………………………(解体工事 その1)…………
コンクリートの建物の耐用限界が来たのではないが、地下1階地上8階のビルの解体工事を監督する事になった。
明治時代の建物には希少価値があり文化保存の為に解体にマッタがかかる場合もある。
これから壊す建物の2階までは壁は石貼であり、特に玄関の入り口を飾ってある石は、
「オブジェとして展示出来るようになりませんか?」
と解体工事中に上手に切り取って保管し、解体後に建てる建物の庭に旧建物のシンボルを残しておきたいセンチメンタリズムがオーナーさんから出た。
「昔の職人さんの手仕事だから、上手に切り取れないかも知れませんが、一応……」
解体するに当たって、この建物の設計図が保存されていた事に驚いた。
地下室があったせいで、戦争時にも倉庫で眠っていたので助かったようである。
昔の設計図だから縮尺は当然『寸尺』で書いてある。
1階の高さが8尺5寸5分が何㌢であろうと、解体するのだから細かい計算はいらないが、何となくセンチメートルに換算してみたい気分にもなるものだ。
職人さんと言わず、図面と言わず苦労した工事であろう事は、想像出来る建物である。
解体しながら壊れた断面を見て当時に想いをはせても、宇宙の彼方を見ているようで先達の苦労の底までは分からない。
言える事は、生コンクリートもレッカー車もない時代に、78尺7分の高さまで(約24㍍)も鉄骨を繋いでコンクリートの建物をよくぞ建てたものだと、感心する。
材料は担いで運び、人から人への手渡しであるのは分かるが、敷地全体にある地下室を創るのにどうやって土を掘り出したか、掘れば水が湧き出るから水を汲み出すポンプはあったのだろうか、山留は丸太と板で地盤の崩れを防止したのだろうか………等を先輩に聞いても、どうも納得しかねる話しか返って来ないのである。
柱の中に軸として鉄骨がある事から、この建物を創る意図は相当な頑丈さを想定してある事がわかるし、戦後室内改装して事務所として最近まで使っていても、設計図には防音室・録音室の名称が記入してあり、軍需関連に関係があった建物には間違いなかろう。
鉄骨の柱と梁もH鋼はまだない時代であるから、75㍉のアングル材(L型)を抱き合わせてTの字にボルト締めしたものが、部材の骨である。
これをW字の連続したような型にして柱の四面に立てて、周囲を鉄筋で巻いてからコンクリートを打ち込んであるのだ。
昔の職人さんの汗と苦労の塊まで、壊しているようである。
建物を創る職業を私は選んだのであるが、本格的に解体する現場に巡り合えたのは何か因縁があったのだろうかと、新築工事にはない心の叫びが毎日聞こえて来るようだった。
1週間もあれば壊せる工事は過去、何度かあったものの、大型の建物を壊すには事前に……
******** 解体工事(2)へ続く********
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