…………………(現場もお祭り)…………
秋には《秋のお祭り》騒ぎよりも『後のまつり』となった事が現場では多い事だと思う。
大抵は竣工式の日取りを決める頃になって、間に合うかどうかとカレンダーを見つめて、
「あの検査がすんなりと通っていたら…」
なんて事を、つぶやきながらも竣工日から逆算した工程表を書き始めて思うものである。
「あの時あれが…、雨があの時期に降ってとか、設計変更が多発して…」
着工から今までの現場の流れを遮った出来事を思い出すと《後の祭り》そのものだ。
このような現場はすべからず―――恒例の『お祭り』が始まるのだ。
《スタートするなら新年から》の思いが多い日本では、年末竣工に集中するのも止むを
得ない。
必然的に建設業界は秋の声と共にお祭り、俗に言う『突貫工事』になるわけで、ケツに
火が点(つ)いて踊り出す覚悟が必用になって来る。
突貫の福さんと呼ばれていたが、工程不足の調整がつかないまま受注し、営業から、
「突貫だけど、今回も頼むわ」
でもノーと言えない現場所長でもあった。
工事途中から突貫に突入して《後の祭り》状態は現場係員時代は常であったから、自分
《後の祭り》の昔を思い出して話をすれば―――
とにかく、所長は何も指示しないし、
「『銭』以外は総て任せるから、お前らで決めてヤレばいい」
が口ぐせであり、一見大物の様に見えるのだが、ゼロから創るものに若手が集まっても
ネズミの相談であり、工事は進まない。
『お前ら』と呼ばれただけで、モチベーションが消滅するのが分らない人なのか……と
失望の念。
社内組織から見れば上位にランクされている所長さんだが、若手が育っていないし、工事
途中で退職願いを出す若者を出しても、利益を上げているので出世街道を歩んでいる人
なのだろう。
協力業者さんはそんな性格の所長を長年見ているからか、見積書も作らず、
「忙しいので、そちらの現場には手が廻りません、済みませんね…」
やんわりと風向きから遠ざかって行く。
(他の所長なら、無理してでも受注したいけど……)
第一希望の協力業者に首を振られて、意に反した業者を呼びつけて、
「お前の所に決めてやった。すぐ施工図を書け、工事は遅れるなよ!」
と権力を振りかざしている時点で、もう予定の工程から3%位は遅れ始めている。
出足で転んでいるのだけど、これが数業者もあるのだから、現場は嵐の中の難破船であり
ながら、船長不在・座礁目前よりも沈没船だった。
案の定、協力業者が急いで書いて来た施工図に、
「これでは納まっていない!何考えているンだ!書き直せ!!」
(やっぱりお前のところに決めるンじゃなかった!)
と所長が眉をつり上げる。
(ここの現場を建築部長から押し付けられたから仕方なく・・・
やっぱり請(う)けるべきじゃあ無かった……)
と協力業者の顔には反省もやる気も窺(うかが)えないヒトコマを何度も見たものだった。
「殿、これで如何でござる?」
「ン?良きにはからえ、そちにまかすぞヨ」
お城で文句は言わない殿様ならば、家臣は協議を図り国を治めていたものだが、今、指示も
出さないで行き当たりばったりの不満を言われては、爆発の火種を蒔(ま)く様なものである。
専門課程を卒業して来た若者が、理不尽な話に耐えられる時代ではない。
が、やめて行った若者に、
「あいつはやっぱり根性が無かったなあ……」
何て上司に言い出すのだから、現場の楽しさもチームワークもあったものではなかった。
竣工前になって、お決まりの突貫となった。
24時間労働でも追いつかないほど、仕事量が残っている。
「お前ら!何をやってたンだ今迄!!」
となってはもう《後の祭り》も最高潮に達している。
恥ずかしながら工期延長願いを申請し、1か月ほど竣工日を延ばして頂いた。
もうそこからは所長の顔色は気にしない事にした。
近郊の現場の若手職員に、18時から雑工事を手伝わさせる……という支店通達が下った。
職員にさせる仕事―――
それは室内の残材搬出、床仕上げのため掃き掃除、脚立足場を翌朝から作業する
