2000円を義援金にするのとでは、金額は同じでもプロセスが違うので、意味合いもすこし違ってくる気がするのです。

以前から考えていることなのですが、お金ってほんとうに不思議で、たぶん突き詰めて考えれば資本主義の問題や、いろんな哲学的な問題(贈与とか交換とか)にかかわってくる気がするので、表面的なことしかわからないのですけれど。

なんだか不思議で、でもそうやっていろんなひととつながっていけるのなら、うれしい。

もしかすると、今回のポストカード販売や、いろいろな音楽活動をしていくことは、自分で自分をがんじがらめにしていた「何か」を解き放つきっかけになるかもしれません。

明日は、次回のむつみねえさんのライブで販売する新しいポストカードをつくる予定です。