場所へ搬出し組み立てる、クロス・床の仕上げ材料を資材仮置き場からEVに
載せて、各部屋に配置する、残業用の投光器の配線を組み替える―――等、
とにかく朝一番から職人さんが直ぐに仕事に取り掛かれるように、夜中を徹しての
雑仕事だ―――
自分の現場を早目に切り上げて毎晩応援に来てくれる20人程度の職員に、簡単ではある
が夕飯を食べられるように、近くの大衆食堂に頼み『通い帳』にサインして食事が出来る
話をつけた。
大衆食堂(今の時代にはもう看板も使わないな)だから、小皿に料理が一品ずつ載っていて、
自分の好きなおかずを選んで、味噌汁、トン汁もあったなあ……。
仕事中だから酒を飲む事は出来ないしタダ働きでは申し訳ない気分であり、残業手当が出な
いかも知れず、応援して頂ける感謝の気持ちから《私の独断》で始めたのだった。
毎夜、応援の若手職員が頑張ってくれている中で、職人さん達から、
「余裕はないけど、何とか間に合わせるよ、福さん」
とお昼休みに背中を叩かれて、今迄のシマリのない雰囲気が変わって行った。
突如、
「お前!何考えてンだ?」
の声に振り向いたら、
「メシ代はどこから算段するんだ、予算はないんだぞ!」
(おいおい、喰い物のウラミは怖い事を教えてあげるよ)
とニヤリと頬を動かして、
「夜、腹ペコで他人(ひと)の現場の雑用は出来ませんよ、それより
《深夜残業代》はどうされますか?」
「(ギョッ?思ってもいなかった…)」
「述べ600人で2千500時間、400万円の残業代を踏み倒して、バンメシの36万に問題でも?」
「何で相談せずに勝手に決めたンだ、誰が払うんだ……皆の晩飯代を!」
「三か月前からキャバレー・スナックにも行ってないので、それくらいは残ってるでしょ?」
「(・・・・・・)」
若手現場マンの応援を有難いと思った所長は、
(社員だから無償で手伝ってもらえる)
と思ったのは誰の目にも分ったし、ここの現場が突貫になった理由を若手から聞かれる迄
もなく、風評が近郊の現場に尾ひれまで付いて、漏れ伝わって行った。
「あれじゃあ、下の者がかわいそうだよね?」
だが、私にとっては良い経験になったし、突貫工事になる理由と、突貫工事にならない様に
する方法の両方を
『しっかりと肝に焼きつけた』
という教訓になった―――お祭りだった。
時は平成になって―――
竣工前にはどの現場も突貫工事らしき事態の《お祭り騒ぎ》に陥るもので、私が赴任した
現場では、若手配属員と顔合わせの時、缶ビール片手に、
「前の現場で、最終月はどんな状態だったの?」
と訊(き)いてみると、九割は戦争というかバタバタの連続で終わったと言う。
「で、反省は?原因は何だったの?」
少し現場を思い出して、
K君「下請けがなかなか決まらず、手配がだんだん遅れたシワ寄せが…」
S君「施工図が遅れて,承認印がなかなかもらえず、変更も多かった…」
T君「職人さんの絶対数が少なくて、鉄骨と躯体工事の遅れが尾を引いて…」
等々、誰もがどこの現場でも、似たり寄ったりの苦労をして来たようである。
現場の担当係員として色々な体験をしたのだが反省会もなく、次の現場に赴任させられて
いるから、苦労した経験を活(い)かされる場に巡って来ないのだ。
仕事を楽しくこなし、現場を明るくチームワークの良い現場にしたいのならば、私の書
いた《建設現場の子守唄》を参考にすれば簡単であり、現場監督業務に悩むならばシリーズ
《ーーの風来坊》《ーーの玉手箱》を手本にすれば簡単である。
現場が忙しいと口にする人の多くを見ると、的確な指示を事前に出す能力に欠けている
ものだ。
協力業者任せにしていながら、出来上がったモノに文句を言いたくなるのならば、出来上
がる前に、文句の出ない様に仕事の中身を正確に伝えれば良いだけである。
本人が当日になって現物を見てから《お祭り》の幕が開く……
《後の祭り》の第一幕が―――
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